絶望的な見解の人がいて驚かさせる。
量子的な理論は、その対象が、観測出来ない以上未知な領域であるという前提は、言うまでもなく、否定出来ない上に、計算出来る、または、平均値的な数学のトリックの域を超える事が出来ていない分野も山のように残されている。
この書は、政治的な回収をされると、アナーキーでありカウンター的な姿勢と見えるかもしれない、科学屋さんからすると、売り物のルールを逸してるかもしれない。
しかし、あくまでもその科学の始原的な姿勢に立つと、この書は、素晴らしく様々な道を開いている事に容易に気づく事だろう。
それを信じて開く事も、当然当事者に委ねられる。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則 単行本 – 1994/12/20
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥8,140","priceAmount":8140.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"8,140","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"5NG%2B3sOpgmr60zcqvyR82i80V3fwhFz2y2yPxwA%2F7D31I8zXi0xUJXY85GPd0%2F8QB8%2Bu6dsn4Cmabt83EARQqnltmSejhGsQniycXnsKyqOJBfiP%2BINUtLGULb9Ye8M%2F","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
- 本の長さ536ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日1994/12/20
- ISBN-104622040964
- ISBN-13978-4622040965
よく一緒に購入されている商品
対象商品: 皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則
¥8,140¥8,140
最短で6月13日 木曜日のお届け予定です
残り5点(入荷予定あり)
¥5,500¥5,500
最短で6月13日 木曜日のお届け予定です
残り5点(入荷予定あり)
¥1,540¥1,540
最短で6月13日 木曜日のお届け予定です
残り16点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
出版社より
物理学者ロジャー・ペンローズ教授、2020年ノーベル賞受賞! 初めて一般読者のために書かれベストセラー!
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
あのスティーブン・ホーキングと共同研究を行った著者が、物理学における量子重力論の重要性を説き、心=ミクロ・コスモスを理解するための鍵を求めて宇宙の闇に迫る、破天荒な物理学の本。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (1994/12/20)
- 発売日 : 1994/12/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 536ページ
- ISBN-10 : 4622040964
- ISBN-13 : 978-4622040965
- Amazon 売れ筋ランキング: - 245,339位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 882位科学読み物 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
24グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年6月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ロジャー・ペンローズは、数学や物理学の世界では理論を提出し、2020年にはノーベル物理学賞を受賞した人である。ちなみにこの本はB5判で500頁もある非常に硬派な本である。一般向けに書いたと著者は言うが、その甘い期待は早々に裏切られる。中では数式やグラフが当たり前に飛び交い、それが物理学(それも量子論!)の難易度劇高の理論が跋扈する。おいそれとお勧めはできないが、それでも彼の最後の章の指摘が現代においても大変重要なことを述べている。
「意識的思考は非アルゴリズム的であり、無意識の方こそアルゴリズム的だ」という指摘である。アルゴリズムは「計算可能」な形式や手続きを言う。現代のIT業界やAI業界では当たり前に述べられたりしているが、無意識の方が計算可能性によって追及出来るということを、ペンローズは仮説で投げかけているのだ。
この指摘は現代では大変重要だ。なぜなら、これだけスマホが普及し、アプリが普及している現代こそ、「無意識こそアルゴリズム的だ」という指摘が「依存症」を生み出す論拠して十分なほど確かだと判明する。
つまり「人間の無意識こそ操作しうるのだ」。流石にサブリミナル広告は昨今では禁止されているが、繰り返しに勝る「サブリミナル」は存在しない。つまり「しらずしらず」にアプリの虜になっており、搾取構造に取り込まれている様は正直笑えない。アダム・オルター「 僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた 」とか、カル・ニューポート「 デジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方 」とかを読んで頭を冷やして欲しい。無意識的なアルゴリズムはこれまたマーケティングのAIや、コンピュータのITロボットのアルゴリズムによって搾取構造に取り込まれていることを立証している。
この本は80年代に第二次AIブームで盛んになったご時世に、この本によって「強いAI」の論議に止めを指したことでも有名だ。けれど、21世紀になりコンピュータの半導体の進歩によって、量子コンピュータは出てくるわ、ディープラーニングによる無意識のアルゴリズム解析が進み、多くの職人技などが、AIロボットに取られ出している様を知るにつけ、レーモン・カーツワイルの様な人が技術的特異点(シンギュラリティ)で人類の知性を超える日が来ると楽観的に述べたりもしている。
ところが、この本を読むと議論のベクトルがどうも違っていることが判然とするはずだ。それは意識的思考の非アルゴリズム性をもっと問い直すべきかと考える必要があるとわかる。理由はこの本の最終章の一番の読みどころではあるが、マイケル・ポランニーの「暗黙知」(参照:「 暗黙知の次元 」)と同様の「深層の知」には非アルゴリズム性が横たわっていて、それは<意識>でないと取り出せない「構造」(?)が厳然とあることを述べている。つまり「不意の確証」、インスピレーションの類はアルゴリズム的な計算可能性から「不意の確証」として降りてくる「創発」でもある。これはAIでも今後は当面出来ないだろう。理由は色々考えてみて欲しい。AIには「あるもの」が無いからだ。
これはジョン・L・キャスティ「 複雑性とパラドックス 」でも、このペンローズの本を参考にしているが、自律的AIはアルゴリズム性だけでは起こり得ない。なぜならプログラムする「意図」が今でも人間にあるからこそ、アルゴリズムが動くという「前提」が必ずある。ペンローズもこの本でアラン・チューリングのチューリング・マシンの「停止問題」について述べているが、プログラムされていない自己の意図で、停止は出来ないことを述べている。この説明についてはジョン・L・キャスティの著書の説明の方が大変わかりやすいのであるが、もっとわかりやすく述べるなら、機械である以上システムの暴走や故障、事故は必ず起こり得る。もしそうなった時に自らの意思で停止が可能なのかという問題がどこかにある。昨今でもシステム障害が頻繁に見受けられるが、AIを導入してもそれを理解している人が「上位」のレベルに存在しなければ恐らくは「強いAI」は単なる災厄でしかない。
頭が良い人が必ず筆頭に立つわけではないという、人類の不条理こそ問題であり、貧富の差がある社会経済にAIは絶望しかない。貧しき者は速度経済の搾取の対象できかないからだ。この問題が解決出来なければAIが人類の希望などという馬鹿な考えは止めた方がよいと私は考える。あくまでもAIは便利なツールとして使い方を誤らないことが必要だと思う。
「意識的思考は非アルゴリズム的であり、無意識の方こそアルゴリズム的だ」という指摘である。アルゴリズムは「計算可能」な形式や手続きを言う。現代のIT業界やAI業界では当たり前に述べられたりしているが、無意識の方が計算可能性によって追及出来るということを、ペンローズは仮説で投げかけているのだ。
この指摘は現代では大変重要だ。なぜなら、これだけスマホが普及し、アプリが普及している現代こそ、「無意識こそアルゴリズム的だ」という指摘が「依存症」を生み出す論拠して十分なほど確かだと判明する。
つまり「人間の無意識こそ操作しうるのだ」。流石にサブリミナル広告は昨今では禁止されているが、繰り返しに勝る「サブリミナル」は存在しない。つまり「しらずしらず」にアプリの虜になっており、搾取構造に取り込まれている様は正直笑えない。アダム・オルター「 僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた 」とか、カル・ニューポート「 デジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方 」とかを読んで頭を冷やして欲しい。無意識的なアルゴリズムはこれまたマーケティングのAIや、コンピュータのITロボットのアルゴリズムによって搾取構造に取り込まれていることを立証している。
この本は80年代に第二次AIブームで盛んになったご時世に、この本によって「強いAI」の論議に止めを指したことでも有名だ。けれど、21世紀になりコンピュータの半導体の進歩によって、量子コンピュータは出てくるわ、ディープラーニングによる無意識のアルゴリズム解析が進み、多くの職人技などが、AIロボットに取られ出している様を知るにつけ、レーモン・カーツワイルの様な人が技術的特異点(シンギュラリティ)で人類の知性を超える日が来ると楽観的に述べたりもしている。
ところが、この本を読むと議論のベクトルがどうも違っていることが判然とするはずだ。それは意識的思考の非アルゴリズム性をもっと問い直すべきかと考える必要があるとわかる。理由はこの本の最終章の一番の読みどころではあるが、マイケル・ポランニーの「暗黙知」(参照:「 暗黙知の次元 」)と同様の「深層の知」には非アルゴリズム性が横たわっていて、それは<意識>でないと取り出せない「構造」(?)が厳然とあることを述べている。つまり「不意の確証」、インスピレーションの類はアルゴリズム的な計算可能性から「不意の確証」として降りてくる「創発」でもある。これはAIでも今後は当面出来ないだろう。理由は色々考えてみて欲しい。AIには「あるもの」が無いからだ。
これはジョン・L・キャスティ「 複雑性とパラドックス 」でも、このペンローズの本を参考にしているが、自律的AIはアルゴリズム性だけでは起こり得ない。なぜならプログラムする「意図」が今でも人間にあるからこそ、アルゴリズムが動くという「前提」が必ずある。ペンローズもこの本でアラン・チューリングのチューリング・マシンの「停止問題」について述べているが、プログラムされていない自己の意図で、停止は出来ないことを述べている。この説明についてはジョン・L・キャスティの著書の説明の方が大変わかりやすいのであるが、もっとわかりやすく述べるなら、機械である以上システムの暴走や故障、事故は必ず起こり得る。もしそうなった時に自らの意思で停止が可能なのかという問題がどこかにある。昨今でもシステム障害が頻繁に見受けられるが、AIを導入してもそれを理解している人が「上位」のレベルに存在しなければ恐らくは「強いAI」は単なる災厄でしかない。
頭が良い人が必ず筆頭に立つわけではないという、人類の不条理こそ問題であり、貧富の差がある社会経済にAIは絶望しかない。貧しき者は速度経済の搾取の対象できかないからだ。この問題が解決出来なければAIが人類の希望などという馬鹿な考えは止めた方がよいと私は考える。あくまでもAIは便利なツールとして使い方を誤らないことが必要だと思う。
2020年10月30日に日本でレビュー済み
一読後の感想は、教科書として本書を用いた場合、きちんとひとに教えることができるだろうか? という自問自答から始まりました。これは、わたしには、教科書としては使いこなせない、というのが第一の感想です。
2000年に読んでいて、いま、著者がノーベル賞を受賞したことをきっかけに、20年ぶりに再読しようとして、おそらく、著者にとっての「量子重力論」への期待にまわす要素が、それ自体で統一的なフォルムをもっているのでしょうね、と思いました。
つまり、著者の思考構造が、記述内容と並行して、読者の中のどこかにたくわえられていくのです。こういった言わば、「陰の刷り込み」が、何かを読者の中にセットして、そして、去っていくのでしょう。
音楽の場合にもそういうことを感じることがあります。去っていった音楽が、わたしの中に何かを残していく。そのおかげで、それ以後、別の音楽への接近が、容易になることもあります。そして、どうしてそうなるのかが、わからないのです。でもそれは、わからなくても心地よいことです。
しかし、本書のようなロジックの運用の場合に、どうしてそうなるのかが、わからない何ものかが残されるのを、生理的にいやがる読者もあると思います。ひとそれぞれですね。次なる何ものかが、いずれ理解するに値するものであるのならば、そうやって、いつの間にか準備段階を経過してしまうのも、わたしは良いと思います。楽しみな感じがするのです。
ほんの少し助け船を出すと、p.461「われわれが(たぶん一時的に)哲学者になったときにふける物思いやつぶやきそれ自体は選択されたものではなく、確かに意識があり、自然淘汰によって意識をもつように選択されたものが、あるまったく別の、たぶん非常に強力な理由で担わなくてはならなくなった、必然的な、(自然淘汰の立場から見れば)「お荷物」なのである。(中略)自分以外の、確かに心をもつ個人と出会った、とわれわれが確信するのは、他人がこのような奇妙な哲学的な仕方で振る舞うのを見るときである。」のくだりは、発達心理学における内言―外言の過程を中心にした、社会性の議論を参照すると良いでしょう。
世に、文学→科学→哲学という時系列があります。そのうち第二部門をつかさどる世界での専門家の自己解説の試みでした。先に文学、きっとのちに哲学に関しても通用するセンスが著者にはあるようです。最近では雑誌newtonによる『時間とは何か 改訂第2版 (ニュートンムック)』でのメール・インタビューにも回答がありました。今後も叩けば開かれる門があることを期待します。
追伸 著者による「数学的洞察の非アルゴリズム的性格」について。これはゲーデルの定理に関する考察を基に、数学者の真理判断の実際の保持する性格を措定しようとするものです。ここで思うに、解析幾何の「幾何」の方におけるイメージ方略について、「『類推』の過程はアルゴリズムに落とし込むことが可能か否か」、が不分明であると思います。悩ましいですね。
それから一層上(?)、背後(?)のお話をしますと、ゲーデルをくぐりぬけた学問全般の「ひるみ」の話になるのならば、著者の専門の数学的認知過程に話をしぼりこむことが筆者にとっては誠実な態度になるのでしょうが、これはむしろ、ヒトの認知過程一般に焦点を奥に送って、①ヒトには認知上ヒトによってできるところとできないところの境界があいまいな領域があること、と②本来、ヒトには認知上ヒトにもとから不可能である領域があること、の2つに問題をもってくる方が実践的である、と思います。このことにより意識に関して、意識とは〇〇である、という科学的解明が、完全には不可能であると考えても良いと思います。解明不可能な理由は、関連対象領域にもとから触れない領域があるからです。もっとも、この形の論理ゲームはどなたにでも否定していただいて一向にかまいません。
運動生理学の世界では、心身が切り離せません。したがって、心身の推移のパターンを図示化すれば、運動力学、心理学の緊密に連携された形での推移を投影していくこととなります。
そして、ヒトは例えば、「質点」ではありえませんので、身体の存在により、一定の場のはばを確保した、否定的表現を用いれば、どうしても占めてしまう身体の量的な因子に起因する、推移曲線=走査線の非通過領域が発生してしまいます。
ヒトの身体がそこにあることにより、ある運動上の能力を阻んでしまう条件を抱えているのです。
運動生理学、スポーツ医学、といった領域では、アスリートたちが、どうしたら、あらたな記録を獲得できるか、どうしたら、あらたな身体運動を開発できるかといった、「記録を伸ばす」ことに注目が集まりますが、実際には、それに先立って、自身の身体がそこにそういう形で存在していることに起因する非通過領域の発生が、ある時点での身体運動が許される位置に制限をもたらしていることの方が、本質的条件となります。
比喩的に表現すると、自由を求めているつもりでいても、もともと、その自由の追求には、完全には自由であり得ない条件が潜在しているのです。自身の存在が、一種の不自由さの原因となっているのです。
いにしえのアルキメデスは、ヒトは支点の移動に堪えられる、と発言しました。しかし、そうではなくて、ヒトは身体の存在により、その推移曲線に非通過の領域を持っているために、完全には支点の移動に堪えられないのです。このことは、ヒトに相対してロボットの存在を仮定しても同じことです。ロボットにも自身の存在に起因する推移曲線=走査線の非通過領域があります。量的規制の問題です。
それにしても、20世紀の我が国の文芸世界において、「見つけたよ」と語っていて、実は見つけていなかった問題の解明を、脳科学でまだやらないのはどうしてでしょう。文学→科学のところで止まると、哲学まではたどりつけません。これは、知的怠慢のそしりを免れ得ないことではないでしょうか。
2000年に読んでいて、いま、著者がノーベル賞を受賞したことをきっかけに、20年ぶりに再読しようとして、おそらく、著者にとっての「量子重力論」への期待にまわす要素が、それ自体で統一的なフォルムをもっているのでしょうね、と思いました。
つまり、著者の思考構造が、記述内容と並行して、読者の中のどこかにたくわえられていくのです。こういった言わば、「陰の刷り込み」が、何かを読者の中にセットして、そして、去っていくのでしょう。
音楽の場合にもそういうことを感じることがあります。去っていった音楽が、わたしの中に何かを残していく。そのおかげで、それ以後、別の音楽への接近が、容易になることもあります。そして、どうしてそうなるのかが、わからないのです。でもそれは、わからなくても心地よいことです。
しかし、本書のようなロジックの運用の場合に、どうしてそうなるのかが、わからない何ものかが残されるのを、生理的にいやがる読者もあると思います。ひとそれぞれですね。次なる何ものかが、いずれ理解するに値するものであるのならば、そうやって、いつの間にか準備段階を経過してしまうのも、わたしは良いと思います。楽しみな感じがするのです。
ほんの少し助け船を出すと、p.461「われわれが(たぶん一時的に)哲学者になったときにふける物思いやつぶやきそれ自体は選択されたものではなく、確かに意識があり、自然淘汰によって意識をもつように選択されたものが、あるまったく別の、たぶん非常に強力な理由で担わなくてはならなくなった、必然的な、(自然淘汰の立場から見れば)「お荷物」なのである。(中略)自分以外の、確かに心をもつ個人と出会った、とわれわれが確信するのは、他人がこのような奇妙な哲学的な仕方で振る舞うのを見るときである。」のくだりは、発達心理学における内言―外言の過程を中心にした、社会性の議論を参照すると良いでしょう。
世に、文学→科学→哲学という時系列があります。そのうち第二部門をつかさどる世界での専門家の自己解説の試みでした。先に文学、きっとのちに哲学に関しても通用するセンスが著者にはあるようです。最近では雑誌newtonによる『時間とは何か 改訂第2版 (ニュートンムック)』でのメール・インタビューにも回答がありました。今後も叩けば開かれる門があることを期待します。
追伸 著者による「数学的洞察の非アルゴリズム的性格」について。これはゲーデルの定理に関する考察を基に、数学者の真理判断の実際の保持する性格を措定しようとするものです。ここで思うに、解析幾何の「幾何」の方におけるイメージ方略について、「『類推』の過程はアルゴリズムに落とし込むことが可能か否か」、が不分明であると思います。悩ましいですね。
それから一層上(?)、背後(?)のお話をしますと、ゲーデルをくぐりぬけた学問全般の「ひるみ」の話になるのならば、著者の専門の数学的認知過程に話をしぼりこむことが筆者にとっては誠実な態度になるのでしょうが、これはむしろ、ヒトの認知過程一般に焦点を奥に送って、①ヒトには認知上ヒトによってできるところとできないところの境界があいまいな領域があること、と②本来、ヒトには認知上ヒトにもとから不可能である領域があること、の2つに問題をもってくる方が実践的である、と思います。このことにより意識に関して、意識とは〇〇である、という科学的解明が、完全には不可能であると考えても良いと思います。解明不可能な理由は、関連対象領域にもとから触れない領域があるからです。もっとも、この形の論理ゲームはどなたにでも否定していただいて一向にかまいません。
運動生理学の世界では、心身が切り離せません。したがって、心身の推移のパターンを図示化すれば、運動力学、心理学の緊密に連携された形での推移を投影していくこととなります。
そして、ヒトは例えば、「質点」ではありえませんので、身体の存在により、一定の場のはばを確保した、否定的表現を用いれば、どうしても占めてしまう身体の量的な因子に起因する、推移曲線=走査線の非通過領域が発生してしまいます。
ヒトの身体がそこにあることにより、ある運動上の能力を阻んでしまう条件を抱えているのです。
運動生理学、スポーツ医学、といった領域では、アスリートたちが、どうしたら、あらたな記録を獲得できるか、どうしたら、あらたな身体運動を開発できるかといった、「記録を伸ばす」ことに注目が集まりますが、実際には、それに先立って、自身の身体がそこにそういう形で存在していることに起因する非通過領域の発生が、ある時点での身体運動が許される位置に制限をもたらしていることの方が、本質的条件となります。
比喩的に表現すると、自由を求めているつもりでいても、もともと、その自由の追求には、完全には自由であり得ない条件が潜在しているのです。自身の存在が、一種の不自由さの原因となっているのです。
いにしえのアルキメデスは、ヒトは支点の移動に堪えられる、と発言しました。しかし、そうではなくて、ヒトは身体の存在により、その推移曲線に非通過の領域を持っているために、完全には支点の移動に堪えられないのです。このことは、ヒトに相対してロボットの存在を仮定しても同じことです。ロボットにも自身の存在に起因する推移曲線=走査線の非通過領域があります。量的規制の問題です。
それにしても、20世紀の我が国の文芸世界において、「見つけたよ」と語っていて、実は見つけていなかった問題の解明を、脳科学でまだやらないのはどうしてでしょう。文学→科学のところで止まると、哲学まではたどりつけません。これは、知的怠慢のそしりを免れ得ないことではないでしょうか。
2002年7月5日に日本でレビュー済み
コンピュータは人間の脳にとって代わることができるのか。
それについての興味深い考察。
AIを学び始める人にお勧め。
それについての興味深い考察。
AIを学び始める人にお勧め。
2015年5月30日に日本でレビュー済み
知能とは何か?知能を定義してモデルを作り、コンピューターで演算させることはできるのか?とにかく、人類史上の難問について、哲学者があれこれ考え答えを模索する。本著で著者は、コンピューターにSEXをさせたりと、人工知能の可能性と実現性の難しさについて、理詰めで論じられている。しかし、最近のコンピューターの進歩は、目覚しく、一時、停滞していた人工知能の研究が活発化しはじめている。その要因として、ハードウェアーの急激な演算力の向上や、不確実性の原理に基づいた量子コンピューターの登場、または、概念を理解するディープラーニングの実現など、著者の考えを超えた、従来とは、まったく違うコンピューターが知能を持つかもしれない。ここまでは、私の感想ですが、読んで損はしない一冊です。
2010年6月15日に日本でレビュー済み
「理解」という問題と、ペンローズ独自の哲学、数学的プラトン主義の世界観を背景に、強いAI研究への強烈な非難を展開した、心脳問題の古典的名著。
内容は、比較的簡単な部分と、歯ごたえ抜群の部分と混在しているが、個人的には、後半の量子重力やマイクロチューブルは読まなくてもよいと思うし、そこは敷居も高い。しかし、最初から中盤までの心脳問題への接近がとても面白い。(中盤までで凄いボリュームだ)
これらの議論は、全く間違いかもしれないが、そこにある知性は最高にエレガントだ。
たぶん我等の未来に手付かずで残されている最後の知的フロンティアは「意識」だろう。ペンローズは、そのフロンティアが非常に広大で遠いことをガイドしてくれる偉大な先導役を果たしたといえる。
彼が向かった先は誤りかもしれないが、その業績は次代への門を開いたという意味で大きいだろう。
子供の頃に不可能図形の原案を提出し、ツイスター理論を殆ど一人で創りあげ、特異点定理を発表し、ペンローズタイルを見つけた…そんな天才ペンローズ様の素晴らしい知性を堪能できるとっても素敵な一冊だ。
知的好奇心の充足を得るためにも、いまなお一読を推奨したい。
内容は、比較的簡単な部分と、歯ごたえ抜群の部分と混在しているが、個人的には、後半の量子重力やマイクロチューブルは読まなくてもよいと思うし、そこは敷居も高い。しかし、最初から中盤までの心脳問題への接近がとても面白い。(中盤までで凄いボリュームだ)
これらの議論は、全く間違いかもしれないが、そこにある知性は最高にエレガントだ。
たぶん我等の未来に手付かずで残されている最後の知的フロンティアは「意識」だろう。ペンローズは、そのフロンティアが非常に広大で遠いことをガイドしてくれる偉大な先導役を果たしたといえる。
彼が向かった先は誤りかもしれないが、その業績は次代への門を開いたという意味で大きいだろう。
子供の頃に不可能図形の原案を提出し、ツイスター理論を殆ど一人で創りあげ、特異点定理を発表し、ペンローズタイルを見つけた…そんな天才ペンローズ様の素晴らしい知性を堪能できるとっても素敵な一冊だ。
知的好奇心の充足を得るためにも、いまなお一読を推奨したい。