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建築のエロティシズム―世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命 (平凡社新書) 新書 – 2011/10/17
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- ISBN-10458285611X
- ISBN-13978-4582856118
- 出版社平凡社
- 発売日2011/10/17
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 1 x 17.5 cm
- 本の長さ201ページ
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2011/10/17)
- 発売日 : 2011/10/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 201ページ
- ISBN-10 : 458285611X
- ISBN-13 : 978-4582856118
- 寸法 : 10.8 x 1 x 17.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 555,575位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 542位平凡社新書
- - 36,229位アート・建築・デザイン (本)
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著者について
1960年宮城県仙台市生まれ,千葉県で育つ.東京大学教養学部および同大学院総合文化研究科でドイツ研究を学ぶ.博士(学術).現在,東京大学大学院総合文化研究科教授.専門は表象文化論.近現代の思想史・文化史のほか、さまざまな芸術ジャンルの作品を縦横に論じる.著書に,『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』(青土社,サントリー学芸賞),『都市の詩学──場所の記憶と徴候』(東京大学出版会,芸術選奨文部科学大臣新人賞),『政治の美学──権力と表象』(東京大学出版会,毎日出版文化賞),『イメージの自然史──天使から貝殻まで』(羽鳥書店),『冥府の建築家──ジルベール・クラヴェル伝』(みすず書房),『過去に触れる──歴史経験・写真・サスペンス』(羽鳥書店),『歴史の地震計──アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論』(東京大学出版会)など,訳書に,サイモン・クリッチリー『ボウイ──その生と死に』(新曜社)がある.2010年,フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞.モットーとするデヴィッド・ボウイの言葉は,「ぼくが与えなければならなかったのは/夢見ることの罪だけだった」(〈時間〉)。
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アドルフ・ロースの装飾の排除は人類史的な必然として説明されます。未開人、古代人は空白への恐怖から日用品から服装まであらゆるものを飾ろうとし、ひいては自分自身の身体すら刺青で装飾してしまいます。産業革命を経た近代人はもはや装飾を必要としない、装飾は悪趣味であり、それどころか犯罪的であるとまで言われます。空白への恐怖はフロイトの精神分析の去勢への恐怖として解釈され、話はエロティックな話になっていきます。話の進め方は論理的ですが、論理そのものがエロティックなわけではありません。装飾の否定は、手仕事によるクラフトから工場生産による大量生産品の単純さ、装飾のない醜さを正当化するための言説だという見方もあります。
そのものの不在かつそのものへの示唆はそのものの存在を、存在するときよりもより意識させるというのがフェティシズムですが、ココシュカは完全にファナティックなフェティシストですね。クリムトはシーレよりフェティシストだと思います。クリムトが装飾のオブラートに包んで表現することをシーレはそのものズバリ描いちゃいます。
モードが不変ではなく変わり続けるのは、上流階級のダンディとしての自己意識として説明されます。つまりモードを成立させる趣味は上流階級の一部のダンディのものであり、彼らが好むものがモードとして上流の中で広まり、さらに下層にまで広まってしまうと、ダンディは次のモードを求めるようになり、モードは一時の流行として変わり続け、時に巡回する事にもなります。
他にもいろいろ発見があました。
何と言っても、世紀末ウィーンの事なんてここ数十年忘れてました。
30年前、ウィトゲンシュタインゆかりの地を訪ねてウィーンなんかを訪ねたのを思い出しました。
ウィトゲンシュタインハウスも見に行きました、当時ブルガリア大使館になっていたのですが、親切な大使館員は中まで見せてくれました。懐かしい。
本書で明らかになるのは、彼らの思想には、表面的な学説の参照関係があるだけでなく、無意識のうちに同じ論理構造を展開している部分があるということである。そこに世紀転換期ヴィーンの同時代性というものが現れ出ているようで、興味深い。ロースのダンディズムにおける【装飾】概念と、フロイトのフェティシズム論における【ペニス】概念とは、ともにダダに代表される20世紀アヴァンギャルドが否定しようとした【意味】の概念に通じるところがあるのではないかと感じられた。
無論、本書の出発点はアドルフ・ロースによる建築論「装飾と犯罪」にあるのだが、ここから導き出される論理は、世紀転換期におけるウィーンの建築装飾のみならず、同時代の思想(オットー・ヴァイニンガ―)、文学(フランツ・カフカ)、精神分析(ジークムント・フロイト)、美術(オスカー・ココシュカ)、哲学(ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン)にまで出会わされる。
これによって読者に見えてくるのは、世紀転換期ドイツ文化圏に蔓延していた、危険ながらも、刺激的かつ魅力に満ちた論理の総体であり、これは極めて野心的で分野横断的な思想史の試みと言える。著者の濃密な文体は、このようなパトスの宿った論理を展開するパフォーマンスにこそ相応しい。
このような刺激的で高度な論考が、新書という安価な体裁でアクセスできることに一読者として喜びを感じる。
(2011/10/14 初版第1刷)
内容は、1900年前後ヴィーンでのロース、ヴィトゲンシュタイン、ヴァイニンガー、フロイト、ココシュカ等の思想家に紐づく建築思想論。
結論から言うと、著者が言うエロティシズムは殆ど感じなかった…。
著者曰く、エロティシズムとは「論理の官能性」に置き換えられる。
そもそも日本と西洋では建築に対する市井の感じ方に差があると思った。
ロースがデザインしたミヒャエル広場の店舗に対して、カリカチュア的な行動が起こるほどに、国民の感性がとても鋭いのは驚いた。
今ではミニマルなデザインは好まれることも多いが、当時の「装飾性」の希薄さは斬新で、受け入れにくかったのであろう。
(思えば、西洋絵画に関して、イコン画はゴチャゴチャしているのが良しとされ、そこに印象絵画が勃こった当時には非難されたのに似ている)
ダンディズム、フェミズム、フェティシズム等を引き合いに出して、そこから導き出されるエロティシズムを建築にも論理的に引用するのは個人的にちょっと強引に思えた。(具体的に主張している思想家は少ない)
知らない人の名前ばっかりだなぁ、と思っていたらマルセル・デュシャンのフレンチ・ウィンドウが出てきて、急に本書の理解が深まった。笑
確かにデュシャンの作品が思想的に“エロい”のには同意できる。
当時ヴィーンの思想家たちが、装飾性が研ぎ澄まされた書院造の茶室なんか見たら “エロ”すぎて、目も当てられなかったのかも、と思う。
そこでは、
イギリスの上流階級の最新モード=ダンディ=絶対的単純
という図式から無装飾が導かれ、
無装飾:装飾=男性:女性=外観:内観
とい対概念から装飾の否定が展開されていました。
昔、ウィーンに旅行した際に、オットー・ワーグナーの郵便貯金局を見ましたが、その外装の石が何故わざとらしくボルトで固定されているのだろうと思っていました。この本で、それが近代的建築方法の表現だったのだと理解できました。
また、アドルフ・ロースのロースハウスを見た時も、何故わざとらしくフラワー・ボックスがついているのかと思っていましたが、建設継続のための妥協策であったと知り納得しました。
クリムト、ワーグナー、ヴァイニンガー、フロイト、ココシュカ、ヴィトゲンシュタインなどが登場する。そうした名前を聞いただけで、この本の内容が創造できる。
筆者は、当時のウィーンの状況を特徴づけるキーワードが”装飾”であるとして、そのキーワードを主要テーマに、様々なトピックを紹介している。
ウィーンの王宮のすぐちかくにあるいわゆるロース・ハウス。今では、スタイリッシュな感じのする、ウィーン観光の1つの名所だが、当時は、そのあまりの装飾のなさから、スキャンダルになり、建築工事も中止になったという。
今からは、何がスキャンダルなのか、まったく想像もできない。それこそが、当時のウィーンを覆っていた不思議な雰囲気だったのだろう。
世紀末ウィーンについては、実に様々な見方ができるが、それは、当時のウィーンが、いかに多くの側面を持っていたかの証明でもある。