村上さん、佐藤さんが考える日本について語っている本。
大まかには、取り調べや拘置所の思い出から、国体観を用いての行政官の姿勢を説き、
近代的左翼思想を否定し、人知を超えるものを信じることや
古代日本のテキストを勉強することにより日本の国体について考える大切さ語り、
その認識から昔からある日本の掟や現在の日本憲法、新自由主義による悪影響や
政治家の資質、日本が向かうべき方向まで幅広く語っている。
内容は、すごく興味深いんだけど・・・・・。
具体的には、葦津珍彦さんの「統治権の総攬者」を用いて
「行政官は、天皇の名において行動を鑑み、その行為によって自分たちの私利私欲が
入っていないだろうかとチェックすることで、無私の精神になる」
や「天皇の血筋とともに三種の神器が大事」
や「日本にある様々な共同体の中心にあるのが皇室」と日本について語っていくのだが・・。
たぶんこういう感覚を日本人が共有することが大切ということだろう。
魚住昭さんの本は、村上さんの生き様にスポットを当てていたが
この本は、村上さんの思想を中心に書いている。
天皇陛下への熱い思いなどが所々に読み取れる。
いわゆる保守や右派の方には共感できる本なんだろうが・・・。
私は、非常にびっくりした本。
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大和ごころ入門 ハードカバー – 2008/4/2
外来思想の知識をいくら身につけても、それだけでは日本国家を危機から救い出すことはできない。
過去の日本人の英知から虚心坦懐に学ぶことが、現在、なによりも必要とされている。
国家権力の中枢で、日本国家のために忠実に尽くしてきた「参議院のドン」と「外務省のラスプーチン」。しかし、日本国家はふたりを国家にとって有害であると断罪し、排除した。それでもなお日本国家を愛しているふたり。塀の向こうに追いやられて初めて見えてきたという、祖国の危機に喘ぐ姿とその処方箋――日本に内在する「日本の善」の力によって、現下日本に現れている悪を斬る――を、ふたりの対談で明確にしていく。
過去の日本人の英知から虚心坦懐に学ぶことが、現在、なによりも必要とされている。
国家権力の中枢で、日本国家のために忠実に尽くしてきた「参議院のドン」と「外務省のラスプーチン」。しかし、日本国家はふたりを国家にとって有害であると断罪し、排除した。それでもなお日本国家を愛しているふたり。塀の向こうに追いやられて初めて見えてきたという、祖国の危機に喘ぐ姿とその処方箋――日本に内在する「日本の善」の力によって、現下日本に現れている悪を斬る――を、ふたりの対談で明確にしていく。
- 本の長さ284ページ
- 言語日本語
- 出版社扶桑社
- 発売日2008/4/2
- ISBN-104594055842
- ISBN-13978-4594055844
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商品の説明
著者について
村上正邦(むらかみ・まさくに) 昭和’7(1932)年、福岡県生まれ。31年、拓殖大学政経学部卒。40年、玉置和郎参議院議員秘書を経て、55年、参議院全国区で初当選し、以来4選を果たす。59年、防衛政務次官、平成4(1992)年、労働大臣、7年、参議院自由民主党幹事長、11年、志帥会会長、同年、参議院自由民主党議員会長、12年、参議院憲法調査会初代会長に就任。13年、KSD事件を巡る受託収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕される。一、二審で有罪。現在、上告中。主な著書に『汗にむくいる』『政治にスジを通す』『混迷の東欧を探る』、共著に『参議院なんかいらない』『自民党はなぜ潰れないのか』などがある。
佐藤 優(さとう・まさる) 昭和35(1960)年、埼玉県生まれ。60年、同志社大学大学院神学研究科修了。同年、外務省入省。平成7(1995)年まで在英日本国大使館、ロシア連邦日本国大使館に勤務した後、外務本省国際情報局分析第一課に勤務。主任分析官として活躍したが、14年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕される。一、二審で有罪。現在、上告中。外交官として勤務するかたわら、モスクワ国立大学哲学部客員講師(神学・宗教哲学)、東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務めた。主な著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞)『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)『国家の自縛』『日米開戦の真実』『獄中記』『国家論』『野蛮人のテーブルマナー』『私のマルクス』『地球を斬る』『国家と神とマルクス』、共著に『インテリジェンス 武器なき戦争』『反省』『ナショナリズムという迷宮』『国家の崩壊』などがある。
佐藤 優(さとう・まさる) 昭和35(1960)年、埼玉県生まれ。60年、同志社大学大学院神学研究科修了。同年、外務省入省。平成7(1995)年まで在英日本国大使館、ロシア連邦日本国大使館に勤務した後、外務本省国際情報局分析第一課に勤務。主任分析官として活躍したが、14年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕される。一、二審で有罪。現在、上告中。外交官として勤務するかたわら、モスクワ国立大学哲学部客員講師(神学・宗教哲学)、東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務めた。主な著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞)『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)『国家の自縛』『日米開戦の真実』『獄中記』『国家論』『野蛮人のテーブルマナー』『私のマルクス』『地球を斬る』『国家と神とマルクス』、共著に『インテリジェンス 武器なき戦争』『反省』『ナショナリズムという迷宮』『国家の崩壊』などがある。
登録情報
- 出版社 : 扶桑社 (2008/4/2)
- 発売日 : 2008/4/2
- 言語 : 日本語
- ハードカバー : 284ページ
- ISBN-10 : 4594055842
- ISBN-13 : 978-4594055844
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,050,039位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 993位日本論
- - 20,088位社会学概論
- - 150,474位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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元外交官で文筆家。ロシア情報収集・解析のエキスパート。魚住昭/ジャーナリスト。ノンフィクションに著作多数。青木理/ジャーナリスト。元共同通信記者。『日本の公安警察』『絞首刑』など著作多数。植草一秀/経済学者。日本経済、金融論が専門。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 誰が日本を支配するのか!?政治とメディアの巻 (ISBN-13:978-4838721566)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2008年4月8日に日本でレビュー済み
2011年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
【本書説明】
現代日本では南北朝の歴史が繰り返されている。国家権力中枢で日本の生の姿に触れ、国家に裏切られた二人が語るこの国の形とは。北畠親房の『神皇正統記』を通して、正統な日本国、正統な保守をいかに中興するのか、いかに強い日本へ維新できるのか。南朝の歴史を追体験しつつ、日本を日本たらしめる見えないものへの畏敬を通して、吉野の地において自らの再起を賭ける。国士二人の決意表明の書。
本書で両者が共有するのは今の保守の安っぽさ、この国の政治の言葉遊びや乱れ、さらに国体の瓦解に対する危機意識である。それは「保守」の側から近代主義への賞賛が生まれ(新自由主義が生じ)、小泉政権が誕生したことに端を発する。靖国参拝でシンボル操作を行ないながら、経済合理性で測れないものを「無駄」と切って捨て、結果的に強い者をより強くし、日本社会の貧困化を許したこと。また保守待望の安倍政権が短期間のうち自壊したこと。これら6年間の日本政治の動きを日本の神話や南北朝の歴史から解釈する。
国体の瓦解、国家の弱体化、権力と金の密接な結びつきと交換可能性への危機意識を共有し、日本の神話、文化、伝統など経済合理や時空を超えた、見えないものへの畏敬の念など日本の大和ごころを再確認しようという本である。
【評価とコメント】★3
佐藤優氏の思想に村上正邦氏の生き様、政治観を通して、思想と哲学の違いや、国体と憲法、愛国心と自然観などについてなど、個人的には考えるきっかけになる主張が多々あり、考えの起点として大変参考になった個所が多かった。また両者の考えに多く同意出来る個所があった。
ただ、対話、対談ものにはつきものだが、カバーする範囲が広過ぎる点が問題で―南北朝、皇室(典範)、憲法、愛国心、政治、新自由主義、神話、思想…―もう少し絞った方が読み易い。また、入門をどう解するかによるが、万人に勧めることが果たして出来るのか否か…もちろん天皇あっての日本国であり、それが国体を貫く=国家の中心であり中道思想と解すべきだと思うが、やはり一般的には本書は保守思想本だと解されてしまうきらいがある。(補足―例えば日本の国号と天皇の称は持統朝のころほぼ同時期に制度化されたと考えられている。以後少なくとも建前上、天皇の権威を背後とした世俗的権力による統治が江戸時代まで一貫して続く。…が、その歴史的流れが断絶した時期こそ南北朝時代であり、それをどう解釈するかについては学会でも議論が分かれている…南朝を正統とみなすのか異形とみなすのか、後醍醐天皇をいかに位置づけるか…本書は前者の立場と言える。)
尤も本書を読めば、先祖を敬うことや文化伝統への畏敬など当たり前のことが、右翼の専売特許のようになっている今の日本の座標軸が異常な位置にあり、現代が日本の歴史の中で異様であることを再確認出来るという意味はあるかもしれない。筆者らは日本の思想が世界に認められるためには「通じる言葉」にしなくてはならないと言うけれど、本書の内容は日本で「通じる言葉」をもつのか否か、現時点では疑わしい。では保守の側はいかにその「通じる言葉」を創れるのか、中興、維新できるのかとなると直接的には述べられず、話が自分たちの裁判に流れてしまっている点が残念である。(本書の文脈からすると、人の創った制度や法律には自ずと限界が生じることから、自然のままに流れ着いた自分の持ち場を一所懸命に保ち、自分の職分を全うすることが突破口となると解せられる…佐藤さんは言論で村上さんは政治家として)
そうした点で、国策捜査で権力を負われた二人という特殊な存在が生んだ企画ものとして本書は読まれるべきだろう。本書で何かが生まれる、昇華した結果、全く新しい見方が見えるというものではなく、一部の解釈を除き、大筋で一致するそれぞれの保守思想を、「そうだね、うんうん」と確認し合いながら話が進む点が特徴―対話より談話に近い。
現代日本では南北朝の歴史が繰り返されている。国家権力中枢で日本の生の姿に触れ、国家に裏切られた二人が語るこの国の形とは。北畠親房の『神皇正統記』を通して、正統な日本国、正統な保守をいかに中興するのか、いかに強い日本へ維新できるのか。南朝の歴史を追体験しつつ、日本を日本たらしめる見えないものへの畏敬を通して、吉野の地において自らの再起を賭ける。国士二人の決意表明の書。
本書で両者が共有するのは今の保守の安っぽさ、この国の政治の言葉遊びや乱れ、さらに国体の瓦解に対する危機意識である。それは「保守」の側から近代主義への賞賛が生まれ(新自由主義が生じ)、小泉政権が誕生したことに端を発する。靖国参拝でシンボル操作を行ないながら、経済合理性で測れないものを「無駄」と切って捨て、結果的に強い者をより強くし、日本社会の貧困化を許したこと。また保守待望の安倍政権が短期間のうち自壊したこと。これら6年間の日本政治の動きを日本の神話や南北朝の歴史から解釈する。
国体の瓦解、国家の弱体化、権力と金の密接な結びつきと交換可能性への危機意識を共有し、日本の神話、文化、伝統など経済合理や時空を超えた、見えないものへの畏敬の念など日本の大和ごころを再確認しようという本である。
【評価とコメント】★3
佐藤優氏の思想に村上正邦氏の生き様、政治観を通して、思想と哲学の違いや、国体と憲法、愛国心と自然観などについてなど、個人的には考えるきっかけになる主張が多々あり、考えの起点として大変参考になった個所が多かった。また両者の考えに多く同意出来る個所があった。
ただ、対話、対談ものにはつきものだが、カバーする範囲が広過ぎる点が問題で―南北朝、皇室(典範)、憲法、愛国心、政治、新自由主義、神話、思想…―もう少し絞った方が読み易い。また、入門をどう解するかによるが、万人に勧めることが果たして出来るのか否か…もちろん天皇あっての日本国であり、それが国体を貫く=国家の中心であり中道思想と解すべきだと思うが、やはり一般的には本書は保守思想本だと解されてしまうきらいがある。(補足―例えば日本の国号と天皇の称は持統朝のころほぼ同時期に制度化されたと考えられている。以後少なくとも建前上、天皇の権威を背後とした世俗的権力による統治が江戸時代まで一貫して続く。…が、その歴史的流れが断絶した時期こそ南北朝時代であり、それをどう解釈するかについては学会でも議論が分かれている…南朝を正統とみなすのか異形とみなすのか、後醍醐天皇をいかに位置づけるか…本書は前者の立場と言える。)
尤も本書を読めば、先祖を敬うことや文化伝統への畏敬など当たり前のことが、右翼の専売特許のようになっている今の日本の座標軸が異常な位置にあり、現代が日本の歴史の中で異様であることを再確認出来るという意味はあるかもしれない。筆者らは日本の思想が世界に認められるためには「通じる言葉」にしなくてはならないと言うけれど、本書の内容は日本で「通じる言葉」をもつのか否か、現時点では疑わしい。では保守の側はいかにその「通じる言葉」を創れるのか、中興、維新できるのかとなると直接的には述べられず、話が自分たちの裁判に流れてしまっている点が残念である。(本書の文脈からすると、人の創った制度や法律には自ずと限界が生じることから、自然のままに流れ着いた自分の持ち場を一所懸命に保ち、自分の職分を全うすることが突破口となると解せられる…佐藤さんは言論で村上さんは政治家として)
そうした点で、国策捜査で権力を負われた二人という特殊な存在が生んだ企画ものとして本書は読まれるべきだろう。本書で何かが生まれる、昇華した結果、全く新しい見方が見えるというものではなく、一部の解釈を除き、大筋で一致するそれぞれの保守思想を、「そうだね、うんうん」と確認し合いながら話が進む点が特徴―対話より談話に近い。
2008年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鈴木議員との共著等、佐藤さんの他著と内容が被るところが多いですが、小泉政権での新自由主義政策以降の日本の病理の状況について、政治(家)、官僚、司法(検察)を切り口に言及(指弾)し、どう対処して行くべきかまた筆者らがその為に何を実践し始めたかが、後醍醐天皇の南朝が置かれた吉野の地での対談を基に記されています。
本書の主たるメッセージを、「今の日本を良い方向に導くには、天皇神話に内包される精神性の大切さを理解し、祭(天皇の政)、政治(政治家とそれを支える官僚)、生活(市民)の場でそれぞれが私心を捨て(=大和ごころ)それぞれの使命を実践しなければいけない」と解釈しました。
佐藤さんの著書を未読の方は、一憂国の書として十分に読み応えがあると思います。
蛇足ですが、三島由紀夫氏について本書で佐藤さんが殆ど勉強していないと言及しつつも、思想はギリギリの所では命を賭ける必要があり、それを実践で示したところに重要性があると指摘したのが印象に残りました。
自身の思想的なものを過去著書の中で記してきた佐藤さんが本書の前書きの日付を奇しくも皇紀二六六八年二月二十六日としたことが、尊皇で憂国の青年将校らのクーデターである二・二・六事件の日であり、
また、三島自身が彼ら青年将校の忠義・憂国の魂に強く引かれ、生涯で最も命輝ける時に妻と心中する同僚の討伐を命ぜられた青年将校の文学「憂国」を描いただけでなく、遺作となる豊饒の海シリーズの「奔馬」へ昇華させ、更に自らの思想の実践としての自衛隊市ヶ谷駐屯地での切腹自裁へと繋がったことと無縁に思えなかったからです。
本書の主たるメッセージを、「今の日本を良い方向に導くには、天皇神話に内包される精神性の大切さを理解し、祭(天皇の政)、政治(政治家とそれを支える官僚)、生活(市民)の場でそれぞれが私心を捨て(=大和ごころ)それぞれの使命を実践しなければいけない」と解釈しました。
佐藤さんの著書を未読の方は、一憂国の書として十分に読み応えがあると思います。
蛇足ですが、三島由紀夫氏について本書で佐藤さんが殆ど勉強していないと言及しつつも、思想はギリギリの所では命を賭ける必要があり、それを実践で示したところに重要性があると指摘したのが印象に残りました。
自身の思想的なものを過去著書の中で記してきた佐藤さんが本書の前書きの日付を奇しくも皇紀二六六八年二月二十六日としたことが、尊皇で憂国の青年将校らのクーデターである二・二・六事件の日であり、
また、三島自身が彼ら青年将校の忠義・憂国の魂に強く引かれ、生涯で最も命輝ける時に妻と心中する同僚の討伐を命ぜられた青年将校の文学「憂国」を描いただけでなく、遺作となる豊饒の海シリーズの「奔馬」へ昇華させ、更に自らの思想の実践としての自衛隊市ヶ谷駐屯地での切腹自裁へと繋がったことと無縁に思えなかったからです。
2008年7月26日に日本でレビュー済み
この国では良識ある国民に関わらずテレビ、ニュースをよく見てNHKを好み新聞をよく読むと自動的にサヨクになりその自覚はありません。
自分は比較的若い世代の人間なのですが私自身もサヨクでありその自覚がありませんでした(テレビも好きでしたし)
ネットを中心としてこの社会の虚構に気づき自分は実はあるべくしている自分でない、誰かに操作された思想を持ってしまっていたという事に気づきました
この本の意義はそのようなサヨク的思想と共にヨーロッパ的思想、近代主義的思考とほとんどの国民が信じて疑わない
「絶対的に正しいもの」として受け取っている言葉、考え方を根本的に洗いなおしてくれる書籍だと思います
この本を読んで僕は「絶対的に正しい思想」などないと思いました。
ならば自らはどこに立脚して思想を形成していくべきか?
というとやはり日本人なのだから「日本」に立脚して思想を形成していくべきだと思います
日本の長い歴史、または近過去の明治維新以降からでもその「縦の流れの中での自分、日本人」というものを想う場合に
戦後日本に蔓延した近代主義的なものの考え方に日本人として立脚して生きていく事の弱さを痛感いたします
故にそのような「勉強」としてこの本を使う場合にこの本中で紹介される文献、人物名、やその他キーワードとなる言葉を自ら傍らに記して
それらを基により深い日本独自の思想への探求へとつなげられる正しく「大和ごころ入門」となる非常に良い書籍だと思われます
自分は比較的若い世代の人間なのですが私自身もサヨクでありその自覚がありませんでした(テレビも好きでしたし)
ネットを中心としてこの社会の虚構に気づき自分は実はあるべくしている自分でない、誰かに操作された思想を持ってしまっていたという事に気づきました
この本の意義はそのようなサヨク的思想と共にヨーロッパ的思想、近代主義的思考とほとんどの国民が信じて疑わない
「絶対的に正しいもの」として受け取っている言葉、考え方を根本的に洗いなおしてくれる書籍だと思います
この本を読んで僕は「絶対的に正しい思想」などないと思いました。
ならば自らはどこに立脚して思想を形成していくべきか?
というとやはり日本人なのだから「日本」に立脚して思想を形成していくべきだと思います
日本の長い歴史、または近過去の明治維新以降からでもその「縦の流れの中での自分、日本人」というものを想う場合に
戦後日本に蔓延した近代主義的なものの考え方に日本人として立脚して生きていく事の弱さを痛感いたします
故にそのような「勉強」としてこの本を使う場合にこの本中で紹介される文献、人物名、やその他キーワードとなる言葉を自ら傍らに記して
それらを基により深い日本独自の思想への探求へとつなげられる正しく「大和ごころ入門」となる非常に良い書籍だと思われます
2008年4月12日に日本でレビュー済み
佐藤優氏の著書を初めて読むので、国家権力の現状、そしてそのあり方についてなかなか興味深い話が聞けました。また、考えていた以上に愛国者で、これほど絶対的な天皇崇拝者だとは驚かされました。
「保守」とは「目に見えないもの」「情緒」を大切にする心という考え方には同意しますし、その反対が唯物論的な「左翼」なんですよね。
だから、左翼に例えば「権威」としての「天皇」論を話しても、彼らには理解できっこないんです。
ただ、著者の「右翼」「保守」も「左翼」も手法が違うだけで、愛国的であることには変わりないというような理解には異論を挟みたくなりますし、「護憲派」=「本来は改憲して共和制を目指す人」にも違和感があります。
そうした部類もいるでしょうが、百歩譲って、ある意味では彼らは「良識派」の部類でしょう。大半は共産主義者の残滓か、単に「護憲派=平和主義者」と刷り込まれているだけのような気がします。
また、著者は改憲派にも9条&前文だけでなく、天皇に関する1〜8条の重要性に警鐘を鳴らします。
「日本国憲法」=「占領基本法」、「日本人は歴史を学び、日本人の価値観・視点から日本を立て直すべき」というような「保守」の基本理念にも全く同感でした。
「大和ごころ」に触れている面も多いし、それなりに楽しめましたが、「入門」という言葉に釣られる人がいるのかもしれませんね。
「保守」とは「目に見えないもの」「情緒」を大切にする心という考え方には同意しますし、その反対が唯物論的な「左翼」なんですよね。
だから、左翼に例えば「権威」としての「天皇」論を話しても、彼らには理解できっこないんです。
ただ、著者の「右翼」「保守」も「左翼」も手法が違うだけで、愛国的であることには変わりないというような理解には異論を挟みたくなりますし、「護憲派」=「本来は改憲して共和制を目指す人」にも違和感があります。
そうした部類もいるでしょうが、百歩譲って、ある意味では彼らは「良識派」の部類でしょう。大半は共産主義者の残滓か、単に「護憲派=平和主義者」と刷り込まれているだけのような気がします。
また、著者は改憲派にも9条&前文だけでなく、天皇に関する1〜8条の重要性に警鐘を鳴らします。
「日本国憲法」=「占領基本法」、「日本人は歴史を学び、日本人の価値観・視点から日本を立て直すべき」というような「保守」の基本理念にも全く同感でした。
「大和ごころ」に触れている面も多いし、それなりに楽しめましたが、「入門」という言葉に釣られる人がいるのかもしれませんね。