中古品:
¥2,154 税込
無料配送5月28日 火曜日にお届け
詳細を見る
または 最も早い配送 本日中にお届け(1 時間 8 分以内にご注文の場合)
詳細を見る
中古商品: 良い | 詳細
発売元 take book
コンディション: 中古商品: 良い
コメント: 帯、カバーに多少のスレキズありますが状態は概ね良好です。
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。

二十世紀 単行本 – 2001/1/1

4.1 5つ星のうち4.1 9個の評価

商品の説明

商品説明

1年1コラム、4ページ。1900年から2000年まで、本文だけで404ページを要した20世紀の総括。時代と社会に関する当事者意識に満ちた本文に加え、巻頭には、約40ページに及ぶ総論「二十世紀とはなんだったのか」が付されている。

記述は、実感に満ちたきわめて「橋本的」なもの。編年体の構成をとって語られた歴史事象の膨大さや、著者の歴史知識の幅広さにまず驚かされるが、読むうちに強く印象に残るのは、「客観性」という制度化したバイアスをくぐった「史実」に飽き足らず、そこに自分の体験を対峙させていく著者の執拗な手つきである。体温の残る場所から「歴史」を丸ごと語り直そうとする、このある意味で無謀な試みにこそ、本書の真骨頂があるのだと感じる。

「橋本式紀伝体」といってもいいようなこの方法は、50年代以降の記述に至って特に輝きを増す。たとえばプロレスや東京オリンピックを見たときというような、著者の個別の述懐をたどるうちに、個人の記憶が生々しく舞い戻り、それがやがて同時代体験という共同性に浄化するのである。

この体験は、著者とのオピニオンの共有を強制などしない。ただ、自分もまた時代の当事者であるという基本的な認識に我々を導くだけである。「強制」ではなく「共生」を喚起してよしとするこのすぐれて個人的な精神こそ、20世紀が看過して顧みなかったものなのではないだろうか。(今野哲男)

内容(「MARC」データベースより)

ヘンな100年だった。「こんな日本」になってしまったすべてのいきさつを、正しく知りたい。20世紀を1年ずつ、100年分のコラムで大総括。毎日新聞社「シリーズ20世紀の記憶」各巻に掲載されたコラムをまとめる。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 毎日新聞出版 (2001/1/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/1/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 451ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 462031496X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4620314969
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 9個の評価

著者について

著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
橋本 治
Brief content visible, double tap to read full content.
Full content visible, double tap to read brief content.

1948年東京生まれ。東京大学在学中に駒場祭のポスターで話題を集めるが、イラストレーターから小説家に転身。小説・評論・戯曲・古典の現代語訳・エッ セイ・芝居の演出など、ジャンルにとらわれず精力的に活動。『双調平家物語』で第62回毎日出版文化賞を受けるなど受賞歴多数。小林秀雄賞選考委員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 桃尻娘 (ISBN-13: 978-4591117552 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
9グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2022年2月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文庫版も出ていますが,書籍とは装幀も含めて書籍。451頁という厚さながら軽装本の佇まいが いかにも 橋本治 です。
事故で焼失してしまって探していましたが 良好な状態で入手でき喜んでおります。
2024年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本の天、小口が汚れており、汚れていないものと交換を要請する。斉藤全彦拝
2006年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本はいろいろな読み方ができます。

1.二十世紀の主な「出来事」を知りたい

2.二十世紀の主な出来事の起きた「年」を知りたい

3.自分の生まれた年の歴史上の「意味」を知りたい・考えたい(解釈はもちろん橋本流なので、それを踏まえた上で)

4.生まれた年だけでなく、「自分の生きてきた時代の意味」を知りたい・考えたい

5.二十世紀が何者かを理解して、二十一世紀を考えたい

6.1945年以前を、「戦前・戦中」以外の文脈で知りたい

以上のどれか一つでもピンと来たら、購入をお勧めします。手元に置いておくと役に立ちます。特に、6に反応した方、あるいは、日本の現代は何でもかんでも「戦前」と「戦後」で語られてしまうことが多いことに違和感を持っている方にお薦めです。1920年〜1940年を「戦前」で括るのは、あまりにも愚かなことがわかります。また1970年生まれの私は、本書を読んで、1989年(平成元年)の持つ意味を改めて考えさせられました。

この本を読み込むと、ある年と他の年を比較しながら読むことが多々出てきます。文庫版ではなく、こちらの単行本の方が、その意味でお買い得です。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
橋本氏の著作はこれまでほとんど読んでなかったんですが、まず「『分からない』という方法」を読んで、私の考えていることと同じようなことを考えておられることを知り心強く思い、また、養老孟司氏の著作で強調されていることと通じるところをあり、もの凄く面白く読みました。最近読んだ哲学関係の本のいずれよりも「哲学的」であると思いました。
この「二十世紀」も、橋本氏の経験、および思考で読まれた(考えられた)真の「歴史書」の一つであると思います。これまで私が読んできた「歴史」関係の著作の中で感動を覚えた数少ない本の一つです。カーの「歴史とは何か」、野田宣雄先生の著作、と同じくらい感動しました。
野田先生が言われている「歴史の危機」に通じるところもあると思った次第です。野田宣雄氏、養老孟司氏、橋本氏と、「歴史」を真剣に考えておられる方が日本にもおられることを知り、少し安心しました。くだらない「歴史教科書論争」の本などを読まれている方に是非読んで欲しい本の一冊です。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年8月14日に日本でレビュー済み
たいていの歴史の本は「事実」と「雑学」しか書いていません
しかしこの本にはその「事件の意味」がきちんと書いてあります
「ああ、そうか、歴史で習ったこの事はこういう意味だったのか」という感想です
20世紀の100年がどのように流れていったのかがわかります。冒頭の「総論・20世紀はなんだったのか」も素晴らしい。
この本は何日かに分けて読まず、まとまった時間を作って1日で一気に読んだ方がいいと思います
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年12月11日に日本でレビュー済み
 著者は、二十世紀の戦争も、世紀末日本の少年犯罪も、あるいは日本の政治問題なども、けりをつけるべきところでけりをつけられなかったからだと言う。
 第一次大戦も第二次大戦も、十九世紀的な政治の名残だと。
 それを言うなら日本の十五年戦争も、いかに終わらせるかを真面目に考えないで「国民政府を対手とせず」なんて言ってしまうからまずかったということでもある。
 日本人は特に、ずるずると楽観してしまう性質があるのかもしれない。
 この本はそんな風に、歴史的事件を紹介するだけではなく、どういう考えを著者は持つかということを語る。
 それほど知られざる事件が出てくるわけではないが、著者の政治経済文化などに関する造詣の深さが窺える。
 これこれこういう事件に対して、いったいどういう見方ができるか、どういう予測ができるかということを教えてくれる。
 とくに日本が戦後精神的自立を欠き、それがためにアメリカとの関係を巡って議論が空回りするというところは面白かった。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2001年3月20日に日本でレビュー済み
歴史教科書の記述をめぐってまたもや「過去の亡霊」が跋扈する昨今、この本は近代に対する正しい認識を与えてくれる。
自国の立場に拘泥せず、過剰な正当化や被害者意識を排して歴史を語るのは本当に難しい。誰も自分の国を「醜い」とは思いたくないし、また、たとえ明らかによその国の方に非があると思える場合でも、その国の国民感情を無視してただ非難するというわけにはいかない。
世界はそんなにも美しくはなく、あるのは正義よりも欲ばかりだ。しかしだからこそ私たちは知らなければならない。そして考えなければならない。戦争と繁栄の「二十世紀」が、たいしたものではなかったということを。そうでなければ、「二十世紀」が「二十一世紀」になっても、何も変わりはしないのだ。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年5月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
“二十世紀”を総括した本や雑誌は今や色々と出ているのかも知れない。しかし、“二十世紀を一年ずつ、百年分のコラムで大総括”した本をたったひとりで、しかも2001年早々に上梓したひとなんてこのひとだけだろう。
この本が出たときは、今すぐに買って読まなければならないという強迫観念にかられてしまったのを憶えている。まるで新聞のように今日読まなければ明日読んでも意味はない、とでも思ったのか、告知を見てすぐに本屋に走った(文字どおり走ったわけではないけれど)。もちろん、“書下ろし”ではないけれど、そんなことを依頼する方もスゴイが、それを受託する方はもっとスゴイ。しかもその依頼を、橋本は<そんなに個人的なことをやってもいいのだろうか>と思ったという。この特異な発想こそ橋本治なんだが、それが、帯の惹句“あなたと歴史が、本書ここでつながる!”にダイレクトにつながっているゆえんだろう。
これは帯の背にある惹句“手に取るようにわかる正しい現代史”と一見矛盾するようだが、然(さ)にあらず。これも橋本自身が書いてることだが、<この本に「二十世紀の中にいた橋本治」というものはほとんど登場し>ないのだ。そして、この相矛盾するような事態を一挙に解いてしまうのが、これも帯にある<“こんな日本”になってしまった、すべてのいきさつを、正しく知りたい>という思いから本書は書かれたということだろう。さらに、帯の裏側の「本文より」を読んでしまえば、本書の意図するところは痛いほどわかってしまうのだ。何と親切な本であることだろう。そして、橋本治が書き終わって感じたことをひとことで言い表したのが、帯中のもっとも大きな活字で書かれた“へんな百年だった”のであろう。
これは、もちろん読者に強要するものではない。著者はこう感じたというに過ぎない。さあ、あなたもこの機会に(二十一世紀のはじまりにあたって)二十世紀というものを改めてふりかえってみませんか?というような趣旨なんだろう。いや、別に“この機会”はいつだっていいんだと思う。それに、ふりかえり方はそのひとしだいのはずだ。当方は、これといっしょに、松岡正剛がひとりで書いた雑誌「遊」の10号[存在と精神の系譜]下(1977年5月発行)と、54人の専門家が分担執筆した雑誌「現代思想」の1978年9月発行[臨時増刊総特集]“現代思想の109人”を併読した。前者は、ロートル(老頭児)となった当方にはデザイン的な文字組が非常に難読なものとなってしまったものの、若き30代の松岡氏による溌剌とした言語飛沫をいまも浴びることができる清新なエッセイとして出色なものだし、後者は、執筆者によってまちまちではあるものの、これだけ通覧できるものを編集した三浦雅士の気概もうるわしいものがあると感じた。
そして、この3つの著作に通底しているものが、個人と世界を地続きにみようとする精神だろうか。すべて“他人事”ではない、といったらいいのか。すべては関係し合っている、といったらいいのか。もちろん、“現代思想の109人”には“若い人たちに役立つような手引き”としての役割も担わされているので、<教養としての思想史>としての意味合いも含有されているのだろうが、それだけでは終わらせたくない執筆者の奮闘ぶりが滲んでいるものに感銘を受けた。ひとそれぞれ読み方はあるだろうが、当方はそうやって読むことで本書をいっそう面白く読めたように思う。
言わずもがなのことを最期に書いておくと、二十世紀が大したものではなかった、なんてこの本のどこにも書いてはいない。そんな大それたことを橋本治が書くはずもない。それだけは誤解しない方がいいだろう。人類史がたとえ愚かだとしても、それは著者も読者も含めた歴史であるのだから。他人事ではないのだから、そんなどこにも属さない視座など無効でしかないはずだ。