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談志 名跡問答 単行本 – 2012/4/3
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- 本の長さ431ページ
- 言語日本語
- 出版社扶桑社
- 発売日2012/4/3
- ISBN-104594065899
- ISBN-13978-4594065898
登録情報
- 出版社 : 扶桑社 (2012/4/3)
- 発売日 : 2012/4/3
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 431ページ
- ISBN-10 : 4594065899
- ISBN-13 : 978-4594065898
- Amazon 売れ筋ランキング: - 990,526位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 246,488位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年6月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
流石、談志師匠。公私ともに天才の域だったことが良く解ります。
2016年8月9日に日本でレビュー済み
2015年11月46号で休刊した、文芸誌『en-taxi』(扶桑社)に載ったものをメインに、『正論』(2012年2月号)の石原慎太郎による、『ユリイカ』(同)の福田和也による追悼記事を追加、まとめた1冊。
文楽、圓生、馬生、正蔵(彦六)、馬風、三木助、志ん生、小さん、可楽などについて語る、名跡問答編が目玉。
しかし、今、この面々の名前を言われ、すぐ顔が浮かぶ方々って、日本にどのくらいいるだろうか。
立川談志没後5ヶ月足らずで出した本だから、肖像権等の問題があったのかもしれないが、各人のフォトを1枚ずつは欲しかったところ。
1960年生まれの福田は、後追いながら、広範に渡る文献、DVD等(サンプル少なくないかも)で、よ~く勉強している。
1950年代のハリウッド映画を掘り返し観ていて、安藤鶴夫、興津要、正岡容といった、忘れ去られた人々の名前を知っているだけでも、談志の眼鏡に叶ったのだろうが、若い頃なら「しゃらくせぇ!」と怒鳴りそうなところ、気弱になり、話し相手が欲しくなったのか、タイミングが好かった。
談志は事あるごとに、弟子である志の輔、談春、志らくなどを持ちあげるが、各々期待以上に育ったかは疑問だし(他と比べればマシ)、他分野から自らの足跡をきっちり後世に遺してくれる拠り所にしたかった、と、視る。
P40、有名な話だが、文楽が「寄席というのは、三平みたいな化け物が出ないとダメ」(文楽は興行も考えたはず)と言ったのに対し、圓生がブルブル震えながら「あたしは古典をちゃんとやる人たちを見てますから」、と。
確かに戦中までの圓生はヘボだったらしく、関西出身という劣等感、志ん生への不義理や忘恩、他者への冷酷さなど、人間的にも問題があったようで、レパートリーの広さに挑戦する等、それらを克服する形で名人の域を目指した。
本書には書いていないが、ジャズの中村誠一が「圓生は”スタンハウス”」と指摘しているように、関西出身者が意識して江戸言葉を発するからか、語尾に独得のイントネーションがあり、それがスタイルになっていた。
P177、談志はNHKアナウンサーのアクセントにもの申すが、立川流昇進試験においても、執拗にアクセントに拘る映像が残っており、そのあたりが圓生をあまり好ましく思わなかった一因かも。
P287~、仁鶴はダメ、小三治もダメ、圓丈はセコくてもっとダメ、「こぶ平ってのも(中略)ありゃ低能だね」と、容赦無い。
談志も福田も、小朝をまったく認めていないのがやや意外。
小朝には女子大生を皮肉った新作で滅茶苦茶面白いネタがあったのだが、言われてみれば落語ではなく漫談でもいい訳で、落語は別な基準を必要とすることを再確認させられました。
落語以外の芸人、俳優、演出家への言及も、興味深い。
三谷幸喜に関して、舞台『マトリョーシカ』を気に入り、いくつか買って観たそうだが、「全部ダメ、いい作品と悪い作品の区別がつかない」と手厳しいのだけれど、『ラヂオの時間』と『ザ・マジックアワー』なんか談志好みのはずなのに、おかしいなあ、洩れたのか?
P242、「アノネ、おっさんわしゃかなわんよ」で有名な俳優の高勢實乘は登場するが、談志があれだけ買っていた牧伸二の名前が見当たらず、そこは、福田が突っ込むべきではなかったか。
P353、談志は、アメリカ人が女装を必要以上に面白がるのを不思議がっているが、それは、アメリカ開拓史以降、逞しい父親を家族全体の精神的な支柱とする「マッチョ指向の幻想」が関係していると思われる。
頻繁に出て来る談志流「イリュージョン(幻影、幻想、錯覚)」という語彙は、これもよく言う「落語は業の肯定」と密接に関係し、日常とグラディエーション的に繋がる非日常である落語(落語の8割はSFという説あり)、境界の向こう側の異次元である寄席という空間の存在を措いては語れない。
これから談志を研究したいという若い学生さんは、山口昌男の一連の著作や、『ハレとケの超民俗学』(高橋秀元+松岡正剛)なんかと併読してみてください。
福田が仲立ちの形で加わる石原との対談(P324~)は、石原が新党結成を画策していた頃で、エラク意気揚々としているのに対し、「自殺しないのが精一杯」(秋田の豪憲君殺害事件直後)と語るところが、痛ましい。
それに対し、石原は励ますつもりなのだろうが「ラジオ体操やってマラソンすりゃ治るよ」、と返し、亜然、茫然・・・・・・。
P329~、談志の弁で、自分の息子が与太郎で、三木のり平の倅(『夕刊タモリ!こちらデス』にも出ていた小林のり一? 育ちが良さそう、かつ、奥ゆかしく、まるでイワン・ゴンチャロフ著『オブローモフ』の主人公みたい)が若旦那という比喩がビッタシ、流石、人間洞察力が深い。
「俺が、俺が」という野心が無く、自然体で流れるように生きている様に「粋、いなせ」を感じるということだと思うが、石原は「そんなものは穀潰しだ」と一喝、この人、どこまでも強者の論理で突き進みたいのだろう。
最後に、本書にはないが、上記と関係するので、某ラジオ番組で偶然耳にした、たこ八郎(斉藤清六)インタヴューから。
「昔はどの村にも、ぼや~とした人が一人くらいいた。甲斐性無しとか役立たずとか言われるけど、実はそういう人が一番重要な役割を果たしていて、自分はそういう役をやっていきたい」、と。
文楽、圓生、馬生、正蔵(彦六)、馬風、三木助、志ん生、小さん、可楽などについて語る、名跡問答編が目玉。
しかし、今、この面々の名前を言われ、すぐ顔が浮かぶ方々って、日本にどのくらいいるだろうか。
立川談志没後5ヶ月足らずで出した本だから、肖像権等の問題があったのかもしれないが、各人のフォトを1枚ずつは欲しかったところ。
1960年生まれの福田は、後追いながら、広範に渡る文献、DVD等(サンプル少なくないかも)で、よ~く勉強している。
1950年代のハリウッド映画を掘り返し観ていて、安藤鶴夫、興津要、正岡容といった、忘れ去られた人々の名前を知っているだけでも、談志の眼鏡に叶ったのだろうが、若い頃なら「しゃらくせぇ!」と怒鳴りそうなところ、気弱になり、話し相手が欲しくなったのか、タイミングが好かった。
談志は事あるごとに、弟子である志の輔、談春、志らくなどを持ちあげるが、各々期待以上に育ったかは疑問だし(他と比べればマシ)、他分野から自らの足跡をきっちり後世に遺してくれる拠り所にしたかった、と、視る。
P40、有名な話だが、文楽が「寄席というのは、三平みたいな化け物が出ないとダメ」(文楽は興行も考えたはず)と言ったのに対し、圓生がブルブル震えながら「あたしは古典をちゃんとやる人たちを見てますから」、と。
確かに戦中までの圓生はヘボだったらしく、関西出身という劣等感、志ん生への不義理や忘恩、他者への冷酷さなど、人間的にも問題があったようで、レパートリーの広さに挑戦する等、それらを克服する形で名人の域を目指した。
本書には書いていないが、ジャズの中村誠一が「圓生は”スタンハウス”」と指摘しているように、関西出身者が意識して江戸言葉を発するからか、語尾に独得のイントネーションがあり、それがスタイルになっていた。
P177、談志はNHKアナウンサーのアクセントにもの申すが、立川流昇進試験においても、執拗にアクセントに拘る映像が残っており、そのあたりが圓生をあまり好ましく思わなかった一因かも。
P287~、仁鶴はダメ、小三治もダメ、圓丈はセコくてもっとダメ、「こぶ平ってのも(中略)ありゃ低能だね」と、容赦無い。
談志も福田も、小朝をまったく認めていないのがやや意外。
小朝には女子大生を皮肉った新作で滅茶苦茶面白いネタがあったのだが、言われてみれば落語ではなく漫談でもいい訳で、落語は別な基準を必要とすることを再確認させられました。
落語以外の芸人、俳優、演出家への言及も、興味深い。
三谷幸喜に関して、舞台『マトリョーシカ』を気に入り、いくつか買って観たそうだが、「全部ダメ、いい作品と悪い作品の区別がつかない」と手厳しいのだけれど、『ラヂオの時間』と『ザ・マジックアワー』なんか談志好みのはずなのに、おかしいなあ、洩れたのか?
P242、「アノネ、おっさんわしゃかなわんよ」で有名な俳優の高勢實乘は登場するが、談志があれだけ買っていた牧伸二の名前が見当たらず、そこは、福田が突っ込むべきではなかったか。
P353、談志は、アメリカ人が女装を必要以上に面白がるのを不思議がっているが、それは、アメリカ開拓史以降、逞しい父親を家族全体の精神的な支柱とする「マッチョ指向の幻想」が関係していると思われる。
頻繁に出て来る談志流「イリュージョン(幻影、幻想、錯覚)」という語彙は、これもよく言う「落語は業の肯定」と密接に関係し、日常とグラディエーション的に繋がる非日常である落語(落語の8割はSFという説あり)、境界の向こう側の異次元である寄席という空間の存在を措いては語れない。
これから談志を研究したいという若い学生さんは、山口昌男の一連の著作や、『ハレとケの超民俗学』(高橋秀元+松岡正剛)なんかと併読してみてください。
福田が仲立ちの形で加わる石原との対談(P324~)は、石原が新党結成を画策していた頃で、エラク意気揚々としているのに対し、「自殺しないのが精一杯」(秋田の豪憲君殺害事件直後)と語るところが、痛ましい。
それに対し、石原は励ますつもりなのだろうが「ラジオ体操やってマラソンすりゃ治るよ」、と返し、亜然、茫然・・・・・・。
P329~、談志の弁で、自分の息子が与太郎で、三木のり平の倅(『夕刊タモリ!こちらデス』にも出ていた小林のり一? 育ちが良さそう、かつ、奥ゆかしく、まるでイワン・ゴンチャロフ著『オブローモフ』の主人公みたい)が若旦那という比喩がビッタシ、流石、人間洞察力が深い。
「俺が、俺が」という野心が無く、自然体で流れるように生きている様に「粋、いなせ」を感じるということだと思うが、石原は「そんなものは穀潰しだ」と一喝、この人、どこまでも強者の論理で突き進みたいのだろう。
最後に、本書にはないが、上記と関係するので、某ラジオ番組で偶然耳にした、たこ八郎(斉藤清六)インタヴューから。
「昔はどの村にも、ぼや~とした人が一人くらいいた。甲斐性無しとか役立たずとか言われるけど、実はそういう人が一番重要な役割を果たしていて、自分はそういう役をやっていきたい」、と。
2012年4月4日に日本でレビュー済み
大変面白い書籍となっております。ただ、連載を読まれていた方には、「サービス」不足かもしれません。
1点興醒めだったのが、「左卜全」に「ひだちとぜん」とルビが振ってあった箇所。家元の発言内だったので、敢えて家元がその様に発音した可能性も無くはないでしょうが、その場合は脚注等が必要でしょう。
植木等さんのご葬儀の際、新聞紙上での芸能仲間のコメントで植木さんを「植木やん」「植木ヤン」と呼んでいるものが多数見られ、おそらく芸能部のデスククラスが植木さんのニックネーム「植木屋」を知らない世代となったのだなあ、との感慨を感じたことがありますが、それに似た寂しさを感じました。
家元の発言内ですし、是非再販に持ち込んで訂正版の出版にこぎつけたいので、初版本の購入をどうぞよろしく!!
1点興醒めだったのが、「左卜全」に「ひだちとぜん」とルビが振ってあった箇所。家元の発言内だったので、敢えて家元がその様に発音した可能性も無くはないでしょうが、その場合は脚注等が必要でしょう。
植木等さんのご葬儀の際、新聞紙上での芸能仲間のコメントで植木さんを「植木やん」「植木ヤン」と呼んでいるものが多数見られ、おそらく芸能部のデスククラスが植木さんのニックネーム「植木屋」を知らない世代となったのだなあ、との感慨を感じたことがありますが、それに似た寂しさを感じました。
家元の発言内ですし、是非再販に持ち込んで訂正版の出版にこぎつけたいので、初版本の購入をどうぞよろしく!!