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エンジン・サマー (扶桑社ミステリー ク 22-1) 文庫 – 2008/11/1
- 本の長さ472ページ
- 言語日本語
- 出版社扶桑社
- 発売日2008/11/1
- ISBN-104594058019
- ISBN-13978-4594058012
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登録情報
- 出版社 : 扶桑社 (2008/11/1)
- 発売日 : 2008/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 472ページ
- ISBN-10 : 4594058019
- ISBN-13 : 978-4594058012
- Amazon 売れ筋ランキング: - 581,384位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
SF翻訳家、書評家、アンソロジスト。
1961年2月2日、高知県高知市生まれ。高知市立追手前小学校、土佐中・高等学校を経て、京都大学文学部文学研究科卒(英語アメリカ文学専攻)。
1986年、マリオン・ジマー・ブラッドリー『惑星救出計画』でSF翻訳者デビュー。訳書は、バリントン・J・ベイリー『時間衝突』『ロボットの魂』(以上、創元SF文庫)、P・K・ディック『ザップ・ガン』、コニー・ウィリス『ドゥームズデイ・ブック』『航路』など約100冊。共訳書に劉慈欣『三体』三部作、『円』『球状閃電』『超新星紀元』、『カート・ヴォネガット全短篇』全4巻(以上、早川書房)など。
編訳書に、シオドア・スタージョン『不思議のひと触れ』『輝く断片』(河出文庫)、コニー・ウィリス『最後のウィネベーゴ』(河出書房新社)、『マーブル・アーチの風』、(早川書房)など。
スタージョン「ニュースの時間です」、テッド・チャン「商人と錬金術師の門」、劉慈欣「流浪地球」(共訳)の翻訳により、第36回、第40回、第54回星雲賞海外短編部門を受賞。ベイリー『時間衝突』、劉慈欣『三体』『三体Ⅱ 黒暗森林』で星雲賞海外長編部門受賞。
〈小説奇想天外〉の翻訳SF時評「海外SF問題相談室」を皮切りに、各紙誌にコラム・書評を連載。〈本の雑誌〉新刊SF時評は1990年から(二度の中断をはさみ)継続中。
2004年3月に豊崎由美との共著『文学賞メッタ斬り!』を刊行。
2008年からアンソロジストとしても活動。創元SF文庫『年刊日本SF傑作選』(日下三蔵と共編)とその後継の『ベストSF』(竹書房文庫)、『不思議の扉』(角川文庫)の各シリーズや、『ゼロ年代日本SFベスト集成』全2巻、『時間SF傑作選 ここがウィネトカなら、きみはジュディ』などのSFアンソロジーを編纂。責任編集の河出文庫『NOVA 書き下ろし日本SFコレクション』全10巻で、第34回日本SF大賞特別賞、第45回星雲賞自由部門受賞。
著書に『20世紀SF1000』、『新編 SF翻訳講座』、『50代からのアイドル入門』、『現代SF観光局』など。
1995年4月に開設したウェブサイト(http://www.asahi-net.or.jp/~KX3M-AB/)の日記は、その一部が、『狂乱西葛西日記20世紀remix SF&ミステリ業界ワルモノ交遊録』にまとめられている。
ツイッターのアカウント(@nzm)は、http://twitter.com/nzm/
日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ、日本SF作家クラブ会員。「ゲンロン 大森望 SF創作講座」主任講師。
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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ある少女がある少年の物語を聞いている。と思いきやどうやらそれは今から遥かに未来の話らしい。
よくある「崩れ果てて遺跡になった現代文明の都市」の描写などは、ほうほう、そう来ましたか、と楽しく読めるのだが、この時代はいったいいつ頃なんだろう、ま、いいや、最後で判るだろう、と思ったらそこでメガトンパンチが来て呆然となった。
ネタバレ回避のためそれは秘しますが(笑)えええっ、ではこの物語の現実とはなんなんだろう、とか(今はやりのバーチャルリアリティ系とか異世界とか転生ではないので御安心ください。それより遥かに無慈悲で狂暴な設定でした)ではこの少女のいる現実とはどういう物なんだろうか、とここまで謎に満ちた世界を作り、そしてこれは書いてもネタバレにはならないと思って書きますが、その謎を明解にしないままで作品世界を終わらせる著者の折りたたまれた世界観の複雑怪奇さ、錯綜性に呆然としたまま読了しました。
作家が長編を書くのは人生でも限られた回数でしょう。何百回とあるとは思われません。それをここまで謎のまま完結させることができる著者の奇功の巧みさというか、あるいは世界への不信感というか、そうしたものに呆然としながら、それでもある種の違和感のもたらす感動という不思議な感覚を味わいました。
この物語が展開する「都市」は、どのような時代の、どのような状況のなかで、どのような形で存在しているのだろうか。
最後にそう思わせました。
いやあ、最後まで謎に驚かされっぱなし。本当に驚愕の物語でした。
なお、この存在を知ったのは1980年代のSFマガジンで、大森望さんが紹介していた2ページぐらいのコラムでした。その20年後、扶桑社文庫で出ていたので買って読みました。
読むまで20年がかかってしまいました。その後、大正時代と同じぐらいの時間が経過してから、ふと思い出して感想をこちらに。
存在を知ってから読み、感想を草すまで30年ぐらい経過しておりますのも、この物語に似た経過かもしれません。
それぐらい印象的な本でした・・・
彼の名前は<しゃべる灯心草>といい、リトル・ベレアという名の集落に生を受けた。
<しゃべる灯心草>の話には祖母や金棒曳きから伝え聞いた、一族が定住する前の流離いの時代と、彼らを率いていた聖人の逸話なども含まれ、一見機械文明とは無縁な世界の話なのか思いきや、古い時代の方が高度な文明が発達していたことが明らかとなっていく。
<しゃべる灯心草>の話は続き、交易商人の一団<ドクター・ブーツのリスト>につき従ってリトル・ベレアを出奔した幼馴染の少女<ワンス・ア・デイ>を追って、彼自身も故郷を後にして旅立つ。
遂には<ドクター・ブーツのリスト>のコミュニティと、そこで暮らす<ワンス・ア・デイ>を見つけ出した<しゃべる灯心草>だが、期待と異なり、彼女はリトル・ベレアに戻るつもりは無かった。
目的を失い、<ドクター・ブーツのリスト>と共に暮らすようになった<しゃべる灯心草>は、ある日彼らの秘密を知ることになるのだが・・・
読んでいる途中で文明崩壊後、幾世紀も経った後のアメリカが舞台であることが判るが、使い方を忘れ去られた文明の利器の幾つかは残っていて、全く異なった目的に使われていたりする。
映画「ブッシュマン」で、主人公は飛行機から投げ捨てられたコーラの瓶を神の落し物と信じ込む場面があるが、似たようなエピソードが幾つも出てきて、実のところタイトルそのものも間違いの産物となっている。
ただ、そのような間違いからは笑いが誘い出されるのではなく、ひたすらに哀しく感じられる。
<しゃべる灯心草>達のように、地上で暮らす人類の衰退も哀しいが、繁栄と栄華の時代を記憶に留めたまま天上の都市に避難した<天使>達もまた哀しい。
物語の結末が冒頭に結び付く循環構造を持っているものの、それも永遠に続くものではなく、緩やかに衰退していくことを予見さぜるを得ないため、更に悲哀感を醸し出すようだ。
そして文明崩壊後の人類を描きながら、人間の叡智の礼賛や愚かしさの糾弾といったありがちなヒロイズムはこの作家には一切ありません。
文明という情報の枷がなくなったとき、人間はどうやって世界についての物語をはじめるのか。人間がものを知るということ、経験を語るということ、想像の翼をのばすということはそもそもどういう心のもちようでなされるのか。
これらがごくごく自然な共感しやすいこととして描かれています。しかも美しい。名作たるゆえんでしょう。
訳者あとがきはちょっと偏った押し付けがましさがある気がするので、本書を読み終えるまでは読まないほうがよいと思います。
ひとつひとつの文章には熟成されるためのエッセンスの香りがたかく、丹念で繊細な数々のエピソードから構成される物語はゆっくりとした深い味わいをいつまでもたもつ美しい作品です。幼年時代への郷愁や、初恋のもどかしさに胸焦がれる思いなどの作品表層の甘くメロウな芳香だけではなく、語られる物語を背負うことの渋みと重みもしっかり組み込まれています。物語を語るということで再び生きなおされる時間があり、人間あるいは天使にとってすら、物語だけが自己を認識できる唯一のものなんだという世界が丁寧に構築されていきます。再生される物語により検証され続ける自己同一性と更新されていく世界像、それが失ったものを探していくことなのかもしれません。そういった深層に流れるテーマを、牧歌的で叙情的な美しいシーンとともに喚起させる本作はやはり不滅の耽溺系スタンダードだと思いました。
それに、ジョン・クロウリー特有の英語での「言葉遊び」を日本語に訳しなおした時には、
英語のダイナミズムが日本語では失われてしまうのは致し方ないでしょう。
けれども、訳には細心の工夫が払われていました。
特に「エンジン・サマー」という語の訳は綺麗だなぁと思いました。
題名も、訳語にしてしまった方が余程魅力的なのにと。
が、読んでいて、なんとなく「だらけた気分」になってしまったのは否定できません。
(ただし原作のせいなのか、翻訳のせいなのかは、原作を読んでないのでわかりません)
全体として凝った作品なので、色々気になり始めると、頭がパンクしそうになるんですね。
しかし、作品のテーマは美しいですよ。読んで損はしないと思います。
純粋にのめり込めなかったので、星は4つです
大森氏の解説は、色々とかゆいところに手が届いている感じです。
悪く言えばおせっかいかもしれないけれど、
これからジョン・クロウリー周辺を探索したい人にとっては、かなり有益な情報でした。
ジョン・クロウリーは、西洋ファンタジーを語る上で避けては通れないのでしょうが、
日本語の訳書が少ない上、訳すのは相当難しい作家だと思うので、
こういう良書があるのはありがたい話です。
どの断片をとっても詩的で美しい文章に導かれ、主人公と共に世界を理解する旅に出る。
そして明らかになる真実。読み終えた後、最初から読むと初読時とは違った姿が見えてくる。
翻訳、解説も上手く本作の魅力を伝えていると思う。原著や他の作品も読んでみたくなった。
猫好きにはたまらない、「夏への扉」に並ぶ猫小説でもある。