1966年刊。以下の10の章から成る。
「もっともらしい批評家」――古い批評は文化共同体の尺度にあわせて自由に民衆を支配し、大新聞の文芸欄に君臨し、ある知的な枠の中で動くのだ。そして、その枠のなかでは人々は伝統や〈賢者〉や世論などに由来するものに逆らうことができない。
「客観性」――人々はわれわれに向かって、文学作品というものは「明白な事実」を伴うものであり、その明白な事実は「言語の確実さ、心理的一貫性がもたらす必然的な帰結、ジャンルの構造からの要請」に立脚することによって引き出すことが可能であると言う。ここには数々の妄想めいたモデルが入り混じっている。
「趣味」――実際、趣味というのは言葉の禁止令である。精神分析が断罪されるのは、それが語るからであって、考えるからではない。まったく古い批評が精神分析について抱いているイメージは信じられないほど時代遅れである。
「明快さ」――古い批評は数あるカーストのなかの一つであり、このカーストが推奨する「フランス的明快さ」も数ある隠語の一つにすぎない。明快さはエクリチュールの一属性ではなく、それがエクリチュールとして構成される瞬間からエクリチュールそのものなのだ。
「象徴不能症」――古い批評は、象徴不能症と呼ばれる、言語の分析学者には周知の心的傾向の犠牲者である。つまり象徴、言いかえれば、意味の共存を知覚したり、処理したりすることがかれにはできないのである。
「「註釈」の危機」――われわれはいま〈註釈〉の全面的な危機のなかに足を踏み入れている。この危機は、同じ問題に関して中世からルネサンスへの推移を特徴づけた危機とおそらくは同じくらい重大なものであろう。実際、この危機は、人々が言語の象徴的な性格、あるいはこう言ったほうがよければ、象徴の言語学的な性格を発見―ないしは再発見―した瞬間から避けることができないのだ。
「複数性の言語」――作品は、構造上、いくつもの意味を同時に持つのであって、作品を読む人々に欠陥があるためではない。作品が象徴的であるのはこの点においてである。象徴とはイメージではなくて、意味の複数性そのものである。
「文学の科学」――作品はエクリチュールで作られていることを認めようと思った瞬間から(そしてそこから当然の結果を引き出そうと思った瞬間から)、ある種の文学の科学が可能になる。この科学の対象は(いつの日かそうした科学が存在するとして)作品に一つの意味を押し付けるようなことではあり得ない。
「批評」――批評家とは文学の科学がどういうものなのか、見当も付かないでいる者のことである。この科学は(もはや説明的でなくて)純粋に「論述的」なものとして定義されたとしても、やはりかれはこの科学から隔てられたままであろう。
「読書」――作品を愛し、作品に対して欲望の関係を保っているのはただ読書だけである。読書とは、作品を欲望することであり、作品でありたいと欲することであり、作品の言葉以外のいかなる言葉によっても作品を吹き替えるのを拒むことである。
バルトの『ラシーヌ論』(1963)に対して、パリ大学教授のレーモン・ピカールが『新しい批評、あるいは新たな欺瞞』(1965)を書いて激しい批判を浴びせたのを受けて、バルトが反論として書いたのが『批評と真実』である。旧批評と新批評の差異を、「象徴」というものの扱い方に置く点が特徴的。そして、文学に対する接し方に、「文学の科学」「批評」「読書」の三つがあるという指摘が面白い。バルト自身の歩みとしては第一のものから第三のものへ移行していった感がある。この『批評と真実』には、バルトのエッセンスが凝縮されており、入門編としては最適である。
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批評と真実 単行本 – 2006/8/11
- 本の長さ133ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2006/8/11
- ISBN-104622072351
- ISBN-13978-4622072355
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登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2006/8/11)
- 発売日 : 2006/8/11
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 133ページ
- ISBN-10 : 4622072351
- ISBN-13 : 978-4622072355
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2007年2月8日に日本でレビュー済み
20年くらい前に中央公論社の文芸雑誌「海」(一番冒険的な文芸誌だったんで復刊が望まれる)に訳出掲載されたバージョンの方が、この小さな訳本よりも面白かった。20年の歳月を経た今、バルトについて新しい知識が容易に手に入るにようになったが、この訳本は20年前の初訳の苦労がない分だけ、格段に良い訳になっているのかというと、どうも大いに疑問だ。そもそも新訳は旧訳よりも飛躍的に良くなっていなければ、新しく訳し直す意味はない。この本の新しい訳者は既訳があるので、お気楽ご気楽気分で新訳に取り組めただろうが、バルトを同時代的に読みこなそうとしていた20年前の訳者のイキイキとした気概がまったく見られないし、現代的視点からバルトのこの論争の書の意味を再考しようという意欲もほとんど見られない。いったい初訳から約20年間、フランス文学者たちは一体何をやっていたのか?