前作「オックスフォード連続殺人」で大好評を得たアルゼンチン文学の若き旗手マルティネスの3年振りの紹介となる待望久しい第2弾です。前作が名探偵の活躍する論理的本格ミステリーだったのに対して、本書は打って変わって曖昧模糊とした心理サスペンス・ミステリーと正反対の趣向で、著者の柔軟で幅広い作風の魅力に気づかせてくれます。後半に二人の作家の心理対決という見せ場がある本書を読んで、設定は全く違いますが英国古典ミステリーの名作、イーデン・フィルポッツ著「闇からの声」を思い出しました。
ある日作家の私は10年前に1ヶ月だけ仕事で関わりのあった有能な美貌のタイピスト、ルシアナから相談の電話を受ける。彼女はこの十年間に経験した自分の近親者達の相次ぐ不審な死の模様を語り、一連の死の背後には元の雇い主の大作家クロステルが関与しているという疑惑を、確信を持って述べるのだった。
本書の序盤を読んで心に思い浮かぶのは、巧妙に企まれた完全犯罪の殺人か?それとも偶然の事故が重なった運命の悪戯なのか?という二つの可能性を追う常識的な憶測ですが、中盤に入って更に大作家クロステルの口からもうひとつの驚くべき可能性が示唆され、その恐ろしくも衝撃的な内容に戦慄の念が込み上げて来ました。著者が巧みだなと思える点は最後に決定的な悲劇を用意していながら、それでも如何様にも想像が可能で何ひとつ確信を得られない仕掛けにしている所で、真相の解釈を読み手の感性に委ねる手法がとても斬新で秀逸だと思います。それにしても真実はどうであれ、クロステルのような悪党が堂々と栄え、真面目に生きるルシアナの側が不幸になって滅びてしまう不公平な世の中の在りようには強烈な理不尽さを感じます。そんな訳で本書の読後感は苦く暗澹たる物ではありますが、著者はこれからも普通のミステリーを読み飽きた読者に新鮮な驚きを届けてくれそうで、次作にも大いに期待が持てます。
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ルシアナ・Bの緩慢なる死 (扶桑社ミステリー マ 25-2) 文庫 – 2009/6/27
ギジェルモ・マルティネス
(著)
ダブルポイント 詳細
- 本の長さ292ページ
- 言語日本語
- 出版社扶桑社
- 発売日2009/6/27
- ISBN-104594059767
- ISBN-13978-4594059767
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登録情報
- 出版社 : 扶桑社 (2009/6/27)
- 発売日 : 2009/6/27
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 292ページ
- ISBN-10 : 4594059767
- ISBN-13 : 978-4594059767
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,351,847位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2009年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2009年7月22日に日本でレビュー済み
登場人物はとても少なくて、作家が二人とそれを口述筆記するタイピスト。
このタイピストが、ルシアナ・B。
プラス、そのタイピストの妹の4人です。
登場人物紹介には、あと三人書かれていますが、それぞれの作家やとタイピストとの会話の中で、語られるという趣向です。
この本は、でたばかりというのに、平積みにさえなっておらず棚にささっていました。
本に呼ばれたというほどのこともないのですが、手にとって、解説あとがきと読み、はじめと終わりを10ページずつナナメ読みして、キャッシャーへ。
ミステリを買うときの作法です。
このとき、つまらないなとかデジャブ感があったりすると、棚に戻します。
飛びっきりだなと感じたのは、罪悪感。
罪悪感の微笑。著者の罪悪感についての考え方。罪の意識に対価を求めること。その温度や濃厚なニオイ。
ひとは罪悪感にさいなまれるのを嫌います。そこで復讐や逆恨みといった手段で、気持ちの解決をはかります。正当化。
読んでいくと描かれていない、登場人物たちの背後が気になりだします。
たとえば、片方の作家の奥さんとか。
ただ一人ならどんな不思議なことでも、たとえば幻聴や幻視、もっといえば「おれ、ちょっと疲れたいたんだ」的に片づけられるけれど、いったん同じ経験を確認しあえば、その不思議には納得できる意味が必要になります。
こわいのは、辻褄を合わせて無理矢理納得しても、ほんとはそのおかしさに、気づくとき。
登場人物の言葉を借りれば、この物語は、ハッピーエンドだそうです。とてもそうとうはおもえません。
映画なら『マグノリア』『太陽がいっぱい』に、ピンときたヒトにオススメ。
小説なら、パトリシア・ハイスミス。って、『太陽がいっぱい』の原作者ですやん。
あらかじめインストールされている普遍的なものが嫌いだと、自分に対して思うとき、こういう小説を読んだり映画を見たりして、気持ちを落ち着かせるのだと思う。
うろ覚え引用↓。
“虚構は現実とリンクする”
僕的には、この小説と補い合ってしまいました。相互補完。
翻訳も読みやすくとGOOD!
このタイピストが、ルシアナ・B。
プラス、そのタイピストの妹の4人です。
登場人物紹介には、あと三人書かれていますが、それぞれの作家やとタイピストとの会話の中で、語られるという趣向です。
この本は、でたばかりというのに、平積みにさえなっておらず棚にささっていました。
本に呼ばれたというほどのこともないのですが、手にとって、解説あとがきと読み、はじめと終わりを10ページずつナナメ読みして、キャッシャーへ。
ミステリを買うときの作法です。
このとき、つまらないなとかデジャブ感があったりすると、棚に戻します。
飛びっきりだなと感じたのは、罪悪感。
罪悪感の微笑。著者の罪悪感についての考え方。罪の意識に対価を求めること。その温度や濃厚なニオイ。
ひとは罪悪感にさいなまれるのを嫌います。そこで復讐や逆恨みといった手段で、気持ちの解決をはかります。正当化。
読んでいくと描かれていない、登場人物たちの背後が気になりだします。
たとえば、片方の作家の奥さんとか。
ただ一人ならどんな不思議なことでも、たとえば幻聴や幻視、もっといえば「おれ、ちょっと疲れたいたんだ」的に片づけられるけれど、いったん同じ経験を確認しあえば、その不思議には納得できる意味が必要になります。
こわいのは、辻褄を合わせて無理矢理納得しても、ほんとはそのおかしさに、気づくとき。
登場人物の言葉を借りれば、この物語は、ハッピーエンドだそうです。とてもそうとうはおもえません。
映画なら『マグノリア』『太陽がいっぱい』に、ピンときたヒトにオススメ。
小説なら、パトリシア・ハイスミス。って、『太陽がいっぱい』の原作者ですやん。
あらかじめインストールされている普遍的なものが嫌いだと、自分に対して思うとき、こういう小説を読んだり映画を見たりして、気持ちを落ち着かせるのだと思う。
うろ覚え引用↓。
“虚構は現実とリンクする”
僕的には、この小説と補い合ってしまいました。相互補完。
翻訳も読みやすくとGOOD!
2009年8月8日に日本でレビュー済み
サスペンスといっても、読む人によって大きく評価が分かれる作品だと思います。
濃密な描写によって語られる物語世界は、かなり難解で、ただ与えられる情報を受け止めるだけですと、釈然としない結末を含めて、不満が残るだけでしょう。
例えば、○○は××であるとは明確に小説内で記述されず、登場人物AとB が同じことについて語るときの差異や、わずかな描写から、語られない事柄を推測することを求められています。
つまり、いわば積極的な「読み」を読者に要求する作品といえるでしょう。
そのような作品を求める読者には大うけでしょうが、肩のこらないエンターテイメント作品を気軽に楽しみたいと思って本を手にした人には合わないでしょう。
濃密な描写によって語られる物語世界は、かなり難解で、ただ与えられる情報を受け止めるだけですと、釈然としない結末を含めて、不満が残るだけでしょう。
例えば、○○は××であるとは明確に小説内で記述されず、登場人物AとB が同じことについて語るときの差異や、わずかな描写から、語られない事柄を推測することを求められています。
つまり、いわば積極的な「読み」を読者に要求する作品といえるでしょう。
そのような作品を求める読者には大うけでしょうが、肩のこらないエンターテイメント作品を気軽に楽しみたいと思って本を手にした人には合わないでしょう。