オリンピック作戦とは、第二次世界大戦中アメリカ軍が計画していた、南九州上陸/侵攻作戦のことをいう。
これは45年11月1日に上陸開始が予定されていたため、戦争終結が3ヶ月以上伸びていたら実際に起こっていた可能性があった。
本書は、もしそれが実際に起こっていたらどのような凄惨な状況が生まれていたかを、
いくつかの資料と戦場となっていたであろう場所への訪問からの想像によって描いている。
基本的には二つに議論が分かれていて、一つ目はアメリカ軍がどのような作戦を立案していたのかというもの。
これは、本書も何度も引用しているように、トーマス・アレン他『日本殲滅(邦訳です)』に大部分依拠している。
なので、より詳細な議論はそっちを参照したほうが早い。ページ数も分量もぎっしりであるが。
もう一つの観点は、日本軍がそれに対してどのような準備をしていたのか、そしてどのような軍事行動が行われていたかの予測である。
その中で著者が焦点を当てるのが、実際に沖縄戦等で実戦投入され、本土決戦に際しても準備されていた特攻作戦である。
微に入り細を穿つような歴史/軍事史的な記述ではなく、それが「一体なんであったのか」という「特攻論」をそこで展開している。
著者のスタンスは、次のようなものだ。引用する。
---
わたしの立場は、特攻隊員を英雄視してはならない、もとより犬死とみてもいけない、涙で語ってもいけない、彼らの心中に宿ったであろう、
自らの時代への怨嗟を汲み取るべきであり、こうした十死零生の作戦を強いた当時の軍指導者に厳しい批判をもつべきだという点にある。(149頁)
---
特攻の議論自体がセンシティヴなので、こうした立場に対して異を唱えたい方もおられよう。
だが私自身は、少なくともそうした作戦を立案した人々に対する批判精神を忘れてはならないという点には同意したい。
そして、特攻へと赴いた個人個人の心情を思って涙することと、上の批判精神を持つのを別のことと考える姿勢にも同意する。
本書をオススメできるかといったら、読者が何を求めているかによる。
アメリカの作戦立案を具体的に見たいのであれば、上述の『日本殲滅』を読んだほうがいい。
日本側の著作については知識がないが、より詳細な議論をしている本も多いだろう。
なので星は2−3程度。
最後に、アメリカ軍が本土上陸作戦の予測犠牲者数をどの程度と見積もっていたかの議論について。
著者は、作戦主体であるマッカーサーの司令部が、3ヶ月間で10万人程度と予測したのに対し、
陸軍参謀総長のマーシャルが「これは低すぎる」と返信し、計算の根拠を求めたとしている。
なぜ低く見積もったかというと、マッカーサーが何としてもそれを行いたかったから、と述べている。
マッカーサーの功名心については、どの研究も触れているのでそうなのだろうが、マーシャルの返信については、むしろ逆のようだ。
マーシャル自身も本土上陸作戦が日本降伏のために絶対必要と考えており、トルーマン大統領に認可されないのを気にしていた、とのことである。
したがって、10万人(沖縄でも戦死傷者は5万いっていない)という予測にたじろいだマーシャルは、その根拠を求めたのである。
マッカーサーはそれに対し、これは純粋にアカデミックな計算によるもので、実際はそうはならないと請け合い、
作戦の変更は勧告できないと結論づけ、マーシャルもそれに納得した。
本書の議論に大した影響はないが、気になったので指摘しておく。
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本土決戦幻想 オリンピック作戦編 昭和史の大河を往く第七集 単行本 – 2009/6/19
保阪 正康
(著)
昭和20年11月1日、米軍、鹿児島、宮崎3地点に上陸!
起こりえた一億総特攻に至る本土決戦計画を現地取材で検証し、
あの戦争の意味を問う。
起こりえた一億総特攻に至る本土決戦計画を現地取材で検証し、
あの戦争の意味を問う。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社毎日新聞社
- 発売日2009/6/19
- ISBN-104620319422
- ISBN-13978-4620319421
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登録情報
- 出版社 : 毎日新聞社 (2009/6/19)
- 発売日 : 2009/6/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4620319422
- ISBN-13 : 978-4620319421
- Amazon 売れ筋ランキング: - 931,708位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2015年1月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
このシリーズは2冊目だったが、ダメダメ。
著者の思い込みが激しいのか、事実を無視した記述が・・・
歴史的事実としては、1945年7月の時点でアメリカが持っていた原子爆弾は4発。
広島に落としたウラン型が1発と、長崎に落としたプルトニウム型が3発。
7月半ばにトリニティ実験でプルトニウム型を1発、後は先にあった広島、長崎。
このため8月15日の時点では、広島型はもうなく、長崎型が1発残っていただけのはず。
しかし、この本の中では8月15日に日本が降伏していなければ、何発もの原爆が
日本に落とされたことにしている・・・・。
著者の下心は分からないわけではないが、「事実に基づいた」ドキュメンタリであるという
建前からやはりきちんとして欲しかったところだが。
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歴史的事実としては、1945年7月の時点でアメリカが持っていた原子爆弾は4発。
広島に落としたウラン型が1発と、長崎に落としたプルトニウム型が3発。
7月半ばにトリニティ実験でプルトニウム型を1発、後は先にあった広島、長崎。
このため8月15日の時点では、広島型はもうなく、長崎型が1発残っていただけのはず。
しかし、この本の中では8月15日に日本が降伏していなければ、何発もの原爆が
日本に落とされたことにしている・・・・。
著者の下心は分からないわけではないが、「事実に基づいた」ドキュメンタリであるという
建前からやはりきちんとして欲しかったところだが。
2011年5月20日に日本でレビュー済み
地域史などを調べているような方は、書店での立ち読みで十分だと思います。
総論的に、浅く、広くまとめたもので、注目するような引用資料は、残念ながら見当たりません。
各地域で地元研究者による地味な良質の調査結果や、マッカーサー記念館に所蔵されているダウンフォール作戦の資料など、もっと引用していい資料は沢山あると思います。
その点では、鳥居民氏の「昭和20年」の方がオススメですが、著者の年齢と共に、資料分析より推測が目立ち始め、最新刊ではほぼ推測が一人歩きしている文章になっているのが残念です。
総論的に、浅く、広くまとめたもので、注目するような引用資料は、残念ながら見当たりません。
各地域で地元研究者による地味な良質の調査結果や、マッカーサー記念館に所蔵されているダウンフォール作戦の資料など、もっと引用していい資料は沢山あると思います。
その点では、鳥居民氏の「昭和20年」の方がオススメですが、著者の年齢と共に、資料分析より推測が目立ち始め、最新刊ではほぼ推測が一人歩きしている文章になっているのが残念です。
2010年3月11日に日本でレビュー済み
昭和史の大河シリーズ。
保坂氏最後の大作となる予定だったと思われる著作である。
『昭和陸軍の研究』や『東条英機と天皇の時代』など数多くの名作を生み出してきた著者の最新作として大いに興味をもって手にとってみたが・・・
保阪氏には申し訳ないが完全に期待はずれであった。
あの戦争を知りすぎると結局、主観的に感情移入してしまうのだろう。
まるで自己が歴史の証人のごとく被害者に思いいれができてしまうのだろうか。
客観的であるべき戦争研究が被害者と同じ目線になってはいけないのである。
後世の我々は被害者の痛みを十分に感じつつも客観的に過ぎ去った歴史を検証しなければならない。
直接の被害者の悲惨さをもって歴史の客観検証に曇りを生ぜしめてはいけないのだ。
歴史をミスリードしたものを責めるのではなく、なぜそのような結果を招来したのか、なぜかかる戦争が避け得なかったのかを考える必要があるのだ。
我々は直接の加害者でも被害者でもない。だからこそ後世の者として昭和の人々の行為を客観的に検証しなければならない。
そこにどちらかの視点に偏った主観がはいっては、それは研究ではなく感傷にすぎない。
氏の過去の作品には主観を重視しながらも客観検証を怠らない姿勢があった。
氏の若かりし頃の著作との違いに愕然とする感がある。
この著作を読んで保阪、老いたりと感じたのは評者のみではあるまい。
保坂氏最後の大作となる予定だったと思われる著作である。
『昭和陸軍の研究』や『東条英機と天皇の時代』など数多くの名作を生み出してきた著者の最新作として大いに興味をもって手にとってみたが・・・
保阪氏には申し訳ないが完全に期待はずれであった。
あの戦争を知りすぎると結局、主観的に感情移入してしまうのだろう。
まるで自己が歴史の証人のごとく被害者に思いいれができてしまうのだろうか。
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後世の我々は被害者の痛みを十分に感じつつも客観的に過ぎ去った歴史を検証しなければならない。
直接の被害者の悲惨さをもって歴史の客観検証に曇りを生ぜしめてはいけないのだ。
歴史をミスリードしたものを責めるのではなく、なぜそのような結果を招来したのか、なぜかかる戦争が避け得なかったのかを考える必要があるのだ。
我々は直接の加害者でも被害者でもない。だからこそ後世の者として昭和の人々の行為を客観的に検証しなければならない。
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