関連書籍は数冊ありますが、 この本だけで理解することは難しいでしょう。 アーレントの置かれた時代、そして育った環境、 事件、など広く知識を加えながら読むと、理解が深まります。 原文は英語ですが、表現や言い回しのくせはドイツ語そのもの。 時々 原文はドイツ語で著述されているのでは、、と錯覚に陥ります。 でも、 深く一文一文を思考しつつ考えて読むことはよいことと思います。
まだ読書は続きますが、素晴らしい著作だと思います。
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全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義 単行本(ソフトカバー) – 1972/7/11
1930年代半ばのドイツにあって、ハナ・アーレントは未だかつてない歴史的転換の訪れを意識した。
ナツィズムとボルシェヴィズムの〈集団化〉のなかで〈専制〉という以上の意味をもつものが生まれるのを見たのである。
彼女は外的世界の経験と内的世界の思索との深い結合の十数年の成果として、この悲劇の証言としての歴史記述を著わした。
これは現代の政治哲学の達成を示す記念碑的著作である。全3巻
第一巻は、19世紀のヨーロッパの政治的意味をもった世界観運動としての反ユダヤ主義の形成に始まる。
ドレフュス事件は〈われらの時代に行なわれた犯罪のための舞台稽古〉であった。
それは大衆操作の道具としての、すなわち政治的武器としてのマス・ヒステリーの現代的利用という特徴を端的に示し、
全体主義の前史としての予感に満ちていたのである。
20世紀の病理に対する記念碑的著作。
全体主義の起原 全3巻
1 反ユダヤ主義
2 帝国主義
3 全体主義
ナツィズムとボルシェヴィズムの〈集団化〉のなかで〈専制〉という以上の意味をもつものが生まれるのを見たのである。
彼女は外的世界の経験と内的世界の思索との深い結合の十数年の成果として、この悲劇の証言としての歴史記述を著わした。
これは現代の政治哲学の達成を示す記念碑的著作である。全3巻
第一巻は、19世紀のヨーロッパの政治的意味をもった世界観運動としての反ユダヤ主義の形成に始まる。
ドレフュス事件は〈われらの時代に行なわれた犯罪のための舞台稽古〉であった。
それは大衆操作の道具としての、すなわち政治的武器としてのマス・ヒステリーの現代的利用という特徴を端的に示し、
全体主義の前史としての予感に満ちていたのである。
20世紀の病理に対する記念碑的著作。
全体主義の起原 全3巻
1 反ユダヤ主義
2 帝国主義
3 全体主義
- ISBN-104622020181
- ISBN-13978-4622020189
- 出版社みすず書房
- 発売日1972/7/11
- 言語日本語
- 本の長さ272ページ
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商品の説明
著者について
ハンナ・アーレント
Hannah Arendt
1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。
著書『アウグスティヌスの愛の概念』(1929、みすず書房2002)『全体主義の起原』1-3(1951、みすず書房1972、1974)『人間の条件』(1958、筑摩書房1994)『ラーエル・ファルンハーゲン』(1959、みすず書房1999)『イェルサレムのアイヒマン』(1963、みすず書房1969)『革命について』(1963、筑摩書房1995)『暗い時代の人々』(1968、筑摩書房2005)『過去と未来の間』(1968、みすず書房1994)『暴力について――共和国の危機』(1969、みすず書房2000)『精神の生活』上下(1978、岩波書店1994)他、没後に編集されたものに『アーレント政治思想集成』全2巻(みすず書房2002)『思索日記』全2巻(法政大学出版局2006)『責任と判断』(筑摩書房2007)『政治の約束』(筑摩書房2008)『反ユダヤ主義――ユダヤ論集 1』『アイヒマン論争――ユダヤ論集2』(みすず書房2013)など、またヤスパース、ハイデガー、メアリー・マッカーシーとの往復書簡集も邦訳されている。
Hannah Arendt
1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。
著書『アウグスティヌスの愛の概念』(1929、みすず書房2002)『全体主義の起原』1-3(1951、みすず書房1972、1974)『人間の条件』(1958、筑摩書房1994)『ラーエル・ファルンハーゲン』(1959、みすず書房1999)『イェルサレムのアイヒマン』(1963、みすず書房1969)『革命について』(1963、筑摩書房1995)『暗い時代の人々』(1968、筑摩書房2005)『過去と未来の間』(1968、みすず書房1994)『暴力について――共和国の危機』(1969、みすず書房2000)『精神の生活』上下(1978、岩波書店1994)他、没後に編集されたものに『アーレント政治思想集成』全2巻(みすず書房2002)『思索日記』全2巻(法政大学出版局2006)『責任と判断』(筑摩書房2007)『政治の約束』(筑摩書房2008)『反ユダヤ主義――ユダヤ論集 1』『アイヒマン論争――ユダヤ論集2』(みすず書房2013)など、またヤスパース、ハイデガー、メアリー・マッカーシーとの往復書簡集も邦訳されている。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (1972/7/11)
- 発売日 : 1972/7/11
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 272ページ
- ISBN-10 : 4622020181
- ISBN-13 : 978-4622020189
- Amazon 売れ筋ランキング: - 547,825位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 97,450位人文・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2004年7月15日に日本でレビュー済み
才色兼備で有名思想家、ハンナ・アレントの著作。反ユダヤ主義の起源を、歴史的具体例の引用によって解き明かす。「理論」について考えさせられる名作ではあるまいか。
2009年5月28日に日本でレビュー済み
ハンナ・アレントの著作には独特の難解さがあって、訳文の意味の取り辛さがあるのかなとも思う。原文と照らし合わせるとあまりにも直訳調なのが気になるが、そのシンタクスに慣れてくると、もともと非常に面白くて深い主題と論理展開をしているので、一気に読ませてくれる魅力がある。
本書は著者の声価を高めた「全体主義の起原」の第一巻、反ユダヤ主義を扱ったもの。日本でも相変わらずに生き延びているユダヤ陰謀論が、そのあまりに粗雑で笑いさえも誘うほどの代物なのに関わらず、なぜ少なからず人々の心をとらえるのかを、近代ヨーロッパの歴史を辿ることを通じて考察している。国制が専制君主制から絶対王政に変化していく際にユダヤ人が宮廷ユダヤ人として国家財政を預かることになった時代から、国民国家の成立、発展、その解体に至るまでの過程でユダヤ人の中でどんな変化があり、またなかったかについて著者は丹念に描出し続ける。その分析は歴史的推移の中から社会階層の対立と合従連衡の相を見出し、そこに反ユダヤ主義がどんな風に作用したのかを見極めようとする、社会学的な色彩の強いものだ。
そうして全巻を通じて明らかになるのは、やがてユダヤ人全体を代表することになる有力なユダヤ人が、常に国家機構と直接に結びつこうとし、資金や国際的なネットワークのもたらす信用や情報をを以って国家に貢献し、その一方で公民状態にある各階層の人々とは濃密な関わりあいを一貫して避けようとしたことだ。その態度からの帰結として、国家に対して不満のある人々はそのはけ口を国家と強く結びついているユダヤ人に向け、公民状態=社会に対して不満を持つ人は同様に反ユダヤ主義を社会への不満の表現として選んだ。そうして手段として用いた反ユダヤ主義がモッブ=国家や社会を憎む社会的弱者を大量に動員できることに気づいた扇動家は、ドレフュス事件をきっかけにして全体主義の騒擾のリハーサルを果たした。
社会的に宙吊りになっていたユダヤ人に対する敵意が国家や社会を攻撃する媒体となって、攻撃者の実際の意図を隠蔽する手段になっていたという、とてもスリリングな視点。とても明晰で鋭い社会批判の書。
本書は著者の声価を高めた「全体主義の起原」の第一巻、反ユダヤ主義を扱ったもの。日本でも相変わらずに生き延びているユダヤ陰謀論が、そのあまりに粗雑で笑いさえも誘うほどの代物なのに関わらず、なぜ少なからず人々の心をとらえるのかを、近代ヨーロッパの歴史を辿ることを通じて考察している。国制が専制君主制から絶対王政に変化していく際にユダヤ人が宮廷ユダヤ人として国家財政を預かることになった時代から、国民国家の成立、発展、その解体に至るまでの過程でユダヤ人の中でどんな変化があり、またなかったかについて著者は丹念に描出し続ける。その分析は歴史的推移の中から社会階層の対立と合従連衡の相を見出し、そこに反ユダヤ主義がどんな風に作用したのかを見極めようとする、社会学的な色彩の強いものだ。
そうして全巻を通じて明らかになるのは、やがてユダヤ人全体を代表することになる有力なユダヤ人が、常に国家機構と直接に結びつこうとし、資金や国際的なネットワークのもたらす信用や情報をを以って国家に貢献し、その一方で公民状態にある各階層の人々とは濃密な関わりあいを一貫して避けようとしたことだ。その態度からの帰結として、国家に対して不満のある人々はそのはけ口を国家と強く結びついているユダヤ人に向け、公民状態=社会に対して不満を持つ人は同様に反ユダヤ主義を社会への不満の表現として選んだ。そうして手段として用いた反ユダヤ主義がモッブ=国家や社会を憎む社会的弱者を大量に動員できることに気づいた扇動家は、ドレフュス事件をきっかけにして全体主義の騒擾のリハーサルを果たした。
社会的に宙吊りになっていたユダヤ人に対する敵意が国家や社会を攻撃する媒体となって、攻撃者の実際の意図を隠蔽する手段になっていたという、とてもスリリングな視点。とても明晰で鋭い社会批判の書。
2012年2月17日に日本でレビュー済み
こんなに賢かった女性は紫式部くらいしかいないのではないかと思われます。
確か、注に一つだけ間違いがありました。
中国語のイラスト的文字についてふれ、結論として「中国人は論理的思考はできない」なんて書いているところがあります。「論理的思考」なんて楽勝で、「複合論理思考」をする国です。
あれほど広い土地での権力争いですから。
「大誤解」というヤツで、おとなりの国に住む私たちは彼らが「生き馬の目を抜く」賢さをもっていることは身にしみて分かっておりますよね?
アレントさん、まさか、人種差別主義者?
確か、注に一つだけ間違いがありました。
中国語のイラスト的文字についてふれ、結論として「中国人は論理的思考はできない」なんて書いているところがあります。「論理的思考」なんて楽勝で、「複合論理思考」をする国です。
あれほど広い土地での権力争いですから。
「大誤解」というヤツで、おとなりの国に住む私たちは彼らが「生き馬の目を抜く」賢さをもっていることは身にしみて分かっておりますよね?
アレントさん、まさか、人種差別主義者?
2006年1月5日に日本でレビュー済み
本書はM・カノヴァンが指摘するように、全体主義を説明するものとしては独特な性格を持っている。その特徴とは、(1)表題を裏切るようだが歴史書ではない。(2)検討するのは全体主義を可能にした大衆の経験である。(3)その経験を示すのにプルーストやコンラッドなど小説の描写をも引用する。
(1)もし本書が歴史書であるならば、アレントの示す全体主義システムは実在的であり、反ユダヤ主義と内陸型帝国主義としてのナチズムの関係は因果的なものとされよう。だが、少なくともアレントはそのような主張を支える論証は行っていない。
(2)アレントの分析は、ナチズムの嵐の中でユダヤ人として身を置いたその大衆の経験に向けられる。ここでいう「大衆の経験」中の助詞「の」とは、同格「としてan sich」であり、目的格「について fur sich」である。つまり、ドイツ人の経験であり、かつ、それを外から見ているユダヤ人の経験である。このような彼女の認識法の背景にはドイツ哲学の素養がある。
(3)全体主義システムへと収斂する反ユダヤ主義と帝国主義での大衆の経験とは、(a)社会階層の変動により余計ものとなった大衆は自己の根拠として幻想の血縁関係を尊ぶ。(b)海外への帝国主義拡張に身を投じる植民者たちの投げやりな感覚は帝国の一部として奉仕する喜びの感覚にもなる。(a)を引き起こす触媒が特権的なユダヤ人のイメージであり、これを例示するのがプルーストである。(b)を例示するのがコンラッドである。これらの経験を持ちうる大衆が海外へでなく大陸内に留まったのが全体主義の経験である。
ある歴史を経験した人がその歴史を説明する際に、その説明が歴史書になるか、システム提示的な社会理論書となるかは事実/規範といったヒューム的設問に悩む政治学の難問かもしれない。しかし、このような対立は観察/理論の間の反省的均衡がノイラートの船である以上、経験を説明する人のコミットメントを読者自身がその外部に立った気ではいられない問題として受け止めるべきものなのだろう。本書の意義は深甚である。
(1)もし本書が歴史書であるならば、アレントの示す全体主義システムは実在的であり、反ユダヤ主義と内陸型帝国主義としてのナチズムの関係は因果的なものとされよう。だが、少なくともアレントはそのような主張を支える論証は行っていない。
(2)アレントの分析は、ナチズムの嵐の中でユダヤ人として身を置いたその大衆の経験に向けられる。ここでいう「大衆の経験」中の助詞「の」とは、同格「としてan sich」であり、目的格「について fur sich」である。つまり、ドイツ人の経験であり、かつ、それを外から見ているユダヤ人の経験である。このような彼女の認識法の背景にはドイツ哲学の素養がある。
(3)全体主義システムへと収斂する反ユダヤ主義と帝国主義での大衆の経験とは、(a)社会階層の変動により余計ものとなった大衆は自己の根拠として幻想の血縁関係を尊ぶ。(b)海外への帝国主義拡張に身を投じる植民者たちの投げやりな感覚は帝国の一部として奉仕する喜びの感覚にもなる。(a)を引き起こす触媒が特権的なユダヤ人のイメージであり、これを例示するのがプルーストである。(b)を例示するのがコンラッドである。これらの経験を持ちうる大衆が海外へでなく大陸内に留まったのが全体主義の経験である。
ある歴史を経験した人がその歴史を説明する際に、その説明が歴史書になるか、システム提示的な社会理論書となるかは事実/規範といったヒューム的設問に悩む政治学の難問かもしれない。しかし、このような対立は観察/理論の間の反省的均衡がノイラートの船である以上、経験を説明する人のコミットメントを読者自身がその外部に立った気ではいられない問題として受け止めるべきものなのだろう。本書の意義は深甚である。