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イスラム報道 増補版 単行本 – 2003/4/1

4.1 5つ星のうち4.1 7個の評価

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イスラム報道 増補版・新装版
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商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

あご鬚のムスリム=テロリスト。アメリカはイスラムをいかに表象してきたか。メディアに現われるフィクションとしてのイスラムのあり方を問う、現代の古典。1996年刊に原著のヴィンテッジ版の序文を加えた増補版。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ みすず書房 (2003/4/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2003/4/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 234ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4622070324
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4622070320
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 7個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2016年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
実は本のカバーあまり好きではないです。そのままで、大丈夫です!また、全体的にきれいです。ありがとうございました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年10月2日に日本でレビュー済み
 『オリエンタリズム』『パレスチナ問題』につぐ第三弾。
本書の性格を一言でいえば、欧米の、殊にアメリカにおけるイスラム報道やイスラム研究の偏向性
を告発したものということができる。
出版から四半世紀経っているので、用いられる資料は旧いが、その批判力は今日なお有効である、
という意味で本書は「古典」である。 

第1章では、欧米のイスラム観が、ジャーナリズムばかりでなくアカデミズムにおいても、
政治的な枠組みの中に置かれていることが説かれる。
「ニュース」とは、政府や企業に加えて、報道と学問が動員されて形成されるものなのだ。
これはイスラム問題に限らず、今日の情報世界のあり方といえるだろう。 

第2章は、79年当時のイラン革命を反映して、革命後のホメイニ体制下のイランに関する
アメリカのメディアの性格を分析している。
殊にアメリカ大使館人質事件で示された反イラン・キャンペーンの低質性、世界を親米か反米か
によってしか見ることのできない単純性、都合の悪いことは隠蔽するという欺瞞性などが、
事例をもとに暴かれていく。 

第3章は、学問(知識)と権力との共謀関係から生産される「正統的知識」が、植民地主義時代からの遺物であり、
そこに決定的に欠落しているのが、学問と権力の相互関係に関する分析であることが指摘される。
そして「正統的知識」に対抗する「アンチテーゼ的知識」において、学問の政治性が問われ、
そこから新たな展望が開かれることが期待される。 

今日のイスラム報道には、脱欧米的な視点や批判が出てきているとはいえ、
依然として欧米の巨大メディアが流す情報が、私たちのイスラム観を支配していることも確かだろう。
そうである限り、本書はなおこうした傾向に警鐘を鳴らし続けている、ということができよう。
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年4月27日に日本でレビュー済み
あまりにも早く逝きすぎてしまった人物の渾身の作品である。原書は文句なく
五つ星。残念ながら、この翻訳は読みこみにどうしても難儀してしまう。
アメリカ文学会の頂点に立ち、20世紀最高の批評家のひとりであるがゆえ、
原書はジャーナリストには手に余る文章だったであろうし、ゆえに訳者の
苦労は並大抵ではなかったであろう。ご苦労様。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年2月14日に日本でレビュー済み
イスラームに対するアメリカの報道の誤りを鋭く指摘する一冊。

悪意を持っているとしか思えない報道の偏りを厳しく批判するが、テロリストの行動を正当化する論には決して与しない。

イスラームを理解するためには、まずこの本を読んでから個々のニュースに挑戦するべきである。

ただ、非難の語調が強く、私はやや食傷気味になってしまった
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年5月20日に日本でレビュー済み
イスラムを報道(cover)することはイスラムを隠蔽(cover)することだという強烈な洒落を原題(Covering Islam)に持つ名著。米メディアのイスラムのステレオタイプ化に批判を加えている。
話は変わるが、サイードはイラク戦争前のカイロ大学で講演をした。確かNHK-BSで放送されたはずだ。こんな人がいたのかと思った。カッコよすぎて涙が出た。Here is the battlefield! and Knowlegde is our weapon!と締めくくられたこの講演の直後、皮肉にもアメリカはイラクを爆撃した。
サイードは何を思っただろうか?おそらく、悔しくて引き裂かれる思いだったに違いない。その後サイードは精力的に活動していたが、流星が落ちる時に閃光を放つようにして逝ってしまった。
しかし、我々はそれぞれの場所で闘い続ける。サイードが遺してくれた著書はあなたに闘う勇気を与えてくれるだろう。そう、知ることこそが我々の武器だ。
32人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年10月18日に日本でレビュー済み
 他のレビュアーのかたも書かれているように、サイードの訳書はまず原題を見る必要がある。本書は"Covering Isram"。報道が却ってイスラムの真実(って何だろう?)を隠蔽する結果になっている、ということである。
 著者の代表作の一つ「オリエンタリズム」にはマス・メディアの話題は登場しない。なぜならば扱っている対象が現代に至るオリエント研究における言説の歴史的研究だからである。本書が扱っているのは逆にイスラエル建国以降におけるアラブ対イスラエル・西洋キリスト教圏の対立における言説である。つまり現代における「オリエンタリズム」が西側のメディアが作り上げていること、アラブ・パレスチナ側の政治的主張や戦争の実態においては公平に取り上げてもらうべき場がなかったことを示している。
 現在では「アル・ジャジーラ」のようなイスラム圏のメディアも知名度と信頼性を増してきているとはいえ、二度のイラク戦争に関してもアメリカ国内での報道の不正確さ、アメリカ国民の戦争に関する認識は実情と遠くかけ離れているらしい。BBCのような比較的中立的な報道はほとんど省みられていないらしいのだ。こういった現状において、サイードの主張がどれだけの現実味を持って受け止められているのか、疑問なしとしない。それは日本においてもまったく同じことが当てはまるだろう。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最初にイスラムに関する報道と自分の認識が、
事実や真実と何かが違うのではないかと気付いたのは、
息子が使用した「高校世界史A学習書」に於いてであった。
当時、息子がリンチ被害から不登校を余儀なくされてから、
親による学習サポートはケアの一環だった。
学習書の十字軍運動の頁には、
“「神の欲する戦い」という宗教的動機により十字軍に参加した騎士たちは、
ムスリムの老若男女を殺害し、略奪を重ねた。
これは神を敬い、女性や弱者を保護することを徳目とする
騎士道精神を忘れた蛮行であった。
キリスト教徒を同じ「啓典の民」として
無用の殺害を避けたサラディンらムスリム兵と比べると対照的である。”
更に、人物コラム「サラディン」には、
“異教徒に寛大な君主のイメージが強いが、
それはイスラームの慣行に従ったまでのことであった。”

ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団(West-Eastern Divan Orchestra) が演奏する
エドガー作曲『エニグマ変奏曲第9変奏ニムロッド』は
威厳があり非常に素晴らしかった為、楽団の概要を調べたら、
ダニエル・バレンボイム氏が故エドワード・W・サイード氏に共鳴して創設とあり、
丁度ラジオ番組で『オリエンタリズム』を知った時だった。
何か著作を読んでみたくなり、
故浅井信雄氏と岡真里氏の翻訳とある本書から始めた。

「訳者あとがき」から読むと、良き導入になった。
著者紹介には、
“かれの論理やレトリックの難解さについては、
一部のアメリカ人研究者でさえ嘆くほどだが、
最高級の批評家としての名声を保ち続けている。”(219頁)
この難解さは、結果としての事だと私は結論に至っている。
事例分析に使用されている報道紙誌の引用文を読み、
サイード氏の的確な指摘や所見を読み続けると、
如何に複層に混乱したものを相手に
精査と精緻に是正を重ねていったか認められる。
本書にある複数の事例だけでも分かるように、
資料や情報を適切に整理し、明晰さや分別で以て
洗練のフィルターを通したものを扱っているわけではないからなのだ。
中には、非凡で精緻な悪質な確信犯もいるかもしれないが、
真実でない場合は、何れ露呈していく。

「ヴィンティッジ版への序文」で、
14頁にわたる事例分析では、
『ニューヨークタイムズ』の女性記者の、
サイード氏の検証に使用された引用文を読み、
彼女の所属する範疇の属性が行間によく現れているので、
協調が同調になる影響されやすい人の様に感じた。
つまり、単眼的とまでは言わなくても、
複眼的思考とは言い難い漏れや破れのある、
大丈夫だろうかと読み手を心配させるものなのだ。
自分で情報元や典拠などを確認しないといけない類なのである。
当時、中東に関するセミナーなどに引っ張りだこだった彼女を、
“学者でもなければ専門家でもなく、首尾一貫した書き手でもない”
と紹介したサイード氏の所見は、
“彼女の本の大半は、議論や意見で構成されているのではなく、
感情的で説得力のない、自己の利益だけに奉仕するような大勢のムスリムと
そのときどきで彼らを批判する者たちとの
果てしのないお喋りで構成されている。”。(xlii42頁)
私が日本の評論家故小林秀雄氏に傾倒した理由の一つに、
戦時中に執筆された作品に於いて、
一切軍国主義や戦時中の色彩が感じられなかったことが挙げられる。
戦前から戦争終結、そして晩年にいたるまで、
作品個性が浸食されず、自分自身を貫いた強さを感じて、
感心し、愛読した事を何故か思い出した。
因みにこの女性記者は、
“中東について報道する現在の主流メディアの完璧な例であることを雄弁に物語っている。”という事で、
“浅薄で自説にしがみつくジャーナリスト”であり、
“メディアで流通している、思考や検証を欠如させた仮説の何が誤りかの完璧な見本となっているのだが。”
と洗い出されていた。

義憤と公憤、警鐘の書 。既に 、古典とまで位置づけられている。
本書における最後の締め括りに、
「もし、西洋におけるイスラムの知識の歴史が征服と支配に密接に関係しているならば、
そうした絆を完全に絶つべき時がきた。」
「破滅的な暴動をもたらしそうであるからだ」
という部分はどの様に読まれてきたのか。
教義でも資料でも、字義通りの読解が出来る人は少なく、
正確で的確な解釈は更に少ないということか。
私も直面したことがあるので、類推や共通項の確認となる読書だった。

エドワード・W・サイードEdward Wadie Said氏の祥月命日(2003年9月25日)に。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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