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野生の思考 単行本 – 1976/3/31
クロード・レヴィ=ストロース
(著),
大橋 保夫
(翻訳)
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野生の思考La Pensee sauvageは、1960年代に始まったいわゆる構造主義ブームの
発火点となり、フランスにおける戦後思想史最大の転換をひきおこした著作である。
Sauvage(野蛮人)は、西欧文化の偏見の凝集ともいえる用語である。しかし
植物に使えば「野生の」という意味になり、悪条件に屈せぬたくましさを暗示する。
著者は、人類学のデータの広い渉猟とその科学的検討をつうじて未開人観にコペルニクス
的転換を与えsauvageの両義性を利用してそれを表現する。
野生の思考とは未開野蛮の思考ではない。
野生状態の思考は古今遠近を問わずすべての人間の精神のうちに花咲いている。
文字のない社会、機械を用いぬ社会のうちにとくに、その実例を豊かに見出すことができる。
しかしそれはいわゆる文明社会にも見出され、とりわけ日常思考の分野に重要な役割を果たす。
野生の思考には無秩序も混乱もないのである。
しばしば人を驚嘆させるほどの微細さ・精密さをもった観察に始まって、それが分析・区別・分類・
連結・対比……とつづく。自然のつくり出した動植鉱物の無数の形態と同じように、
人間のつくった神話・儀礼・親族組織などの文化現象は、野生の思考のはたらきとして特徴的なのである。
この新しい人類学Anthropologieへの寄与が同時に、人間学Anthropologieの革命
である点に本書の独創的意味があり、また著者の神話論序説をなすものである。
著者は1959年以来、コレージュ・ド・フランス社会人類学の教授である。
発火点となり、フランスにおける戦後思想史最大の転換をひきおこした著作である。
Sauvage(野蛮人)は、西欧文化の偏見の凝集ともいえる用語である。しかし
植物に使えば「野生の」という意味になり、悪条件に屈せぬたくましさを暗示する。
著者は、人類学のデータの広い渉猟とその科学的検討をつうじて未開人観にコペルニクス
的転換を与えsauvageの両義性を利用してそれを表現する。
野生の思考とは未開野蛮の思考ではない。
野生状態の思考は古今遠近を問わずすべての人間の精神のうちに花咲いている。
文字のない社会、機械を用いぬ社会のうちにとくに、その実例を豊かに見出すことができる。
しかしそれはいわゆる文明社会にも見出され、とりわけ日常思考の分野に重要な役割を果たす。
野生の思考には無秩序も混乱もないのである。
しばしば人を驚嘆させるほどの微細さ・精密さをもった観察に始まって、それが分析・区別・分類・
連結・対比……とつづく。自然のつくり出した動植鉱物の無数の形態と同じように、
人間のつくった神話・儀礼・親族組織などの文化現象は、野生の思考のはたらきとして特徴的なのである。
この新しい人類学Anthropologieへの寄与が同時に、人間学Anthropologieの革命
である点に本書の独創的意味があり、また著者の神話論序説をなすものである。
著者は1959年以来、コレージュ・ド・フランス社会人類学の教授である。
- 本の長さ408ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日1976/3/31
- ISBN-104622019728
- ISBN-13978-4622019725
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出版社より
1976年初版刊行以来、超ロングセラー!! 野生状態の思考は古今遠近を問わずすべての人間の精神のうちに花咲いている。
商品の説明
著者について
クロード・レヴィ=ストロース
Claude Levi-Strauss
1908年11月28日ベルギーに生まれる。パリ大学卒業。1931年、哲学教授資格を得る。
1935-38年、新設のサン・パウロ大学社会学教授として赴任、人類学の研究を始める。
1941年からニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで文化人類学
の研究に従事。1959年コレージュ・ド・フランスの正教授となり、社会人類学の講座を創設。
1982年退官。アカデミー・フランセーズ会員。2009年10月30日、100歳で逝去。
著書『親族の基本構造』(番町書房 1977-78、青弓社 2000)『人種と歴史』(みすず書房
1970)『悲しき熱帯』(中央公論社 1977)『構造人類学』(みすず書房 1972)『今日の
トーテミスム』(みすず書房 1970)『野生の思考』(みすず書房 1976)『神話論理』四部作
(『生のものと火を通したもの』『蜜から灰へ』『食卓作法の起源』『裸の人』邦訳全5冊、
みすず書房 2006-10)『仮面の道』(新潮社 1977)『神話と意味』(みすず書房 1996)
『構造・神話・労働』(みすず書房 1979)『はるかなる視線』(みすず書房 1986・88)
『パロール・ドネ』(講談社 2009)『やきもち焼きの土器つくり』(みすず書房 1990)
『遠近の回想』(共著、みすず書房 1991、増補新版2008)『レヴィ=ストロース講義
――現代世界と人類学』(サイマル出版会 1988を改題、平凡社ライブラリー 2005)
『みる きく よむ』(みすず書房 2005)『ブラジルへの郷愁』(みすず書房 1995、中央公論
新社 2010)『サンパウロへのサウダージ』(みすず書房 2008)『月の裏側』(中央公論新社
2014)他。
2008年にプレイヤード叢書(ガリマール社、フランス)全1冊の著作集Oeuvres刊。
Claude Levi-Strauss
1908年11月28日ベルギーに生まれる。パリ大学卒業。1931年、哲学教授資格を得る。
1935-38年、新設のサン・パウロ大学社会学教授として赴任、人類学の研究を始める。
1941年からニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで文化人類学
の研究に従事。1959年コレージュ・ド・フランスの正教授となり、社会人類学の講座を創設。
1982年退官。アカデミー・フランセーズ会員。2009年10月30日、100歳で逝去。
著書『親族の基本構造』(番町書房 1977-78、青弓社 2000)『人種と歴史』(みすず書房
1970)『悲しき熱帯』(中央公論社 1977)『構造人類学』(みすず書房 1972)『今日の
トーテミスム』(みすず書房 1970)『野生の思考』(みすず書房 1976)『神話論理』四部作
(『生のものと火を通したもの』『蜜から灰へ』『食卓作法の起源』『裸の人』邦訳全5冊、
みすず書房 2006-10)『仮面の道』(新潮社 1977)『神話と意味』(みすず書房 1996)
『構造・神話・労働』(みすず書房 1979)『はるかなる視線』(みすず書房 1986・88)
『パロール・ドネ』(講談社 2009)『やきもち焼きの土器つくり』(みすず書房 1990)
『遠近の回想』(共著、みすず書房 1991、増補新版2008)『レヴィ=ストロース講義
――現代世界と人類学』(サイマル出版会 1988を改題、平凡社ライブラリー 2005)
『みる きく よむ』(みすず書房 2005)『ブラジルへの郷愁』(みすず書房 1995、中央公論
新社 2010)『サンパウロへのサウダージ』(みすず書房 2008)『月の裏側』(中央公論新社
2014)他。
2008年にプレイヤード叢書(ガリマール社、フランス)全1冊の著作集Oeuvres刊。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (1976/3/31)
- 発売日 : 1976/3/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 408ページ
- ISBN-10 : 4622019728
- ISBN-13 : 978-4622019725
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
難しいです。挑戦中です。^^;
2022年5月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
推し活にどうぞ
2022年5月11日に日本でレビュー済み
野生の思考とは、
歴史的時間(水平軸)から超越している単一個体の共時態的経験(垂直軸の延長=流動性/永遠性)と、
感覚感受の系(主体=客体)からの組み合わせから、
結果的に構造体がつくられている(表象の系)といった過程のようなものである。
(It adresses somebody、バース)
(芸術、出来事、技巧、感覚、体験(過程)からの結果的な表象化)
(外⇌内、遠近的、トーテム範疇、トーテム象徴的なもの)
対比としては、
「感覚感受の系を分断(主体、客体を分断)」を前提条件とする
理論科学、系統学での観察法や構造理論(主体の静的な記号化)があげられる。
(主体の同事態延長のパラドックス=形式的な物的公理)
(理論科学=外→内=単一方向的)
・科学(通事態的∋共時態的)(化石化した証人=因果性の演技)
・科学(不確実や挫折に寛容。無秩序は排除=秩序づけに帰するため)
前述は「言語的媒介/表現」、後述は「記号的媒介/表象」であるといえる。
本書は様々な民族、少数部族の独自の記号媒介を用いた生活圏の独自性に触れながら、
その原始的思考と歴史的思考を考察する。
参考図書
『孤独の遠近法』『文学とテクノロジー』『新人文感覚』
『言葉とは何か』『過程と実在〈2〉-コスモロジーへの試論』
------------------------------------------------------------------------------------
第一章 具体の科学
第二章 トーテム的分類の論理
第三章 変換の体系
第四章 トーテムとカースト
第五章 範疇、元素、種、数
第六章 普遍化と特殊化
第七章 種としての個体
第八章 再び見出された時
第九章 歴史と弁証法
------------------------------------------------------------------------------------
(無排除的、無疎外的な弁別性=外延と内含の見地の均衡=外延において不確定で無限定な単一個体)
・それ以外の最終分類単位のひとつではない=単一自我的な何か
・種の多様性=客観的コード化の感覚的表現=差異に消えない種
(流動的な永遠性においての移行可能性=儀式的操作による可逆性の考察)
(共時態的⇌通事態的(「種」⇌「範疇」))
・通時態という状態のままに、自らの死生(共時態的)を操作することはできるか
歴史的時間(水平軸)から超越している単一個体の共時態的経験(垂直軸の延長=流動性/永遠性)と、
感覚感受の系(主体=客体)からの組み合わせから、
結果的に構造体がつくられている(表象の系)といった過程のようなものである。
(It adresses somebody、バース)
(芸術、出来事、技巧、感覚、体験(過程)からの結果的な表象化)
(外⇌内、遠近的、トーテム範疇、トーテム象徴的なもの)
対比としては、
「感覚感受の系を分断(主体、客体を分断)」を前提条件とする
理論科学、系統学での観察法や構造理論(主体の静的な記号化)があげられる。
(主体の同事態延長のパラドックス=形式的な物的公理)
(理論科学=外→内=単一方向的)
・科学(通事態的∋共時態的)(化石化した証人=因果性の演技)
・科学(不確実や挫折に寛容。無秩序は排除=秩序づけに帰するため)
前述は「言語的媒介/表現」、後述は「記号的媒介/表象」であるといえる。
本書は様々な民族、少数部族の独自の記号媒介を用いた生活圏の独自性に触れながら、
その原始的思考と歴史的思考を考察する。
参考図書
『孤独の遠近法』『文学とテクノロジー』『新人文感覚』
『言葉とは何か』『過程と実在〈2〉-コスモロジーへの試論』
------------------------------------------------------------------------------------
第一章 具体の科学
第二章 トーテム的分類の論理
第三章 変換の体系
第四章 トーテムとカースト
第五章 範疇、元素、種、数
第六章 普遍化と特殊化
第七章 種としての個体
第八章 再び見出された時
第九章 歴史と弁証法
------------------------------------------------------------------------------------
(無排除的、無疎外的な弁別性=外延と内含の見地の均衡=外延において不確定で無限定な単一個体)
・それ以外の最終分類単位のひとつではない=単一自我的な何か
・種の多様性=客観的コード化の感覚的表現=差異に消えない種
(流動的な永遠性においての移行可能性=儀式的操作による可逆性の考察)
(共時態的⇌通事態的(「種」⇌「範疇」))
・通時態という状態のままに、自らの死生(共時態的)を操作することはできるか
2021年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前から読みたいと思い探していました。
2018年9月1日に日本でレビュー済み
我々は近代文明と云う「檻」の中にいて、それが世界の全てだと考えている。
そしてそこでは必要なものは何でも手に入れられるとも考えている。しかしそれは錯覚であり、都市に住む者は水を飲むことさえ誰かの助けを借りなければならない。
一方の原住民といえば、必要なものは総て自らの力で森や川から取り出す術を心得ている。彼等にとって有用な植物の分類は300種に及び、西欧の植物学が果たした如何なる分類も凌駕している。檻の外では我々は彼等の足元にも及ばないのだ。
近代文明には、進化論、マルクス主義に代表されるように、精神は未開から神なるイデアに向かって進化するのだと云う勝手な思い込みがある。加えて、個人と云うものを「発見」したことで、自らを自然から隔離して檻の中に閉じ込め、出自不明のホームレスとなってしまった。言って見れば砂漠の中の砂粒の様な存在である。風が吹けば何処かに吹き飛ばされると云う不安をいつも抱えて暮らしている。プラトン風にいえば檻という洞窟の中で影だけを探し求め、光を見る方法を自ら見失ったようなものだ。
人が持っている「文明を構成するパーツ」は同じであり、それをどのように組み合わせるか、それで文明の形が決まってくる。人が文明なるものを持ち始めたとき、パーツはどのように組み合わされ、それがどのような婚姻、葬式、それらを含む倫理観を作り出していったか、西欧が進化の在り方とした形而上学から抜け出し得なかった当時、レヴィ・ストロースは未開文明の中に新たな形而上学を見出したことになる。
日本語の「ああ!」はどうして「A-Aという音」なのか。
ライオンの唸り声をいくら分析したところで、その状況でその音を発する理由は分らないし、それを聞いた動物が恐怖に捉われる理由もわからない。せいぜい低音には威嚇の効果があると云う程度だろう。だが、問題なのは、何故「低音には威嚇効果がある」のか、という事である。
文明にも同じことが言える。
人は秩序や倫理をどこから獲得したか、人はなぜ「酋長」になるのか、またなりたがるのか。形而上学をいくらひねくり回しても答えは出て来ない。人は雷や嵐、動物や植物の在り方を自らの在り方に重ね合わせ、宗教や神話、倫理、言葉もそこから生まれてくる。原住民の文明は未開ではない。我々とは異なったもう一つの文明の形態であるにすぎない。
先住民の文明を知ること、それは洞窟から抜け出すにはどうするのかを問い直すことでもある。決して人類学の博物館に標本を一つ増やすと云った、そのような安易なものではない。
刺身を切るのに物差しは使わない。
1㎝が先にあるのではない。適切な幅が先にあって、次にそれが1cmだと云うだけである。物差しの使い方を学ぶのも文明だが、必要な長さとはどれほどかを知り、共有する事で、その背後にある本来の文明を知ること、それこそが文明である。
「伝統文化」は近代文明の中に残された「未開文明」である。社会が「伝統」を守ろうとするなら、そこに在る「宗教・神話・言語」は尊重されるべきで、事実「伝統」はそのように継承されている。だから時として近代文明と対立する。そのときいつも社会は困惑するのだが、どこかの先住民に相談してみれば答えを出してくれるかもしれない。
そしてそこでは必要なものは何でも手に入れられるとも考えている。しかしそれは錯覚であり、都市に住む者は水を飲むことさえ誰かの助けを借りなければならない。
一方の原住民といえば、必要なものは総て自らの力で森や川から取り出す術を心得ている。彼等にとって有用な植物の分類は300種に及び、西欧の植物学が果たした如何なる分類も凌駕している。檻の外では我々は彼等の足元にも及ばないのだ。
近代文明には、進化論、マルクス主義に代表されるように、精神は未開から神なるイデアに向かって進化するのだと云う勝手な思い込みがある。加えて、個人と云うものを「発見」したことで、自らを自然から隔離して檻の中に閉じ込め、出自不明のホームレスとなってしまった。言って見れば砂漠の中の砂粒の様な存在である。風が吹けば何処かに吹き飛ばされると云う不安をいつも抱えて暮らしている。プラトン風にいえば檻という洞窟の中で影だけを探し求め、光を見る方法を自ら見失ったようなものだ。
人が持っている「文明を構成するパーツ」は同じであり、それをどのように組み合わせるか、それで文明の形が決まってくる。人が文明なるものを持ち始めたとき、パーツはどのように組み合わされ、それがどのような婚姻、葬式、それらを含む倫理観を作り出していったか、西欧が進化の在り方とした形而上学から抜け出し得なかった当時、レヴィ・ストロースは未開文明の中に新たな形而上学を見出したことになる。
日本語の「ああ!」はどうして「A-Aという音」なのか。
ライオンの唸り声をいくら分析したところで、その状況でその音を発する理由は分らないし、それを聞いた動物が恐怖に捉われる理由もわからない。せいぜい低音には威嚇の効果があると云う程度だろう。だが、問題なのは、何故「低音には威嚇効果がある」のか、という事である。
文明にも同じことが言える。
人は秩序や倫理をどこから獲得したか、人はなぜ「酋長」になるのか、またなりたがるのか。形而上学をいくらひねくり回しても答えは出て来ない。人は雷や嵐、動物や植物の在り方を自らの在り方に重ね合わせ、宗教や神話、倫理、言葉もそこから生まれてくる。原住民の文明は未開ではない。我々とは異なったもう一つの文明の形態であるにすぎない。
先住民の文明を知ること、それは洞窟から抜け出すにはどうするのかを問い直すことでもある。決して人類学の博物館に標本を一つ増やすと云った、そのような安易なものではない。
刺身を切るのに物差しは使わない。
1㎝が先にあるのではない。適切な幅が先にあって、次にそれが1cmだと云うだけである。物差しの使い方を学ぶのも文明だが、必要な長さとはどれほどかを知り、共有する事で、その背後にある本来の文明を知ること、それこそが文明である。
「伝統文化」は近代文明の中に残された「未開文明」である。社会が「伝統」を守ろうとするなら、そこに在る「宗教・神話・言語」は尊重されるべきで、事実「伝統」はそのように継承されている。だから時として近代文明と対立する。そのときいつも社会は困惑するのだが、どこかの先住民に相談してみれば答えを出してくれるかもしれない。
2016年3月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この『野生の思考』と、『悲しき熱帯』『西太平洋の遠洋航海者』は、文化人類学の必読本だと思います。人間とは何だろう?我々の暮らしの尺度に我々は取り憑かれていないか?と気づかせてくれます。
2016年12月23日に日本でレビュー済み
マリノフスキーに始まる近代人類学に転機をもたらし、以後の人類学のみならず、哲学、思想、社会学に大きな影響を与えた古典的名著である。
読み始めて、まず驚くのがレヴィ=ストロースの広い学識であろう。この本を精確に読むにはかなりの前提知識を必要とするということに気づくのに、長い時間はかからないだろう。訳文は決して難解ではない。しかし、正しくこの著者の言っていることを捉え切れているのだろうか?と不安に襲われながら、巻末の注を読みつつ、本文を読み進めていくことになるだろう。
(この本を読む前に『悲しき熱帯』を読んでおいたほうが良いかもしれない。そのほうが、この『野生の思考』が一体何を言いたいのか、理解しやすくなると思うから)
『悲しき熱帯』の「どのようにして人は民族学者になるか」(邦訳第1巻、p71以下)に、レヴィ=ストロースの学識経験の概要が自伝的に書かれている。彼は最初、高等中学校の最高学年で哲学級に入る。
そこでベルクソン主義と新カント主義の混ぜ合わせのような講義を聴き、期待を裏切られた。
また、哲学が「思弁的な見せ場」を作り出すだけのつまらないものに思えてきたのである。
(マルクス主義の手ほどきを受けたのも、この頃だと思われる)
しかし彼がこの哲学級で学んだことは、彼が「体操だった」と言おうが、その後のアクティビティの原動力となる、基礎的な訓練であったことは間違いなかろう。その後高校教師となるのだが、これにも疑問を持つ。
それからしばらく法学、地質学、言語学、そしてフロイトの精神分析学にも触れた(すごい人だなあ)後、ロバート.H. ローウィの『未開社会』を読んで民族学に目覚めた。
民族学者との親交が出来た彼は、ブラジルのサン・パウロ大学に派遣される。現地の人はデュルケームの社会学を教えることを期待したらしい。しかし彼はこの「自由主義に哲学的な基盤を与えたい」という意図に反抗したという。しかしながら本人の意図に反して、レヴィストロースはデュルケームの社会学の忠実な継承者とみなされている。
このように西洋の哲学のアウトラインをほとんどすべて吸収したのち、ブラジルの「未開民族」とされていた人々を実地調査することになる。
この時の経験が『親族の基本構造』や『構造人類学』の、そして『野生の思考』のバックグラウンドになっているのである。
『野生の思考』はそれまでの研究成果の集大成であるから、ありとあらゆる知識が盛り込まれている。数学の群論を使って、トーテム理論を解体していく辺りは、見事である。
無意識的構造に数学を導入できるひとなんて、レヴィストロース以外にはいなかっただろう。それだけ、精密なフィールドワークに基づいて、この理論は組み立てられている。習慣や象徴の対称性の変換によって「未開社会」と思われていた社会が、非常に高度な社会を作っていた事実を明らかにしたことによって、それまでの哲学や思想界、人類学に衝撃を与えた。
この数学的モデルの構築によって、「未開社会」が実は「高度な文明社会」と私たちが考えているものと、変わらないのだ、ということがはっきりしたのである。なぜなら、その数学の基礎理論であるとヨーロッパ人が考えていたものは、ヨーロッパ以外には無い「高度な」思考だと思われていたからである。それがヨーロッパ以外の社会ですでに構築されていたということが、当時驚きをもってとらえられたのだ。
レヴィストロースは、それまで「他者」であった「未開社会の」人々がヨーロッパの社会に属する人々と「等質の」人類である、ということを示した初めてのヨーロッパ人であった。
これによって始めて西洋人は「自文化中心主義(エスノセントリスム)」の過ちに気付くのである。
読み始めて、まず驚くのがレヴィ=ストロースの広い学識であろう。この本を精確に読むにはかなりの前提知識を必要とするということに気づくのに、長い時間はかからないだろう。訳文は決して難解ではない。しかし、正しくこの著者の言っていることを捉え切れているのだろうか?と不安に襲われながら、巻末の注を読みつつ、本文を読み進めていくことになるだろう。
(この本を読む前に『悲しき熱帯』を読んでおいたほうが良いかもしれない。そのほうが、この『野生の思考』が一体何を言いたいのか、理解しやすくなると思うから)
『悲しき熱帯』の「どのようにして人は民族学者になるか」(邦訳第1巻、p71以下)に、レヴィ=ストロースの学識経験の概要が自伝的に書かれている。彼は最初、高等中学校の最高学年で哲学級に入る。
そこでベルクソン主義と新カント主義の混ぜ合わせのような講義を聴き、期待を裏切られた。
また、哲学が「思弁的な見せ場」を作り出すだけのつまらないものに思えてきたのである。
(マルクス主義の手ほどきを受けたのも、この頃だと思われる)
しかし彼がこの哲学級で学んだことは、彼が「体操だった」と言おうが、その後のアクティビティの原動力となる、基礎的な訓練であったことは間違いなかろう。その後高校教師となるのだが、これにも疑問を持つ。
それからしばらく法学、地質学、言語学、そしてフロイトの精神分析学にも触れた(すごい人だなあ)後、ロバート.H. ローウィの『未開社会』を読んで民族学に目覚めた。
民族学者との親交が出来た彼は、ブラジルのサン・パウロ大学に派遣される。現地の人はデュルケームの社会学を教えることを期待したらしい。しかし彼はこの「自由主義に哲学的な基盤を与えたい」という意図に反抗したという。しかしながら本人の意図に反して、レヴィストロースはデュルケームの社会学の忠実な継承者とみなされている。
このように西洋の哲学のアウトラインをほとんどすべて吸収したのち、ブラジルの「未開民族」とされていた人々を実地調査することになる。
この時の経験が『親族の基本構造』や『構造人類学』の、そして『野生の思考』のバックグラウンドになっているのである。
『野生の思考』はそれまでの研究成果の集大成であるから、ありとあらゆる知識が盛り込まれている。数学の群論を使って、トーテム理論を解体していく辺りは、見事である。
無意識的構造に数学を導入できるひとなんて、レヴィストロース以外にはいなかっただろう。それだけ、精密なフィールドワークに基づいて、この理論は組み立てられている。習慣や象徴の対称性の変換によって「未開社会」と思われていた社会が、非常に高度な社会を作っていた事実を明らかにしたことによって、それまでの哲学や思想界、人類学に衝撃を与えた。
この数学的モデルの構築によって、「未開社会」が実は「高度な文明社会」と私たちが考えているものと、変わらないのだ、ということがはっきりしたのである。なぜなら、その数学の基礎理論であるとヨーロッパ人が考えていたものは、ヨーロッパ以外には無い「高度な」思考だと思われていたからである。それがヨーロッパ以外の社会ですでに構築されていたということが、当時驚きをもってとらえられたのだ。
レヴィストロースは、それまで「他者」であった「未開社会の」人々がヨーロッパの社会に属する人々と「等質の」人類である、ということを示した初めてのヨーロッパ人であった。
これによって始めて西洋人は「自文化中心主義(エスノセントリスム)」の過ちに気付くのである。
2022年9月26日に日本でレビュー済み
レヴィ=ストロースは多くの本を書いているが、レヴィ=ストロースという人物のことが知りたかったら『悲しき熱帯』を、その業績を知りたかったら、この本を読むのでは良いのではいないか。
書名になっている野生の思考とは、野生状態の思考である、と本人が第8章で言い切っている。
野蛮なもの、未開なもの、とされてきた人々へのヨーロッパ知識人の偏見を、その西洋の論理で完璧なまでに反証した、西洋哲学史に残る名著。
そしてそれは、当時のフランスで主流だったサルトルの思想へのアンチテーゼでもあった。
人類学という分野から、哲学史を塗り替えるような思想が生まれたということが、まさに当時の哲学の危機的な状況を象徴していた。
書名になっている野生の思考とは、野生状態の思考である、と本人が第8章で言い切っている。
野蛮なもの、未開なもの、とされてきた人々へのヨーロッパ知識人の偏見を、その西洋の論理で完璧なまでに反証した、西洋哲学史に残る名著。
そしてそれは、当時のフランスで主流だったサルトルの思想へのアンチテーゼでもあった。
人類学という分野から、哲学史を塗り替えるような思想が生まれたということが、まさに当時の哲学の危機的な状況を象徴していた。