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サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー) 単行本(ソフトカバー) – 1998/12/11
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- ISBN-104622050315
- ISBN-13978-4622050315
- 出版社みすず書房
- 発売日1998/12/11
- 言語日本語
- 本の長さ145ページ
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
従属的地位にあるサバルタンの女性について、知識人は語ることができるのか。フーコーやドゥルーズを批判しながら、インドの寡婦殉死の習慣を詳細に検討し、ポストコロニアル批評の到達地平をしめす。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (1998/12/11)
- 発売日 : 1998/12/11
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 145ページ
- ISBN-10 : 4622050315
- ISBN-13 : 978-4622050315
- Amazon 売れ筋ランキング: - 12,007位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ジェンダー本として、インド社会の女性の立場を説明した興味深い内容でした。
2005年12月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
グローバリズムという掛け声により、拡散する一方の、国際分業化、消費世界、購買階層として、知らずに収奪している我ら、日本も、中国への工場移転という形で、知らず知らずに、安価な労働力を搾取しているのだ。
しかし他の第三世界と違うのは、政府(中国共産党)が率先して、その収奪、搾取、工場誘致に努めていることだ。経済特区として、地域格差を意図的に肯定している。平等を標榜しているマルクス主義国家、モーイズム(毛沢東主義)国家ながら、マフィア的に、日本の経済人と癒着さえしている。
首相との面会は無礼にも、直前キャンセルしながら、奥田敬和経団連会長とはしっかりと会談している。
奪われるのは、日本のような第一世界のプロレタリアートと第三世界の無名労働者である。…彼らに言論の自由があると思えるだろうか?
しかし他の第三世界と違うのは、政府(中国共産党)が率先して、その収奪、搾取、工場誘致に努めていることだ。経済特区として、地域格差を意図的に肯定している。平等を標榜しているマルクス主義国家、モーイズム(毛沢東主義)国家ながら、マフィア的に、日本の経済人と癒着さえしている。
首相との面会は無礼にも、直前キャンセルしながら、奥田敬和経団連会長とはしっかりと会談している。
奪われるのは、日本のような第一世界のプロレタリアートと第三世界の無名労働者である。…彼らに言論の自由があると思えるだろうか?
2006年4月12日に日本でレビュー済み
サバルタン(=最下層民、従属者)を代弁することは可能か
これまでのポスト植民地主義の議論では中心/周縁構造が発揮してきた権力格差の再生産を批判し、
オリエントを代弁するという「弱者」の側に立つスタンスが主流であった。
スピヴァクによるとそうしたオリエンタリズム批判は、例えば植民地下のインドにおける
英国知識人と同じ過ちを犯してしまう可能性があるという。
そもそも本当の弱者=サバルタンは歴史的に語る声を持たず、弱者を虐げる側と、
弱者の存在を名指しし救い上げようとする「エリート知識人」の狭間で二重に抑圧されていたのだ。
本書はそのような「弱者」を救い上げようとする知識人層が、自己の立場を「透明な」ものとし、
不用意に救うべき他者を措定していると警告する。
また本書の文体は確かに難解である。しかし、これはスピヴァクがインタビューに答えて言うように、
複雑な事態を簡略化して説明することには必ず権力作用が働かざるを得ないという彼女の批判思考の現われであろう。
そもそもオリエンタリズムは説明の簡略化(「東洋人あるいは女とはこういうものだ!」)によって成り立ってきた知の体系であり、
さらにまた、「弱者」に分かる平明な言葉で解説してあげよう、という言明こそが支配的な知の体系の構築を可能にしてきたのである。
これまでのポスト植民地主義の議論では中心/周縁構造が発揮してきた権力格差の再生産を批判し、
オリエントを代弁するという「弱者」の側に立つスタンスが主流であった。
スピヴァクによるとそうしたオリエンタリズム批判は、例えば植民地下のインドにおける
英国知識人と同じ過ちを犯してしまう可能性があるという。
そもそも本当の弱者=サバルタンは歴史的に語る声を持たず、弱者を虐げる側と、
弱者の存在を名指しし救い上げようとする「エリート知識人」の狭間で二重に抑圧されていたのだ。
本書はそのような「弱者」を救い上げようとする知識人層が、自己の立場を「透明な」ものとし、
不用意に救うべき他者を措定していると警告する。
また本書の文体は確かに難解である。しかし、これはスピヴァクがインタビューに答えて言うように、
複雑な事態を簡略化して説明することには必ず権力作用が働かざるを得ないという彼女の批判思考の現われであろう。
そもそもオリエンタリズムは説明の簡略化(「東洋人あるいは女とはこういうものだ!」)によって成り立ってきた知の体系であり、
さらにまた、「弱者」に分かる平明な言葉で解説してあげよう、という言明こそが支配的な知の体系の構築を可能にしてきたのである。
2005年1月30日に日本でレビュー済み
アメリカ在住インド人女性として、デリダとマルクスを武器に、反植民地主義・フェミニズムを徹底化しようとする理論的試み。その徹底さゆえに、「サバルタンは語ることができるか」という問いは、他者に対するデリダの逡巡に似た地点に読者を連れて行くが、そこが心地よい人(理論志向の人)と物足りない人(アクティヴィズム志向の人)に読者は分かれるでしょう。
とはいえ、フーコー・ドゥルーズ・デリダをぶった切る手並みと威勢の良さは読んでて刺激的だし、何よりこの本の内容の広さと散らかりっぷりが、そのまんまポスト・コロニアリズム的知的作業の難しさを現していると思います。その意味では「リアルな哲学書」と言えるでしょう。
とはいえ、フーコー・ドゥルーズ・デリダをぶった切る手並みと威勢の良さは読んでて刺激的だし、何よりこの本の内容の広さと散らかりっぷりが、そのまんまポスト・コロニアリズム的知的作業の難しさを現していると思います。その意味では「リアルな哲学書」と言えるでしょう。
2016年10月18日に日本でレビュー済み
私には、理解不能でした。
インド学習として読み始めてみました。
しかし、私にとっては、インドを題材にした哲学の本、という感じでした。
残念でした…
インド学習として読み始めてみました。
しかし、私にとっては、インドを題材にした哲学の本、という感じでした。
残念でした…
2005年8月27日に日本でレビュー済み
わたくしは現在、「サバルタン」と言ってもいい階層の方々と仕事上日常的につき合いがある(日本のようないわゆる先進国の人間の中にはAA諸国的なサバルタンはいない、と言われればそうかもしれない)。そんなつき合いの中で思うことは、サバルタンに届かないことばでサバルタンを語ることに何の意味があるのか、ということである。
この本の内容、というより、「言葉」が理解できないわたくしが愚かなだけかもしれない。訳の問題でなければ、日本語の読解能力がないだけかもしれない。しかし、同じ内容を違う言葉で語ることはいくらでもできるのではないだろうか。
スピヴァクが「わたしは今の職場では金を稼ぐだけ。本当に教えたいのはインドの人々だ」と語っていること、実際に収入の多くをインドの人々につぎ込んでいること、から、最低の評価にはしないけれど、このような「当事者」を無視した知のありかたというのはどうかと思う。
極論かもしれないが、サバルタンを語れなくしている現状に、このような高踏的な知のあり方もひとつの原因になっている、という可能性も考えてみてほしい。
近刊の「ポストコロニアル理性批判」も第一章だけ読んでみたが、ほとんど理解できなかった。
この本の内容、というより、「言葉」が理解できないわたくしが愚かなだけかもしれない。訳の問題でなければ、日本語の読解能力がないだけかもしれない。しかし、同じ内容を違う言葉で語ることはいくらでもできるのではないだろうか。
スピヴァクが「わたしは今の職場では金を稼ぐだけ。本当に教えたいのはインドの人々だ」と語っていること、実際に収入の多くをインドの人々につぎ込んでいること、から、最低の評価にはしないけれど、このような「当事者」を無視した知のありかたというのはどうかと思う。
極論かもしれないが、サバルタンを語れなくしている現状に、このような高踏的な知のあり方もひとつの原因になっている、という可能性も考えてみてほしい。
近刊の「ポストコロニアル理性批判」も第一章だけ読んでみたが、ほとんど理解できなかった。