1 もうひとつの超越
哲学と超越
全体性と全体化
無限
2 対話の哲学と第一哲学
対話を超えて
私という語、きみという語、神という語
他者の近さ
ユートピアと社会主義
3 平和と権利
表象の禁止と人間の権利
平和と近さ
他なる人間の権利
4 対談
哲学者と死
顔の暴力
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他性と超越〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス 711) 単行本 – 2010/7/7
レヴィナス自身が編集に携わった最後の論集、〈超越〉を起点として、レヴィナス哲学の枢要な概念〈全体性の無限〉をめぐり展開されるその思考の精髄。
レヴィナスの没年(1995年)に刊行された、本書の表題選考など著者自身が編集に関わった最後の論集、全体性と無限をめぐる西欧哲学思想史の系譜の中でレヴィナスの位置が示される重要な論考「全体性と全体化」「無限」をはじめ、対談「哲学者と死」「顔の暴力」など1967-89年の12論考を収め、前著『歴史の不測』につづきその多様な思考の精髄を集成。【哲学・思想】
レヴィナスの没年(1995年)に刊行された、本書の表題選考など著者自身が編集に関わった最後の論集、全体性と無限をめぐる西欧哲学思想史の系譜の中でレヴィナスの位置が示される重要な論考「全体性と全体化」「無限」をはじめ、対談「哲学者と死」「顔の暴力」など1967-89年の12論考を収め、前著『歴史の不測』につづきその多様な思考の精髄を集成。【哲学・思想】
- 本の長さ198ページ
- 言語日本語
- 出版社法政大学出版局
- 発売日2010/7/7
- ISBN-10458809923X
- ISBN-13978-4588099236
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登録情報
- 出版社 : 法政大学出版局 (2010/7/7)
- 発売日 : 2010/7/7
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 198ページ
- ISBN-10 : 458809923X
- ISBN-13 : 978-4588099236
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,236,119位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 32,775位哲学・思想 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年6月4日に日本でレビュー済み
レヴィナス自身が編集に携わった最後の論集。序文を書いたピエール・アヤが「レヴィナスの実験室」と表現しているように、「全体性と全体化」及び「無限」では主著『全体性と無限』の鍵概念がどのような哲学史的淵源を持ち、また思想史的系譜の中にレヴィナスの言葉をどう位置づけられるか、その手掛かりを記しています。
2章「対話の哲学と第一哲学」では、マルティン・ブーバーの『社会主義とユートピア』フランス語版の序文や、「私」「きみ」「神」という語についてブーバーに敬意を表しつつ、倫理的関係においては相互性ではなく、「私」と「あなた」の非対称的関係が構築されることを述べます。
「他者の近さ」という対談では、責任や配分的正義の考え方などレヴィナス哲学の主要テーマが語られます。本書全体においても、「他者と共に平和裡に生きるとはいかなることか」というレヴィナスの終生のテーマが、驚くほどの思想的高度に引き上げられて論じられています。
本来、ユダヤ教に源を持つ「隣人愛」(レビ記19章18節)については、人間の人間性がどのように基礎づけられるかを抑えた筆致で述べ、語る。もちろん、ユダヤ−キリスト教の友愛への眼差しを忘れることはできない。レヴィナスがキリスト者に向ける感謝の念は変わらない。
私が特に関心を惹かれたのは「対話を超えて」で言及されている「ゼーリスベルクの十箇条」です。これはキリスト教徒を宛先として、反セム主義に反対する国際会議で1947年に採択された文書です。キリスト教会で貶下的に語られてきたユダヤ人・ユダヤ教について、事実に基づいて適切に語るようにキリスト教徒に懇請しています。
反ユダヤ主義は20世紀の半ばに一つの頂点に達した。その傷跡癒えぬ時期にこうした文書を採択し、他責的な語法でキリスト教徒の責任を難詰するのではなく、「どうか適切な理解を持ってほしい」と懇請する姿勢に、一人の信仰者として敬意を抱かざるを得ない。
2章「対話の哲学と第一哲学」では、マルティン・ブーバーの『社会主義とユートピア』フランス語版の序文や、「私」「きみ」「神」という語についてブーバーに敬意を表しつつ、倫理的関係においては相互性ではなく、「私」と「あなた」の非対称的関係が構築されることを述べます。
「他者の近さ」という対談では、責任や配分的正義の考え方などレヴィナス哲学の主要テーマが語られます。本書全体においても、「他者と共に平和裡に生きるとはいかなることか」というレヴィナスの終生のテーマが、驚くほどの思想的高度に引き上げられて論じられています。
本来、ユダヤ教に源を持つ「隣人愛」(レビ記19章18節)については、人間の人間性がどのように基礎づけられるかを抑えた筆致で述べ、語る。もちろん、ユダヤ−キリスト教の友愛への眼差しを忘れることはできない。レヴィナスがキリスト者に向ける感謝の念は変わらない。
私が特に関心を惹かれたのは「対話を超えて」で言及されている「ゼーリスベルクの十箇条」です。これはキリスト教徒を宛先として、反セム主義に反対する国際会議で1947年に採択された文書です。キリスト教会で貶下的に語られてきたユダヤ人・ユダヤ教について、事実に基づいて適切に語るようにキリスト教徒に懇請しています。
反ユダヤ主義は20世紀の半ばに一つの頂点に達した。その傷跡癒えぬ時期にこうした文書を採択し、他責的な語法でキリスト教徒の責任を難詰するのではなく、「どうか適切な理解を持ってほしい」と懇請する姿勢に、一人の信仰者として敬意を抱かざるを得ない。
2005年12月2日に日本でレビュー済み
他性はレヴィナスにとって重要なキータームである。自同律の悪循環から解放される唯一の「出来事」と考えられている。しかしは、ユダヤ思想に篤実な彼は、キリスト教の隣人愛の思想をとらない。「神」の与えた”汝他者を殺すなかれ”のトーラーが最優先にされる。
p102に彼はいみじくも表現する「我々の精神的遺産の中では、宗教的生じゃ、確かに隣人愛を伴っている。けれども、隣人愛はせいぜい、神への愛に後続する第二の戒律であるにすぎない。それに神学者たちによると、隣人愛の倫理学は神との連関の真の本質に匹敵するものでは決してなく、神は常に存在として解される。道徳は宗教的水準で乗り越えられることになるだろう」
p102に彼はいみじくも表現する「我々の精神的遺産の中では、宗教的生じゃ、確かに隣人愛を伴っている。けれども、隣人愛はせいぜい、神への愛に後続する第二の戒律であるにすぎない。それに神学者たちによると、隣人愛の倫理学は神との連関の真の本質に匹敵するものでは決してなく、神は常に存在として解される。道徳は宗教的水準で乗り越えられることになるだろう」