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アーレント=ハイデガー往復書簡 単行本 – 2003/8/23
世紀の恋に始まり、20世紀半ばの暗い時代の試練を越えて深められた対話、育まれた関係の全貌。
「どうしても今晩のうちに出かけていって、あなたの心に語りかけずにはいられません」。
マールブルク大学の教授ハイデガーは、入学まもない女子学生に一目で恋をし、1925年2月、この最初の手紙を書いた。
本書に切り取られた時間は50年。その間、三つの「高まり」の時期があり、
本書もそれに沿って構成されている。第一期は最初の恋の体験。
それはおずおずと内気だったアーレントにとって、「カプセル」内で孤立する自縛からの解放であり、
ハイデガーにとっては、「デモーニッシュなもの」に掴まれた体験で、
彼はこの力を『存在と時間』の執筆に創造的に活用することになる。
第二期(再会)は、時代の政治状況に起因する20年の休止期間を経て1950年から数年。
とくにハイデガーの手紙は、この時期の彼の伝記的事実にかんする宝庫である。
第三期(秋)はアーレントの死まで、最後の10年。「人生からの引退」が双方の心を占め、基調底音は
「静けさ」であった。アーレントの『精神の生活』はこの時期に構想されている。
ふたりにとって、「仕事」と「人生」がどれほど強く綯い合わされていたか、本書はそれを納得させてくれる。
さらに、「判断の国の女王」(ルッツ)と「思索の国の王」のダイアローグは、20世紀精神史のなかでモザイク状だったふたりの肖像を完成させ、
ヤスパースやメルロ=ポンティなどとの関係と布置についても、さらに多くを明らかにするだろう。
「どうしても今晩のうちに出かけていって、あなたの心に語りかけずにはいられません」。
マールブルク大学の教授ハイデガーは、入学まもない女子学生に一目で恋をし、1925年2月、この最初の手紙を書いた。
本書に切り取られた時間は50年。その間、三つの「高まり」の時期があり、
本書もそれに沿って構成されている。第一期は最初の恋の体験。
それはおずおずと内気だったアーレントにとって、「カプセル」内で孤立する自縛からの解放であり、
ハイデガーにとっては、「デモーニッシュなもの」に掴まれた体験で、
彼はこの力を『存在と時間』の執筆に創造的に活用することになる。
第二期(再会)は、時代の政治状況に起因する20年の休止期間を経て1950年から数年。
とくにハイデガーの手紙は、この時期の彼の伝記的事実にかんする宝庫である。
第三期(秋)はアーレントの死まで、最後の10年。「人生からの引退」が双方の心を占め、基調底音は
「静けさ」であった。アーレントの『精神の生活』はこの時期に構想されている。
ふたりにとって、「仕事」と「人生」がどれほど強く綯い合わされていたか、本書はそれを納得させてくれる。
さらに、「判断の国の女王」(ルッツ)と「思索の国の王」のダイアローグは、20世紀精神史のなかでモザイク状だったふたりの肖像を完成させ、
ヤスパースやメルロ=ポンティなどとの関係と布置についても、さらに多くを明らかにするだろう。
- 本の長さ400ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2003/8/23
- ISBN-104622070553
- ISBN-13978-4622070559
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
18歳の女子学生アーレントと教授ハイデガー。情熱的な恋に始まり、20世紀半ばの「暗い時代」の試練を超えて50年間、卓越した2人の思想家が育んだ関係、深めた対話。永らく封印されいた、その全貌を解く往復書簡集。
著者について
ハンナ・アーレント
Hannah Arendt
1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。
著書『アウグスティヌスの愛の概念』(1929、みすず書房2002)『全体主義の起原』1-3(1951、みすず書房1972、1974)『人間の条件』(1958、筑摩書房1994)『ラーエル・ファルンハーゲン』(1959、みすず書房1999)『イェルサレムのアイヒマン』(1963、みすず書房1969)『革命について』(1963、筑摩書房1995)『暗い時代の人々』(1968、筑摩書房2005)『過去と未来の間』(1968、みすず書房1994)『暴力について――共和国の危機』(1969、みすず書房2000)『精神の生活』上下(1978、岩波書店1994)他、没後に編集されたものに『アーレント政治思想集成』全2巻(みすず書房2002)『思索日記』全2巻(法政大学出版局2006)『責任と判断』(筑摩書房2007)『政治の約束』(筑摩書房2008)『反ユダヤ主義――ユダヤ論集 1』『アイヒマン論争――ユダヤ論集2』(みすず書房2013)など、またヤスパース、ハイデガー、メアリー・マッカーシーとの往復書簡集も邦訳されている。
マルティン・ハイデガー
Martin Heidegger
1889年、ドイツのメスキルヒに生まれる。マールブルク大学助教授(1923-28)、フライブルク大学教授(1929-45)。1933年には同大学学長を務める。 1945年、ナチス政権との関係のために教職活動を禁止され、51年復職と同時に退職。1976歿。
著書『存在と時間』(1927、 ちくま学芸文庫1994)、『カントと形而上学の問題』(1929、 理想社1967)、『根拠の本質』(1929、 理想社1939)、『ヘルダーリンの詩作の解明』(1937、 創文社1997)、『「ヒューマニズム」について』(1949、 ちくま学芸文庫1997)、『形而上学入門』(1953、 平凡社ライブラリー1994)、『ニーチェ I 美と永遠回帰』『ニーチェ II ヨーロッパのニヒリズム』(1961、 平凡社ライブラリー1997)、『ツォリコーン・ゼミナール』(ボス編1987、 みすず書房1991)ほか多数。 なお、「ハイデッガー選集」(理想社)と「ハイデッガー全集」(創文社)が刊行されている。
Hannah Arendt
1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。
著書『アウグスティヌスの愛の概念』(1929、みすず書房2002)『全体主義の起原』1-3(1951、みすず書房1972、1974)『人間の条件』(1958、筑摩書房1994)『ラーエル・ファルンハーゲン』(1959、みすず書房1999)『イェルサレムのアイヒマン』(1963、みすず書房1969)『革命について』(1963、筑摩書房1995)『暗い時代の人々』(1968、筑摩書房2005)『過去と未来の間』(1968、みすず書房1994)『暴力について――共和国の危機』(1969、みすず書房2000)『精神の生活』上下(1978、岩波書店1994)他、没後に編集されたものに『アーレント政治思想集成』全2巻(みすず書房2002)『思索日記』全2巻(法政大学出版局2006)『責任と判断』(筑摩書房2007)『政治の約束』(筑摩書房2008)『反ユダヤ主義――ユダヤ論集 1』『アイヒマン論争――ユダヤ論集2』(みすず書房2013)など、またヤスパース、ハイデガー、メアリー・マッカーシーとの往復書簡集も邦訳されている。
マルティン・ハイデガー
Martin Heidegger
1889年、ドイツのメスキルヒに生まれる。マールブルク大学助教授(1923-28)、フライブルク大学教授(1929-45)。1933年には同大学学長を務める。 1945年、ナチス政権との関係のために教職活動を禁止され、51年復職と同時に退職。1976歿。
著書『存在と時間』(1927、 ちくま学芸文庫1994)、『カントと形而上学の問題』(1929、 理想社1967)、『根拠の本質』(1929、 理想社1939)、『ヘルダーリンの詩作の解明』(1937、 創文社1997)、『「ヒューマニズム」について』(1949、 ちくま学芸文庫1997)、『形而上学入門』(1953、 平凡社ライブラリー1994)、『ニーチェ I 美と永遠回帰』『ニーチェ II ヨーロッパのニヒリズム』(1961、 平凡社ライブラリー1997)、『ツォリコーン・ゼミナール』(ボス編1987、 みすず書房1991)ほか多数。 なお、「ハイデッガー選集」(理想社)と「ハイデッガー全集」(創文社)が刊行されている。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2003/8/23)
- 発売日 : 2003/8/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 400ページ
- ISBN-10 : 4622070553
- ISBN-13 : 978-4622070559
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,121,795位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 975位ドイツ・オーストリアの思想
- - 2,156位西洋哲学入門
- - 21,587位思想・社会
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2023年1月29日に日本でレビュー済み
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迅速に発送していただき、梱包も丁寧でした。商品の状態も写真で確認していた通りでした。地元の本屋では見つけられなかった本なので、取り扱っていただいていて有り難かったです。大切にします。
2021年8月30日に日本でレビュー済み
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ハイデガーはアーレントとの情事を妻に知られることを隠すために、アーレントの手紙を廃棄したらしい。それで最初の部分はハイデガーの手紙のみである。ナチとしてユダヤ人の絶滅を精神的に指導したにかかわらず、戦後それに対して口をつぐんだハイデッガーの手紙がやたらと多い書簡集である。これに対して例えば、アーレントとヤスパースの書簡集はほとんどすべて1対1に対応してまとめてある。ヤスパースとハイデガーの倫理の高さの違いを際立たせる。
2005年10月9日に日本でレビュー済み
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この師弟の関係については、伝記的な本では必ず触れられているし、専門的な研究書も出ているから、あくまで実際の書簡に当たって自分の眼で確かめてみたい、という熱心な読者向けの本であろう。だから、最初からそれを承知で購入される方にとっては五つ星でもよいかもしれない。
最初はほとんどハイデガーの手紙しか残っていない。アーレントからの破棄依頼をハイデガーが忠実に実行した結果のようだ。ハイデガーの手紙の内容は熱烈なラブレターである。そしてハイデガーも関与したナチスによりアーレントは亡命を余儀なくされるが、戦前最後にハイデガーに宛てた手紙では、ナチス関与を激しく非難している。
戦後、二人の不倫関係はハイデガーの妻の知るところとなり、二人は友人として淡々とした交際を復活する。しかし、当初ハイデガーはアーレントの著作をほとんど評価していなかったようだ。このアーレントに対する極端に冷淡な評価はアーレントの死の直前まで続くことになる。
ハイデガーの死後も、妻はこの書簡の出版を拒否していたようである。それも理解できるが、「哲学の偉大さに比べてその生があまりに卑小」といわれるハイデガーにとって、いったいアーレントはどんな存在だったのだろうか。彼女の仕事に対してこれほど理解がない(何せ、ほとんど作品を読もうともしないのだから)とは意外であった。アーレントは最後までハイデガーの哲学に対しては敬意を払い続けていたのに。
最初はほとんどハイデガーの手紙しか残っていない。アーレントからの破棄依頼をハイデガーが忠実に実行した結果のようだ。ハイデガーの手紙の内容は熱烈なラブレターである。そしてハイデガーも関与したナチスによりアーレントは亡命を余儀なくされるが、戦前最後にハイデガーに宛てた手紙では、ナチス関与を激しく非難している。
戦後、二人の不倫関係はハイデガーの妻の知るところとなり、二人は友人として淡々とした交際を復活する。しかし、当初ハイデガーはアーレントの著作をほとんど評価していなかったようだ。このアーレントに対する極端に冷淡な評価はアーレントの死の直前まで続くことになる。
ハイデガーの死後も、妻はこの書簡の出版を拒否していたようである。それも理解できるが、「哲学の偉大さに比べてその生があまりに卑小」といわれるハイデガーにとって、いったいアーレントはどんな存在だったのだろうか。彼女の仕事に対してこれほど理解がない(何せ、ほとんど作品を読もうともしないのだから)とは意外であった。アーレントは最後までハイデガーの哲学に対しては敬意を払い続けていたのに。
2011年10月17日に日本でレビュー済み
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アーレントとハイデガーの関係が良く理解できるが、二人の思想背景が
分からないかぎり、この往復書簡の価値を評価するのは難しいと思われます。
かくいう私もハイデガーを読もうと考え、1時間であえなくダウン。
ただアーレントは比較的理解しやすいので、その観点からの感想です。
アーレントはその生涯で二つの間違いを犯しました。
一つは「ハイデガーを愛したこと」であり、もう一つは「四半世紀後にハイデガーを
許したこと」です。
ハイデガーの抜きがたい俗物根性が、この往復書簡で見事に表れています。
ハイデガーにとってはアーレントは「単なる昔の恋人」以上の存在ではなかった
ようです。愚かしく厚かましくアーレントに「昔君はこう言ったね…」。
老醜をさらすハイデガーが見苦しく、「愛を訴え」「過去の自分を正当化」しています。
ナチス政権のもとでハイデガーは確かに「全面的にナチスに協力」はしていません。
しかし、ナチスに請われて学長になったのは事実であり、その点をハイデガーが
全く反省していないことが明らかに読み取れます。
言い訳を連続し、「決して私はナチスを支持してはいない」。公的な立場では沈黙を
保ったハイデガーがアーレントにはすり寄るような卑屈な言い訳をする。
なるほど「書簡」は公開を前提としていないため、個人の奥底がよく見えます。
明晰な頭脳と卑劣な道徳が共存していたハイデガー。彼の精神構造が興味深いです。
アーレントがその代表作=「全体主義の起源」を著した時のハイデガーの連れない返事。
「私は英語に堪能ではないので…」全く読む努力すらしなかったハイデガー。
それにしてもアーレントの知性を理解しようともしなかったハイデガー。
ハイデガーの厚顔無恥さがよくわかる一冊です。
しかし、アーレントは何故この人を愛したのでしょうか?
この往復書簡と、ヤスパースとの往復書簡の両方をお勧めします。
ヤスパースの妻がユダヤ系であり、ヤスパースはナチスを徹底的に嫌悪し批判したこと。
これを差し引いても、ヤスパースがいかに誠実であったかが理解できます。
分からないかぎり、この往復書簡の価値を評価するのは難しいと思われます。
かくいう私もハイデガーを読もうと考え、1時間であえなくダウン。
ただアーレントは比較的理解しやすいので、その観点からの感想です。
アーレントはその生涯で二つの間違いを犯しました。
一つは「ハイデガーを愛したこと」であり、もう一つは「四半世紀後にハイデガーを
許したこと」です。
ハイデガーの抜きがたい俗物根性が、この往復書簡で見事に表れています。
ハイデガーにとってはアーレントは「単なる昔の恋人」以上の存在ではなかった
ようです。愚かしく厚かましくアーレントに「昔君はこう言ったね…」。
老醜をさらすハイデガーが見苦しく、「愛を訴え」「過去の自分を正当化」しています。
ナチス政権のもとでハイデガーは確かに「全面的にナチスに協力」はしていません。
しかし、ナチスに請われて学長になったのは事実であり、その点をハイデガーが
全く反省していないことが明らかに読み取れます。
言い訳を連続し、「決して私はナチスを支持してはいない」。公的な立場では沈黙を
保ったハイデガーがアーレントにはすり寄るような卑屈な言い訳をする。
なるほど「書簡」は公開を前提としていないため、個人の奥底がよく見えます。
明晰な頭脳と卑劣な道徳が共存していたハイデガー。彼の精神構造が興味深いです。
アーレントがその代表作=「全体主義の起源」を著した時のハイデガーの連れない返事。
「私は英語に堪能ではないので…」全く読む努力すらしなかったハイデガー。
それにしてもアーレントの知性を理解しようともしなかったハイデガー。
ハイデガーの厚顔無恥さがよくわかる一冊です。
しかし、アーレントは何故この人を愛したのでしょうか?
この往復書簡と、ヤスパースとの往復書簡の両方をお勧めします。
ヤスパースの妻がユダヤ系であり、ヤスパースはナチスを徹底的に嫌悪し批判したこと。
これを差し引いても、ヤスパースがいかに誠実であったかが理解できます。