往復書簡形式の小説。
と思って読み始めるも、わたしめの早とちり。
文字どおりの書簡集という塩梅になってはおります。
しかし、御清栄のことと拝察いたします、御自愛くださいませ、とはならない。
そんなもの、だれも興味を持ってくれはしない、読まない、買わない、出版社も困る。
書簡集と言いながら、互いの腹の意地悪な探り合い、或いは自己アピール、新作発表、展示会の宣伝文句、
というニュアンスを伏せ文字のごとく読み取る、というのが不埒な読者の欲望なのです、実のところは。
さて内容は多岐にわたります。
まず若輩者の先攻でShan Sa氏の1打席目に驚かされます。
なんという自己アピールのぎらぎらとした強烈さ、よろしくお願い云々、などというまどろっこしいことは一切抜き、
自分がいかに知的選良、優秀、いや天才少女であったか、家柄は、両親は、それからどれだけ艱難辛苦の道を潜り抜け果てたのか、
慎ましき日本人としては、中国の女性はやっぱりなぁ・・・とまず疲れさせられます。
後攻のRichard Collase氏、そこは甲羅厚き手ダレでありまするから、若いなぁ・・・と言いつつも、
2,3歩引いては、貴方ってすんごいですねぇ・・・自分なんてたかだかこんなもんです。
と返しながら一太刀二太刀、とりあえず打ち込んでおく。
次の回あたりから、Shan sa氏、少しばかり飛ばしすぎを悟る。
で、あたいもパリに来て苦労しつつもフランスというおごそかさ、巨大な文化に触れて、
必ずしもデカルト・ヘーゲルじゃないけれど、そこはそれ、あたいも大人になったのでそれなりに、
母語とフランス語の葛藤ってもんは、分裂とともに弁証法的帰結によって人間の味を深め、
フランス的優雅さ、同時にその深淵、暗闇をのぞくようになり、お洒落な女になりました、的な流れとなります。
裏の回、R.Collase氏もだんだんと地が出てきて、
自分が何故フランスを離れ極東の島国に行かねばならなかった、
とっておき、今だから語ろう的な成育歴を語り始めます。
が、意外感は乏しいです。よくあるガイジンさんの勘違い的な。
途中でバリュテュス画伯、勝新までご登場の大サービスとは、
田舎者の私は全く知りませんでした。
ふむふむ、不思議な縁ですねぇ・・
日本ではコネとも言います、でも世渡りの極意ですもんね。
後半は、奥深く潔い日本の文化、二人して大いに持ち上げてくださるのですが、
熱を帯びつつ言が及ぶことになります。
が、この辺りは近所のガイジンさんから繰り返しお聴きしてきた同一内容のように感じました。
ちなみに、ガイジンさん、というのは場合によっては差別用語になるそうで。
Collase氏、日本語の曖昧さとその多義性、難解さ、確かにそのようです、
日本人として毎日痛感していることです。これはこれで日本人も大変なんです。
しかし、日本の起源、精髄、日本語にかかわることになると不可避、ガッツーンと岩盤に突き当たる、
つまり万世一系天皇制なんですけれど、これには一切お触れにならない、
何故なんでしょうか、深き謎です。
意外だったのは、お二人ともにアメリカについて随分と好意的なことです。
この時期、まだアメリカ的グローバリズムの荒波
(市場原理主義、標準化洗練された、と称する画一的ビジネスモデル)はまだ今のように猛々しくはなかったから、
でしょうか。
フランスでは移民、いや異邦人であるShan Sa氏からBanlieuというパリを取り巻く21世紀最大のゲットーの話、
これは今日、日本人の目からも看過できないフランスが抱える熱い時限爆弾なのですが、
両氏ともに全く言及がない、最大の謎です。
この時期以前、既に怒りの火は燃え広がっていたのですが。
これ抜きに今日、明日のフランスは語れません。
最後辺りになると、Collase氏の別の顔、元首相小泉純一郎氏ときわめて親しい外資系の社長さん、
の財界人的な素顔がほの見えてくる気がいたしました。
アメリカ賛歌でしょうか、アメリカ人の振る舞い、中東でのハチャメチャぶりに危惧を抱くしもじもの一日本人としては、
やっぱり日本通といわれるこの先生もねぇ・・・と思ってしまうのでした。
いやはや、自分を語るというのは二重三重に防御陣を張っても素顔があらわになる、言葉とは怖いものです、
はてさて、私自身の差別意識も彼方此方露わになります。
という感を新たにいたしました。
いろいろと難癖つけるも、日本の田舎に住む無学な私にとって非常に学ぶことの多く、有意義な読書となったのでした。
枯渇した脳味噌の中にも様々に思念を広げられる楽しい本です、と言っておかねばバチがあたります。
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午前4時、東京で会いますか?: パリ・東京往復書簡 単行本 – 2007/9/1
- 本の長さ348ページ
- 言語日本語
- 出版社ポプラ社
- 発売日2007/9/1
- ISBN-104591099075
- ISBN-13978-4591099070
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登録情報
- 出版社 : ポプラ社 (2007/9/1)
- 発売日 : 2007/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 348ページ
- ISBN-10 : 4591099075
- ISBN-13 : 978-4591099070
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,122,203位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,816位フランス文学研究
- - 2,286位外国のエッセー・随筆
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2018年3月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
数年振りに、再読(今回4回目)中である。
読む度に、新しい発見があり、豊かな時間が流れる。
フランスと日本を愛する二人を介して、
中国とモロッコを含む四つの国のことを、異なる視点から知ることができる。
フランス語と日本語の習得の模様が簡潔に語られ、語学を学習する極意さえも感じ取れる。
往復書簡なのに、筋は小説のように入念に練られていて、
つい先へ先へと読み進み、本を閉じることができない。
シャンサさんの言葉は詩のようでもあり、
あるいは詩が言葉となったかのようでもあり、珠玉の文章である。
「女帝わが名は則天武后」の文の中にちりばめられた多数の色を思い出させる。
画家バルテュス、妻節子、および勝新太郎が過ごした日々を綴った、
スイスの別荘chalet(シャレ)での話、興味深い。
異国の言葉で小説を書くのは多和田葉子さんのようでもある。
文化大革命の嵐を経験した点ではユン・チアンの「ワイルド・スワン」に通底する。
リシャール・コラス氏が如何に日本の文化に浸っていったか、
「遥かなる航跡」に描かれた以外のことが、理解できる。
家屋の戸の開閉にコツを要する箇所では、
実家で戸の立てる際の、鴨居と敷居との間の軋みを思い出した。
読む度に、新しい発見があり、豊かな時間が流れる。
フランスと日本を愛する二人を介して、
中国とモロッコを含む四つの国のことを、異なる視点から知ることができる。
フランス語と日本語の習得の模様が簡潔に語られ、語学を学習する極意さえも感じ取れる。
往復書簡なのに、筋は小説のように入念に練られていて、
つい先へ先へと読み進み、本を閉じることができない。
シャンサさんの言葉は詩のようでもあり、
あるいは詩が言葉となったかのようでもあり、珠玉の文章である。
「女帝わが名は則天武后」の文の中にちりばめられた多数の色を思い出させる。
画家バルテュス、妻節子、および勝新太郎が過ごした日々を綴った、
スイスの別荘chalet(シャレ)での話、興味深い。
異国の言葉で小説を書くのは多和田葉子さんのようでもある。
文化大革命の嵐を経験した点ではユン・チアンの「ワイルド・スワン」に通底する。
リシャール・コラス氏が如何に日本の文化に浸っていったか、
「遥かなる航跡」に描かれた以外のことが、理解できる。
家屋の戸の開閉にコツを要する箇所では、
実家で戸の立てる際の、鴨居と敷居との間の軋みを思い出した。
2017年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みたかった本だったので、状態はさほど期待していなかったのですが、とても綺麗な状態で届きましたので満足です。内容も色々考えさせられ、読んでよかったです。
2008年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
装丁もなかなか洒落ていて、存在感のある
いい本です。
この本は翻訳ですが、たぶんコラス氏自身が
書いた日本語の方が、この訳者によるコラス氏の
フランス語の日本語訳よりも上だと思います。
(それくらい彼の日本語はすばらしい)
一方、シャンサさんの部分については、彼女の
生い立ちや経験は興味深くもあるのですが、
根深い「選民意識」が正直ハナにつきます。
異文化の中で暮らせば、当然母国の歴史や
自分の血脈を意識せざるをえないでしょうが、
そういうところから離れて、軽やかに一人の
個人である、ということはムリなんですかね。
コラス氏にはそういうところを感じましたが、
シャンサさんの頭でっかちな優等生ぶりには
肩が凝る感じがします。ついここ1,2年のうち
に書かれたにしちゃあ、現代的な諧謔ってものが
皆無。
いい本です。
この本は翻訳ですが、たぶんコラス氏自身が
書いた日本語の方が、この訳者によるコラス氏の
フランス語の日本語訳よりも上だと思います。
(それくらい彼の日本語はすばらしい)
一方、シャンサさんの部分については、彼女の
生い立ちや経験は興味深くもあるのですが、
根深い「選民意識」が正直ハナにつきます。
異文化の中で暮らせば、当然母国の歴史や
自分の血脈を意識せざるをえないでしょうが、
そういうところから離れて、軽やかに一人の
個人である、ということはムリなんですかね。
コラス氏にはそういうところを感じましたが、
シャンサさんの頭でっかちな優等生ぶりには
肩が凝る感じがします。ついここ1,2年のうち
に書かれたにしちゃあ、現代的な諧謔ってものが
皆無。
2007年11月29日に日本でレビュー済み
パリに住む中国出身のフランス語で小説を書くシャン サさんと、フランス出身、モロッコ育ち、日本滞在暦が長く、東京のシャネル日本法人の社長リシャールさんとの往復書簡です。
それぞれに異文化に身を置きつつ、その地で生活の糧を得ている二人の様々な話題(自国の歴史や、子供時代の見事な回想と告白、それぞれの著者のこれまでに影響を与えてきた人物、絵画、小説等の文化について等など!)から不思議なそれぞれの旋律が聞こえてきます。そして完全なるユニゾンを奏でたり、不思議な裏メロを聞かせたりで、とても、とても面白い書簡でした!
それぞれが(女性であり、中国にルーツを持っている事を歴史と血脈から受け入れながらも自身をパリジャンと言い切る男性的強さを持つシャン サさんと、男性であり、フランス国籍を持ちながら日本に強く惹かれ、日本人よりも日本文化に関心を持ち、女性的な視点で日本の芸術を捉えるリシャールさん)単独で書かれたものよりも数倍の面白さを書簡形式で表しています。
また、とても不思議なコトに以前から親しくしていたわけではなく、自己紹介の様に自身の過去を振り返る所からはじまるこの書簡の行き着く先はとても素晴らしい地点です。日本や日本文化、中国、フランス、及びヨーロッパの文化や生活する人々の思考の傾向など話題はとても広く深く、それでいてお互いを尊重しあう事から生まれる心地よい緊張感がまた一種独特の読後感を生んでいます。
今まで私が読んだ事の無い新しい本でした!様々な文化的なるもの、芸術に興味がある方にオススメ致します。ちょっとびっくりの素晴らしさです、読み終えるのが残念になるくらいでした!
それぞれに異文化に身を置きつつ、その地で生活の糧を得ている二人の様々な話題(自国の歴史や、子供時代の見事な回想と告白、それぞれの著者のこれまでに影響を与えてきた人物、絵画、小説等の文化について等など!)から不思議なそれぞれの旋律が聞こえてきます。そして完全なるユニゾンを奏でたり、不思議な裏メロを聞かせたりで、とても、とても面白い書簡でした!
それぞれが(女性であり、中国にルーツを持っている事を歴史と血脈から受け入れながらも自身をパリジャンと言い切る男性的強さを持つシャン サさんと、男性であり、フランス国籍を持ちながら日本に強く惹かれ、日本人よりも日本文化に関心を持ち、女性的な視点で日本の芸術を捉えるリシャールさん)単独で書かれたものよりも数倍の面白さを書簡形式で表しています。
また、とても不思議なコトに以前から親しくしていたわけではなく、自己紹介の様に自身の過去を振り返る所からはじまるこの書簡の行き着く先はとても素晴らしい地点です。日本や日本文化、中国、フランス、及びヨーロッパの文化や生活する人々の思考の傾向など話題はとても広く深く、それでいてお互いを尊重しあう事から生まれる心地よい緊張感がまた一種独特の読後感を生んでいます。
今まで私が読んだ事の無い新しい本でした!様々な文化的なるもの、芸術に興味がある方にオススメ致します。ちょっとびっくりの素晴らしさです、読み終えるのが残念になるくらいでした!