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フルーツバスケット 23 (花とゆめCOMICS) コミック – 2007/3/19
高屋 奈月
(著)
- 本の長さ166ページ
- 言語日本語
- 出版社白泉社
- 発売日2007/3/19
- ISBN-104592184033
- ISBN-13978-4592184034
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登録情報
- 出版社 : 白泉社 (2007/3/19)
- 発売日 : 2007/3/19
- 言語 : 日本語
- コミック : 166ページ
- ISBN-10 : 4592184033
- ISBN-13 : 978-4592184034
- Amazon 売れ筋ランキング: - 264,979位コミック
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
高校生?中学生?の頃、休載があって、途中で読まなくなってしまって…
15年ぶりに続きを読みました。
大団円です。みんな大人になって巣立っていく。
こどもが居るとまた違った視線で読めました。
早世した親御さんが多かったと思いますが、みんな大きくなって幸せになる姿、見たかったろうな…
15年ぶりに続きを読みました。
大団円です。みんな大人になって巣立っていく。
こどもが居るとまた違った視線で読めました。
早世した親御さんが多かったと思いますが、みんな大きくなって幸せになる姿、見たかったろうな…
2019年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
長い旅が終わり、新たな日々が続いていく。素晴らしい作品にありがとうと言いたいです。
特に、最初から透には夾が似合うと思っていたので、ラストは嬉しさしかなかったです!
特に、最初から透には夾が似合うと思っていたので、ラストは嬉しさしかなかったです!
2019年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なつい。なつかった。何度読んでも色褪せないクオリティやった。ギャグがめっちゃツボやった。
2007年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても素晴らしい作品です。
内容もとても濃いですし、キャラクターも一人一人が個性を持って動いてました。
私はキョウが好きで後半どんどん性格が丸くなっていく姿が微笑ましかったです。
透は周りの人を沢山救っていたけど、そんな透を支えていたのはキョウの存在が大きかったんだなぁと思いました。23巻で号泣してしまったのは今日子が事故で亡くなってから勝也の元に逝けた所での勝也の一言です、何だか自分にも言ってくれた気がして肩の力が抜けました。
ドロドロの感情はみんな持ってるものだけど、それをプラスに変えて行ける事に出会わなければ分からない事実だし、きれいごとばかりでは生きていけないのも分かりました。
この本は心の病気を少しずつですがやわらげてくれます、私はアキトの気持ちが凄く分かる現実に置かれているのでアキトにも幸せになれる日がきた事を嬉しく思いました。
とにもかくにも高屋先生の本は強くお勧めします。
ありがとうございました☆
内容もとても濃いですし、キャラクターも一人一人が個性を持って動いてました。
私はキョウが好きで後半どんどん性格が丸くなっていく姿が微笑ましかったです。
透は周りの人を沢山救っていたけど、そんな透を支えていたのはキョウの存在が大きかったんだなぁと思いました。23巻で号泣してしまったのは今日子が事故で亡くなってから勝也の元に逝けた所での勝也の一言です、何だか自分にも言ってくれた気がして肩の力が抜けました。
ドロドロの感情はみんな持ってるものだけど、それをプラスに変えて行ける事に出会わなければ分からない事実だし、きれいごとばかりでは生きていけないのも分かりました。
この本は心の病気を少しずつですがやわらげてくれます、私はアキトの気持ちが凄く分かる現実に置かれているのでアキトにも幸せになれる日がきた事を嬉しく思いました。
とにもかくにも高屋先生の本は強くお勧めします。
ありがとうございました☆
2014年1月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この漫画では基本的に大人カップルでさえ、ほのぼの純愛系な恋愛が多いのに、何であの紫呉と慊人ばっかり、何かドロドロとした感じの、ディープな感じの愛憎劇を繰り広げてんだろ?という関心も含め、慊人がもう一人の主人公のような感じになっていく、ストーリー後半からは、特にこの二人に注意しながら読んでいました。
しかし、最終巻まで読んでも、なかなかこの二人の関係及び慊人改心・一種の生まれ変わりに至るまでの、諸々が完全には理解できないと思う部分があり、ずっとあれこれと考え続けてきました(十二支の男性達の中では、一番紫呉が好きだったという事もあり。相当腹黒いですが、一番色気のある大人の男性という感じで。一見飄々として、如才なく、何物にも執着しないように見せておいて、実はずっと一人の女性を、弱冠愛し方が屈折してはいますが、熱列に想い続けていたというギャップも良いです)
特に慊人という人物を、どう考えるかなど。
確かに普通の21歳くらいの大人の女性として考えれば、数々の傷害・拉致監禁などを引き起こし続けた、とんでもない人物・あまりに幼稚で理不尽な人間という見方にも、なると思います。
しかし、何で最終的にこんな慊人を救ったのは、透だったのか?という謎も含めての答えになりますが、彼女はあの不自然で不幸な環境と「神様」という特異な立場ゆえに、小さい少女のまま、心の成長が止まってしまったという事なのではないかと。
こう考えると、彼女の理不尽な数々の問題行動の理由が、わかるような気がします。確かに外見は大人の女性であり、すでに紫呉や紅野とのセックス経験なども、してはいますが、一方で慊人はどこかアンバランスというか、精神の方は年相応の大人の女性として、成熟しきれていないのではないかと思わせるような言動が多いです。特に、何で21歳くらいのいい
大人の女性なのに、身近な十二支の男性達の、紫呉やはとりや紅野などに、まるで小さな子のように、いつまでも膝枕などしてもらいたがるのか?という疑問です。女性読者達から反感を買う可能性高そうなのに、この話の憎まれ役ぽいとはいえ、よくこんな行動を取る女性という設定にしたな作者と思った事があります。
「優しかった紫呉、父様みたいに」や、紫呉の「慊人がもっと君のように寛大で紅野クンのように無心な、そんな優しさを僕にまで欲しがっているのだとしても無茶な話だ、僕は慊人の父親になりたいわけじゃないんだよ」など、透の「母親」に対して、慊人の場合は、これらの「父親」という、直接のキーワードの他に、しだいに明らかになっていく、前当主での父晶のエピソードなど、彼女にとっては父親の存在が、重要な鍵になっているような感じですし。
慊人は父親代わりのような心の拠り所としての存在を、年長の十二支の男性達に、求めていた部分があったのではないかと。
彼女が甘えるのが、男性の年長の三人の十二支達の紫呉・はとり・紅野になったのは、どうしても同性の十二支達だと、本来の女性の性別のままで生きていける彼女達に、嫉妬を感じてしまうという事と、みな彼女より年下で、親代わりになれないからという事があったと思います。
母の楝との関係が最悪であった慊人にとっては、父の晶だけが心の拠り所のような感じであったのは、本人の口から語られていますし。
あの年長の十二支の男性達に対しての彼女の態度は、異性の男性に対してのそれとか、女性の媚としての解釈できるかもしれませんが、慊人は母の楝とは違うと思うので。女性の持つ醜悪で愚かな一面を凝縮したようなあの楝という女性ですが、慊人は母親のそういう面を嫌悪し、そのためよけいに母に反発していたフシもありますし。
慊人の、年長の十二支の男性達に対しての、ああいう態度は、異性としての男性に対しての甘え、媚という解釈もできるかもしれませんが、母の楝との確執などを見ていて、私は慊人は彼女とは違うという印象が、強いんですよ。だから愛する男性の紫呉に対しても、彼女はどこかまだ父親のような役割を、求めていた所があったのでは?
自分の彼への想いが、父親のような存在に対しての好意ではなく、
異性としての愛情だという事に、気付けない点があったのではないか?と思えます。そうだとすれば、紫呉からすれば、紅野との事と共に、彼女のこうした所が、気に入らなかったのでしょう。
晶の魂が入っているとされた箱への、「触れたくもないあんな下らない箱、でも目障りでもある」と、慊人の執着を言った時の紫呉には、いいかげんに草摩家と父親からの呪縛から離れて欲しいという、思いがあったのではないかと。
ただ、その一つとして、慊人と犬猿の仲の楝まで間接的に使って、慊人の支えとなっていた父親晶の箱を、強制的に取り上げようとか、どうもやり方が荒療治というか、やっぱりSの所があるんでしょうね。こうして考えると23巻の最初の話の、彼らの恋愛話中心だった話の「だって君がもう一度来るのをずっとずっと待っていたんだ」という紫呉の最後の言葉なども、意味深長だなと思います。
彼の待っていたというのは、草摩家と十二支の呪縛から解き放たれた、
「神様」ではない、新しい「慊人」という一人の女性として、素直に
なって自分の所へ来て欲しいという事の他に、本当の意味で成熟した
大人の女性として、自分と向かい合って欲しいという思いが、込められていたのでは?
草摩本家に、十二支達を呼び集め、彼らの自由を宣言した後、これまで彼らに対してしてきた、自分の数々のひどい行動を自覚し、その事に恐れ慄き、ついに謝罪の言葉を、彼らの面前で最後まで言えなくなってしまったというのも、一人の大人の女性として、今までの自分のしてきた行動に対して責任を持ち、償っていくという意識が、彼女の中に生まれたがゆえの事だと思います。
それから、この回ではかなり赤裸々に「躰すべてを飲み込みたい、
細胞中骨の中まで深く深く侵入して飲み込んで滲み込ませて、僕の匂いで満たしつくして息もつけなくさせてみたい、この気持ち欲望は女の内から溢れ出るの?」と、このような言葉で、慊人の女性としての欲望が語られていましたが、これも、彼女がやっと成熟した、一人の大人の女性として、紫呉への愛を自覚する事ができたという事を、表わしたかったのかな?と思いました。
またこの言葉の前の、紫呉の「僕はお子様だから、自分が傷つくのなんて嫌だし損なんて御免だ、一度手に入れたなら絶対手放したくないし誰にも触らせたくない」
というのは、これも大人の男性のエゴイスティックな面も含んだ、
対等な一人の大人の女性に対しての、恋愛感情の吐露ではないでしょうか。
こんな風に、僕はけしてただ優しいだけの、無条件で君の何もかもを受け入れてやる父親のような存在になる気はないよ、あくまで一人の生身の男として、一人の女性としての君を愛しているんだよという事なのかなと
思いました。
それから、なぜ最終的に慊人を救い、草摩家と十二支からの呪縛から解放する大きなきっかけを作ったのが、透だったのか?という点です。
主人公だからと言ってしまえば、それまでですが、やはり実際は、孤独に怯え傷つき喪失する事に震える小さな女の子が、慊人の中に潜んでおり、やはりそのような面を持った透だからこそ、一見、並々ならぬ財力と権力を有した草摩家の頂点に立つ、誇り高く威圧的で、恐怖と権力で十二支達を支配する、大人の女性としての慊人ではなく、かよわい小さな女の子としての、慊人の本当の姿を見出したからこそ、本能的に彼女の孤独と苦悩を理解し共感し、対等な存在として寄り添い、彼女を救い、解放する大きなきっかけを作る事が、できたのではないでしょうか?
それから、初めは何となく透が「光」で、慊人が「闇」というような役割なのかな?と思っていましたが、コミックス20巻で、ゴスロリ風の衣装を付けた透と慊人が描かれていて、そこではイメージに反して、慊人が白で透が黒の服を着ていました。
また作者の慊人は「白」という言葉などもあり、またストーリー展開などからも、透が光で慊人が闇というような、単純なものでもないのかなと思いました。透にだって闇の部分はあったし、慊人だって、幼い時の紫呉などとのやり取りに見られように、初めは純真な白の存在であったはず。
そして誕生した時は、まさに草摩家の「光」であったはずです。
しかし、草摩家の歪んだしきたり、いつの間にか神様と十二支達を縛り苦しめるようになった絆、むしろいない方がいい母親との関係などら、あんな風に闇の要素に、染まっていってしまったのではないでしょうか?そしてそんな彼女を愛し続けた紫呉は、その内彼女が昔のように純真な姿に、戻ってくれる事を、望んでいたのではないかと。
最終回では完全に女の子の服装に、すっかり髪も伸びて、とても可愛らしい、女の子らしい、いい表情をしていましたが、まさに憑き物が落ちたという感じで、やはり草摩家の神様と十二支達の絆という、呪縛から解放され、彼女本来の姿に戻る事ができたという事なのではないでしょうか?
それから紫呉と慊人がいつまでも素直にならないせいで、
数々の問題が引き起こされ、大勢の人が迷惑したんだという声がありますが、私はそれは違うのではと思います。彼らが素直になり和解した程度で、彼女や十二支達の抱えた問題は、解決するような規模のものではなかったと思います。彼らが普通の男女として、しがらみなく愛し合えないのには、単に彼ら個人間の諍いだけではなく、初めは約束だったはずなのに、まさにいつしか彼らを呪縛する呪いとなっていった、神様と十二支達の絆が、大きく横たわっていましたし。
そしてこのようなしがらみの渦中の中にある、十二支の一人である紫呉では、行動に限界があり、そこで完全な部外者でいわば「オニギリ」の存在である、透という、新しい刺激を入れようとしたのでしょう。
慊人と紫呉も、紛れもなく草摩家の神様と十二支の絆のしがらみに、
苦悩する一人であったと思います。
彼らの不和の直接の被害者としては、紅野が挙げられるのかもしれませんが、それから確かに紫呉が慊人を自分だけのものにするためには、手段を選ばなさ過ぎの傾向はあり、これは人によっては批判したくなるのは、しかたないのかもしれませんが。その延長線上で、依鈴の監禁事件が発生してしまったような面がありますし。
しかし、紅野の方に関しては、優し過ぎて十二支の呪いが解けても、慊人を突き放せなかった、彼自身にも問題があったと思いますし、何か紫呉は冷淡な感じで、自分のように慊人に寄り添ってくれる役割は
期待できそうにないしという、彼の優しさが逆に彼らの関係を、こじれさせてしまった面があると思います。それに、さんざん他の人間達を巻き込んでおいて、自分達だけ幸せになんてという声もありますが、彼らが様々な確執を乗り越え、めでたく幸せな恋人同士となった事は、彼らだけが幸せになったという事ではないと思います。
やはり、神様が幸せにならないと、十二支達も幸せになれないという事ではないか?という事で、草摩家の平和のためには、紫呉と慊人との和解は、必須であったと思いますし。
少なくとも、長い間彼らについて案じてきたと思われる、はとりや紅野は、彼らがやっと本当の意味で結ばれた事について、喜んでいると思うし、彼ら自身も幸せを感じていると思います。
特に紅野なんて、慊人が幸せになってくれない限り、いつまでも自分は
幸せになれないとか、言いそうな人ですから。ただ、最終回全体についての感想としては、あそこまでカップル乱造にしなくても、よかったのではないか?という気がします。
しかも、手近な所でくっつけ過ぎてしまったような感が、強いです。
かつて紫呉とつき合っていた繭子とはとりとか、ありさと紅野とか。
それから、透と夾についても、もう少し想像の余地を、残して欲しかったような気がします。
正直あんな何十年も経った老後の二人の姿まで、見せなくてもよかったのではないか?と思いました。数年後の、成人した二人の、結婚を匂わすくらいにして欲しかったような感じというか。
しかし、最終巻まで読んでも、なかなかこの二人の関係及び慊人改心・一種の生まれ変わりに至るまでの、諸々が完全には理解できないと思う部分があり、ずっとあれこれと考え続けてきました(十二支の男性達の中では、一番紫呉が好きだったという事もあり。相当腹黒いですが、一番色気のある大人の男性という感じで。一見飄々として、如才なく、何物にも執着しないように見せておいて、実はずっと一人の女性を、弱冠愛し方が屈折してはいますが、熱列に想い続けていたというギャップも良いです)
特に慊人という人物を、どう考えるかなど。
確かに普通の21歳くらいの大人の女性として考えれば、数々の傷害・拉致監禁などを引き起こし続けた、とんでもない人物・あまりに幼稚で理不尽な人間という見方にも、なると思います。
しかし、何で最終的にこんな慊人を救ったのは、透だったのか?という謎も含めての答えになりますが、彼女はあの不自然で不幸な環境と「神様」という特異な立場ゆえに、小さい少女のまま、心の成長が止まってしまったという事なのではないかと。
こう考えると、彼女の理不尽な数々の問題行動の理由が、わかるような気がします。確かに外見は大人の女性であり、すでに紫呉や紅野とのセックス経験なども、してはいますが、一方で慊人はどこかアンバランスというか、精神の方は年相応の大人の女性として、成熟しきれていないのではないかと思わせるような言動が多いです。特に、何で21歳くらいのいい
大人の女性なのに、身近な十二支の男性達の、紫呉やはとりや紅野などに、まるで小さな子のように、いつまでも膝枕などしてもらいたがるのか?という疑問です。女性読者達から反感を買う可能性高そうなのに、この話の憎まれ役ぽいとはいえ、よくこんな行動を取る女性という設定にしたな作者と思った事があります。
「優しかった紫呉、父様みたいに」や、紫呉の「慊人がもっと君のように寛大で紅野クンのように無心な、そんな優しさを僕にまで欲しがっているのだとしても無茶な話だ、僕は慊人の父親になりたいわけじゃないんだよ」など、透の「母親」に対して、慊人の場合は、これらの「父親」という、直接のキーワードの他に、しだいに明らかになっていく、前当主での父晶のエピソードなど、彼女にとっては父親の存在が、重要な鍵になっているような感じですし。
慊人は父親代わりのような心の拠り所としての存在を、年長の十二支の男性達に、求めていた部分があったのではないかと。
彼女が甘えるのが、男性の年長の三人の十二支達の紫呉・はとり・紅野になったのは、どうしても同性の十二支達だと、本来の女性の性別のままで生きていける彼女達に、嫉妬を感じてしまうという事と、みな彼女より年下で、親代わりになれないからという事があったと思います。
母の楝との関係が最悪であった慊人にとっては、父の晶だけが心の拠り所のような感じであったのは、本人の口から語られていますし。
あの年長の十二支の男性達に対しての彼女の態度は、異性の男性に対してのそれとか、女性の媚としての解釈できるかもしれませんが、慊人は母の楝とは違うと思うので。女性の持つ醜悪で愚かな一面を凝縮したようなあの楝という女性ですが、慊人は母親のそういう面を嫌悪し、そのためよけいに母に反発していたフシもありますし。
慊人の、年長の十二支の男性達に対しての、ああいう態度は、異性としての男性に対しての甘え、媚という解釈もできるかもしれませんが、母の楝との確執などを見ていて、私は慊人は彼女とは違うという印象が、強いんですよ。だから愛する男性の紫呉に対しても、彼女はどこかまだ父親のような役割を、求めていた所があったのでは?
自分の彼への想いが、父親のような存在に対しての好意ではなく、
異性としての愛情だという事に、気付けない点があったのではないか?と思えます。そうだとすれば、紫呉からすれば、紅野との事と共に、彼女のこうした所が、気に入らなかったのでしょう。
晶の魂が入っているとされた箱への、「触れたくもないあんな下らない箱、でも目障りでもある」と、慊人の執着を言った時の紫呉には、いいかげんに草摩家と父親からの呪縛から離れて欲しいという、思いがあったのではないかと。
ただ、その一つとして、慊人と犬猿の仲の楝まで間接的に使って、慊人の支えとなっていた父親晶の箱を、強制的に取り上げようとか、どうもやり方が荒療治というか、やっぱりSの所があるんでしょうね。こうして考えると23巻の最初の話の、彼らの恋愛話中心だった話の「だって君がもう一度来るのをずっとずっと待っていたんだ」という紫呉の最後の言葉なども、意味深長だなと思います。
彼の待っていたというのは、草摩家と十二支の呪縛から解き放たれた、
「神様」ではない、新しい「慊人」という一人の女性として、素直に
なって自分の所へ来て欲しいという事の他に、本当の意味で成熟した
大人の女性として、自分と向かい合って欲しいという思いが、込められていたのでは?
草摩本家に、十二支達を呼び集め、彼らの自由を宣言した後、これまで彼らに対してしてきた、自分の数々のひどい行動を自覚し、その事に恐れ慄き、ついに謝罪の言葉を、彼らの面前で最後まで言えなくなってしまったというのも、一人の大人の女性として、今までの自分のしてきた行動に対して責任を持ち、償っていくという意識が、彼女の中に生まれたがゆえの事だと思います。
それから、この回ではかなり赤裸々に「躰すべてを飲み込みたい、
細胞中骨の中まで深く深く侵入して飲み込んで滲み込ませて、僕の匂いで満たしつくして息もつけなくさせてみたい、この気持ち欲望は女の内から溢れ出るの?」と、このような言葉で、慊人の女性としての欲望が語られていましたが、これも、彼女がやっと成熟した、一人の大人の女性として、紫呉への愛を自覚する事ができたという事を、表わしたかったのかな?と思いました。
またこの言葉の前の、紫呉の「僕はお子様だから、自分が傷つくのなんて嫌だし損なんて御免だ、一度手に入れたなら絶対手放したくないし誰にも触らせたくない」
というのは、これも大人の男性のエゴイスティックな面も含んだ、
対等な一人の大人の女性に対しての、恋愛感情の吐露ではないでしょうか。
こんな風に、僕はけしてただ優しいだけの、無条件で君の何もかもを受け入れてやる父親のような存在になる気はないよ、あくまで一人の生身の男として、一人の女性としての君を愛しているんだよという事なのかなと
思いました。
それから、なぜ最終的に慊人を救い、草摩家と十二支からの呪縛から解放する大きなきっかけを作ったのが、透だったのか?という点です。
主人公だからと言ってしまえば、それまでですが、やはり実際は、孤独に怯え傷つき喪失する事に震える小さな女の子が、慊人の中に潜んでおり、やはりそのような面を持った透だからこそ、一見、並々ならぬ財力と権力を有した草摩家の頂点に立つ、誇り高く威圧的で、恐怖と権力で十二支達を支配する、大人の女性としての慊人ではなく、かよわい小さな女の子としての、慊人の本当の姿を見出したからこそ、本能的に彼女の孤独と苦悩を理解し共感し、対等な存在として寄り添い、彼女を救い、解放する大きなきっかけを作る事が、できたのではないでしょうか?
それから、初めは何となく透が「光」で、慊人が「闇」というような役割なのかな?と思っていましたが、コミックス20巻で、ゴスロリ風の衣装を付けた透と慊人が描かれていて、そこではイメージに反して、慊人が白で透が黒の服を着ていました。
また作者の慊人は「白」という言葉などもあり、またストーリー展開などからも、透が光で慊人が闇というような、単純なものでもないのかなと思いました。透にだって闇の部分はあったし、慊人だって、幼い時の紫呉などとのやり取りに見られように、初めは純真な白の存在であったはず。
そして誕生した時は、まさに草摩家の「光」であったはずです。
しかし、草摩家の歪んだしきたり、いつの間にか神様と十二支達を縛り苦しめるようになった絆、むしろいない方がいい母親との関係などら、あんな風に闇の要素に、染まっていってしまったのではないでしょうか?そしてそんな彼女を愛し続けた紫呉は、その内彼女が昔のように純真な姿に、戻ってくれる事を、望んでいたのではないかと。
最終回では完全に女の子の服装に、すっかり髪も伸びて、とても可愛らしい、女の子らしい、いい表情をしていましたが、まさに憑き物が落ちたという感じで、やはり草摩家の神様と十二支達の絆という、呪縛から解放され、彼女本来の姿に戻る事ができたという事なのではないでしょうか?
それから紫呉と慊人がいつまでも素直にならないせいで、
数々の問題が引き起こされ、大勢の人が迷惑したんだという声がありますが、私はそれは違うのではと思います。彼らが素直になり和解した程度で、彼女や十二支達の抱えた問題は、解決するような規模のものではなかったと思います。彼らが普通の男女として、しがらみなく愛し合えないのには、単に彼ら個人間の諍いだけではなく、初めは約束だったはずなのに、まさにいつしか彼らを呪縛する呪いとなっていった、神様と十二支達の絆が、大きく横たわっていましたし。
そしてこのようなしがらみの渦中の中にある、十二支の一人である紫呉では、行動に限界があり、そこで完全な部外者でいわば「オニギリ」の存在である、透という、新しい刺激を入れようとしたのでしょう。
慊人と紫呉も、紛れもなく草摩家の神様と十二支の絆のしがらみに、
苦悩する一人であったと思います。
彼らの不和の直接の被害者としては、紅野が挙げられるのかもしれませんが、それから確かに紫呉が慊人を自分だけのものにするためには、手段を選ばなさ過ぎの傾向はあり、これは人によっては批判したくなるのは、しかたないのかもしれませんが。その延長線上で、依鈴の監禁事件が発生してしまったような面がありますし。
しかし、紅野の方に関しては、優し過ぎて十二支の呪いが解けても、慊人を突き放せなかった、彼自身にも問題があったと思いますし、何か紫呉は冷淡な感じで、自分のように慊人に寄り添ってくれる役割は
期待できそうにないしという、彼の優しさが逆に彼らの関係を、こじれさせてしまった面があると思います。それに、さんざん他の人間達を巻き込んでおいて、自分達だけ幸せになんてという声もありますが、彼らが様々な確執を乗り越え、めでたく幸せな恋人同士となった事は、彼らだけが幸せになったという事ではないと思います。
やはり、神様が幸せにならないと、十二支達も幸せになれないという事ではないか?という事で、草摩家の平和のためには、紫呉と慊人との和解は、必須であったと思いますし。
少なくとも、長い間彼らについて案じてきたと思われる、はとりや紅野は、彼らがやっと本当の意味で結ばれた事について、喜んでいると思うし、彼ら自身も幸せを感じていると思います。
特に紅野なんて、慊人が幸せになってくれない限り、いつまでも自分は
幸せになれないとか、言いそうな人ですから。ただ、最終回全体についての感想としては、あそこまでカップル乱造にしなくても、よかったのではないか?という気がします。
しかも、手近な所でくっつけ過ぎてしまったような感が、強いです。
かつて紫呉とつき合っていた繭子とはとりとか、ありさと紅野とか。
それから、透と夾についても、もう少し想像の余地を、残して欲しかったような気がします。
正直あんな何十年も経った老後の二人の姿まで、見せなくてもよかったのではないか?と思いました。数年後の、成人した二人の、結婚を匂わすくらいにして欲しかったような感じというか。
2013年10月23日に日本でレビュー済み
私が、この漫画に出会ったのは高校生の頃だったと思います。
正直、その時は全くハマりませんでした。
一番重要な主人公。
あまり美形ではなさそうだし。
何よりも、良い子すぎる!こんな子いるか…って。
いつもニコニコしてお人好しで、常に口調が敬語(なぜ敬語なのかも後々しっかりと書いてくれてます)
どうしても好きになれませんでした。
ストーリーも進んでいくにつれて、どんどんシリアスに。
何だか暗いお話だな…そんな程度でした。
でも今、20代になって改めて読んでみました。
もう・・・大号泣。
物語なので当たり前かもしれませんが、登場人物皆に共感して心が苦しくなりました。
悲しい事に、憎むべき人(例えば、登場人物の親等)さえにも、同調はしなくとも、『理解』は出来ました。
この漫画は、一般的に想像する少女漫画とは少し違うかもしれません。
私が初めて、手に取った当時は辛い事ばかりで…その時の自分には少々重すぎたのかもしれません。
人の感情は…年月が経つにつれて変わっていくんだな…
こんな子が実際にいたら…いや、自分がこんな子になれたらどんなに幸せなんだろう。
現実では実際難しいけど、でも、頑張ってみよう…と改めて思わしてくれるお話でした。
誰か愛する存在が出来た人、漫画から少し距離を置いた人、寂しい人…等々、一度は手に取って見てもらいたい作品です。
※タイトルが何故『フルーツバスケット』なのかも分かりやすくしっかり書いてくれてます。
その当時はちゃんと読めてなかったのか…「だからか!」と今になって気づくしまつ。笑
正直、その時は全くハマりませんでした。
一番重要な主人公。
あまり美形ではなさそうだし。
何よりも、良い子すぎる!こんな子いるか…って。
いつもニコニコしてお人好しで、常に口調が敬語(なぜ敬語なのかも後々しっかりと書いてくれてます)
どうしても好きになれませんでした。
ストーリーも進んでいくにつれて、どんどんシリアスに。
何だか暗いお話だな…そんな程度でした。
でも今、20代になって改めて読んでみました。
もう・・・大号泣。
物語なので当たり前かもしれませんが、登場人物皆に共感して心が苦しくなりました。
悲しい事に、憎むべき人(例えば、登場人物の親等)さえにも、同調はしなくとも、『理解』は出来ました。
この漫画は、一般的に想像する少女漫画とは少し違うかもしれません。
私が初めて、手に取った当時は辛い事ばかりで…その時の自分には少々重すぎたのかもしれません。
人の感情は…年月が経つにつれて変わっていくんだな…
こんな子が実際にいたら…いや、自分がこんな子になれたらどんなに幸せなんだろう。
現実では実際難しいけど、でも、頑張ってみよう…と改めて思わしてくれるお話でした。
誰か愛する存在が出来た人、漫画から少し距離を置いた人、寂しい人…等々、一度は手に取って見てもらいたい作品です。
※タイトルが何故『フルーツバスケット』なのかも分かりやすくしっかり書いてくれてます。
その当時はちゃんと読めてなかったのか…「だからか!」と今になって気づくしまつ。笑