シュミットの著作はいずれも刺激的であり、示唆に富む。
この憲法論、ワイマール憲法の解釈を主に論じた本ではなく、憲法を全般的に論じた本である。
憲法とはなんなのか、それだけなく、国家とはなんなのかをも考えさせられる著作であることは間違いない。
日本国憲法の解釈とその解釈にそった憲法論のみを扱った著作しか読んだことのない人にとっては新しい興奮を生むに違いない。
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憲法論 : 【付録】ワイマール憲法 単行本 – 1974/5/31
近代の「市民的・法治国家的」憲法の発展を、歴史をたどりつつ、
思想史的・社会学的に鋭く分析すると同時に、独自の憲法論を展開する。
1954年再版にあたっての カール・シュミットの緒言から引用
「1928年初版の、この本に対する需要があとをたたないのは、
本書が今でも説得力のある体系の下に、法治国的民主制憲法のタイプを展開しているからということができよう。
(中略)もろもろの憲法の比較および具体的な説明は、正しい体系を基準としてはじめて十分に意義がある。(後略)」
[目次抄]
第一篇 憲法の概念
第二篇 近代憲法の法治国的構成部分
第三篇 近代憲法の政治的構成部分
第四篇 連邦に関する憲法理論
付録 ワイマール憲法(1919年8月11日制定のドイツ国憲法)
(付録注)ワイマール憲法は1919年8月11日に制定されて以後、前後8回改正がなされた。
本書に収録された翻訳は、最後の改正、すなわち1932年12月17日現在のもの。
本書は近代憲法の思想史的かつ社会学的分析を試み、いわゆる「市民的・法治国的」憲法の性格を鋭く剔抉すると同時に、
著者独自の憲法論を提示しようとするものである。
その底には、与えられた規範の文理解釈にとどまる法実証主義と、国家的実存を無視する国際法優位説とに対する激しい批判が息づいている。
「憲法論の課題は、多くの伝来的な文言や概念がいかにそれ以前の事情に従属しており、
今日ではもはや新しい酒を盛るための古い皮袋ではなく、時代おくれの、
虚偽のレッテルにすぎないかを立証することである」と著者は序文で述べている。
彼は、憲法を構成するさまぎまの概念を歴史の中でとらえなおす。
まさにそのことによって近代憲法の基本構造と歴史的状況をまざまざとわれわれの前に示すのである。
議会制民主主義を否定し、人民の直接的な信任に支えられた代表者を求める著者の理論は、
結局は、ナチ到来の道をはき清めるものとなった。
だが、その鋭利な問題意識による分析は、初版刊行後半世紀の試練にたえ、今日なお寄与するところ大であろう。
本書との対決を通して鍛えられた者こそが、自らの立場に強さを加えることとなるであろう。
思想史的・社会学的に鋭く分析すると同時に、独自の憲法論を展開する。
1954年再版にあたっての カール・シュミットの緒言から引用
「1928年初版の、この本に対する需要があとをたたないのは、
本書が今でも説得力のある体系の下に、法治国的民主制憲法のタイプを展開しているからということができよう。
(中略)もろもろの憲法の比較および具体的な説明は、正しい体系を基準としてはじめて十分に意義がある。(後略)」
[目次抄]
第一篇 憲法の概念
第二篇 近代憲法の法治国的構成部分
第三篇 近代憲法の政治的構成部分
第四篇 連邦に関する憲法理論
付録 ワイマール憲法(1919年8月11日制定のドイツ国憲法)
(付録注)ワイマール憲法は1919年8月11日に制定されて以後、前後8回改正がなされた。
本書に収録された翻訳は、最後の改正、すなわち1932年12月17日現在のもの。
本書は近代憲法の思想史的かつ社会学的分析を試み、いわゆる「市民的・法治国的」憲法の性格を鋭く剔抉すると同時に、
著者独自の憲法論を提示しようとするものである。
その底には、与えられた規範の文理解釈にとどまる法実証主義と、国家的実存を無視する国際法優位説とに対する激しい批判が息づいている。
「憲法論の課題は、多くの伝来的な文言や概念がいかにそれ以前の事情に従属しており、
今日ではもはや新しい酒を盛るための古い皮袋ではなく、時代おくれの、
虚偽のレッテルにすぎないかを立証することである」と著者は序文で述べている。
彼は、憲法を構成するさまぎまの概念を歴史の中でとらえなおす。
まさにそのことによって近代憲法の基本構造と歴史的状況をまざまざとわれわれの前に示すのである。
議会制民主主義を否定し、人民の直接的な信任に支えられた代表者を求める著者の理論は、
結局は、ナチ到来の道をはき清めるものとなった。
だが、その鋭利な問題意識による分析は、初版刊行後半世紀の試練にたえ、今日なお寄与するところ大であろう。
本書との対決を通して鍛えられた者こそが、自らの立場に強さを加えることとなるであろう。
- 本の長さ496ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日1974/5/31
- ISBN-104622017369
- ISBN-13978-4622017363
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商品の説明
著者について
カール・シュミット
Carl Schmitt
1888年生まれ。ドイツの政治学者・公法学者。ベルリン、ミュンヒェン、シュトラースブルクで学び、1916年「国家の価値と個人の意義」で教授資格取得。同年『テーオドア・ドイブラの「北極光」』発表。21-28年ボン大学教授、28-33年ベルリン商科大学教授、33年ケルン大学教授を経て、33-45年ベルリン大学正教授となる。第一次大戦後のドイツ、ヨーロッパにおけるヴァイマル体制、ヴェルサイユ体制を批判し、神的なものを欠いた思想状況に〈決断〉をくだすべき独裁者の必然性を示したり、敵と味方を峻別する〈政治〉概念を規定する。法学における一連の彼の議論は、ナチ体制による独裁を思想的に先取りしている。この期の著作には、19年『政治的ロマン主義』(邦訳、未来杜、25年の第二版邦訳、みすず書房)、21年『独裁』(邦訳、未來社)、22年『政治神学』(同)、23年『現代議会主義の精神史的地位』(邦訳、みすず書房)、24年『ローマ・カトリシズムと政治形式』、28年『憲法論』(邦訳、みすず書房)、『政治的なものの概念』(邦訳、未來社)、31年『憲法の番人』、32年『合法性と正当性』(邦訳、未來社)などがある。またこの間、27年よりエルンスト・ユンガーと終生にわたる交流をはじめる。31年娘アニマ誕生(81年死亡)。33年5月1日ナチ入党、ナチ政権下で法学界の重鎮となるも、36年親衛隊による攻撃を受け主流からはずれる。その後、38年『トーマス・ホッブズの国家論におけるリヴァイアサン』、42年『陸と海と』(邦訳、福村出版)などを発表。第二次大戦後逮捕されニュルンベルク裁判の一環で尋問を受けたが不起訴。その後は生地プレッテンベルクに隠棲し、著述活動をつづける。50年『獄中からの挨拶』、『大地のノモス』(邦訳、福村出版)、63年『パルチザンの理論』(邦訳、ちくま学芸文庫)、70年『政治神学再論』(邦訳、福村出版)。1985年4月、生まれ故郷ヴェストファーレン州ブレッテンベルクで死去。また、90年代に入っても、論文集、書簡集などが間歇的に出版されている。
Carl Schmitt
1888年生まれ。ドイツの政治学者・公法学者。ベルリン、ミュンヒェン、シュトラースブルクで学び、1916年「国家の価値と個人の意義」で教授資格取得。同年『テーオドア・ドイブラの「北極光」』発表。21-28年ボン大学教授、28-33年ベルリン商科大学教授、33年ケルン大学教授を経て、33-45年ベルリン大学正教授となる。第一次大戦後のドイツ、ヨーロッパにおけるヴァイマル体制、ヴェルサイユ体制を批判し、神的なものを欠いた思想状況に〈決断〉をくだすべき独裁者の必然性を示したり、敵と味方を峻別する〈政治〉概念を規定する。法学における一連の彼の議論は、ナチ体制による独裁を思想的に先取りしている。この期の著作には、19年『政治的ロマン主義』(邦訳、未来杜、25年の第二版邦訳、みすず書房)、21年『独裁』(邦訳、未來社)、22年『政治神学』(同)、23年『現代議会主義の精神史的地位』(邦訳、みすず書房)、24年『ローマ・カトリシズムと政治形式』、28年『憲法論』(邦訳、みすず書房)、『政治的なものの概念』(邦訳、未來社)、31年『憲法の番人』、32年『合法性と正当性』(邦訳、未來社)などがある。またこの間、27年よりエルンスト・ユンガーと終生にわたる交流をはじめる。31年娘アニマ誕生(81年死亡)。33年5月1日ナチ入党、ナチ政権下で法学界の重鎮となるも、36年親衛隊による攻撃を受け主流からはずれる。その後、38年『トーマス・ホッブズの国家論におけるリヴァイアサン』、42年『陸と海と』(邦訳、福村出版)などを発表。第二次大戦後逮捕されニュルンベルク裁判の一環で尋問を受けたが不起訴。その後は生地プレッテンベルクに隠棲し、著述活動をつづける。50年『獄中からの挨拶』、『大地のノモス』(邦訳、福村出版)、63年『パルチザンの理論』(邦訳、ちくま学芸文庫)、70年『政治神学再論』(邦訳、福村出版)。1985年4月、生まれ故郷ヴェストファーレン州ブレッテンベルクで死去。また、90年代に入っても、論文集、書簡集などが間歇的に出版されている。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (1974/5/31)
- 発売日 : 1974/5/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 496ページ
- ISBN-10 : 4622017369
- ISBN-13 : 978-4622017363
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,006,970位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 983位憲法 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2012年12月3日に日本でレビュー済み
名著であるが、通読するのに困難な本は結構あるように思う。例えば、E'P'トムスンのイングランド労働者階級の形成がそうだし、ウォーラーステインの近代世界システムもそうだと思う。古典である事、難解であること、浩瀚であることが、読者を挫けさせてしまうような本。シュミットのこの憲法論もそう。長くはないが、語りのスタイルは硬く、用語は抽象的で難解。しかももう100年程前に書かれているので、尚更遠く感じる。
ただシュミットはM'ウェーバーと並ぶくらい頭のいい人だった。そんな人が書いた本だから、拾い読みでもいろいろひらめきをくれる。たとえば、序盤のワイマール憲法には、真正の妥協と不真正の、延期的な妥協があると言う箇所。ここでシュミットはワイマール憲法下の教会と国家の分離(いわゆる政教分離)を完全に否定する。シュミットの見解が正しいか否かは別にして、その思考はこちらの、読者の思考を刺激してくれるのだ。
訳者は1930年頃の生まれ。よくこんな本を訳したなと感嘆。まぁ、訳す人の能力も、それを読んで議論する人の能力も今より遥かに高かったのだろうが。
静かに論証する人がドイツ人には多いので、読むのが大変ですが、確実に読者に新しい発見をもたらしてくれる本なのではないかと思います。この類の本にしては安い。
ただシュミットはM'ウェーバーと並ぶくらい頭のいい人だった。そんな人が書いた本だから、拾い読みでもいろいろひらめきをくれる。たとえば、序盤のワイマール憲法には、真正の妥協と不真正の、延期的な妥協があると言う箇所。ここでシュミットはワイマール憲法下の教会と国家の分離(いわゆる政教分離)を完全に否定する。シュミットの見解が正しいか否かは別にして、その思考はこちらの、読者の思考を刺激してくれるのだ。
訳者は1930年頃の生まれ。よくこんな本を訳したなと感嘆。まぁ、訳す人の能力も、それを読んで議論する人の能力も今より遥かに高かったのだろうが。
静かに論証する人がドイツ人には多いので、読むのが大変ですが、確実に読者に新しい発見をもたらしてくれる本なのではないかと思います。この類の本にしては安い。
2016年3月27日に日本でレビュー済み
シュミットの著作の中では『
政治的ロマン主義
』『政治神学』『
現代議会主義の精神史的状況
』『政治的なものの概念』 など、法学プロパーよりもむしろ政治思想に大きな影響を与えた作品がポピュラーだが、法律学に決定的な足跡を残した理論家シュミットの主著と言えば、やはりこの『憲法論』を置いて他にない。本書の法学への最大の貢献はシェイエスから受け継ぎ、体系的な位置づけを与えられた「憲法制定権力論」であろう。
憲法制定権力とは憲法秩序を創出する権力のことであり、法と法の外部(即ち政治)との結節点に立つ権力と言えるが、法の外部を理論の外に放逐したケルゼンらの法実証主義への批判的含意が込められている。もっとも憲法制定権力の決断主義的側面を重視するなら、法を実力による強制とみる法実証主義との境界は曖昧である。ケルゼニアンである宮沢俊義がケルゼンの論敵シュミットを下敷きに「八月革命説」(革命的権力としての国民が実質的に日本国憲法を制定したと見做す説)を唱えたのもさほど不思議ではない。
憲法制定権力論は宮沢の「八月革命説」とともに憲法学界の通説とされるが、宮沢の後継者芦部信喜は憲法制定権力とて「人格の自由と尊厳」という内在的制約に服すると考えたし、樋口陽一は憲法制定権力の行使を一回限りのものとして凍結しようとする。それは実態としてはシュミットが見据えた法の決断主義的契機を骨抜きにした抜け殻に過ぎない。憲法とは権力を制約するものという立憲主義の要請を踏まえつつ、何にも制約されない権力の担い手たる国民というフィクションだけは(ただし行為能力を欠いたフィクションとして)温存しようとする。憲法制定権力に期待されているのは、既存の憲法秩序に正統性を与えること以上ではない。こうした戦後憲法学の潮流は、法と政治の緊張関係を見据えながらも、法の窮極にあるものとしてノモス=規範的契機にこだわり続けた尾高朝雄の問題意識とも交錯する。
だがシュミットが問題にしたのは、法と秩序の存立が危機に瀕する例外状況である。そこでは憲法秩序の創造自体が最優先され、それを決断するのが憲法制定権力である。ハイデガーが死から生を見つめたように、シュミットは例外という極限状況を起点に法秩序の存立根拠を突き詰めて考え抜いた。「危機の思想家」と言われるゆえんである。
憲法制定権力とは憲法秩序を創出する権力のことであり、法と法の外部(即ち政治)との結節点に立つ権力と言えるが、法の外部を理論の外に放逐したケルゼンらの法実証主義への批判的含意が込められている。もっとも憲法制定権力の決断主義的側面を重視するなら、法を実力による強制とみる法実証主義との境界は曖昧である。ケルゼニアンである宮沢俊義がケルゼンの論敵シュミットを下敷きに「八月革命説」(革命的権力としての国民が実質的に日本国憲法を制定したと見做す説)を唱えたのもさほど不思議ではない。
憲法制定権力論は宮沢の「八月革命説」とともに憲法学界の通説とされるが、宮沢の後継者芦部信喜は憲法制定権力とて「人格の自由と尊厳」という内在的制約に服すると考えたし、樋口陽一は憲法制定権力の行使を一回限りのものとして凍結しようとする。それは実態としてはシュミットが見据えた法の決断主義的契機を骨抜きにした抜け殻に過ぎない。憲法とは権力を制約するものという立憲主義の要請を踏まえつつ、何にも制約されない権力の担い手たる国民というフィクションだけは(ただし行為能力を欠いたフィクションとして)温存しようとする。憲法制定権力に期待されているのは、既存の憲法秩序に正統性を与えること以上ではない。こうした戦後憲法学の潮流は、法と政治の緊張関係を見据えながらも、法の窮極にあるものとしてノモス=規範的契機にこだわり続けた尾高朝雄の問題意識とも交錯する。
だがシュミットが問題にしたのは、法と秩序の存立が危機に瀕する例外状況である。そこでは憲法秩序の創造自体が最優先され、それを決断するのが憲法制定権力である。ハイデガーが死から生を見つめたように、シュミットは例外という極限状況を起点に法秩序の存立根拠を突き詰めて考え抜いた。「危機の思想家」と言われるゆえんである。