毎度のことながら、ノリと勢いに魂が篭ってて読んでて燃えてくるわけですが。
谷仮面や坂本ジュリエッタの時にも見せた「子供の頃、オレは・・・」の展開がなにげに面白い。
そして、この巻最大の見所は「ただ一個の誇りを持って生きろ!!!」のくだり!!
好き嫌いはあるでしょうがここまで読んできた読者なら血沸き立つことうけあいです。
漫画などの創作物は受け手がそういう青臭い叫びを丸ごと受け止められるからスゴイ。
てなわけで、最終巻が待ち遠しいです。
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エアマスター 27 (ジェッツコミックス) コミック – 2006/2/28
柴田 ヨクサル
(著)
- 本の長さ212ページ
- 言語日本語
- 出版社白泉社
- 発売日2006/2/28
- ISBN-104592137833
- ISBN-13978-4592137832
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登録情報
- 出版社 : 白泉社 (2006/2/28)
- 発売日 : 2006/2/28
- 言語 : 日本語
- コミック : 212ページ
- ISBN-10 : 4592137833
- ISBN-13 : 978-4592137832
- Amazon 売れ筋ランキング: - 375,809位コミック
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
面白い漫画ですね。
最後はチートみたいに強くなりすぎたのが残念です。
最後はチートみたいに強くなりすぎたのが残念です。
2013年9月27日に日本でレビュー済み
十年ほど前、医大性だったころ、親が借りてくれた月四万云千の狭山のやたら広くて天井も高い明らかに建築基準法違反の妙な下宿から
近くのローソンで隔週水曜日にヤングアニマルを、二三軒となりのパン屋でトマトとソーセージをたっぷり「効かせた」カンツォーネを買って
むしゃむしゃやりながらこの漫画を読むのが至福だった。
かなり最後のほうまで追っかけていたが、この話、実は落ちを知らなかった。
いま北海道でネカフェに泊まって、久しぶりに読み返してみると、思い出したが、深道と渺茫の戦いの途中くらいまでで読むのをやめたかもしれない。
深道のせりふのなかで、生は死ゆえにあるのだみたいなのが、「いやな思想」だと考えたためだろうか。
かなり最近までこの僕は、「生のエネルギー」とやらの狂信的な信奉者であり、努力も哀れみも持たずにただひたすらその力さえ開発してしまえば人生はどうとでもなるものだと、
今にして思えば心底なめきったことしか考えてこなかったように思う。
表題に掲げさせてもらった深道のせりふ、いいせりふだ。28巻でも、まきに対してひとことなかなかいいせりふをはく。
ただ、思想として弱さを掲げているのに漫画の表現としては「最終形態」のエアマスターが無敵状態になってしまっているのは、本質ひねりの足りないことだと思う。
うまくいえないけれど、無敵状態なんてほんとの強さではない。それは妄想でしかないし。
なんだろうか、弱いがゆえに必死で強さを追い求める、がどこまで言ってもそれは結局弱さでしかない。でも求めずにはいられないし、メソッドが的確で
訓練と努力をずっと続けられるならば何らかの違いが生じてくるものだ、という風な(ロジックの)もってゆき方がリアリスティックなことではないのか?
われわれがこの軽い命と引き換えにしても得られるものなど高が知れている。それでも、自分を捨ててまでも得られたものが本当に何の価値も意味もないものだったとしたら
そのときには誰かが代わりに泣くか叫ぶかしてくれるものなのだ。それが情緒を生む。そしてそんな情緒こそ、この世の中で生きる上での生きがいともなるものだ。
それはいってみれば、死ぬに値する人生だったということで、人に何の余韻も情緒も残さないような生き方にしがみつくことのほうこそむしろ無意味で価値のないことだと思う。
人間コンピューターがいくら有能で有利に生を送っているように見えても実は表面だけのこと。「生きる値打ち」なんてものはそこからひたすら零れ落ち続けるのみ。
近くのローソンで隔週水曜日にヤングアニマルを、二三軒となりのパン屋でトマトとソーセージをたっぷり「効かせた」カンツォーネを買って
むしゃむしゃやりながらこの漫画を読むのが至福だった。
かなり最後のほうまで追っかけていたが、この話、実は落ちを知らなかった。
いま北海道でネカフェに泊まって、久しぶりに読み返してみると、思い出したが、深道と渺茫の戦いの途中くらいまでで読むのをやめたかもしれない。
深道のせりふのなかで、生は死ゆえにあるのだみたいなのが、「いやな思想」だと考えたためだろうか。
かなり最近までこの僕は、「生のエネルギー」とやらの狂信的な信奉者であり、努力も哀れみも持たずにただひたすらその力さえ開発してしまえば人生はどうとでもなるものだと、
今にして思えば心底なめきったことしか考えてこなかったように思う。
表題に掲げさせてもらった深道のせりふ、いいせりふだ。28巻でも、まきに対してひとことなかなかいいせりふをはく。
ただ、思想として弱さを掲げているのに漫画の表現としては「最終形態」のエアマスターが無敵状態になってしまっているのは、本質ひねりの足りないことだと思う。
うまくいえないけれど、無敵状態なんてほんとの強さではない。それは妄想でしかないし。
なんだろうか、弱いがゆえに必死で強さを追い求める、がどこまで言ってもそれは結局弱さでしかない。でも求めずにはいられないし、メソッドが的確で
訓練と努力をずっと続けられるならば何らかの違いが生じてくるものだ、という風な(ロジックの)もってゆき方がリアリスティックなことではないのか?
われわれがこの軽い命と引き換えにしても得られるものなど高が知れている。それでも、自分を捨ててまでも得られたものが本当に何の価値も意味もないものだったとしたら
そのときには誰かが代わりに泣くか叫ぶかしてくれるものなのだ。それが情緒を生む。そしてそんな情緒こそ、この世の中で生きる上での生きがいともなるものだ。
それはいってみれば、死ぬに値する人生だったということで、人に何の余韻も情緒も残さないような生き方にしがみつくことのほうこそむしろ無意味で価値のないことだと思う。
人間コンピューターがいくら有能で有利に生を送っているように見えても実は表面だけのこと。「生きる値打ち」なんてものはそこからひたすら零れ落ち続けるのみ。