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遊園地の木馬 単行本 – 1998/1/1
池内 紀
(著)
- 本の長さ259ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日1998/1/1
- ISBN-104622046504
- ISBN-13978-4622046509
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
こだわるのはめんどうだし、気のすすまないことはしたくない。町中の銭湯から八ケ岳、谷中からウィーンへ、ゆったりさりげなく語られた自由人の詩と真実。94年8月~97年4月まで日本経済新聞に連載されたもの。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (1998/1/1)
- 発売日 : 1998/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 259ページ
- ISBN-10 : 4622046504
- ISBN-13 : 978-4622046509
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,009,190位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 15,063位近現代日本のエッセー・随筆
- - 92,741位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年12月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
池内さんらしい日常のほんの些細な事に対する優しい洞察を味わえました。
2012年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
池内紀は丹念に街を歩き、山を歩き、道を歩きながら、風景やひとの姿、積み上げられてきた歴史の姿を愛情深く描く。
それは瞬間的で、もう二度と訪れることのない時間を、柔らかなシャッター音でとどめ置くような筆運びだ。
せわしなく過ぎてゆく日常、片づけなければならない仕事、気づけばふと、からめ捕られているさまざまな欲など、
本当は大したことのないものはどんどん切り捨てて、ベタベタと寄り合わずに「薄情」にすがすがしく生きていくことの、
少しだけの寂しさと身軽さ。そして本当に大切なものを探すまなざし。
池内紀のさりげないおしゃべりを身近で聞くような佳品が、うつくしい輝きを放っている一冊。
それは瞬間的で、もう二度と訪れることのない時間を、柔らかなシャッター音でとどめ置くような筆運びだ。
せわしなく過ぎてゆく日常、片づけなければならない仕事、気づけばふと、からめ捕られているさまざまな欲など、
本当は大したことのないものはどんどん切り捨てて、ベタベタと寄り合わずに「薄情」にすがすがしく生きていくことの、
少しだけの寂しさと身軽さ。そして本当に大切なものを探すまなざし。
池内紀のさりげないおしゃべりを身近で聞くような佳品が、うつくしい輝きを放っている一冊。
2014年4月8日に日本でレビュー済み
これって日経に連載されていたんですか。恥ずかしいことに全く記憶にないですね。何を毎日読んでいたのでしょうか。作品の価値というのは受け手や読み手のその時々の心情やレンズに大きく左右されるのですね。
今読んでみると、それぞれが味わいの深い随想の集積された作品です。時代はバブル崩壊後、その間に地震をはさんだ1994年から1997年ですね。でも地震(著者は兵庫県の出身で神戸で教職についていたことがある)、携帯やイチローへの言及が見受けられるいくつかの作品を除くと、当時の時代を示唆する描写は驚くべきほど限定されています。
名刺と定期そしてテレビを一度も持ったことがない著者はいわゆる一般人とは違った人生を送ってきた人物です。その人物がさまざまな日常の情景や旅先での一シーンをさりげない筆致で限りあるスペースの中で起承転結をつけていく。これこそが池内節です。居酒屋、蕎麦屋、銭湯、山登り、ギャラリー、そしてドイツや台湾への旅などが取り上げられており、その後テーマごとに細分化して、それぞれ別の作品にまとめられていくことになる池内氏の生き様が原形のままでここにはおさめられていきます。そしてエロチシズムの原形も。
一見「故郷喪失者」の印象を与える池内氏ですが、池内氏の播州での子供時代の思い出へタイムスリップした作品もかなりおさめられています。このような回想はその後は限定的になると思われますので、この部分は貴重な記録なのかもしれません。また池内氏が指摘する薄情さは、「自分がかつて持ちもしなかった感覚を思い、後ろ向きの過去の修正」を残酷にも指摘する鋭い観察眼の裏腹なのかもしれません。
ところでマッチはもはや見受けることが難しくなりました。そして水上温泉も変貌しました。
今読んでみると、それぞれが味わいの深い随想の集積された作品です。時代はバブル崩壊後、その間に地震をはさんだ1994年から1997年ですね。でも地震(著者は兵庫県の出身で神戸で教職についていたことがある)、携帯やイチローへの言及が見受けられるいくつかの作品を除くと、当時の時代を示唆する描写は驚くべきほど限定されています。
名刺と定期そしてテレビを一度も持ったことがない著者はいわゆる一般人とは違った人生を送ってきた人物です。その人物がさまざまな日常の情景や旅先での一シーンをさりげない筆致で限りあるスペースの中で起承転結をつけていく。これこそが池内節です。居酒屋、蕎麦屋、銭湯、山登り、ギャラリー、そしてドイツや台湾への旅などが取り上げられており、その後テーマごとに細分化して、それぞれ別の作品にまとめられていくことになる池内氏の生き様が原形のままでここにはおさめられていきます。そしてエロチシズムの原形も。
一見「故郷喪失者」の印象を与える池内氏ですが、池内氏の播州での子供時代の思い出へタイムスリップした作品もかなりおさめられています。このような回想はその後は限定的になると思われますので、この部分は貴重な記録なのかもしれません。また池内氏が指摘する薄情さは、「自分がかつて持ちもしなかった感覚を思い、後ろ向きの過去の修正」を残酷にも指摘する鋭い観察眼の裏腹なのかもしれません。
ところでマッチはもはや見受けることが難しくなりました。そして水上温泉も変貌しました。