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ディナモ・フットボール 単行本 – 2002/4/13
宇都宮 徹壱
(著)
- 本の長さ269ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2002/4/13
- ISBN-104622033895
- ISBN-13978-4622033899
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
目前に迫ったW杯。日本は謎多きロシアチームと対戦する。そのロシアと、クロアチアなど、東欧のサッカーをとりまく社会・政治状況を克明に取材したルポルタージュ。ポスト冷戦時代を生きる、かつての名門クラブの物語。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2002/4/13)
- 発売日 : 2002/4/13
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 269ページ
- ISBN-10 : 4622033895
- ISBN-13 : 978-4622033899
- Amazon 売れ筋ランキング: - 811,564位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了。
1997年から国内外で「文化としてのフットボール」を追いかける取材活動を展開中。
FIFAワールドカップ取材は1998年フランス大会から2022年カタール大会まで。
全国地域リーグ決勝大会(現・地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2010年『フットボールの犬』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞。
2016年『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
カスタマーレビュー
星5つ中3.8つ
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東欧のサッカーに興味がある人には,面白い本です。
2008年1月15日に日本でレビュー済み
東西冷戦の幕開けの年、イングランドが誇るアーセナルに挑戦を挑む謎の集団、その名もディナモ・モスクワ。ディナモは一クラブチームでありながらも、その実、共産圏の名誉と使命を背負ったセレクション(代表)チームだった。迎え撃つアーセナルもサッカーの母国としてのプライドのため、超クラブのセレクションで緊急チーム編成をする。この一戦の結末や如何に……。という歴史的一戦を掘り起こしたワクワクするような導入から、「ディナモ」を冠する旧共産圏のクラブチームを訪ね歩くというルポルタージュ。ディナモ・ザグレブ、ディナモ・キエフなどClでも見かけるおなじみのチームから「ディナモ」ってなんだと常々思っていた。本書はその歴史を紐解きながら、旧共産圏の人々のフットボールに対する関わりや想い、そして過去と現在の変化(あるいは変わらないもの)を描き出す。ヒジョーに渋いが、フットボールの向こう側に見える世界の面白さを教えてくれる一冊。
2015年7月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ディナモ・キエフに対する認識が、誤っている。
死の試合の事実を知らないとは、あきれる。
死の試合の事実を知らないとは、あきれる。
2020年8月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
わたしはサッカーのことはあまり詳しくありませんが(ましてやロシアや東欧のサッカー事情などさっぱりわからない)、それでも楽しく読めました。東西冷戦の終焉からほぼ10年が経過した2000年から2002年にかけて、ベルリン、キエフ、モスクワ、トビリシ、ブカレスト、ザグレブ、ダブリンと巡ったサッカー旅行記です。古き良き(?)共産主義時代の残り香が香り、甘い郷愁の中へと引き込まれていきます。
2003年3月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
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2009年5月24日に日本でレビュー済み
共産主義国のサッカーという
「秘境」への好奇心が詰まっています。
「股旅フットボール」同様の
取り合えず見に行こうという意思が
面白い本です。
サッカーそのものについては
それほど詳しく書かれていません。
紀行文として読むと
良いのではないでしょうか。
「秘境」への好奇心が詰まっています。
「股旅フットボール」同様の
取り合えず見に行こうという意思が
面白い本です。
サッカーそのものについては
それほど詳しく書かれていません。
紀行文として読むと
良いのではないでしょうか。
2008年7月6日に日本でレビュー済み
果たして宇都宮徹壱は写真家なのであろうか文筆家なのであろうか。
やけにモノクロームが多く、ピッチにほとんどレンズを向けないこの<写真家>の作品が上手いのかそうでないのか。僕にはよくわからないが、少なくとも他の写真家のそれとはどこか異なる<たたずまい>がある。
文章のほうはもう少しキチンと評価できる。
やや時代掛かって、どこかにセンチメンタリズムを漂わせながらも、全体としては抑制の効いた文章は、サッカーライターの中ではおそらく美文に入るだろう。
果たして宇都宮徹壱は<ディナモ>の旅を通じて、楽しく充実感をもった取材ができたのだろうか。
「客がほとんど入らない、巨大なおんぼろスタジアム。ピッチ上で繰り広げられる、実に退屈でお粗末なプレー。過去の栄光にしがみつきながら、健気に応援し続けるサポーター」を「必要以上に厳重な警備と、周囲の好奇の視線」にさらされながら取材する日々が。
好事家、物好きと自称する著者の作品はこれで3冊目だが、取り上げる素材は確かに個性的である。しかし本書で著者が取材対象に向けるまなざしは、随分とフクザツさを増しているように思える。
スポーツクラブに<ディナモ>なる詞を冠するのは文豪ゴーリキーが発案したといわれ、旧ソ連を源流に東欧の多くのクラブ名で用いられた。
その象徴するものは<国家>、<権力>。
人々は国家に対する不満の表明をスタジアムの中でのみ、このディナモを罵倒することでなし得ていたが、東欧が<自由化>された現在、人々は「過去の栄光」の残滓をディナモに求めて、スタジアムにやってくる。
ディナモを追って旅を続ける著者の目に、そんな人々はどのように写り、逆に人々はこの極東から来たイエス・キリストにも似た風貌の<好事家>をどのような視線で見ていたのだろう。
やけにモノクロームが多く、ピッチにほとんどレンズを向けないこの<写真家>の作品が上手いのかそうでないのか。僕にはよくわからないが、少なくとも他の写真家のそれとはどこか異なる<たたずまい>がある。
文章のほうはもう少しキチンと評価できる。
やや時代掛かって、どこかにセンチメンタリズムを漂わせながらも、全体としては抑制の効いた文章は、サッカーライターの中ではおそらく美文に入るだろう。
果たして宇都宮徹壱は<ディナモ>の旅を通じて、楽しく充実感をもった取材ができたのだろうか。
「客がほとんど入らない、巨大なおんぼろスタジアム。ピッチ上で繰り広げられる、実に退屈でお粗末なプレー。過去の栄光にしがみつきながら、健気に応援し続けるサポーター」を「必要以上に厳重な警備と、周囲の好奇の視線」にさらされながら取材する日々が。
好事家、物好きと自称する著者の作品はこれで3冊目だが、取り上げる素材は確かに個性的である。しかし本書で著者が取材対象に向けるまなざしは、随分とフクザツさを増しているように思える。
スポーツクラブに<ディナモ>なる詞を冠するのは文豪ゴーリキーが発案したといわれ、旧ソ連を源流に東欧の多くのクラブ名で用いられた。
その象徴するものは<国家>、<権力>。
人々は国家に対する不満の表明をスタジアムの中でのみ、このディナモを罵倒することでなし得ていたが、東欧が<自由化>された現在、人々は「過去の栄光」の残滓をディナモに求めて、スタジアムにやってくる。
ディナモを追って旅を続ける著者の目に、そんな人々はどのように写り、逆に人々はこの極東から来たイエス・キリストにも似た風貌の<好事家>をどのような視線で見ていたのだろう。
2007年9月20日に日本でレビュー済み
著者が向かった2000年から2002年までの約2年間に及ぶ東欧のサッカーを巡る旅。2002年日本とW杯第2戦を闘ったロシアの原点がここに描かれている。ほとんどのサッカーファンには見向きもされないような閑散とするスタジアムや、低レベルなプレーを見せるアマチュアサッカーと混沌とした歴史の背景をリンクさせ時代が変化していった様を物語る。まるで教科書か歴史書と思える程詳細にしらべあげられているがサッカー自体の話がわかりづらい。旅日記として読んでも逆に歴史の話が疎まれる。全体的に中途半端な内容でいまいち読みづらかったのが残念。