とにかく、この作品の情報量と複雑に絡み合う人物の相関が歴史を超えて巧みに構成、描写しているテクニックには舌を巻いた。すべてが明晰に記され、不明瞭な点など一切ない。こんなレベルの作品を20代で描き、しかもデビュー作品だというのだから驚かざるを得ない。訳者の柴田氏による後書きでは、アメリカでの出版からそう間を置かず、福武書店(現:ベネッセ)からの刊行が決まっていたのだが、ベネッセは出版事業から撤退し、本作がアメリカで出版されてから15年も経過して初めて日本に上陸した。
作品は複雑な層をなしつつも、見事な完成度を達成している。そして-(訳者の力量でもあるとおもうのだが)-リチャード・パワーズの文体は非常に論理的かつ明晰なスタイルだ。ただ、少々難点があるとすれば、-(これはガラテイア2.2のレビューでも記載したのだが)-、作者の博学と語彙のレベルが非常に高度であるため、-(嫌味な言い方だが)-読者を選ぶタイプの作品である事は否めない。そして、20世紀の歴史に関する文章は、著者の透明性が消え、論文のベクトルに傾いて成立しており-(それがこの作品のある意味での難点でもあり同時に個性や魅力でもある)-、例えば日本のお家芸である私小説的リアリズムに接し続けてきた人が、いきなりこの作品を読むのは、相当にしんどい読書になってしまうだろう。しかし、この作品の完成度はそれらを補ってあまるほどのレベルに到達している。そして、再読に値するだけのコアを十二分に持っている。
これだけの作家が10年前にやっと日本に紹介されたのは、残念だと思うと同時にまだ翻訳されていない作品が多々あるため非常に楽しみだ。
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舞踏会へ向かう三人の農夫 単行本 – 2000/4/14
- 本の長さ415ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2000/4/14
- ISBN-104622045176
- ISBN-13978-4622045175
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
それは1914年のうららかな春、プロイセンで撮られた一枚の写真からははじまった。縦横無尽の文章、ほとんど小説の域を逸脱しているような緻密な思索。現代アメリカ文学最強の新人が描き切った驚異の物語。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2000/4/14)
- 発売日 : 2000/4/14
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 415ページ
- ISBN-10 : 4622045176
- ISBN-13 : 978-4622045175
- Amazon 売れ筋ランキング: - 85,358位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年1月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2022年10月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
迅速な対応でした。状態はよかったです。ありがとうございます。
2018年1月25日に日本でレビュー済み
20世紀初頭をミステリーじみた手法で振り返りつつ、フォードやサラ・ベルナールなどの人物を真面目かつ滑稽に描く腕は素晴らしい。それでいて、若者特有のノリだけで生きているバカっぽさや、真剣に生きていて滑稽な人物の描き方が大変魅力的
2012年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
表紙の写真は,実在したドイツ人写真家Augusut Sander(アウグスト・ザンダー)による「Young Farmers」と題する写真です。本書は,まず,「私」が偶然この写真を目にしたことから始まる物語が第1章。
そしてこの写真が撮られた1914年を舞台に,この写真に写る三人の若い農夫たちがそれぞれの立場で戦争にまきこまれ波乱に満ちた人生を送る物語が第2章。
現在の終戦パレードをビルの上階から見下ろした際に偶然見かけた赤い髪の女性を追い求める雑誌編集者ピーター・メイズの物語が第3章。
この三つの物語が交互に進行していく体裁をとる本書。
なぜか気になり手に取ることになったのは,ザンダーによるブックカヴァーの写真に妙に惹かれたからでした。
本書で初めてザンダーのことを知り,さっそくアマゾンでザンダーの写真集「Face of Our Time」を買ってしまいました。
さて,本書は小説でありながら,実在の人物であるザンダーを取り上げ写真論を展開し,自動車王ヘンリー・フォードや女優サラ・ベルナールの人生が描かれ,伝記論が展開されるなど,まるで小説の枠を飛び出した「白鯨」のようです。著者のかなりの博識も感じられます。
いかにもアメリカ人に書かれた作品という感じの,知性ある皮肉混じりのその文体に,当初なかなか馴染めず,それでも何か気になるところがあり,さてどうしようかと思いつつも最後まで読み終えた今,もう一度最初から読み返してみようか,との気分になっています。
では,本書から気になった一節を引用。
「我々は皆,目隠しをされ,この歪みきった世紀のどこかにある戦場に連れて行かれて,うんざりするまで踊らされるのだ」
そしてこの写真が撮られた1914年を舞台に,この写真に写る三人の若い農夫たちがそれぞれの立場で戦争にまきこまれ波乱に満ちた人生を送る物語が第2章。
現在の終戦パレードをビルの上階から見下ろした際に偶然見かけた赤い髪の女性を追い求める雑誌編集者ピーター・メイズの物語が第3章。
この三つの物語が交互に進行していく体裁をとる本書。
なぜか気になり手に取ることになったのは,ザンダーによるブックカヴァーの写真に妙に惹かれたからでした。
本書で初めてザンダーのことを知り,さっそくアマゾンでザンダーの写真集「Face of Our Time」を買ってしまいました。
さて,本書は小説でありながら,実在の人物であるザンダーを取り上げ写真論を展開し,自動車王ヘンリー・フォードや女優サラ・ベルナールの人生が描かれ,伝記論が展開されるなど,まるで小説の枠を飛び出した「白鯨」のようです。著者のかなりの博識も感じられます。
いかにもアメリカ人に書かれた作品という感じの,知性ある皮肉混じりのその文体に,当初なかなか馴染めず,それでも何か気になるところがあり,さてどうしようかと思いつつも最後まで読み終えた今,もう一度最初から読み返してみようか,との気分になっています。
では,本書から気になった一節を引用。
「我々は皆,目隠しをされ,この歪みきった世紀のどこかにある戦場に連れて行かれて,うんざりするまで踊らされるのだ」
2014年8月10日に日本でレビュー済み
他のレビュアーの方々は大絶賛されていますが、私は少しも評価できません。
まず第1章、物語の話者が職を求めてボストンまで行く途中、乗り換えのためにデトロイトに途中下車したときの描写。
「高々と広がる天井は、広面の面積と釣りあっていないように思えた。デトロイトの工場基準の明るさに目が慣れてくると、私は衝撃を受けた。子供のころ、公営プールに行って、老いた復員軍人が水に入る際にストラップを外して片足を取り去るのを見たときと同じ衝撃である。年代物のターミナルも、同様の切除手術を受けていたのだ。(・・・)ベニヤの仕切りが、豪壮な袖の部分や、いくつものホームに通じるゲートを覆い隠し、残されたのは、ポツンとたたずむ到着ホームと中央出口とを結ぶ、このみずぼらしい鶏小屋だけだ。」
この「老いた復員軍人」の比喩表現はいけません。無神経な工事が行われている駅舎を手足をもがれた人間にたとえるのはいいのですが、「子供のころ、公営プールに行って」という言葉はいりません。これでは「衝撃を受けた」という「衝撃」の迫力が薄まってしまいます。こういうときは「駅は手足を切断した兵士のようだった」と率直に表現すればいいのです。それをどうしてまわりくどい少年時代の回想にして説明しなければならないのでしょう。これでは眼前の駅の荒廃した光景が遠のいてしまい、「衝撃を受けた」ということばが空々しく誇張された表現に感じられてしまいます。そればかりではない、表現がまわりくどく、もったいぶった口調に聞こえてしまう。
これは素人くさいミスです。はじめて小説を書く人は、フィクションを書くことに衒いがあるため、いろいろといらぬ言いわけを書いてしまう。たとえばこの文章のような自分の価値判断をしめす箇所では、そのまま書いてしまうと押しつけがましく思えるので、そう判断をした理由をこんな子供のころのプールサイドでの経験に構成して詳しく述べ立ててしまうのです。このような「疚しさ」の透けて見える表現がそこかしこに見受けられるので、そういう表現に行きあうたびに語り手の誠実さに疑問が感じられて、物語自体が読めなくなる。
「私が途中下車した時期、デトロイトはしばらく前から、極めて人工的な、盛んに宣伝されている再生を経ている最中であった。この新時代の象徴たる〈ルネッサンス・センター〉は、近年におけるもっとも野心的な建築計画と言ってよいかもしれない。その五つの黒い塔は、シャルトル大聖堂がそれを囲む街を圧倒し小さく見せてしまうのと同じように、町の残り全体をスケールにおいて凌駕している。」
「ルネッサンス・センター」というのはデトロイト都心部に建てられた巨大複合施設で、商業施設のほかにゼネラルモーターズ本社が入っています。リーマンショックのときの倒産騒ぎでテレビニュースの映像にこのビルがさかんに映されましたので、おぼえておられる方も多いでしょう。作中ではこのビルはその巨大さのため周囲の街から客を奪ってしまって、デトロイト経済がさらに落ちおこむという都市再開発事業の失敗例ととらえられています。しかしその引き合いにシャルトル大聖堂を持ってくるのはいかがなものでしょう。GM本社とフランスの世界遺産とは、当然建てられた経緯も、建物のもっている意味合いもちがいます。シャルトル大聖堂が何世紀ものあいだ地域の人々の心のよりどころになっていたという歴史にも、世界中から観光客を呼び集めフランスにも経済的恩恵をもたらしているという事実にも、著者は気づいていないようです。ただ形が似ているから、写真で見たときの印象が似ているから、この比喩を選んだのでしょう。これを読んだらフランス人は怒らないまでも違和感を感じるでしょうね。こんな知ったかぶりの比喩なんか書かなければいい。不用意に比喩を使ってしまうと、教養レベルを見すかされてしまいます。それどころか、このような大建築は教会や封建領主の人民に対する搾取の上に成り立っているだろうという、アメリカ人らしいナイーブな思い込みすらうかがわれる。
この小説は著者20代の処女作で、発表当時、その若さの割に該博な知識、20世紀史を大胆に組み込んだストーリーの構想力を絶賛されたといいます。 「ほぼ各センテンスごとに、反射的に何らかの皮肉、ジョーク、ひねり、引用、間接的言及が加えられた縦横無尽の文章。ほとんど小説の域を逸脱しているような緻密な思索。それらを支える驚異的な博識と論知的思考力、そしてその適度なガス抜きの役を果たす卓抜なユーモア」と訳者はあとがきでいうのですが、私にはこの評価がまったく空々しく聞こえます。ジョークもひねりも多すぎて、たんに原稿を水増ししているだけとしか思えないし、「思索」も執筆当時の進歩派の知識人の共通認識から逸脱するものではない。むしろ「シャルトル大聖堂」のような雑な批評が目立って、著者の精神的未熟さを饒舌でカバーしているだけのように思えます。
率直にいわせてもらえば、どんなに博識であろうと、ひねりがきいていようと、その本質においてはライトノベルと大差ありません。原書の発表は1985年。「絶賛とともに迎えられ」たそうですが、同時期のたとえばジェイ・マキナニー(『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』翻訳1991年)などとくらべるとそうとう見劣りがする。それが日本での紹介(2000年)がおくれた理由なのでしょう。ふりかえってみると、この10年の間に、日本では小説の読まれ方が大きく変わってしまった。フィッツジェラルドやカポーティまでが「ひねり」や「ジョーク」で評価されるようになってしまっている。本書はいわゆる「ゼロ年代の想像力」にはマッチするような文体とストーリー構想力をもっているので、ライトノベルファンにはおもしろいでしょうけれど、私はつまらないと思いました。全部で27章ありますが、5章でダウンです。
まず第1章、物語の話者が職を求めてボストンまで行く途中、乗り換えのためにデトロイトに途中下車したときの描写。
「高々と広がる天井は、広面の面積と釣りあっていないように思えた。デトロイトの工場基準の明るさに目が慣れてくると、私は衝撃を受けた。子供のころ、公営プールに行って、老いた復員軍人が水に入る際にストラップを外して片足を取り去るのを見たときと同じ衝撃である。年代物のターミナルも、同様の切除手術を受けていたのだ。(・・・)ベニヤの仕切りが、豪壮な袖の部分や、いくつものホームに通じるゲートを覆い隠し、残されたのは、ポツンとたたずむ到着ホームと中央出口とを結ぶ、このみずぼらしい鶏小屋だけだ。」
この「老いた復員軍人」の比喩表現はいけません。無神経な工事が行われている駅舎を手足をもがれた人間にたとえるのはいいのですが、「子供のころ、公営プールに行って」という言葉はいりません。これでは「衝撃を受けた」という「衝撃」の迫力が薄まってしまいます。こういうときは「駅は手足を切断した兵士のようだった」と率直に表現すればいいのです。それをどうしてまわりくどい少年時代の回想にして説明しなければならないのでしょう。これでは眼前の駅の荒廃した光景が遠のいてしまい、「衝撃を受けた」ということばが空々しく誇張された表現に感じられてしまいます。そればかりではない、表現がまわりくどく、もったいぶった口調に聞こえてしまう。
これは素人くさいミスです。はじめて小説を書く人は、フィクションを書くことに衒いがあるため、いろいろといらぬ言いわけを書いてしまう。たとえばこの文章のような自分の価値判断をしめす箇所では、そのまま書いてしまうと押しつけがましく思えるので、そう判断をした理由をこんな子供のころのプールサイドでの経験に構成して詳しく述べ立ててしまうのです。このような「疚しさ」の透けて見える表現がそこかしこに見受けられるので、そういう表現に行きあうたびに語り手の誠実さに疑問が感じられて、物語自体が読めなくなる。
「私が途中下車した時期、デトロイトはしばらく前から、極めて人工的な、盛んに宣伝されている再生を経ている最中であった。この新時代の象徴たる〈ルネッサンス・センター〉は、近年におけるもっとも野心的な建築計画と言ってよいかもしれない。その五つの黒い塔は、シャルトル大聖堂がそれを囲む街を圧倒し小さく見せてしまうのと同じように、町の残り全体をスケールにおいて凌駕している。」
「ルネッサンス・センター」というのはデトロイト都心部に建てられた巨大複合施設で、商業施設のほかにゼネラルモーターズ本社が入っています。リーマンショックのときの倒産騒ぎでテレビニュースの映像にこのビルがさかんに映されましたので、おぼえておられる方も多いでしょう。作中ではこのビルはその巨大さのため周囲の街から客を奪ってしまって、デトロイト経済がさらに落ちおこむという都市再開発事業の失敗例ととらえられています。しかしその引き合いにシャルトル大聖堂を持ってくるのはいかがなものでしょう。GM本社とフランスの世界遺産とは、当然建てられた経緯も、建物のもっている意味合いもちがいます。シャルトル大聖堂が何世紀ものあいだ地域の人々の心のよりどころになっていたという歴史にも、世界中から観光客を呼び集めフランスにも経済的恩恵をもたらしているという事実にも、著者は気づいていないようです。ただ形が似ているから、写真で見たときの印象が似ているから、この比喩を選んだのでしょう。これを読んだらフランス人は怒らないまでも違和感を感じるでしょうね。こんな知ったかぶりの比喩なんか書かなければいい。不用意に比喩を使ってしまうと、教養レベルを見すかされてしまいます。それどころか、このような大建築は教会や封建領主の人民に対する搾取の上に成り立っているだろうという、アメリカ人らしいナイーブな思い込みすらうかがわれる。
この小説は著者20代の処女作で、発表当時、その若さの割に該博な知識、20世紀史を大胆に組み込んだストーリーの構想力を絶賛されたといいます。 「ほぼ各センテンスごとに、反射的に何らかの皮肉、ジョーク、ひねり、引用、間接的言及が加えられた縦横無尽の文章。ほとんど小説の域を逸脱しているような緻密な思索。それらを支える驚異的な博識と論知的思考力、そしてその適度なガス抜きの役を果たす卓抜なユーモア」と訳者はあとがきでいうのですが、私にはこの評価がまったく空々しく聞こえます。ジョークもひねりも多すぎて、たんに原稿を水増ししているだけとしか思えないし、「思索」も執筆当時の進歩派の知識人の共通認識から逸脱するものではない。むしろ「シャルトル大聖堂」のような雑な批評が目立って、著者の精神的未熟さを饒舌でカバーしているだけのように思えます。
率直にいわせてもらえば、どんなに博識であろうと、ひねりがきいていようと、その本質においてはライトノベルと大差ありません。原書の発表は1985年。「絶賛とともに迎えられ」たそうですが、同時期のたとえばジェイ・マキナニー(『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』翻訳1991年)などとくらべるとそうとう見劣りがする。それが日本での紹介(2000年)がおくれた理由なのでしょう。ふりかえってみると、この10年の間に、日本では小説の読まれ方が大きく変わってしまった。フィッツジェラルドやカポーティまでが「ひねり」や「ジョーク」で評価されるようになってしまっている。本書はいわゆる「ゼロ年代の想像力」にはマッチするような文体とストーリー構想力をもっているので、ライトノベルファンにはおもしろいでしょうけれど、私はつまらないと思いました。全部で27章ありますが、5章でダウンです。
2018年8月1日に日本でレビュー済み
評価が高く楽しみで読み始めましたがテンションが維持できませんでした。
とても面白い思索が開陳される一方、何十ページも削ってもいいだろうエピソードがダラダラ続いて、緊張感が続かない。
柴田訳がどうとか、例えば、「挑発的な、オレンジジュース的表情を目元に浮かべて彼女は言う、」、、、オレンジジュース的表情ってなんなんすかね?
もう少し読み進めたら開けるものがあるのかもしれませんが、ガマンが続きませんでした。
とても面白い思索が開陳される一方、何十ページも削ってもいいだろうエピソードがダラダラ続いて、緊張感が続かない。
柴田訳がどうとか、例えば、「挑発的な、オレンジジュース的表情を目元に浮かべて彼女は言う、」、、、オレンジジュース的表情ってなんなんすかね?
もう少し読み進めたら開けるものがあるのかもしれませんが、ガマンが続きませんでした。
2014年11月20日に日本でレビュー済み
本編内容もさることながら、いつもながら柴田元幸さんの翻訳は素晴らしい。大変こなれた和文はスムーズで読みやすい。物語も文句ない傑作。
2014年7月16日に日本でレビュー済み
いろいろなテーマが詰まった小説でけれども、最大のテーマは写真と人間の関係だと思う。写真の撮る・撮られる、写真に写った姿を見る・見られるという相互作用が、場面を変えながら繰り返し現れる。所々荒削りです筋が追いにくいところがあるけれども、二十世紀後半のの重要な小説の一つであると思う。
他の国からのトップレビュー
R. L. Oldershaw
5つ星のうち5.0
Great Book
2020年1月16日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
Richard Powers' book "Three Farmers on Their Way to a Dance" is fun and erudite. An interweaving of different stories from different eras around the tragic inevitability of the First World War. A work of romance, modernization, obsession, physics, war, human fallibility, etc., etc. Not for those who like easy "page-turners".
Annoyed
5つ星のうち2.0
Shoddy packaging
2014年2月12日に英国でレビュー済みAmazonで購入
The packaging was cheap and shoddy, a low-cost, flimsy envelope. Would perhaps be ok for slim books, but this one was bigger and heavier and also being sent abroad, so it ended up with the corners and edges bashed and creased. Also, for a supposedly new book there was a small stain. Very speedy service, at least.
LLP
5つ星のうち4.0
Difficult to read
2021年2月7日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
I expected it to be a lighter read, but it is interesting.
Simon
5つ星のうち5.0
Nice clean copy
2019年9月2日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
The copy of Three Farmers on Their Way to a Dance was received in excellent condition. Nice to have a copy of this modern classic again. I should never have given my original copy to my son!
Greg L. Peck
5つ星のうち3.0
Staged or natural photography, which is real?
2021年4月23日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
The historic photo of these mean is the lead into the photo book by Sander that was banned by the Nazis. The story gives unusual incites about the war, Henry Ford and the peace ship, and the legendary Sarah Bernhardt. It’s a slow read where paragraphs have to be ingested to savor the meaning- definitely not a page turner. The author’s commentary on photography in this age of online photo posting is timeless insight into what is captured the moment the shutter clicks.