我々はソ連が消滅してしまったあとの世界を生きてる。そのためか、ソ連があった頃の歴史も忘れてしまっていることが多いような気がする。だが過去は消えない。私たちの考え方の中に間違いなく、この論争の影響は残っているのだ。
現代を理解するためにも必読だろう。
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日本のルィセンコ論争 (みすずライブラリー) 単行本 – 1997/3/1
中村 禎里
(著)
- 本の長さ292ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日1997/3/1
- ISBN-104622050129
- ISBN-13978-4622050124
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
戦後日本の生物学会に嵐を巻き起こした「ルィセンコ論争」。近代遺伝学を否定したその学説が、戦後日本の生物学・思想界にもたらした影響と、それに伴う深いイデオロギー対立の全貌を明らかにする。再刊。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (1997/3/1)
- 発売日 : 1997/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 292ページ
- ISBN-10 : 4622050129
- ISBN-13 : 978-4622050124
- Amazon 売れ筋ランキング: - 740,805位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,121位生物学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この著作は真摯な態度で書かれています。できるだけ党派性を排した”社会主義者”の立場から、この論争の由来と進展と帰結をたどろうとしています。おそらく60年代初期に書かれ、初版は67年に、そして97年に再版された作品です。しかしその真摯さにもかかわらず、ここに描かれる風景はグロテスクとしか言いようがありません。この政治ともっとも縁遠い領域で、繰り広げられた論争は、あまりもの非現実さに目を覆いたくなるほどです。ここに繰り広げられた論争の学術的な価値は、遺伝学や生物学に縁遠い私には理解できません。また参加者もほとんど忘れられた学者たちです。しかしここに描かれたのは、20世紀の世紀病ともいうべき社会主義のドグマへの幻想が、日本的な環境の中で生み出した非生産的な悲劇と喜劇の構図です。論争への参加者が真摯なだけに、またこの著作の感情を排した筆致が、その喜劇性は、さらに際立たせています。日本におけるマルクシズムが、戦後の高揚の中で果たして非生産的な役割のケーススタディとしてはおそらく必読の文献でしょう。おそらくほかの学術領域でも同じような悲喜劇が繰り返されていたのでしょう。
2010年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
イデオロギーがもたらす悲喜劇。権威にもたれかかり、他者をレッテル貼りで排斥しようとする集団心理。一方での、限られた知識・情報・方法論で全体を把握し、展望を立てていくことの難しさ――。1930年代に旧ソ連の生物学者ルィセンコが唱えた反「正統派遺伝学」説が、戦後すぐの日本の生物学界で肯定的(一部では熱狂的)に受け止められ、しかし60年代の手前で急速に捨て去られていった顛末について詳細に回顧した1冊。マルクス主義イデオロギーが20世紀を通じてもたらした「災厄」については既にさまざまなジャンルで報告が重ねられているが、本書も当然、その一角を占めるに値する、貴重な長編論考だと思う。同時に、イデオロギーがそれと気づかれないうちに自然科学、社会科学を支配し、左右していく道筋は、今も繰り返され、今後もたぶん繰り返されるだろう、という見通しを踏まえれば、本書は半ば古典に近いものになっているとすらいっていいだろう。
他のレビュアーが触れていない、いくつかについても記しておきたい。まず、獲得形質も遺伝するというルィセンコ学説が当初、支持されていった背景には、20世紀初頭にアメリカで生まれ、やがて欧州に転移してナチス・ドイツの人種論に合流した「優生思想」に対する批判が内在していたらしいこと。それに関連して、ナチスはアインシュタインの相対性理論を「ユダヤ的理論」として(当初は?)否定していたらしいこと(この部分はわずかだが)。また、ルィセンコ学説とミチューリン農法が旧ソ連と戦後直後の日本で受容されていった下地には、生物学は現実の農業の生産性向上に直ちに貢献すべきだという、文字通り社会主義的な使命感が介在していたこと。そして、共産党六全協の綱領など、政治の判断がほとんどあっと言う間に党派内の科学者の側に降り立ち、自説の撤回や自己批判に直結してしまう、恐ろしいメカニズムが報告されていることだ。いずれも、薄々想像はしていたが、それが動かしようのない文献群の中に示されている。
他のレビュアーが触れていない、いくつかについても記しておきたい。まず、獲得形質も遺伝するというルィセンコ学説が当初、支持されていった背景には、20世紀初頭にアメリカで生まれ、やがて欧州に転移してナチス・ドイツの人種論に合流した「優生思想」に対する批判が内在していたらしいこと。それに関連して、ナチスはアインシュタインの相対性理論を「ユダヤ的理論」として(当初は?)否定していたらしいこと(この部分はわずかだが)。また、ルィセンコ学説とミチューリン農法が旧ソ連と戦後直後の日本で受容されていった下地には、生物学は現実の農業の生産性向上に直ちに貢献すべきだという、文字通り社会主義的な使命感が介在していたこと。そして、共産党六全協の綱領など、政治の判断がほとんどあっと言う間に党派内の科学者の側に降り立ち、自説の撤回や自己批判に直結してしまう、恐ろしいメカニズムが報告されていることだ。いずれも、薄々想像はしていたが、それが動かしようのない文献群の中に示されている。
2007年6月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1960年代はじめに学生時代を過ごしたが、柴谷篤弘の「生物学の革命」が出版され、今にして思うと当時は我が国における分子生物学の勃興期であった。遺伝学はオーソドックスな細胞遺伝学から分子生物学が主流となりつつあった。ルイセンコ遺伝学については、学園の中でもまだどこかに残り香が感じられる時代でもあった。
いわゆる正統遺伝学といわれるモルガン・メンデル遺伝学は染色体の研究から遺伝子地図を明らかにしてきたが、遺伝子の形質発現機構については分子生物学の発展まで長く明らかにできなかった。ここにルイセンコ学説存立の余地があった。
本書は、著者によると我が国における科学思想史において重要な位置を占めるルイセンコ論争の白書である。ルイセンコ学説は今ではほとんど忘れられている科学史上の事実であるが、科学史、そして科学と思想(イデオロギー)について関心のある人、若い人にとっても一読の価値があろう。戦前、我が国では共産党の活動は禁止されたが、このことがかえって欧米諸国以上に「ルイセンコ学説」を受け入れやすい土壌となっていたのか。
本書はいわば「ルイセンコ学説」の挽歌である。しかし、本学説を単に切り捨てるのではなく、見る目がどこか暖かい。
いわゆる正統遺伝学といわれるモルガン・メンデル遺伝学は染色体の研究から遺伝子地図を明らかにしてきたが、遺伝子の形質発現機構については分子生物学の発展まで長く明らかにできなかった。ここにルイセンコ学説存立の余地があった。
本書は、著者によると我が国における科学思想史において重要な位置を占めるルイセンコ論争の白書である。ルイセンコ学説は今ではほとんど忘れられている科学史上の事実であるが、科学史、そして科学と思想(イデオロギー)について関心のある人、若い人にとっても一読の価値があろう。戦前、我が国では共産党の活動は禁止されたが、このことがかえって欧米諸国以上に「ルイセンコ学説」を受け入れやすい土壌となっていたのか。
本書はいわば「ルイセンコ学説」の挽歌である。しかし、本学説を単に切り捨てるのではなく、見る目がどこか暖かい。
2002年8月18日に日本でレビュー済み
科学論争がいかに政治状況に左右されるものなのか。そのことを今世紀花形の学問になるだろう生物学会での事件から語っているもの。遺伝学者として登場し、のちにはソ連生物学会の中枢で権力をにぎったルィセンコの学説が、誤りであることがほぼ明かになったあとも日本の学会だけは養護し続けた、という滑稽かつ情けない歴史が描かれる。
ルィセンコ学説に反対していた優秀な研究者はその地位を追われ、ルィセンコ学説を肯定するだけの凡庸な研究者が権力をもち、重要な地位についていたその不思議な歴史は、いまではタブーと化し、誰もそのことを問い直したり、反省しようというものはいないらしい。読み進むうちに怒りをとおりこして情けなくなってくる。この本がでたというだけでも大変なことだったであろうことには間違いない。
この問題に適切に科学者達が答えないことには、今日の「サイエンス・ウォーズ」の科学者側からの反論など説得力をもちようがないし、わたしたちが先端の科学研究をまったくでたらめなものと思ってしまうや、世間の科学者嫌いも理由がないことになる。論争にかかわった人や興味を持った人、これから科学者を目指す人、大学で自然科学を学ぼうという人などにはぜひ読んでほしい。
ルィセンコ学説に反対していた優秀な研究者はその地位を追われ、ルィセンコ学説を肯定するだけの凡庸な研究者が権力をもち、重要な地位についていたその不思議な歴史は、いまではタブーと化し、誰もそのことを問い直したり、反省しようというものはいないらしい。読み進むうちに怒りをとおりこして情けなくなってくる。この本がでたというだけでも大変なことだったであろうことには間違いない。
この問題に適切に科学者達が答えないことには、今日の「サイエンス・ウォーズ」の科学者側からの反論など説得力をもちようがないし、わたしたちが先端の科学研究をまったくでたらめなものと思ってしまうや、世間の科学者嫌いも理由がないことになる。論争にかかわった人や興味を持った人、これから科学者を目指す人、大学で自然科学を学ぼうという人などにはぜひ読んでほしい。