池田晶子時事エッセイの第二弾です。
といっても、述べられていることは同じです。偉大な思想家に顕著な特徴です。著者が興味を示す時事ネタも、限られているといえましょう。新聞などを読まないというのも、偉大な思想家の特徴のひとつです。
恐らく、新聞や週刊誌の読み方、テレビの見方というのは、様々なのだと思います。多くの人々が、毎日、新聞に目を通し、部屋ではいつもテレビがついているというのは日常的な風景かもしれません。人々は、外の世界で起こっていることに興味があるようです。しかしどんな欲求を充たすために、外の世界に眼を向けているのか。
どうせ大した欲求ではないだろう、と池田さんは諭しているように思われます。
彼女は「意見」というものも嫌いました。つまり、時事に対する多くの人々のコメントです。いわば、井戸端会議のおしゃべりを嫌いました。どうせ考え抜かれていない無価値な言葉だろう、と。
多分、その通りなのです。その証拠に、わたしたちは大抵、1週間前に読んだ記事、事件、その時の自分の反応を覚えていない。そんなことに価値があると思うほうが思い上がりだ。毎日、新聞を読み、テレビを自然とつける人々は、ただ孤独で淋しいからそうしているのでないと、誰がいえるだろう。本人がそう思っていなくとも、底にある欲求とは、そんなものなのかも知れない。そうしたわたしたちは、まったくメディアから隔絶された場所に何年も住むことになったら、動揺するだろう。しかし、池田さんは違うだろう。寂しさなど微塵も感じず、退屈を覚えず、泰然自若としているだろう。そう思う。
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考える日々〈2〉 単行本 – 1999/12/1
池田 晶子
(著)
- 本の長さ261ページ
- 言語日本語
- 出版社毎日新聞出版
- 発売日1999/12/1
- ISBN-104620314137
- ISBN-13978-4620314136
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
いったい何が悲しうてわれわれは、この惑星の、この人生にしがみついているのだろうか。われわれはいったい「何を」欲して、「何を」しているのだろうか…。『サンデー毎日』連載中の、「形而上時評」の単行本化。
登録情報
- 出版社 : 毎日新聞出版 (1999/12/1)
- 発売日 : 1999/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 261ページ
- ISBN-10 : 4620314137
- ISBN-13 : 978-4620314136
- Amazon 売れ筋ランキング: - 409,787位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 885位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 3,286位哲学 (本)
- - 3,626位思想
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960年(昭和35年)8月21日、東京生まれ。1983年(昭和58年)3月、慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻を卒業。文筆家と自称する。池田某とも。「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。2007年(平成19年)2月23日死去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『事象そのものへ!』(ISBN-10:4901510789)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年2月19日に日本でレビュー済み
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2015年8月27日に日本でレビュー済み
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考えること、想像力、言葉の大切さ等いつもながらの視点で切れ味の
いい文章が心に響く、孤独について言及してるところでは「孤独が充実
しているからこそ言葉も充溢してくるわけで空虚な言葉でつながって果
たしてつながったことになるのかと疑う」という言葉は孤独こそ考える力
を与えるという独自の価値観に共感を覚える。
いい文章が心に響く、孤独について言及してるところでは「孤独が充実
しているからこそ言葉も充溢してくるわけで空虚な言葉でつながって果
たしてつながったことになるのかと疑う」という言葉は孤独こそ考える力
を与えるという独自の価値観に共感を覚える。
2024年2月15日に日本でレビュー済み
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コンディション:良い の商品でしたが、そして確かに全体的には悪くないのですが、赤いボールペンで傍線、書き込みが随所にあり読書の邪魔です。
値段を考えれば仕方ないのかも知れないと諦めましたが、これを良いコンディションと評価するのなら、せめて書き込みがある旨を明記して頂きたかったです。
値段を考えれば仕方ないのかも知れないと諦めましたが、これを良いコンディションと評価するのなら、せめて書き込みがある旨を明記して頂きたかったです。
2010年7月10日に日本でレビュー済み
「考える日々I」に続けて本書を読んだところだ。
相変わらずの快刀乱麻。もっと言うと、まことに放言集と言って良い。但し著者に「放言ではないですか」と言ってみよう。きっと「放言以外に人間は何を語れるというのですか」と切り返されるだけだ。それでおしまいなのだと思う。「ああ言えば、こう言う」という表現は悪口だ。しかし著者の場合には、それが確信犯であるから、爽快感がある。
著者が考えた事のかなりの部分が「死」である。本書においても、「死」に対する発言は多い。これは前作でも同じだったところを見ると、著者は本当に、毎日死を想っていたということなのだろう。
想い過ぎたせいか、著者は四十六歳という若さで亡くなってしまった。但し、それまで死を想うことに掛けた時間は、天寿を全うする方とも比較にならないくらい有ったのかもしれない。
勿論、若い内に考える「死」というものが、どんな現実感があったのかは分からない。しかし そもそもどんな年齢のどんな方なら死というものを、現実感をもって想うことが出来るのか。それも分からないではないか。
であるなら、著者は既に十分すぎるほどの永きに渡り、死を想い、そうしてこの世を去ったのかもしれない。そんな著者の死を「老衰」と言ったならば、池田晶子という方は破顔一笑してくれるかもしれない。
相変わらずの快刀乱麻。もっと言うと、まことに放言集と言って良い。但し著者に「放言ではないですか」と言ってみよう。きっと「放言以外に人間は何を語れるというのですか」と切り返されるだけだ。それでおしまいなのだと思う。「ああ言えば、こう言う」という表現は悪口だ。しかし著者の場合には、それが確信犯であるから、爽快感がある。
著者が考えた事のかなりの部分が「死」である。本書においても、「死」に対する発言は多い。これは前作でも同じだったところを見ると、著者は本当に、毎日死を想っていたということなのだろう。
想い過ぎたせいか、著者は四十六歳という若さで亡くなってしまった。但し、それまで死を想うことに掛けた時間は、天寿を全うする方とも比較にならないくらい有ったのかもしれない。
勿論、若い内に考える「死」というものが、どんな現実感があったのかは分からない。しかし そもそもどんな年齢のどんな方なら死というものを、現実感をもって想うことが出来るのか。それも分からないではないか。
であるなら、著者は既に十分すぎるほどの永きに渡り、死を想い、そうしてこの世を去ったのかもしれない。そんな著者の死を「老衰」と言ったならば、池田晶子という方は破顔一笑してくれるかもしれない。
2005年1月3日に日本でレビュー済み
日々、「存在」について考える池田晶子女史の連載コラム1999年版です。大前研一氏が提案する問題解決型の思考法とは目指す方向が違いますが、「存在とは何か」という命題を突き詰めていく筋道だった思考、問題の核心を鷲掴みにする指摘を文章から辿ると非常に勉強になります。いくつか抜粋しましょう。
・「生存するために、なんらかの思想や情報を繰り返して教え込むことを、普通には「教育」とよぶ。「教育」は明らかに「洗脳」の一形態である(P. 23)」…もっともです。だから、大人は公教育の場で子供に何を教え込むのか、を議論するのでしょう。もっとも、そこで教え込まれるのは社会の最大公約数的な決まり事に過ぎませんが…。
・「「われわれはこうである」ということと、「私はこうである」ということとは、全く別のことではないか(P. 28)」…「○○世代」と自ら名乗ることの不可解さについて述べているのですが、同感です。よく知る特定の相手の気持ちを代弁するならまだしも、同世代というだけで赤の他人の気持ちを一括りにできるという感覚には確かに疑問があります。
・「人生と存在の意味と無意味は、若いうちにうんと考えておいたほうがいい。「生きる力」というのは、言葉を換えれば、「腹の括り方」みたいなもんだからである(P. 104)」…大学時代のように自由な時間の中で、「これで食っていく」という将来の方向性を決められる人間は偉いですね。皆、就職活動の時期が来てから雰囲気に流されて、どこかの会社に引っかかる訳ですから。多くの選択肢の中から一つに腹を括るというのは偉大です。
・「「なぜ生きているのか」という問いには、「生まれたからだ」という答えが最も正確なのである(P. 39)」…途中経過としてあれこれ理由をこじつけますが、死ぬ瞬間まで決まらないでしょう。
「問題を考える」ということについて首肯する指摘が多数ある良書です。
・「生存するために、なんらかの思想や情報を繰り返して教え込むことを、普通には「教育」とよぶ。「教育」は明らかに「洗脳」の一形態である(P. 23)」…もっともです。だから、大人は公教育の場で子供に何を教え込むのか、を議論するのでしょう。もっとも、そこで教え込まれるのは社会の最大公約数的な決まり事に過ぎませんが…。
・「「われわれはこうである」ということと、「私はこうである」ということとは、全く別のことではないか(P. 28)」…「○○世代」と自ら名乗ることの不可解さについて述べているのですが、同感です。よく知る特定の相手の気持ちを代弁するならまだしも、同世代というだけで赤の他人の気持ちを一括りにできるという感覚には確かに疑問があります。
・「人生と存在の意味と無意味は、若いうちにうんと考えておいたほうがいい。「生きる力」というのは、言葉を換えれば、「腹の括り方」みたいなもんだからである(P. 104)」…大学時代のように自由な時間の中で、「これで食っていく」という将来の方向性を決められる人間は偉いですね。皆、就職活動の時期が来てから雰囲気に流されて、どこかの会社に引っかかる訳ですから。多くの選択肢の中から一つに腹を括るというのは偉大です。
・「「なぜ生きているのか」という問いには、「生まれたからだ」という答えが最も正確なのである(P. 39)」…途中経過としてあれこれ理由をこじつけますが、死ぬ瞬間まで決まらないでしょう。
「問題を考える」ということについて首肯する指摘が多数ある良書です。
2000年12月23日に日本でレビュー済み
鶴見俊輔氏の発言で思想をもって生きることは受動的知性にしかできない。生産的知性(お金を稼ぐという意味で)には難しいというのがあったのを憶えている。著者は幼いときに食べていける幸福よりのたれ死ぬ自由のほうがまし、と思っていたとのこと。やっぱりと納得してしまう。ここでいう受動的知性というのは活動的でないという意味ではまるでない。
哲学とは言葉で考えるものでもないし、教養のように知識でもない..とは著者の弁だが、この本を読むとそれがよくわかる。そして私はというと「なるほど」と納得したりするが、読んで消費しているだけで自分で考えたりしていない。多くの人にとってそうなのだと思う。ただ記憶のどこかにあればあるテーマについて考える契機が増えている自分に気づける。そこから先を考えるには生産から遠ざかる時間も動機も必要。池田晶子入門本。
哲学とは言葉で考えるものでもないし、教養のように知識でもない..とは著者の弁だが、この本を読むとそれがよくわかる。そして私はというと「なるほど」と納得したりするが、読んで消費しているだけで自分で考えたりしていない。多くの人にとってそうなのだと思う。ただ記憶のどこかにあればあるテーマについて考える契機が増えている自分に気づける。そこから先を考えるには生産から遠ざかる時間も動機も必要。池田晶子入門本。
2001年6月25日に日本でレビュー済み
「考えること」がとにかく著者はお好きなようだ。 どの著作をみてもそれはわかる。
インターネットから脳死、少年犯罪など社会の多様な事象について思索(?)が巡らされるが、もってまわった(韜晦な、という意味でもなく、不必要に言葉が多い)表現をこそぎ落として主張を丸裸にしてみれば、さして新しい視点が提供されているわけでもなく、特記すべきこともない。基本的に「この私が存在して考えている」ということを軸にして、結局そこに帰着するだけのこと。思索が何かを生み出すわけでも、まして何かの行動論をつながるようなものもない。著者の思索日記につきあわされるのは、思索という名前の時間つぶしがお好きな方を除けば、はっきり言って時間の浪費でしょう。
インターネットから脳死、少年犯罪など社会の多様な事象について思索(?)が巡らされるが、もってまわった(韜晦な、という意味でもなく、不必要に言葉が多い)表現をこそぎ落として主張を丸裸にしてみれば、さして新しい視点が提供されているわけでもなく、特記すべきこともない。基本的に「この私が存在して考えている」ということを軸にして、結局そこに帰着するだけのこと。思索が何かを生み出すわけでも、まして何かの行動論をつながるようなものもない。著者の思索日記につきあわされるのは、思索という名前の時間つぶしがお好きな方を除けば、はっきり言って時間の浪費でしょう。