プラトンとピタゴラスの学説に対するヴェイユ的註解ですが、
特にビタゴラスに関する美の学説には感じ入りました。
・美はひとつの神秘である。この世で最も神秘的なものである。
だが美はひとつの事実である.存在するものはすべて・・
最も粗野な人であっても最も低劣な人であっても・・
美の威力を知っている。
・神の沈黙を聞くためには、
この世においてむなしく合目的性を追求するよう魂が強いられた、
という経験が不可欠である。
そして、ふたつのものだけが魂にそれを強いる力を有している。
不幸、あるいは美の感情による純粋な歓びがそれである。
・美こそが、いかなる個別の合目的性ももたず、
ただちに合目的性のあらわれを感じさせるがゆえに、
この力を有するのだ。
不幸とこの上もない純粋な喜び・・ただふたつの道であり、等価な道である。
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前キリスト教的直観 (叢書・ウニベルシタス 964) 単行本 – 2011/10/17
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暗い時代のヨーロッパで、不幸に苦悶する人間の魂のうちに光り輝く神の愛を求めたヴェイユ。現代のキリスト教的プラトニストとして唯一無二の存在である彼女が、ソクラテス以前の哲学者たちやピタゴラス派の幾何学的伝統、悲劇詩人たち、そしてプラトンにいたるギリシアの神話的〈ロゴス〉のうちに、キリスト教に共通する神の恩寵と神秘を見出す最晩年の思索の結晶。初の全訳・単行本化。
- 本の長さ260ページ
- 言語日本語
- 出版社法政大学出版局
- 発売日2011/10/17
- ISBN-104588009648
- ISBN-13978-4588009648
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著者について
(Simone Weil)
1909年、パリに生まれ、43年、英・アシュフォードで没する。ユダヤ系フランス人の哲学者・神秘家。アランに学び、高等師範学校卒業後、高等学校(リセ)の哲学教師として働く一方、労働運動に深く関与しその省察を著す。二度転任。34─35年、「個人的な研究休暇」と称した一女工として工場で働く「工場生活の経験」をする。三度目の転任。36年、スペイン市民戦争に参加し炊事場で火傷を負う。40─42年、マルセイユ滞在中に夥しい草稿を著す。42年、家族とともにニューヨークに渡るものの単独でロンドンに潜航。43年、「自由フランス」のための文書『根をもつこと』を執筆中に自室で倒れ、肺結核を併発。サナトリウムに入院するも十分な栄養をとらずに死去。47年、ギュスターヴ・ティボンによって11冊のノートから編纂された『重力と恩寵』がベストセラーになる。ヴェイユの魂に心酔したアルベール・カミュの編集により、49年からガリマール社の希望叢書として次々に著作が出版される。
1967年、東京に生まれる。シモーヌ・ヴェイユのイメージ思考を軸に、美学・倫理学・表象文化論など領域横断的な活動をしている。現在、女子美術大学・武蔵野美術大学・慶應義塾大学・筑波大学非常勤講師および一橋大学大学院言語社会研究科特別研究員。1998年、東京大学大学院人文社会系研究科博士前期課程修了。2003年、京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。哲学DEA(ポワチエ大学)、学術博士(一橋大学)。第15回比較思想学会研究奨励賞受賞(06年)。著書に『シモーヌ・ヴェイユの詩学』(慶應義塾大学出版会、2010年)、訳書にミクロス・ヴェトー著『シモーヌ・ヴェイユの哲学──その形而上学的転回』(慶應義塾大学出版会、2006年)、編著に『現代詩手帖特集版 シモーヌ・ヴェイユ』(思潮社、近刊)などがある。
1909年、パリに生まれ、43年、英・アシュフォードで没する。ユダヤ系フランス人の哲学者・神秘家。アランに学び、高等師範学校卒業後、高等学校(リセ)の哲学教師として働く一方、労働運動に深く関与しその省察を著す。二度転任。34─35年、「個人的な研究休暇」と称した一女工として工場で働く「工場生活の経験」をする。三度目の転任。36年、スペイン市民戦争に参加し炊事場で火傷を負う。40─42年、マルセイユ滞在中に夥しい草稿を著す。42年、家族とともにニューヨークに渡るものの単独でロンドンに潜航。43年、「自由フランス」のための文書『根をもつこと』を執筆中に自室で倒れ、肺結核を併発。サナトリウムに入院するも十分な栄養をとらずに死去。47年、ギュスターヴ・ティボンによって11冊のノートから編纂された『重力と恩寵』がベストセラーになる。ヴェイユの魂に心酔したアルベール・カミュの編集により、49年からガリマール社の希望叢書として次々に著作が出版される。
1967年、東京に生まれる。シモーヌ・ヴェイユのイメージ思考を軸に、美学・倫理学・表象文化論など領域横断的な活動をしている。現在、女子美術大学・武蔵野美術大学・慶應義塾大学・筑波大学非常勤講師および一橋大学大学院言語社会研究科特別研究員。1998年、東京大学大学院人文社会系研究科博士前期課程修了。2003年、京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。哲学DEA(ポワチエ大学)、学術博士(一橋大学)。第15回比較思想学会研究奨励賞受賞(06年)。著書に『シモーヌ・ヴェイユの詩学』(慶應義塾大学出版会、2010年)、訳書にミクロス・ヴェトー著『シモーヌ・ヴェイユの哲学──その形而上学的転回』(慶應義塾大学出版会、2006年)、編著に『現代詩手帖特集版 シモーヌ・ヴェイユ』(思潮社、近刊)などがある。
登録情報
- 出版社 : 法政大学出版局 (2011/10/17)
- 発売日 : 2011/10/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 260ページ
- ISBN-10 : 4588009648
- ISBN-13 : 978-4588009648
- Amazon 売れ筋ランキング: - 336,322位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2022年3月5日に日本でレビュー済み
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プラトン『饗宴』のアリストパネスの演説の項(pp.49-56)に、著者の志向の特徴がよくあらわれていると思います。
「…(略)…わたしたちの召命は一性である。わたしたちの不幸は二元性の状態にあることだ。不幸は、傲慢と不正義という原初の穢れによる。性差は、わたしたちの本質的な欠陥であるこの二元性の感覚的なイメージにすぎない。肉的結合は誤った救いのあらわれである。だが、二元性を超え出たいという欲望は、わたしたちのうちなる愛の表徴である。愛の神だけがこの二元性から至高善である一性へと導いてくれるだろう。この一性とは何なのか。ふたりの人間の結合ではないのはあきらかだ。わたしたちの不幸である二元性は、愛する人と愛される人、認識する人と認識される人、行為の内実と行為する人が分離しているということだ。それは主体と客体の分離である。一性とは、主体と客体が唯一無二であり、自らを認識し、自らを愛する者の状態である。だがこの状態にあるのは神だけである。わたしたちは、神へと自らの愛を働かせ、神に倣うことによってのみ、この状態に与ることができる。」
本書では、著者による信仰への傾斜は充分には読み取れません。しかし、本テクストを託されたペラン神父とのあいだに信仰に関する綿密な問答が存在していたのであって、信徒としての読者であるわたしには、そちらの方がより強く興味の働く対象です。
また、プラトンの思想家としての立場は、部分においては、信徒としての日常とは無縁のものなので、たとえプラトンから「愛」に関する思索のエッセンスを抽出したとしても、福音書に出現している神の愛へは近接の道を絶たれているようにも思います。懐疑的な想念ではなくとも。読む順番としては、福音書第一で、本書の論理は、その後からでよいのだと考えます。
でも、独立したテクストとしての本書の価値は大きいでしょう。ただし、先にプラトンに親しんでいないと、それすら感じとることはできないかも知れませんが。
「…(略)…わたしたちの召命は一性である。わたしたちの不幸は二元性の状態にあることだ。不幸は、傲慢と不正義という原初の穢れによる。性差は、わたしたちの本質的な欠陥であるこの二元性の感覚的なイメージにすぎない。肉的結合は誤った救いのあらわれである。だが、二元性を超え出たいという欲望は、わたしたちのうちなる愛の表徴である。愛の神だけがこの二元性から至高善である一性へと導いてくれるだろう。この一性とは何なのか。ふたりの人間の結合ではないのはあきらかだ。わたしたちの不幸である二元性は、愛する人と愛される人、認識する人と認識される人、行為の内実と行為する人が分離しているということだ。それは主体と客体の分離である。一性とは、主体と客体が唯一無二であり、自らを認識し、自らを愛する者の状態である。だがこの状態にあるのは神だけである。わたしたちは、神へと自らの愛を働かせ、神に倣うことによってのみ、この状態に与ることができる。」
本書では、著者による信仰への傾斜は充分には読み取れません。しかし、本テクストを託されたペラン神父とのあいだに信仰に関する綿密な問答が存在していたのであって、信徒としての読者であるわたしには、そちらの方がより強く興味の働く対象です。
また、プラトンの思想家としての立場は、部分においては、信徒としての日常とは無縁のものなので、たとえプラトンから「愛」に関する思索のエッセンスを抽出したとしても、福音書に出現している神の愛へは近接の道を絶たれているようにも思います。懐疑的な想念ではなくとも。読む順番としては、福音書第一で、本書の論理は、その後からでよいのだと考えます。
でも、独立したテクストとしての本書の価値は大きいでしょう。ただし、先にプラトンに親しんでいないと、それすら感じとることはできないかも知れませんが。