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新書690万国博覧会の二十世紀 (平凡社新書 690) 新書 – 2013/7/12
海野 弘
(著)
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「アメリカの世紀」を宣言した1915年サンフランシスコ博、アール・デコのスタイルを広めた1925年パリ装飾博など、代表的な万博を通して「二十世紀」を読み直す。
- 本の長さ230ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2013/7/12
- 寸法10.8 x 1.3 x 17.3 cm
- ISBN-10458285690X
- ISBN-13978-4582856903
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2013/7/12)
- 発売日 : 2013/7/12
- 言語 : 日本語
- 新書 : 230ページ
- ISBN-10 : 458285690X
- ISBN-13 : 978-4582856903
- 寸法 : 10.8 x 1.3 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 581,375位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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2019年2月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大阪で二度目の万博が開かれるそうだが、そもそも万国博覧会というものが一体なんなのか、歴史的な視野で、過不足無く学べる良書。文中で参考文献の紹介も多く、知識の出発点になる本。
2013年7月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
19世紀パリ博を中心に語られてきた万博。本書は20世紀の各種博覧会にまで俯瞰の視野を拡げつつ、著者の築いた都市論に触れながら、現代世界における国際博覧会の意味を問う。
ただし「十九世紀の万国博はまだ専門家向け、二十世紀の万国博は一般大衆に開かれている」(p9)の記述には違和感があるな。パンチ誌にもみられるように、トマス・クック旅行代理店の業績拡大もあり、ロンドンでもパリでも多くの庶民が会場に足を運んだ。
まぁ外国人を対象にすれば「開かれていなかった」のは確かだが、渡航費用が最大の障壁となったはず。1989年のパリ万博を訪問した民間人(久保田米僊)も存在したし、少なくとも「専門家向け」ではなかっただろう。
プロローグでは国際博覧会の発祥と19世紀エクスポが概括される。
・1851年のロンドン国際博覧会。万国博覧会の発祥の地と自認し、世界に先駆けて実現した産業革命の成果、イギリス自慢の工業製品をあまねく披露した。これらを収容するパビリオンは、これも科学技術の集大成である水晶宮であり、参加者にその偉容を見せつけることとなった。
・一方、パリ万博は都市改造計画と相まって会場空間に拡げ、成功を収める。この複数のパビリオン展示方式が以降の標準となり、名称もフランス語「エクスポジシオン・ユニヴェルセル」に由来するエクスポが一般呼称として定着する。
「万博はフランスのもの」とされる所以である。
・フランスは美術販売に重点を置き、イギリスは技術的な発達を誇示する。アメリカは自国の歴史的出来事の記念として開催する。この性格の違いが面白い。
・19世紀と20世紀の万博の違い。前者が科学技術の発明発見の展示に注力したのに対し、後者は文化芸術要素にも関心を向け、観光との結びつきが図られたとある(p17)。なるほど。
本編では1900年パリ博から1925年アール・デコ博、1933年シカゴ博、1939年ニューヨーク博、1970年大阪博など、時代を象徴する10個の博覧会とそれらの示した意義、その後の時代の推移が述べられる。
・19世紀と20世紀の結節点。しかもアール・ヌーヴォー時代の頂点であり、新技術と芸術の融合が試みられた1900年パリ万博が、やはり万国博覧会を代表するものであろう。万博に食指を延ばしたドイツに対抗して開催を決めたことも興味深い(p20)。パビリオンの配置ひとつをとっても、先進国と途上国、宗主国と植民地の関係、少数民族問題がクローズアップされ、ヨーロッパ主観の時代の去りつつある予感が内包される。わが日本は……ゲイシャ・ガールですか。。。
・戦間期、束の間の平和の時代に開催されたことは、万博が平和を希求するものであったことの証左か。
・1925年パリで開催された現代装飾美術・工業博覧会は魅力的だ。ル・プランタンなどの百貨店のパビリオンの登場は「中流階級という新しいマーケット」(p71)を象徴していたし、ネオ・クラシックを基調とする建築の中に存在感を示した装飾デザイン、すなわちアール・デコ様式は20世紀モダン・デザインの到来を告げ、東京、上海、ニューヨークに同時代的な都市文化を発現させた。
ロシア・アヴァンギャルドに対する逸話(p77:50年後の再評価)からは、オリジナリティの追求こそ重要であることが示唆される。「ぜいたくなフランス文化への平手打ち」(p85)とは、わかりやすい。
・大不況の1930年代に相次いで国際博覧会の開催されたことは面白い(p92)。新しい消費文化の成立が欲望としてカタチに現れたということか。
・1931年のパリ植民地博が帝国主義の最後の芳香を感じさせ、興味深い。アルジェリアは意図的に「フランスの一地方」と位置づけられているし、イギリスとドイツは当然のように不参加だ。その内容から現在では無視あるいは軽視されがちだが、むしろ現代のグローバリズムの姿を直視する上でも、内容を精査することは重要だろう。
・1937年パリ万博。20年代のモダニズへの反動か、ドイツ館はバウハウスからナチス=ゲルマン中世主義へ、ロシア館はアヴァンギャルドからソビエト=社会主義リアリズムへと変貌を遂げる。万博のメイン会場で対峙するこれら異質のパビリオンは、パリ市民には"悪い冗談"に映っただろうが、2年後には現実のこととなる(パリ陥落)。万博のテーマ「文化と芸術」は現実の力を御し得なかったのであり、「力」への信奉が加速した。戦間期を象徴する出来事として興味深い。
1970年の大阪万博は熱狂とともに忘れ去られた。パビリオンに足を運ぶ時代の終焉(p212)。テレビジョン時代、そしてネット時代の到来により、博覧会の意義は失われつつあるのか。
その問いに関する著者の見解が10章と11章に披露される。未知の物事への"出会い"と"体験"こそ博覧会の魅力である、と。
幻となった「東京都市博」の顛末も記載されている。
東京ルネッサンス企画委員会には著者も名を連ね、特に議題もなく懇親会(雑談と食事会)が重ねられてきたのだが、知らぬ間に「委員会の総意として東京都市博の開催が知事に提言され、これが了承された」ことを、なんと新聞紙上で知ったという。
まるで結論ありきの第三者委員会(昨今の流行だな)。結局、"青島だぁ"がジョークで新知事に就任し、深い思慮の欠落した公約のままに開催中止を強行した。事後処理に無駄で莫大な血税が費消され、世界中から嘲笑を買った日本の恥辱に対し、芸人のイジワル婆さんは何を感じ、どう責任をとったのか。そのあたりも有耶無耶なままに「なかったこと」にされてしまった。
このあたりの顛末も『懇談会』の内幕と併せて開陳されている。憤懣やるかたなし。
ただし「十九世紀の万国博はまだ専門家向け、二十世紀の万国博は一般大衆に開かれている」(p9)の記述には違和感があるな。パンチ誌にもみられるように、トマス・クック旅行代理店の業績拡大もあり、ロンドンでもパリでも多くの庶民が会場に足を運んだ。
まぁ外国人を対象にすれば「開かれていなかった」のは確かだが、渡航費用が最大の障壁となったはず。1989年のパリ万博を訪問した民間人(久保田米僊)も存在したし、少なくとも「専門家向け」ではなかっただろう。
プロローグでは国際博覧会の発祥と19世紀エクスポが概括される。
・1851年のロンドン国際博覧会。万国博覧会の発祥の地と自認し、世界に先駆けて実現した産業革命の成果、イギリス自慢の工業製品をあまねく披露した。これらを収容するパビリオンは、これも科学技術の集大成である水晶宮であり、参加者にその偉容を見せつけることとなった。
・一方、パリ万博は都市改造計画と相まって会場空間に拡げ、成功を収める。この複数のパビリオン展示方式が以降の標準となり、名称もフランス語「エクスポジシオン・ユニヴェルセル」に由来するエクスポが一般呼称として定着する。
「万博はフランスのもの」とされる所以である。
・フランスは美術販売に重点を置き、イギリスは技術的な発達を誇示する。アメリカは自国の歴史的出来事の記念として開催する。この性格の違いが面白い。
・19世紀と20世紀の万博の違い。前者が科学技術の発明発見の展示に注力したのに対し、後者は文化芸術要素にも関心を向け、観光との結びつきが図られたとある(p17)。なるほど。
本編では1900年パリ博から1925年アール・デコ博、1933年シカゴ博、1939年ニューヨーク博、1970年大阪博など、時代を象徴する10個の博覧会とそれらの示した意義、その後の時代の推移が述べられる。
・19世紀と20世紀の結節点。しかもアール・ヌーヴォー時代の頂点であり、新技術と芸術の融合が試みられた1900年パリ万博が、やはり万国博覧会を代表するものであろう。万博に食指を延ばしたドイツに対抗して開催を決めたことも興味深い(p20)。パビリオンの配置ひとつをとっても、先進国と途上国、宗主国と植民地の関係、少数民族問題がクローズアップされ、ヨーロッパ主観の時代の去りつつある予感が内包される。わが日本は……ゲイシャ・ガールですか。。。
・戦間期、束の間の平和の時代に開催されたことは、万博が平和を希求するものであったことの証左か。
・1925年パリで開催された現代装飾美術・工業博覧会は魅力的だ。ル・プランタンなどの百貨店のパビリオンの登場は「中流階級という新しいマーケット」(p71)を象徴していたし、ネオ・クラシックを基調とする建築の中に存在感を示した装飾デザイン、すなわちアール・デコ様式は20世紀モダン・デザインの到来を告げ、東京、上海、ニューヨークに同時代的な都市文化を発現させた。
ロシア・アヴァンギャルドに対する逸話(p77:50年後の再評価)からは、オリジナリティの追求こそ重要であることが示唆される。「ぜいたくなフランス文化への平手打ち」(p85)とは、わかりやすい。
・大不況の1930年代に相次いで国際博覧会の開催されたことは面白い(p92)。新しい消費文化の成立が欲望としてカタチに現れたということか。
・1931年のパリ植民地博が帝国主義の最後の芳香を感じさせ、興味深い。アルジェリアは意図的に「フランスの一地方」と位置づけられているし、イギリスとドイツは当然のように不参加だ。その内容から現在では無視あるいは軽視されがちだが、むしろ現代のグローバリズムの姿を直視する上でも、内容を精査することは重要だろう。
・1937年パリ万博。20年代のモダニズへの反動か、ドイツ館はバウハウスからナチス=ゲルマン中世主義へ、ロシア館はアヴァンギャルドからソビエト=社会主義リアリズムへと変貌を遂げる。万博のメイン会場で対峙するこれら異質のパビリオンは、パリ市民には"悪い冗談"に映っただろうが、2年後には現実のこととなる(パリ陥落)。万博のテーマ「文化と芸術」は現実の力を御し得なかったのであり、「力」への信奉が加速した。戦間期を象徴する出来事として興味深い。
1970年の大阪万博は熱狂とともに忘れ去られた。パビリオンに足を運ぶ時代の終焉(p212)。テレビジョン時代、そしてネット時代の到来により、博覧会の意義は失われつつあるのか。
その問いに関する著者の見解が10章と11章に披露される。未知の物事への"出会い"と"体験"こそ博覧会の魅力である、と。
幻となった「東京都市博」の顛末も記載されている。
東京ルネッサンス企画委員会には著者も名を連ね、特に議題もなく懇親会(雑談と食事会)が重ねられてきたのだが、知らぬ間に「委員会の総意として東京都市博の開催が知事に提言され、これが了承された」ことを、なんと新聞紙上で知ったという。
まるで結論ありきの第三者委員会(昨今の流行だな)。結局、"青島だぁ"がジョークで新知事に就任し、深い思慮の欠落した公約のままに開催中止を強行した。事後処理に無駄で莫大な血税が費消され、世界中から嘲笑を買った日本の恥辱に対し、芸人のイジワル婆さんは何を感じ、どう責任をとったのか。そのあたりも有耶無耶なままに「なかったこと」にされてしまった。
このあたりの顛末も『懇談会』の内幕と併せて開陳されている。憤懣やるかたなし。