著者は、大学研究室の植物学者ではないが、それ以上の観察力と博識に感心する。この本の格調高い文章に魅了され、品格さえ感じる。樹木とギリシャ神話が地中深くでルーツが絡みあう。古いヨーロッパでは、月の満ち欠けにあわせて、木を伐採し、寝かせたあと、挽く。木材は生き物であり、一連の製材過程は、あたかも海洋生物のごとく、サーガディアンリズムに支配されているようだ。光合成をする森が、太陽に支配されていると思っていた自分の認識が如何に浅かったか、眼からうろこであった。
モミの木をクリスマスツリーとして伐採することに、西欧ではエコロジーの観点から反対運動がおこる。ところが、森林の維持管理には、伐採したほうがよいそうだ。また、ポプラは、太陽エネルギーを効率よくバイオマスに換えるが、若木のほうが、老木よりも蓄積率が高く、老木は伐採して、若木を植えたほうが、生物圏への貢献度、温室効果の減少につながるそうだ。
これらの例からも、ただ単に、樹木の伐採を一律反対することが、環境保護には繋がらないと見るべきかもしれない。
昔見た「木靴の樹」というイタリア映画の中で、小作人が子供のサボーを作るためにコッソリと河岸のヤナギを切って、村から追放されてしまう結末を観て、ヤナギ一本ぐらいで、一家を路頭に迷わすのかと、憤慨したのだが。そのなぞも解けた。
ローマ時代には、「ヤナギの番人」をおき、1529年のサルツアーノ憲章でも河川沿いのヤナギの木の伐採を禁じていたからだということ。木靴の材料としても最適だが、川の護岸としても大切であったということらしい。
それぞれの木に宿る精霊と神話、著者の懐かしい思い出を、静かに語り聞かせてくれる、謂わば森への誘いの書である。
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野生の樹木園 単行本 – 2007/6/9
マーリオ・リゴーニ・ステルン
(著),
志村 啓子
(翻訳)
『雷鳥の森』で静かながらも強い感動を呼び、絶賛された北イタリアの孤高の作家がなじみ深い20の樹木を選んで、その生態、歴史、効用を物語り、人々の文化に及ぼした影響を解き明かす。
カラマツ、モミ、ブナ、オーク、ポプラ・・・・いつも身近にある樹木と語り合うように、それぞれの植物学、文化や神話、人間との関わりを骨のある文体で示してゆく簡潔にして剛毅なエッセー。そこに「山の民」としての経験、「自然とともに生きていた時代」への郷愁が魂を吹き込んでいる。
カラマツ、モミ、ブナ、オーク、ポプラ・・・・いつも身近にある樹木と語り合うように、それぞれの植物学、文化や神話、人間との関わりを骨のある文体で示してゆく簡潔にして剛毅なエッセー。そこに「山の民」としての経験、「自然とともに生きていた時代」への郷愁が魂を吹き込んでいる。
- 本の長さ167ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2007/6/9
- ISBN-104622073005
- ISBN-13978-4622073000
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登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2007/6/9)
- 発売日 : 2007/6/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 167ページ
- ISBN-10 : 4622073005
- ISBN-13 : 978-4622073000
- Amazon 売れ筋ランキング: - 788,068位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2008年2月16日に日本でレビュー済み
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2009年1月2日に日本でレビュー済み
2009年1月2日
マーリオ・リゴーニ・ステルン
二十年が過ぎたが、彼にはまるできのうのことのように思われる。人が生きていくなかで、時の長さは、暦ではなくて、生じた出来事によって計られるからだ。道の長さが、実際の距離ではなくて、道行きの困難さによって記憶されるのと同じように。チェルヴィーノ山の北壁は、太陽道路よりははるかに長大なのだ。(マーリオ・リゴーニ・ステルン、志村啓子訳、〈向こうにカルニアが〉、『雷鳥の森』、みすず書房)
その犬がどこから来たのか、だれも知らない。行きずりの旅行者がそこいらに捨てていったのだろうか。だが、わたしとしてはこう考えたい。自由な生き方をしようと思い立ったそいつが、気にそまないどこかの家を見かぎって、しばらくあたりをうろついたすえに、自分でこの町を選んだのだと。いずれにしろ、そいつが里に住みついて三年めに入った。気が向けば、ずっとここにとどまることだろう。生ある限り。(マーリオ・リゴーニ・ステルン、志村啓子訳、〈マルテ、愛を秘めた自由な犬〉、『リゴーニ・ステルンの動物記――北イタリアの森から――』、福音館書店)
『雪の中の軍曹』、『テンレの物語』で知られるイタリアの作家マーリオ・リゴーニ・ステルンも去年亡くなった(2008.6.16)。邦訳では未読のもの、『リゴーニ・ステルンの動物記-北イタリアの森から』(これはたったいま注文したばかり)、静かな時間のなかで再読したいのにいまだに果せずにいるもの、『雷鳥の森』、そしてとりわけ『野生の樹木園』。あたしのブログの中で公開できる関連箇所はごく僅かしかない。以下はその断片――
《シャティーラ、サブラ、そして天安門を忘れるな!
いま大石直紀『パレスチナから来た少女』を読んでいる。
シャティーラ、サブラ、そして天安門を忘れるな!
満月の今宵、独り密かに『野生の樹木園』を読む。いつしかステルンの樹木園に迷い込んでいるあたし。ああ、限りなく淋しい……
なに、イチイ、トネリコ、カバノキ……と、ステルンに踵を接して歩きつつ、枝葉を見上げ、幹に凭れて、薫る風に頬を嬲られながら空の青を見上げれば、こんなに楽しいことはない。
「生きていて良かった、いまがあるのだから、たとえ……」
真っ白い小さな鷺が浅瀬を抜き足差し足、小魚を狙っている――
「お願い、あたしのこと忘れて!」
「思い出しさえしない、あたしの内にいるのだから、きみもまた」
「あっ、咥えた!」
「あっ、落とした!」
「あっ、また咥えた」
鷺の味覚はどこにあるのだろう? 喉か、それとも胃の腑の入口か? ただ長い喉の中を獲物がぴちぴちと通り過ぎる触感だけが快感なのだろう。その行為の刹那だけに飢餓を忘れる、人間のセックスにも似て。
真っ赤なナナカマドの実を
一粒噛んで、
ぷっと吹き出す
きみの面影 エリサ
…… 》
(再掲。『縄文谷の風と蝶と』、『雑記掲示板-恋』[...]%3A57%3A00%2B09%3A00&max-results=7初出)
★ガザ侵攻、糾弾!! 女子供の流す血に塗れたガザは、圧殺者ども自身の流す血に餓えて叫んでいる――味方戦車の誤射による戦死者3名だって、オウンゴール1発だけ、これでは少ない! 少なすぎる!! 文字通り、《ガザをイスラエル兵の墓場に!!》
一昼夜と半日、寝かせておいた書籍小包を今朝初めて破る。懐かしいあのひとと樹木の匂いがする。机の上には、どんぐり一つ。
「わたしを拾って」
いくつも枯草の上に転がるどんぐりたちの中で、これだけがあたしに呼びかけてきたのだ。親指と人差し指の腹で土をぬぐってやる。と、枯枝の先で身じろぎもしなかった土鳩がゆるりと身体を一巡りさせる。けたたましく尾長の群れがやってきたのだ。
もう望まなくていい、喉から心臓が跳びだすほどには。あのころ端から諦めていたやすらぎが今朝初めてあたしに訪れる。封を切る。まず、絵を眺める。懐かしい樹木と、そして動物たちの絵だけをひたすら眺める。固くなっていた指先がようやく動きだす。厳重なテープを爪で剥そうとするが剥がれない。
《ああ、ついに破いてしまった。》
やっと現われた『リゴーニ・ステルンの動物記――北イタリアの森から――』、メーストルの画たち。あと二十分足らずで郵便局に出かけねばならないが、今日一日だけはステルンと樹木と、そして動物たちの世界に浸りきっていられる。
(『本と恋の流離譚』[...] )
『流離譚‐本と絵と恋と‐』[...]
愛しいひと
蜘蛛の巣の小道
雷鳥の森 (大人の本棚)
マーリオ・リゴーニ・ステルン
二十年が過ぎたが、彼にはまるできのうのことのように思われる。人が生きていくなかで、時の長さは、暦ではなくて、生じた出来事によって計られるからだ。道の長さが、実際の距離ではなくて、道行きの困難さによって記憶されるのと同じように。チェルヴィーノ山の北壁は、太陽道路よりははるかに長大なのだ。(マーリオ・リゴーニ・ステルン、志村啓子訳、〈向こうにカルニアが〉、『雷鳥の森』、みすず書房)
その犬がどこから来たのか、だれも知らない。行きずりの旅行者がそこいらに捨てていったのだろうか。だが、わたしとしてはこう考えたい。自由な生き方をしようと思い立ったそいつが、気にそまないどこかの家を見かぎって、しばらくあたりをうろついたすえに、自分でこの町を選んだのだと。いずれにしろ、そいつが里に住みついて三年めに入った。気が向けば、ずっとここにとどまることだろう。生ある限り。(マーリオ・リゴーニ・ステルン、志村啓子訳、〈マルテ、愛を秘めた自由な犬〉、『リゴーニ・ステルンの動物記――北イタリアの森から――』、福音館書店)
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「生きていて良かった、いまがあるのだから、たとえ……」
真っ白い小さな鷺が浅瀬を抜き足差し足、小魚を狙っている――
「お願い、あたしのこと忘れて!」
「思い出しさえしない、あたしの内にいるのだから、きみもまた」
「あっ、咥えた!」
「あっ、落とした!」
「あっ、また咥えた」
鷺の味覚はどこにあるのだろう? 喉か、それとも胃の腑の入口か? ただ長い喉の中を獲物がぴちぴちと通り過ぎる触感だけが快感なのだろう。その行為の刹那だけに飢餓を忘れる、人間のセックスにも似て。
真っ赤なナナカマドの実を
一粒噛んで、
ぷっと吹き出す
きみの面影 エリサ
…… 》
(再掲。『縄文谷の風と蝶と』、『雑記掲示板-恋』[...]%3A57%3A00%2B09%3A00&max-results=7初出)
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いくつも枯草の上に転がるどんぐりたちの中で、これだけがあたしに呼びかけてきたのだ。親指と人差し指の腹で土をぬぐってやる。と、枯枝の先で身じろぎもしなかった土鳩がゆるりと身体を一巡りさせる。けたたましく尾長の群れがやってきたのだ。
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《ああ、ついに破いてしまった。》
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