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新書784カール・ポランニーの経済学入門 (平凡社新書 784) 新書 – 2015/8/11
若森 みどり
(著)
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一元的な市場原理主義批判を超えた「人間のための経済」への想像力から、自由とは何か、良き社会とは何かを根源から問い直す意欲作。
- 本の長さ314ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2015/8/11
- 寸法10.5 x 1.5 x 17.3 cm
- ISBN-104582857841
- ISBN-13978-4582857849
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商品の説明
著者について
1973年生まれ。大阪市立大学経済学部卒業、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。博士(経済学)。現在、大阪市立大学大学院准教授。専門は経済思想史・社会思想。著書に、『カール・ポランニー──市場社会・民主主義・人間の自由』(NTT出版)、論文に、「贈与──私たちはなぜ贈り合うのか」(橋本努編『現代の経済思想』所収、勁草書房)、「カール・ポランニーと社会政策の思想的次元」(社会政策学会編『社会政策』第6巻第3号所収、ミネルヴァ書房)、共編訳書に、K. ポランニー『市場社会と人間の自由』(大月書店)など。第10回経済学史学会研究奨励賞受賞(2013年度)。
登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2015/8/11)
- 発売日 : 2015/8/11
- 言語 : 日本語
- 新書 : 314ページ
- ISBN-10 : 4582857841
- ISBN-13 : 978-4582857849
- 寸法 : 10.5 x 1.5 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 125,687位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古典から今を読み解く重要性が分かりました。今においても、ポランニーから学ぶことは多く、繰り返される人間の思考の歴史は、社会科学の古典の学習を飛ばしてはあり得ないと痛感しました。マスコミ特にテレビに顔を晒す経済学者、社会学者、国際政治学者らの言動は益々国民の思考を劣化させるものでしかないと確信しました。
2015年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
個人的見解であるが、入門書が原典より難しい場合が少なくないように思う。
たとえば、「フロイト入門」「フロイト」なる本はたくさん読んだが、大学時代に初めて読んだ「精神医学入門」の「第一部失錯行為」のわかりやすさ、面白さ、感動に遠く及ばない。マルクスも同様で、様々な入門書よりは、「経哲草稿」を読んだほうが、ずっと面白く、よくわかる。
入門書なるものは、その人物の著作、生涯について、その全体を盛り込もうと頑張っていることが多く、もう満腹、勘弁してになりがちである。一般読者としては、それだけの知識、考察は不要なことが多い。そもそも、面白くない。その作者の生涯、作品環境、時代背景を全部知っていなくとも、多くの原典は概略理解できる。
ロシア・アヴァンギャルドの詩的言語論など、入門、概説書とも大変難解だが、原典を読むと意外にわかるのである。
それで、本書は「カール・ポランニーの経済学入門」になっているのだが、大変詳細な入門書で、満腹感は高い。労作であり、経済史、経済思想史としては面白く読んだので、別に文句はないのだが、「ポランニー」に入門したい人に、ここまでの内容が提供されると、引いてしまう結果にならないだろうか。
たとえば、「フロイト入門」「フロイト」なる本はたくさん読んだが、大学時代に初めて読んだ「精神医学入門」の「第一部失錯行為」のわかりやすさ、面白さ、感動に遠く及ばない。マルクスも同様で、様々な入門書よりは、「経哲草稿」を読んだほうが、ずっと面白く、よくわかる。
入門書なるものは、その人物の著作、生涯について、その全体を盛り込もうと頑張っていることが多く、もう満腹、勘弁してになりがちである。一般読者としては、それだけの知識、考察は不要なことが多い。そもそも、面白くない。その作者の生涯、作品環境、時代背景を全部知っていなくとも、多くの原典は概略理解できる。
ロシア・アヴァンギャルドの詩的言語論など、入門、概説書とも大変難解だが、原典を読むと意外にわかるのである。
それで、本書は「カール・ポランニーの経済学入門」になっているのだが、大変詳細な入門書で、満腹感は高い。労作であり、経済史、経済思想史としては面白く読んだので、別に文句はないのだが、「ポランニー」に入門したい人に、ここまでの内容が提供されると、引いてしまう結果にならないだろうか。
2019年12月16日に日本でレビュー済み
新書判で「入門」と題しながら、書きぶりは硬い。卷末には「事項索引」(pp.314-310.)「人名索引」(pp.309-308)「参考文献」(pp.307-292.)を完備し、研究書の體裁である。書名の「経済学入門」は「經濟學批判」とでもした方が適切だらう。
内容は、カール・ポラニー 『[新訳]大転換 市場社会の形成と崩壊』 (東洋経済新報社、二〇〇九年)の讀解、即ち、經濟人類學(非市場社會が對象)に深入りする前の市場社會論を主軸とし、「一九二九年恐慌や三〇年代の不況についてのポランニーの分析を、前著[= 『カール・ポランニー 市場社会・民主主義・人間の自由』 ]のときよりも掘り下げて展開するよう努めた」(「あとがき」p.290)。特に、新自由主義を論敵とした對抗關係の中において解説されてゐる。これは、マルクス主義退潮後にそれに代り得る資本主義批判の源泉としてポランニーが再評價されつつある流れに棹さすものだ。
しかし二十一世紀の所謂「新自由主義」に一九六四年歿のポランニーが言及しやうもない以上、兩者を噛み合せるためには工夫が要る。まづ「新自由主義」を「経済的自由主義」とか「市場原理主義」とか呼び換へて時代の限定を外した一般名詞化する方法があるが、のみならず、「新自由主義」の系譜をポランニーと同時代人であった經濟學者ミーゼスやハイエクらに遡らせて今日に至る歴史的經緯の中で主著『大転換』を位置づける方向が打ち出されてゐる。「経済思想史の方法でポランニーの思想を再構成する研究」(「あとがき」p.290)と自稱する所以で、同樣にポランニーも『大転換』の中で十九世紀前半の「スピーナムランドの時代」における救貧法論爭に「われわれの時代の起源」(『大転換』原書副題。本書p.164・p.232參照)を見たのであった。「ポランニーは、スピーナムランド時代の救貧法批判の現代版をよみがえらせてそれを世論に根づかせることに一度でも成功するならば、ミーゼスのような主張はさまざまに形を変えていつでもどこでも息を吹き返す可能性がある、と確信していた」(本書第四章p.163)。
ただし、歴史は時代による變化を取り扱ふ學問であり、どんなに近似して見えてもポランニーが自ら活動したり著作で取り上げたりした過去とそれを讀む我々の現代とでは違ひが生じてゐるはず。類似性に注目すると歴史は繰り返すと言ひたくなるが、その先に分析を進めて類同の中に相違を見出すこと、折口信夫の言葉を借りれば比較能力に二種あるうち「類化性能」を踏まへた上での「別化性能」が、求められよう。「新自由主義時代を生きる現代人にとって、七〇年も前に書かれたポランニーの著作がなおもアクチュアリティーを持っている」(「はしがき」p.15)「現代の市場社会の危機的な諸特徴は、約七〇年前にポランニーが分析していた市場社会の危機的な特徴と、不気味なまでに類似してはいないだろうか」(第四章末p.176)とは、ありがちな紋切型が口を衝いて出ただけにしても、時代錯誤を犯す危險があり、歴史的差異をないがしろにして後代の眼鏡で前代を同一視しないやうに注意しなくてはなるまい(もっとも、そんな類比に潛む微妙な異同を識別してゆく考察は、「入門」以上の專門論考のすることであって一般讀者向きではないか)。本書は「経済的自由主義の論法はきわめて単純で分かりやすく、世論に浸透する素地がある。経済的自由主義の生命力は強靱で、市場経済が存続する限り、さまざまな歴史解釈や新たなロジックを吸引して何度でも蘇生し時代に適合していくだろう、とポランニーは直感していたかのようである」(第三章p.116)と評し、また事實、ケインズ以降の福祉國家路線を覆して新自由主義が復活したと本書p.229以下に述べる。もし超時代的に新自由主義はしぶとく永續するものとすれば、同年に出版された『大転換』よりもハイエク 『隷従への道』 の方が段違ひに讀者を獲得した情況(終章p.234)にもまた變化は無からうし、『大転換』が讀み直され二〇一〇年代になって「ポランニーの亡霊が出没した」(「はしがき」p.9)とは言へ、それはあたかも市場經濟の擴張にはそれに對抗する「社会の自己防衛」が隨伴するといふやうな「二重運動」(『大転換』第11章以下、本書第三章參照)の一端を反復したに過ぎず、「社会の自己防衛」側は産業革命このかたずっと受太刀でほとんど劣勢であり續けてきたわけだから、いくらポランニーの方が學問上は眞であり政治上は善であったとしてもそれだけでは經濟上で新自由主義の方が優勢な現實は結局變へられまい。いや昔は效果無かったが今後は違ふのだと言ふなら、どこが異なるのかを論じなくては始まらない。本書では新自由主義の新たる所以について「「自由放任」の代わりに「競争のための計画」に踏み出している点で古典的自由主義と区別される」(「はじめに」註*3、p.266)と述べるものの註で觸れる程度に留まり、變異したその新しい事態にポランニーの所説がどこまで適合しどこから對應できないのかの見極めが課題であらう。
訝しいこと。第五章pp.188-189に「ヴェーバーは、 『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』 のなかで、ルドルフ・ゴルトシャイトの「人間の経済(Menschenökonomie)」の定義を痛烈に批判している」とあるが、折原浩譯岩波文庫版を繙く限り、「客觀性」論文にはそれに觸れた箇所は見當らない。本書卷末「参考文献」に擧げられたマックス・ウェーバー著の中にもこの論文は含まれてない所から推すと、何かの孫引きで誤ったのではないか。ドイツ社會學會創設に際してウェーバーがゴルトシャイトらと對立したのは社會學史上の事實だけれども。
内容は、カール・ポラニー 『[新訳]大転換 市場社会の形成と崩壊』 (東洋経済新報社、二〇〇九年)の讀解、即ち、經濟人類學(非市場社會が對象)に深入りする前の市場社會論を主軸とし、「一九二九年恐慌や三〇年代の不況についてのポランニーの分析を、前著[= 『カール・ポランニー 市場社会・民主主義・人間の自由』 ]のときよりも掘り下げて展開するよう努めた」(「あとがき」p.290)。特に、新自由主義を論敵とした對抗關係の中において解説されてゐる。これは、マルクス主義退潮後にそれに代り得る資本主義批判の源泉としてポランニーが再評價されつつある流れに棹さすものだ。
しかし二十一世紀の所謂「新自由主義」に一九六四年歿のポランニーが言及しやうもない以上、兩者を噛み合せるためには工夫が要る。まづ「新自由主義」を「経済的自由主義」とか「市場原理主義」とか呼び換へて時代の限定を外した一般名詞化する方法があるが、のみならず、「新自由主義」の系譜をポランニーと同時代人であった經濟學者ミーゼスやハイエクらに遡らせて今日に至る歴史的經緯の中で主著『大転換』を位置づける方向が打ち出されてゐる。「経済思想史の方法でポランニーの思想を再構成する研究」(「あとがき」p.290)と自稱する所以で、同樣にポランニーも『大転換』の中で十九世紀前半の「スピーナムランドの時代」における救貧法論爭に「われわれの時代の起源」(『大転換』原書副題。本書p.164・p.232參照)を見たのであった。「ポランニーは、スピーナムランド時代の救貧法批判の現代版をよみがえらせてそれを世論に根づかせることに一度でも成功するならば、ミーゼスのような主張はさまざまに形を変えていつでもどこでも息を吹き返す可能性がある、と確信していた」(本書第四章p.163)。
ただし、歴史は時代による變化を取り扱ふ學問であり、どんなに近似して見えてもポランニーが自ら活動したり著作で取り上げたりした過去とそれを讀む我々の現代とでは違ひが生じてゐるはず。類似性に注目すると歴史は繰り返すと言ひたくなるが、その先に分析を進めて類同の中に相違を見出すこと、折口信夫の言葉を借りれば比較能力に二種あるうち「類化性能」を踏まへた上での「別化性能」が、求められよう。「新自由主義時代を生きる現代人にとって、七〇年も前に書かれたポランニーの著作がなおもアクチュアリティーを持っている」(「はしがき」p.15)「現代の市場社会の危機的な諸特徴は、約七〇年前にポランニーが分析していた市場社会の危機的な特徴と、不気味なまでに類似してはいないだろうか」(第四章末p.176)とは、ありがちな紋切型が口を衝いて出ただけにしても、時代錯誤を犯す危險があり、歴史的差異をないがしろにして後代の眼鏡で前代を同一視しないやうに注意しなくてはなるまい(もっとも、そんな類比に潛む微妙な異同を識別してゆく考察は、「入門」以上の專門論考のすることであって一般讀者向きではないか)。本書は「経済的自由主義の論法はきわめて単純で分かりやすく、世論に浸透する素地がある。経済的自由主義の生命力は強靱で、市場経済が存続する限り、さまざまな歴史解釈や新たなロジックを吸引して何度でも蘇生し時代に適合していくだろう、とポランニーは直感していたかのようである」(第三章p.116)と評し、また事實、ケインズ以降の福祉國家路線を覆して新自由主義が復活したと本書p.229以下に述べる。もし超時代的に新自由主義はしぶとく永續するものとすれば、同年に出版された『大転換』よりもハイエク 『隷従への道』 の方が段違ひに讀者を獲得した情況(終章p.234)にもまた變化は無からうし、『大転換』が讀み直され二〇一〇年代になって「ポランニーの亡霊が出没した」(「はしがき」p.9)とは言へ、それはあたかも市場經濟の擴張にはそれに對抗する「社会の自己防衛」が隨伴するといふやうな「二重運動」(『大転換』第11章以下、本書第三章參照)の一端を反復したに過ぎず、「社会の自己防衛」側は産業革命このかたずっと受太刀でほとんど劣勢であり續けてきたわけだから、いくらポランニーの方が學問上は眞であり政治上は善であったとしてもそれだけでは經濟上で新自由主義の方が優勢な現實は結局變へられまい。いや昔は效果無かったが今後は違ふのだと言ふなら、どこが異なるのかを論じなくては始まらない。本書では新自由主義の新たる所以について「「自由放任」の代わりに「競争のための計画」に踏み出している点で古典的自由主義と区別される」(「はじめに」註*3、p.266)と述べるものの註で觸れる程度に留まり、變異したその新しい事態にポランニーの所説がどこまで適合しどこから對應できないのかの見極めが課題であらう。
訝しいこと。第五章pp.188-189に「ヴェーバーは、 『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』 のなかで、ルドルフ・ゴルトシャイトの「人間の経済(Menschenökonomie)」の定義を痛烈に批判している」とあるが、折原浩譯岩波文庫版を繙く限り、「客觀性」論文にはそれに觸れた箇所は見當らない。本書卷末「参考文献」に擧げられたマックス・ウェーバー著の中にもこの論文は含まれてない所から推すと、何かの孫引きで誤ったのではないか。ドイツ社會學會創設に際してウェーバーがゴルトシャイトらと對立したのは社會學史上の事實だけれども。
2019年7月16日に日本でレビュー済み
タイトルに「入門」がるが、消費者=読者を誤導(ミスリード)する。
「入門」書ではない、研究書だと考えて読むのなら、類書が少ないのでいいだろう。
ポラニー、とくにその『大転換』を知るための「入門」となるのは、渡辺京二『さらば、政治よ 旅の仲間へ』(晶文社、2016年)の第4部「講義」として収められている「ポランニーをどう読むか――共同主義の人類史的根拠」がいい。大変分かりやすく、話し言葉で書かれいる。
「入門」書ではない、研究書だと考えて読むのなら、類書が少ないのでいいだろう。
ポラニー、とくにその『大転換』を知るための「入門」となるのは、渡辺京二『さらば、政治よ 旅の仲間へ』(晶文社、2016年)の第4部「講義」として収められている「ポランニーをどう読むか――共同主義の人類史的根拠」がいい。大変分かりやすく、話し言葉で書かれいる。
2016年5月10日に日本でレビュー済み
かなりの大容量でしたがどんどん読みすすめることができました。
時代背景や他の経済学者の思想など
多角的にカーラポランニーという経済人類学者に迫ることができます。
私は経済学を専攻しているわけではありませんが、わかりやすい説明でした。
ここまでの内容をわかりやすくまとめていただいた著者に感謝です。
時代背景や他の経済学者の思想など
多角的にカーラポランニーという経済人類学者に迫ることができます。
私は経済学を専攻しているわけではありませんが、わかりやすい説明でした。
ここまでの内容をわかりやすくまとめていただいた著者に感謝です。