プライドの高さがことわざにもなるほどの
武士だが、その内実は、お金に振り回される人が
けっこういたことがよくわかる。
「武士社会は金とは無縁でいられなかった」とは、
まさに、である。
現代の感覚からすると、
身分が上なら、生活も豊か、
という発想からぬけられないが、
時代小説を読むときには、
この本のような事実を踏まえて読むと、
また面白いだろう。
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鬼平の給与明細 (ベスト新書 276) 新書 – 2010/4/9
安藤 優一郎
(著)
「武士は食わねど高楊枝」。清貧に甘んじる武士の姿は、飽食の現代人にとって理想像であるが、武士社会は金と無縁ではいられなかった。泰平の世となり、理財の道に長けた武士たちが、トップに登りつめることができた。借金まみれだった鬼平こと長谷川平蔵に、名奉行・大岡越前の財テク術。江戸時代を生きる武士たちの本当の姿に、我々は歴史の見直しを余儀なくされる。
- 本の長さ192ページ
- 言語日本語
- 出版社ベストセラーズ
- 発売日2010/4/9
- ISBN-104584122768
- ISBN-13978-4584122761
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商品の説明
著者について
安藤優一郎(あんどう ゆういちろう)
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。1965年、千葉県生まれ。日本近世政治史・経済史専攻。早稲田大学教育学部社会学科地理歴史専修卒業早稲田大学文学研究科博士後期過程満期退学。江戸をテーマとする執筆・講演活動を展開。東京理科大学生涯学習センター、JR東日本・おとなの休日倶楽部「趣味の会」など生涯学習講座の講師を務める。
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。1965年、千葉県生まれ。日本近世政治史・経済史専攻。早稲田大学教育学部社会学科地理歴史専修卒業早稲田大学文学研究科博士後期過程満期退学。江戸をテーマとする執筆・講演活動を展開。東京理科大学生涯学習センター、JR東日本・おとなの休日倶楽部「趣味の会」など生涯学習講座の講師を務める。
登録情報
- 出版社 : ベストセラーズ (2010/4/9)
- 発売日 : 2010/4/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 192ページ
- ISBN-10 : 4584122768
- ISBN-13 : 978-4584122761
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,604,994位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 621位ベスト新書
- - 200,461位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
往々にして書名というのは中身を表すよりも、売りやすさを優先してつけるもの。
本書も鬼平こと長谷川平蔵の収入の分析かと思いきやかなり違います。
作者の意図は江戸時代の経済システムと封建体制下での新規事業の立ち上げの間の矛盾をわかりやすく説明するものだ。
江戸時代は米中心の経済だが、全国的な物流体制が完成した時期でもある。
それに伴う為替システムの整備、リスクヘッジのための米先物市場の成立と現代の日本経済の祖型が出来上がった。
幕府官僚はこれらに無策だったどころか、許認可を通じて商人の相場操作を排し物価と経済の安定に努力していた。
その一方で、封建体制はいわば、個々の旗本、御家人がエージェンシーとして政策を請負い遂行するのが特色だ。
政策にはコストがかかるので足高の制は画期的な人事登用システムなのだが、それでも限界があった。
筆者は御家人株の売買を通じて人材の登用が進んだかのように書いているが、やや過大評価だろう。
それはそうした抜擢が幕末の混乱期に人材が払底したためやむを得ず行われたことだ。
むしろ農民、町民の武士階級への憧れは全国的なもので、それは立身出世を目指したものではなく、同じ町人や農民同士の中で高いステータスを誇るためだった。
むろん、そうした成り上がりが幕府の窮状を一時的にしても救ったのは事実だが、それは一面の評価に過ぎない。
主従関係は上下関係として指揮命令系統を形作るが、その反面、主も従もそれぞれが一個の独立した領主という建前がある。
従って、家職と化した業務は存在意義を失っても廃止が困難になった。幕末の番方が軍事力としてはそのままでは役に立たなかったのはその典型だ。
だが、経済や民生に関わる役方の実力は明治新政府の実務を担ったことで証明されている。
本書では、上方の農民の裕福が幕末の経済や政治に与えた影響に触れている。
大岡忠相が借金目当てに裕福な農民の多い西国に所領を変えてもらったエピソードは面白い。
同時にそれだけの経済的な視野を備えていたからこそ優れた内政官僚足り得たといえる。
その意味では長谷川平蔵の不遇は哀しい。一方はトップの信頼を勝ち得て大名に出世し、一方は便利使いされて持ち出しで終わる。
長谷川平蔵は野心家だったが、仕事の成果で出世しようというタイプだったのだろう。
営業成績トップを誇る営業マンといったところか。
その仕事の成果がいかに華々しくても、上司にとって重要なものでなければ評価されることはない。
上司が求めているのが営業の数字ではなく、政府の規制緩和をとりつけることなら政治家や官僚とパイプを作ることこそが手柄だ。
鬼平の上司である松平定信にとって、重農主義的政策を通じた幕府権力の強化こそが重要であって江戸市中の犯罪者の取り締まりなど些事に過ぎない。
松平定信に言わせれば、火付けや盗賊など捕縛せずその場で切り殺せば食わせる米もいらない、といったところか。
治安維持が目的なのだからこれは正論だ。人足寄場などという発想の方がスタンドプレーなのだ。
むろん、教育的量刑という思想は優れたものだ。だが、その報われなさはどうだろうか。
鬼平は下々を労わるように接したが、根本的な見落としがあったのではないか。
どうせなら、犯罪者を帰農させて幕府直轄領でも増やせばもっと良い評価をしてもらえたのではと思ってしまう。
犯罪者の懲役と職業訓練はある意味で都市住民として還流させることが前提にある。
そのことが松平定信の考えと違うのだということに思い至らなかったのだろう。
都市は犯罪の温床、そこから犯罪者を摘み取ったならそのままひねりつぶすか、都市から引き離すべきだった。
組織の中で生き残ることに必要なのは何かを如実に表している。
長谷川家は数代ののちに落魄したという。哀しむべし。
本書も鬼平こと長谷川平蔵の収入の分析かと思いきやかなり違います。
作者の意図は江戸時代の経済システムと封建体制下での新規事業の立ち上げの間の矛盾をわかりやすく説明するものだ。
江戸時代は米中心の経済だが、全国的な物流体制が完成した時期でもある。
それに伴う為替システムの整備、リスクヘッジのための米先物市場の成立と現代の日本経済の祖型が出来上がった。
幕府官僚はこれらに無策だったどころか、許認可を通じて商人の相場操作を排し物価と経済の安定に努力していた。
その一方で、封建体制はいわば、個々の旗本、御家人がエージェンシーとして政策を請負い遂行するのが特色だ。
政策にはコストがかかるので足高の制は画期的な人事登用システムなのだが、それでも限界があった。
筆者は御家人株の売買を通じて人材の登用が進んだかのように書いているが、やや過大評価だろう。
それはそうした抜擢が幕末の混乱期に人材が払底したためやむを得ず行われたことだ。
むしろ農民、町民の武士階級への憧れは全国的なもので、それは立身出世を目指したものではなく、同じ町人や農民同士の中で高いステータスを誇るためだった。
むろん、そうした成り上がりが幕府の窮状を一時的にしても救ったのは事実だが、それは一面の評価に過ぎない。
主従関係は上下関係として指揮命令系統を形作るが、その反面、主も従もそれぞれが一個の独立した領主という建前がある。
従って、家職と化した業務は存在意義を失っても廃止が困難になった。幕末の番方が軍事力としてはそのままでは役に立たなかったのはその典型だ。
だが、経済や民生に関わる役方の実力は明治新政府の実務を担ったことで証明されている。
本書では、上方の農民の裕福が幕末の経済や政治に与えた影響に触れている。
大岡忠相が借金目当てに裕福な農民の多い西国に所領を変えてもらったエピソードは面白い。
同時にそれだけの経済的な視野を備えていたからこそ優れた内政官僚足り得たといえる。
その意味では長谷川平蔵の不遇は哀しい。一方はトップの信頼を勝ち得て大名に出世し、一方は便利使いされて持ち出しで終わる。
長谷川平蔵は野心家だったが、仕事の成果で出世しようというタイプだったのだろう。
営業成績トップを誇る営業マンといったところか。
その仕事の成果がいかに華々しくても、上司にとって重要なものでなければ評価されることはない。
上司が求めているのが営業の数字ではなく、政府の規制緩和をとりつけることなら政治家や官僚とパイプを作ることこそが手柄だ。
鬼平の上司である松平定信にとって、重農主義的政策を通じた幕府権力の強化こそが重要であって江戸市中の犯罪者の取り締まりなど些事に過ぎない。
松平定信に言わせれば、火付けや盗賊など捕縛せずその場で切り殺せば食わせる米もいらない、といったところか。
治安維持が目的なのだからこれは正論だ。人足寄場などという発想の方がスタンドプレーなのだ。
むろん、教育的量刑という思想は優れたものだ。だが、その報われなさはどうだろうか。
鬼平は下々を労わるように接したが、根本的な見落としがあったのではないか。
どうせなら、犯罪者を帰農させて幕府直轄領でも増やせばもっと良い評価をしてもらえたのではと思ってしまう。
犯罪者の懲役と職業訓練はある意味で都市住民として還流させることが前提にある。
そのことが松平定信の考えと違うのだということに思い至らなかったのだろう。
都市は犯罪の温床、そこから犯罪者を摘み取ったならそのままひねりつぶすか、都市から引き離すべきだった。
組織の中で生き残ることに必要なのは何かを如実に表している。
長谷川家は数代ののちに落魄したという。哀しむべし。