角幡唯介の「探検家の日々本本」の中で、今年のナンバーワン本はこれで決まりであろうーとのコメントと共に紹介されていたのが本書を手にしたキッカケです。確かにこれはすごい本です。自分にとってもここ数年の中では間違いなくベストです。言語学書として現地に入り言葉を研究し最終的には聖書を現地語に翻訳しキリスト教を伝導するはずであったが、自分が無神論者になるという驚くべき結果となる。「家族も崩壊」と書かれているだけでその点に関してはそれ以上の説明は一切なし。家族全員で現地へ移住し奥さんと子供がマラリアに罹り危うく一命を取り留めたといった苦難を共にしてきた家族が崩壊するに至ることも辞さず無心論者になるというのはある意味理解しがたいが、自分の決断を優先させた所は著者の凄い所と感じた。「事実が鍛える」とい言葉があるが正に著者は自分が直面した事実により無心論者になった。
なお第2部が言語となっているが第1部の生活と比べるとかなり専門的になり第11章から13章は読みにくく感じた。この辺は読み飛ばしてもいいかなと感じた。
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ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観 単行本 – 2012/3/23
ダニエル・L・エヴェレット
(著),
屋代 通子
(翻訳)
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購入オプションとあわせ買い
著者のピダハン研究を、認知科学者S・ピンカーは「パーティーに投げ込まれた爆弾」と評した。
ピダハンはアマゾンの奥地に暮らす少数民族。
四〇〇人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。
本書はピダハンの言語とユニークな認知世界を描きだす科学ノンフィクション。
それを三〇年がかりで調べた著者自身の奮闘ぶりも交え、ユーモアたっぷりに語られる。
驚きあり笑いありで読み進むうち、私たち自身に巣食う
西欧的な普遍幻想が根底から崩れはじめる。
とにかく驚きは言語だけではないのだ。
ピダハンの文化には右/左の概念や、数の概念、色の名前さえも存在しない。
神も、創世神話もない。
この文化が何百年にもわたって文明の影響に抵抗できた理由、そして
ピダハンの生活と言語の特徴すべての源でもある、彼らの堅固な哲学とは……?
著者はもともと福音派の献身的な伝道師としてピダハンの村に赴いた。
それがピダハンの世界観に衝撃を受け、逆に無神論へと導かれてしまう。
ピダハンを知ってから言語学者としても主流のアプローチとは袂を分かち、本書でも普遍文法への批判を正面から展開している。
ピダハンはアマゾンの奥地に暮らす少数民族。
四〇〇人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。
本書はピダハンの言語とユニークな認知世界を描きだす科学ノンフィクション。
それを三〇年がかりで調べた著者自身の奮闘ぶりも交え、ユーモアたっぷりに語られる。
驚きあり笑いありで読み進むうち、私たち自身に巣食う
西欧的な普遍幻想が根底から崩れはじめる。
とにかく驚きは言語だけではないのだ。
ピダハンの文化には右/左の概念や、数の概念、色の名前さえも存在しない。
神も、創世神話もない。
この文化が何百年にもわたって文明の影響に抵抗できた理由、そして
ピダハンの生活と言語の特徴すべての源でもある、彼らの堅固な哲学とは……?
著者はもともと福音派の献身的な伝道師としてピダハンの村に赴いた。
それがピダハンの世界観に衝撃を受け、逆に無神論へと導かれてしまう。
ピダハンを知ってから言語学者としても主流のアプローチとは袂を分かち、本書でも普遍文法への批判を正面から展開している。
- 本の長さ416ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2012/3/23
- 寸法13.8 x 2.8 x 19.6 cm
- ISBN-104622076535
- ISBN-13978-4622076537
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商品の説明
著者について
ダニエル・L・エヴェレット
言語人類学者。
ベントレー大学Arts and Sciences部門長。1975年にムーディー聖書学院を卒業後、あらゆる言語への聖書の翻訳と伝道を趣旨とする夏期言語協会(現・国際SIL)に入会、1977年にピダハン族およびその周辺の部族への布教の任務を与えられ、伝道師兼言語学者としてブラジルに渡りピダハン族の調査を始める。以来30年以上のピダハン研究歴をもつ第一人者(その間、1985年ごろにキリスト教信仰を捨てている)。1983年にブラジルのカンピーナス大学でPhDを取得(博士論文のテーマは生成文法の理論にもとづくピダハン語の分析)。マンチェスター大学で教鞭をとり、ピッツバーグ大学の言語学部長、イリノイ州立大学言語学部長、教授を経て現職。
アメリカ、イギリスで刊行された本書の原著は日本語以外にもドイツ語、フランス語、韓国語、タイ語、中国語に翻訳されている。
ほかの著書に、Linguistic Fieldwork (共著、Cambridge University Press, 2011)がある。また、本書への反響の余波としては、著者の人生を描いたドキュメンタリー映画Grammar of Happinesが制作され、その作品が2012年のFIPA(TV番組の国際的なフェスティバル)でEuropean Jury Prizeを受賞している。
言語人類学者。
ベントレー大学Arts and Sciences部門長。1975年にムーディー聖書学院を卒業後、あらゆる言語への聖書の翻訳と伝道を趣旨とする夏期言語協会(現・国際SIL)に入会、1977年にピダハン族およびその周辺の部族への布教の任務を与えられ、伝道師兼言語学者としてブラジルに渡りピダハン族の調査を始める。以来30年以上のピダハン研究歴をもつ第一人者(その間、1985年ごろにキリスト教信仰を捨てている)。1983年にブラジルのカンピーナス大学でPhDを取得(博士論文のテーマは生成文法の理論にもとづくピダハン語の分析)。マンチェスター大学で教鞭をとり、ピッツバーグ大学の言語学部長、イリノイ州立大学言語学部長、教授を経て現職。
アメリカ、イギリスで刊行された本書の原著は日本語以外にもドイツ語、フランス語、韓国語、タイ語、中国語に翻訳されている。
ほかの著書に、Linguistic Fieldwork (共著、Cambridge University Press, 2011)がある。また、本書への反響の余波としては、著者の人生を描いたドキュメンタリー映画Grammar of Happinesが制作され、その作品が2012年のFIPA(TV番組の国際的なフェスティバル)でEuropean Jury Prizeを受賞している。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2012/3/23)
- 発売日 : 2012/3/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 416ページ
- ISBN-10 : 4622076535
- ISBN-13 : 978-4622076537
- 寸法 : 13.8 x 2.8 x 19.6 cm
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2023年12月30日に日本でレビュー済み
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2023年8月7日に日本でレビュー済み
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ずっと読みたいと思いながら、この本を後回しにしていた理由は、もしかするとこの本の示唆するところが、自分にとって一生記憶に残るような大事になる可能性を感じていたからで、読み終わってみて、やはりその予想は外れていなかったと感じているところだ。我々が当たり前と思い込んでいる日常の中の常識は決して当たり前のものではなく、決まったことでもない。多くは単なる思い込みなのであって、実際には集団妄想のようなものに過ぎない。これから実現すべき持続可能な社会のヒントがピダハンの哲学の中にあるのではと、期待を込めて考えている。
2023年6月1日に日本でレビュー済み
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キリスト教の宣教師が未開の地に行って現在だけを生きる民族と出会って無神論者になるお話。
本当の幸せとは何かを教えてくれる、素晴らしい本です。
本当の幸せとは何かを教えてくれる、素晴らしい本です。
2014年5月25日に日本でレビュー済み
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幸せってなんだろう?(我々は幸福なのか、ピダハンよりも)。
ネガティブな面が多いことも否めない
●:数字・色・名称・神の概念無く、生きる為に割く時間(狩り・採集)が多い(自由が無い)。 子供(3歳ぐらいから)も大人も平等に権利・義務有る(働かざる者、食うべからず)
●:死が凄く身近(我々の寿命半分) 危険が一杯ある、でもそれも、あるがままに受け入れ、 楽しむ。 故に、 死への恐怖無い。
●:文明人との物々交換では胡麻かされるのが、常(不利益な取引)。 でも、あまり悪く言わない(酒飲んで、踊って、忘れる)。
●:プライバシー無い(すべてが、オープン)、オシャレできない(楽しめない)。
●:病気の時も、基本頼りは自分達だけ(薬を文明人から、貰ったりもするが)。
ポジティブ面。
●:皆、すごく元気(朗らか 明るい)故に、引きこもり・鬱病は、存在しえない(不安・苦悩・憂鬱・心配を感じ無い)。
●:平時、社会全体を家族とみなし、全員を守り世話する責任ある(家族が基本だけど 助け合うときはお互い様)
前提として、自分達家族が一番(自分達の足元が万全でないと、他人への援助は難しい)。 困窮し助ければ助かる状態が基本、故に、助けても無駄骨の時は手助けしない。
●:信じるは、自分達(人は強く、困難は自分で切り抜けるべし。 人の手借りず、自分のことは自分たちで、守るし守りたい )。
●:全く異文化(文明社会)と、接点が無い訳でもないけど、その色に染まらない(外の世界の知識・習慣を簡単に取り入れない)。 たとえどんなに、役立っても(自分たちの文化に合わない、必要性を感じ無いから)。
●:文明社会のことを聞きたがる(楽しみの為に)、でも、受け入れない。 なぜなら、外の文化に、重きを置いていない(幸せに、満足している様に見えない。 羨ましくない、自分たちの生活・文化・習慣に満足しているから)。
●:現実(実証)主義(見たものしか信じない、見えないものは存在しない)。 神はいないし、欲しくない(精霊・夢は、存在する)。
家族の絆・自然と共に生きる、活かす(共存共栄)を、感じる。
笑門来福。
ネガティブな面が多いことも否めない
●:数字・色・名称・神の概念無く、生きる為に割く時間(狩り・採集)が多い(自由が無い)。 子供(3歳ぐらいから)も大人も平等に権利・義務有る(働かざる者、食うべからず)
●:死が凄く身近(我々の寿命半分) 危険が一杯ある、でもそれも、あるがままに受け入れ、 楽しむ。 故に、 死への恐怖無い。
●:文明人との物々交換では胡麻かされるのが、常(不利益な取引)。 でも、あまり悪く言わない(酒飲んで、踊って、忘れる)。
●:プライバシー無い(すべてが、オープン)、オシャレできない(楽しめない)。
●:病気の時も、基本頼りは自分達だけ(薬を文明人から、貰ったりもするが)。
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●:皆、すごく元気(朗らか 明るい)故に、引きこもり・鬱病は、存在しえない(不安・苦悩・憂鬱・心配を感じ無い)。
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前提として、自分達家族が一番(自分達の足元が万全でないと、他人への援助は難しい)。 困窮し助ければ助かる状態が基本、故に、助けても無駄骨の時は手助けしない。
●:信じるは、自分達(人は強く、困難は自分で切り抜けるべし。 人の手借りず、自分のことは自分たちで、守るし守りたい )。
●:全く異文化(文明社会)と、接点が無い訳でもないけど、その色に染まらない(外の世界の知識・習慣を簡単に取り入れない)。 たとえどんなに、役立っても(自分たちの文化に合わない、必要性を感じ無いから)。
●:文明社会のことを聞きたがる(楽しみの為に)、でも、受け入れない。 なぜなら、外の文化に、重きを置いていない(幸せに、満足している様に見えない。 羨ましくない、自分たちの生活・文化・習慣に満足しているから)。
●:現実(実証)主義(見たものしか信じない、見えないものは存在しない)。 神はいないし、欲しくない(精霊・夢は、存在する)。
家族の絆・自然と共に生きる、活かす(共存共栄)を、感じる。
笑門来福。
2022年2月11日に日本でレビュー済み
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宣教師として、またピダハン語を解明する言語学者としてアマゾンの少数民族「ピダハン」の村に赴き、彼らとともに生活し価値観へ触れるうちに自身の信仰に疑問を感じ、ついには信仰を捨ててしまう話。
著者は本書内で「世界は騒音にあふれ、見るものが多すぎ、刺激が強すぎて、何に注意をはらい、何は無視しても大丈夫であるか決めてしまわないことには、一歩すら踏み出せないほど」と述べています。
これは近代社会の中で溢れた情報によって、見える世界を半ば強引に広げられた弊害のようにも思えます。
ピダハンは自分たちの目を凝らす範囲をごく直近に絞ることによって、そういった不安や恐れ、絶望と言った負の感情を取り除きます。
ピダハンが「心配する」という言葉すら持たないのは、そのように視野を限定することによって、自分たちの生存に有用なものを選び取り文化を築いてきたことと無関係ではないのだと思います。
自分自身が体験したことに重きを置き、実証できない物事には価値を見いださないという、再現性が重要である科学の見地では望ましい洗練された価値観を近代テクノロジーから離れた原始的生活を送っているピダハンたちが持っているのは、彼らの特異性を表すようで興味深かったです。
著者は本書内で「世界は騒音にあふれ、見るものが多すぎ、刺激が強すぎて、何に注意をはらい、何は無視しても大丈夫であるか決めてしまわないことには、一歩すら踏み出せないほど」と述べています。
これは近代社会の中で溢れた情報によって、見える世界を半ば強引に広げられた弊害のようにも思えます。
ピダハンは自分たちの目を凝らす範囲をごく直近に絞ることによって、そういった不安や恐れ、絶望と言った負の感情を取り除きます。
ピダハンが「心配する」という言葉すら持たないのは、そのように視野を限定することによって、自分たちの生存に有用なものを選び取り文化を築いてきたことと無関係ではないのだと思います。
自分自身が体験したことに重きを置き、実証できない物事には価値を見いださないという、再現性が重要である科学の見地では望ましい洗練された価値観を近代テクノロジーから離れた原始的生活を送っているピダハンたちが持っているのは、彼らの特異性を表すようで興味深かったです。
2021年8月29日に日本でレビュー済み
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ピダハン語を話す人たちの生活と文化のみならず、それに関わった著者自身の人生も重ね合わせながら言語の起源を語っている。従って「文化史」「個人史」の両面から言語の持つ意味(主としてコミュニケーション手段としての)がリアルに浮き上がってくる。
言語使用のための脳を含む身体的機能を、分化の側面からではなく統合的側面から見ており、モジュール説に対する批判になっている。一方、医学的事実(言語機能の主要な部分が大脳の左半球に偏在している)については未検討になっており、引き続き、考察を深めていかなければならない。
言語使用のための脳を含む身体的機能を、分化の側面からではなく統合的側面から見ており、モジュール説に対する批判になっている。一方、医学的事実(言語機能の主要な部分が大脳の左半球に偏在している)については未検討になっており、引き続き、考察を深めていかなければならない。
2021年6月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
言語と文化の関係に興味を持って読んだが、著者が彼らと共に生活をしていく中で獲得する感覚や、視線に大変心動いた。感情や、習慣、それこそ睡眠のような基本的なことですら全く異なる文化で過ごすことから見える人間とは。読み終えると、自分の感情や感覚に疑いを持ってしまい、これまた面白い。家族と共に乗り込んだが、結局妻とは離婚したこともふに落ちてしまいました。ブルデューでも、美しいや美味しいの感覚は学びを通してだとわかるのですが、もっと根本的に、人間は何に悲しい(あるいは嬉しいなど)と思うか、ですら学び、文化、なんじゃないかと思いました。間違いなく良書。
2022年8月9日に日本でレビュー済み
本書は、宣教師である著者の未開部族世界——ピダハン族——での数年間の生活から、
その未開部族世界についての特徴を、その生活を通した諸視点から解説されている書となる。
それは、西欧世界においての蓄積といったものがない諸世界(狩り用の道具は例外)、
消費できないものは蓄積しない、あるいはできないといった諸世界であり、
唯一の人工的な交換に関しては、ある仲介人を通して、
ジャングルで手に入れたものを即自的に交換する、といったことで取り引きがなされている。
このような背景において、ピダハン族の諸世界とは、
神話的な象徴記号を蓄積するようなシステムをもたない、あるいは、
そのような記号を即自的に消尽しているようなシステムである、といったこと、
また、かれらにとって等価なものとは、おそらくジャングル自体なのだろう、
と本書から考察することができる。
参考図書
『言語・思考・現実 (講談社学術文庫)』『文化人類学と言語学』
------------------------------------------------------------------------------------
第1部 生活(ピダハンの世界を発見;アマゾン;伝道の代償 ほか)
第2部 言語(ピダハン語の音;ピダハンの単語;文法はどれだけ必要か ほか)
第3章 結び(伝道師を無神論に導く)
エピローグ 文化と言語を気遺う理由
------------------------------------------------------------------------------------
(あとがき)
(エピローグ 文化と言語を気遺う理由)
・ブラジル・アマゾンの少数民族ピダハンの人々が使用する言語。
現在およそ四五百人程度しか使用者がなく、消滅の危機にさらされている。
・わたしたちが日常これが趨勢であろうと考えているものが本当に数的にも優位であるのかどうかは、
実は定かではない
・本書に綴られているピダハンの人々の暮らしや世界観は、表層的に、
これこれのものがあるとかないとか、といったものさしだけで測れるとは到底思わない。たとえば、
ピダハンの人々が暗くなっても寝静まることなく、時には狩りや釣りにも行くとしたら、
人間には体内時計があって、朝太陽の光を浴びるとことでそれがリセットされる、
という話はいったいどういうことになるのだろう。
わたしたちが当たり前のこととして切り取っている世界は、
どのくらい普遍的に適用するものだろうか(389)
------------------------------------------------------------------------------------
(ピダハン Pirahǎ)
・ピダハン族はピダハン語を話す。彼らは他の言語を「"crooked head"」と呼んでいる
・植物や成分抽出の語彙が埋め込まれている(<クラーレ>を使用する際)
・動詞の活用が6万5千ほどある(数量詞はない)
・bǎaiso(全部)
・abagai(一部分)
・kagi(カギ/差異化された関係性/米と豆、婚姻その他の関係、狩人と猟犬、親子など)
・xahaihī(アハイギー/ピダハン一般(男女とも、年代別なく))
・baīxi(マイーイ/仲介者一般/一時的・恒常的)
・hoagi(ホアギー「来る」という動詞)
・抑揚記号(')=(アクセント)
・Tīi(排泄物/トイーイ)(最初のアイにアクセント)
・Tiī(わたし/ティイ)(二番目のアイにアクセント)
(_区別)
(ピダハン 「時間」といった概念)
・ジャングルあるいは生活圏での直接経験の原則(記号への置き換えはない/拒斥)
・昼夜の区別がない
・時間帯によって獲れる魚の種類が違うので、いつなんどきでも漁にでかけることがある
・またもし朝の三時に誰かが魚を獲ってきたら、それが食事時となる。
家族の全員が起きて、すぐさま魚を食べにかかるのだ(112)
・ピダハンたちが三日間の間ほとんど休みなしに、狩りにも漁にも行かず果実を拾いも行かず、
もちろん備蓄の食料もなく、ずっと踊り続けているのを見たことがある(110)
・日に一度か二度、あるいは一日中食事をしないなど平気の平左だ
・空腹なのに、狩りも漁もせず、鬼ごっこしたり、寝そべったておしゃべりして過ごしたり、
(ピダハン「持続・保存」といった概念)
・使い捨ての籠しか作らない
(狩りや漁をしたら、獲物はすぐに食べきってしまう/加工してとっておくことをしない)
・持っているものは交換していく
・何らかの理由で人目を避けたい場合は、ジャングルにまぎれるかカヌーで村を離れる
・雨や太陽を遮断して眠れる場所があればいい
(ピダハン「象徴・表象」といった概念)
・人の動きのほうに、ものを合わせようとする(漁、籠など)
・ピダハンの営みで最も儀式に近いのは踊りだろう。
楽器はなく、歌と手拍子、足拍子だけが伴奏となる(119)
・ピダハンが何か別の言語文化(諸共同体)を比べることに必要性を感じていないのは、
単純にピダハンがそのような日常生活であるから、といったこととなるのだろう。
(<意味づけ>をしない、あるいは対象化をしない、流動・変動し続けている世界・世界観)
・「スティーブはおれたちにイエスの話をした。だがおれたちはイエスはいらない」(365)
・「寝るなよ、ヘビがいるから」「ジャガーが、豚がいると思って食べにくる」
・「ありがとう」「ごめんなさい」に相当する言葉はない。
どちらかといえば「取引成立」といった、それは行為の形で示される。
・ピダハン、文化的に代々暗黙に伝わっている日常生活に対する知恵を、あえて口にだすまでもない
------------------------------------------------------------------------------------
(_著者の考察)
・ピダハンのところにもっていった神聖なメッセージが
世界のどこでも通じると決め込んでいたわたしの自信は、
じつは根拠などまったくなかったということだった(373)
・わたしたちは、自分たちの文化のタペストリーを織りなす、
さまざまな仮定の前提として、言語を使用している(343)
・自分がいる環境を度外視すて言語学に打ち込むことができると信じるとは、
結局のところ笑止千万だったのだ
わたしたちはアマゾンの只中にいたのだから(37)
------------------------------------------------------------------------------------
------------------------------------------------------------------------------------
『鶴見済 人間関係を半分降りる ── 気楽なつながりの作り方』にも、
同様のことが記載されていたのでmemo。
以下のような諸事態を考察。
・自然などの「人の歴史の外にあるものとは」を考察する
・「一般的常識への同調圧力」と「それに対する疑問・距離反応」を考察する
世界を広く見渡せば全く異なるシステムで動く人がいることが現状である。
本書『人間関係を半分降りる』は、
「誕生の際に選ぶことのできなった一諸世界から半分降りる」
と言い換えることもできるのだろう。
『気楽なつながりの作り方』とは、
すでに出来合ってしまった国や共同体の規則・規定や距離的に近い親族などに対して、
本書に記載されている「一旦離れてみる・距離をおく」から、
「~をしなくてもよい」あるいは「個人の判断によって~してもよい」
といったことに置き換えていく、あるいは書き換えていくプロセスのようなものでもある。
(本来の「限定の不在」のゼロ地点に戻るようなプロセス)
(外-開き/サードプレイスなど)
以上は、規則や規定などができあがる長年のプロセスを遡行していく(辿っていく)ことでも、
その恣意性(歴史・時代が作り上げてきた諸記号システム)を確認・考察することができる。
——長年の諸システムができあがる経緯
諸民族共同体(日本、アメリカ、中国など)の国と呼ばれるものの中での諸規定・規則は、
集団思想(諸記号)の1つにすぎないものであり、
疑いの余地なく行われる行事(儀式)の中で、その集団的思想は培われていく。
(諸宗教の諸規則などで変動/ex学校・入学式~卒業式/介護/通夜・葬式~火葬・骨壺など)
(距離をおくことからの当初の不安・心配・嫌悪・断末魔/対立・否定など)
(歴史を辿れば≪そのようなもの≫は本来、恣意的な記号の1つにすぎない)——
≪それら≫は「しなければならない」ではなく本来は、
「しなくてもよい」あるいは「個人の判断によって~してもよい」「どちらでもよい」
といわれるような一個人の自己責任によるものである、と考察することができる。
(諸民族共同体の鏡の世界/鏡から自らに跳ね返ってくるもの)
(「しなくてもよい」に含意された「個人の判断によって~してもよい」「しなければならない」)
「なぜ諸民族共同体は集団思想の1つにすぎないものなのか」と問われれば、
これは別の共同体からの諸視点から考察することでも、
その仕組み(諸システム)を分解し言語化することができる。
以上は記号学、文化記号学、言語学の範疇のもので、
その共同体から、「一旦距離をおく」などをしたり、
過去またはスタート地点(原初)から恣意的に形づくられた諸集団の記号規則(諸同調)から、
距離をおきながら、現状の≪それ≫が出来上がった歴史・経緯を調べ、
(または別の国や共同体のシステムが出来上がる仕組みを調べたり)、
まとめたり(カテゴリー化など)し考察することで、
諸共同体の歴史と個人の歴史の解像度が鮮明になっていくのだろう、と考察することができる。
(言語化しながら諸記号学の歴史を考察することができる)
(「文化記号学としての言述-ディスクール的な連鎖」)
(規則として<言語の形態化・体系化/その使用>を用いる印欧語(SAE言語)や中国語的な世界観)
(「時制といった概念が存在しないホーピ語を用いる民族の世界観」の諸視点などから考察)
(言語化する前の個人の感覚「前-ランガージュ」)
以上のように考察することでも、
距離をおくことからの当初の「不安・心配・嫌悪・断末魔/対立・否定」などは、
本来なかったもの(無の能動性)であったり、あるいは滑稽な事態の総体として、
またそれと同時に一方で、一笑いや遊戯 jeuの歴史としての解像度が鮮明になり、
のちの人類も気づくことがあれば、
そのように「今までのことは滑稽な事態の総体だった」と気づいていくのだろう、
とも考察することができる。
参考図書
『言語・思考・現実 (講談社学術文庫/L・ベンジャミン・ウォーフ (著))』
『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』『性の進化論/クリストファー・ライアン』
『完全自殺マニュアル』『0円で生きる―小さくても豊かな経済の作り方』
『脱学校の社会 (現代社会科学叢書)』
『年収90万円で東京ハッピーライフ』『思い立ったら隠居 ――週休5日の快適生活』
『E.M.シオラン各書「絶望のきわみで」「時間への失墜」「実存の誘惑」「四つ裂きの刑」』
『遺言の書き方と相続・贈与 令和版』
『自分で書く「シンプル遺言」-簡単なのに、効力抜群!-(The New Fifti』
『おひとりさまの終活「死後事務委任」-これからの時代、「遺言書」「成年後見制度」と』
『ウィトゲンシュタイン全集9/全集8/全集7・4/全集1/全集3・2』
『ウィトゲンシュタインのウィーン』『マーラーと世紀末ウィーン (岩波現代文庫)』
『反哲学的断章 単行本 – 1995/8/15』『論理哲学論考 (岩波文庫)』
『不可能な交換』『ボードリヤールという生きかた NTT出版ライブラリーレゾナント010』
『パスワード 単行本 – 2003/3/15(ボードリヤール)』
『ソシュール小事典』『言葉とは何か (ちくま学芸文庫)』
『ソシュール 一般言語学講義: コンスタンタンのノート』
『世界の大思想 3-10 ベルグソン-時間と自由/創造的進化-』『物質と記憶』
『笑い(ベルクソン)』『意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)』
『内的体験 (平凡社ライブラリー)』『非‐知―閉じざる思考』
『呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)』『宗教の理論 (ちくま学芸文庫)』
『ラスコーの壁画 (ジョルジュ・バタイユ著作集)』『有罪者: 無神学大全 (河出文庫)』
『眼球譚 太陽肛門/供犠/松毬の眼』『ランスの大聖堂(ちくま学芸文庫)』『純然たる幸福』
『『死者』とその周辺 (Le livre de luciole)』『バタイユの著作集/15巻/14巻/12巻』
『バタイユの世界』『バタイユ―消尽 (現代思想の冒険者たち)』
『未知なるもの=他なるもの(湯浅 博雄)』『贈与の系譜学 (講談社選書メチエ)』
『生物から見た世界 (岩波文庫)』『不可能な交換』『誘惑の戦略 (叢書・ウニベルシタス)』
『ウィトゲンシュタイン全集8/全集9/全集1』
『パスワード 単行本 – 2003/3/15(ボードリヤール)』『ソシュール小事典』
『E.M.シオラン選集〈1〉崩壊概論 (1975年)』『絶望のきわみで 単行本 – 1991/5/1』
『笑い(ベルクソン)』『物質と記憶』
『意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)』
『反復(ペーター・ハントケ)』
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鶴見済 人間関係を半分降りる ── 気楽なつながりの作り方
目次
まえがき
第1章 友人から一歩離れる
第2章 家族を開く
第3章 恋人をゆるめる
第4章 こうすれば気楽になれる
あとがき
第1章 友人から一歩離れる
1
「人からどう思われるか」を基準に生きない
やさしい視線のなかに行こう
2
仲間はずしに従わない
仲間うちの力関係で動くことのむなしさ
3
友だちがいない時があってもいい
肯定されない関係ならなくていい
4
もうひとつ居場所を持つ
「不適応者の居場所」を作ってみた
5
嫌な相手とは「心の距離」を置けばいい
少しずつ疎遠になるのが一番
6
「みんなとちょっと違う人」でいい
「みんな同じ」にしようとする集団の力
7
攻撃してくる相手に近づかない
注意深く見わけて予防する
8
友人は大勢いなくていい
大勢がうらやましく思える不思議
9
どこにも通わなくても大丈夫
フリーランス三十年の経験から
10
オンラインに期待しすぎない
会うことで湧く親しみにはかなわない
11
ありのままでいられるグループを選ぶ
仮面をかぶって生きるつらさ
第2章 家族を開く
1
家族は寄りそわなくていい
距離が近いと「嫌い」が爆発する
2
子どもがいなくてもいい
「子どもこそ幸せ」という最大の圧力
3
家庭は開いたほうがいい
閉じた場所では加害が起きやすい
4
毒親もただの個人と思ってみる
客観的に見れば憎しみもやわらぐ
5
家族の素晴らしいイメージにだまされない
真に受けてもつらいだけ
6
家族は人間でなくてもいい
植物でもふわふわのクッションでも
7
血のつながりにとらわれない
他人の子とも親子になれる
8
サードプレイスに逃げていい
家庭や会社に心を占領させない
9
家族とは一生離れ離れでもいい
うまくいかない相手とは一緒にいない
第3章 恋人をゆるめる
1
そもそも恋愛をしなくていい
「恋愛は面倒」な人が増えている
2
セックスも無理にしなくていい
誰もが好きなものではなかった
3
けんかをしない相手を選ぶ
好意にも悪意にもお返しが来る
4
結婚はしすぎだった
身を固めなくてもいい時代
5
若くなくても恋愛していい
自分のために生きる人が増えてきた
6
一緒に住んでも近づきすぎない
相手を傷つけるのは近すぎる距離
7
別れてもいい
逃げられないから地獄が生まれる
8
一対一でなくてもいい
相手を独占しなくても恋愛はできる
9
相手はリアルでなくていい
空想を使えば恋愛は自由自在
第4章 こうすれば気楽になれる
1
「もうどうしようもない」とあきらめる
最後に見切った人の持つ強さ
2
怒りは一晩寝てやりすごす
時間がたてば理性が勝る
3
嫌な相手に意識を集中しない
悪いことは気になるもの
4
「生きることは素晴らしい」から離れる
不自然な思想は苦しくなる
5
「誰がどうした」ばかり考えすぎない
SNSでなくなる心の平穏
6
「あなたはあなた、私は私」と割りきる
個人主義のススメ
7
いいかげんになる
心配をあおる文化に乗せられない
8
広い世界、長い時間を意識する
遠くを見わたせる場所に行こう
9
くだらないと笑いとばす
緊張からの解放
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まえがき
・近すぎる距離を少し離して、さらに外に開く。
そうすれば(~)があったとしても、致命傷にはならない。少し考えれば(~)(5)
・もっといいかげんにやったほうが(~)もっとのん気にやること。
もっと気を散らすこと(~)第四章には(~)気楽になる方法をまとめた(~)
「そのうちなんとかなるだろう」(7)
・「流動的な開いたサードプレイス、沈黙の革命」の考察(6)
・家庭、会社、学校の≪外≫で(~)(サードプレイスの考察)(5)
・人間には(~)な面があるのだから、少し離れて(~)(4)
・人はこれはきつくて耐えられないと思ったら、いつまでも(~)していない。
とっととやめてしまう(6)
・奇妙な(~)のせいで、人と人とが安易に近すぎる距離で、
閉ざされて(~)するようなしくみができている
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第1章 友人から一歩離れる
(無の能動性/サードプレイスなど)
・ありのままの自分を受け容れてくれる(~)でなければ、
そこは(~)場所とは呼べない(71)
・「みんなとちょっと違う人」でいい(~)その立場が許されていない(~)なら、
こちらから願い下げでいい(47)
・まずは(~)のなかで「みんなと違っている人が許されているかどうか」を見ること(~)
みんなと意見が違う人、少ししか参加しない人も許されているかどうか。
そこがポイント(~)(47)
・みんなに合わせなくてもよい場所の考察
・ゆるい(~)場所の考察(35)
・とにかく、やさしい、ゆるい(~)に乗り換えること(~)
自分を殺さず(~)は、それだけで(~)している感覚が違う(24)
・毎日誰とも話さず過ごして、ようやくわかったことがある(~)。
その(~)はいらなかった(~)
(~)は断ち切ったほうが楽(31)
後々のことも含め、ここでの(~)の大転換は、
その年に起きたどんな(~)より(~)自分にとっては(~)だった(32)
・(~)にならなくていい(30)
・箱の中が疲れる人には、別のオプションも(~)(19)
・人の詰まった箱に通わなくてもいいオプションも有り(16)
・やさしい視線の中(場)にいこう(20)
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(無の能動性/距離をおいた諸視点_離れたところからの諸視点など)
・(~)から離れたいと思うなら(~)の頭に浮かばないように少しずつ離れていき、
気が付いたらすっかり疎遠になっているのが(~)これなら(~)は必要ない。
(~)とぶつかりたくないあなたにも、十分できること(~)
(~)とは「(~)の距離」を置く/少しずつ疎遠になる(40)
(思い浮かべる回数を減らしていく)(41)
・(~)の距離を置く技術は(~)
相手の発言を見えないようにする”ミュート”などは(~)の機能(43)
・各自が圧力をかけられることなく、自分で判断することを当たり前にしていくのが(~)(29)
・集団一般について見れば、集団とは大なり小なり「みんな同じ」を強いるところだ。
個人への縛りがきつい集団のなかで、みんな同じになる方向で解決しようとしても、
なかなか楽にはならない。そんな時は(~)から離れたほうが(~)(18)
・「そうそう、そういうこともあるよね」などと、弾んだ話し方をしたり、
こちらから(~)を広げたりしない。なるべく短めに(~)を切り上げる(42)
・距離を置くというささやかな(~)くらい、使っていけないはずはない(42)
・「どこにも通わなくても大丈夫」(という選択肢もあり)(60)
・オンライン、ネットでの(~)の限界(67)
・「人の詰まった箱」は人間には合わない
(諸システム内/教室、オフィス、箱の中の訓練など)(18)
・(~)を操作する村八分の歴史(諸システム)と村八分的な現状(諸システム)(~)
(平均的能力と同調圧力の考察)(27)
・視線が過密な学校の教室(その他の閉じた箱的な場所)の考察(22)
・(~)に振り回されている(~)
(諸システムに操作されている(~))(17)
・そもそも周囲を(~)するような人間の近くにいれば、
いつでも(~)されないように気を遣わなければならない。
それだけのリスクを負ってまで、近くにいる(~)があるのかどうかをよく考えること(~)
(コンクリートジャングル/誰もが危険だらけのジャングルをウロウロしているようなもの)(53)
・近づいてこられたら、すべてを濁してなんとかうやむやにするなど(52)
・(~)してくる相手に近づかない(49)
・諸集団の「同調圧力」の考察
・「みんなと同じ」にしようとする集団の(~)(44)
(疑いの余地が許されていないような閉じた世界)(46)
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第2章 家族を開く
(無の能動性/サードプレイスなど)
・「サードプレイスに逃げていい」(ラジオ、本、音楽、路上など)
いろいろな(~)を持つ世界に触れることによって、ホッとしたり、
個々の世界を広い視野から見て(~)したりできてこそ(~)
(~)しかない人にとって、かつての自分にとってのラジオのような、
もうひとつの(~)に触れる場所になってくれたら(118)
ラジオは居場所でも交流相手でもなかったが、
このもうひとつの世界の(~)が自分を(~)(116)
息が詰まりそうな(~)の外に出て、別の世界を(114)
・(~)とは一生離れ離れでもいい(119)
・「(~)だから」という思い込みを捨てて、実際にあった出来事に即して考えること(~)
頻繁に会うとかえって断絶しかねない(120)
・うまくいかなくて当たり前。そう思ってあらためて自分が育った(~)を眺めてみると、
少し気が楽になるのがわかる
(血縁から離れると気が楽になる)(113)
・育ててもらった恩は置いておいて、まずは対等な個人どうしと考えよう。
そして相手がひとりの個人として、自分にとって(~)な人だったかどうかをみてみれば (~)
「親は自身のために、この自分を育てた」
この考え方も、親への見方を是正する大きな(~)になった(~)
遠近感をとらえなおすことで、自分を楽にすることができる(98)
(~親もただの個人と思ってみる/家族を「姓+名+さん」でイメージしてみる)(94)
・(~)を持たないのは気楽でいいし、それではつまらないなら、
他の形で(~)をすることだってできる(79)
・「人はいいところだけ見せるもの」とやりすごす(77)
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(無の能動性/距離をおいた諸視点_離れたところからの諸視点など)
・世の中にある(~)についての常識(というもの)は、
多分(~)とうまくやっている人の目線でできているのだろう。いや、
(~)についての常識(というもの)のほとんどがそうだと言っても(~)。
うまくいく(~)であれば、それでいいのだから。長くいっしょにいるかどうかを決めるのは、
「それでうまくいったかどうか」だ。
(それは一旦離れてみないとわからないかもしれない)(122)
・人間に警戒心を持ってしまうのは、もともと人間が(~)なものだから(~)
(~に近づくのは必要最低限にしておけばいい)(105)
・人間は(~)な生き物(~)閉じた場所では(~)が起きやすい(90)
・無理に食卓を囲まない(家族はもともと近すぎる)(83)
・(~)とは、たまたま偶然に至近距離に居合わせた特殊な人たちでしかない(~)(81)
・距離が近いと(~)が爆発する(80)
・人間はいいところだけを見せて人によく思われようと、いつも考えている生き物(78)
・そもそも子供は江戸時代まで労働力と見なされていて、
今のように(~)を注ぐ対象とされていなかかった(~)(欧米も同様)(100)
・「親に育ててもらった恩」というのは、親にとって絶好の口実。
親というのは(~)ではとても有利になるポジション(~)
(親の~してあげた/子供の~してもらった/など)(97)
・(現状)市民権を得られていないものは、
必要以上に(~)と思わされている(~)(という疑問の余地を片隅においておく)(89)
・(~)は誰が見てもかわいいものだという奇妙な”常識”も、欠落感を刺激するもの(~)(86)
「周囲からの圧力によるところも大きいのかな」(という疑問の余地を片隅においておく)
(常識と呼ばれる恣意的な歴史の言語)(86)
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第3章 恋人をゆるめる
(無の能動性/距離をおいた諸視点_離れたところからの諸視点など)
・各々は別の世界を生きている(~)(153)
・「若い時代は二度と帰らないのだから」という言葉(~)
けれでも考えてみれば、すべての時代は二度と帰ってこない(~)
そんな言葉に何か(~)があるだろうか?
・自分のことを一番よく知っているのは自分(~)
生き方については、全員ぴったり合う大量生産の(~)なんてないのだ。
ひとりひとりが、自分用にあつられた(~)を(~)するしかない。
自分自身の体験から(~)(151)
・そもそも(~)をしなくていい(128)
・そもそも(~)をすれば(~)になれるなんて嘘だったのだから(127)
・そのコース全体には何やら儀式みたいな(~)があって
(儀式的流れからくる出来事/諸事態)(124)
・一対一でなくてもいい(162)
・何かに生涯を捧げなくていい(159)
・ストーンズの「満足できないぜ」という歌(147)
・自分がやりたいようにやっていれば、そうそう大きな(~)にはならない(~)
「全員こうするべきだ」とされていることにこそ、疑問の目を向けよう(132)
・一対一の原則が厳しい今の日本(164)
・そもそも逃げられないからこそ(~)になる(~)
何かあったらすぐ離れてしまえる環境で(~)なんてそう簡単に作れるものではない(160)
・人はくっついて(近すぎて)いれば(~)な面も大きなる
(あまりにも近づきすぎると(~))(161)
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第4章 こうすれば気楽になれる
(無の能動性/自然界の歴史_笑いなど)
・この章では気楽になれる方法を書いていく(175頁)
・笑いは精神の(~)これが自分の暗闇の中の指針になった(~)
絶望の底で笑いが出る(~)は他でも見かける(217)
(絶望の果てには笑いがある)
・日常はどちらかといえば緊張が(~)する(~)だ。
だからこそ息を抜くための笑いが、どこでも(~)になるのだろう(215)
・見渡すかぎりの墓石を眺めていると、
すでに終わってしまったたくさんの(~)について考えざるを(~)
数え切れないほどの(~)を経験した(~)が、こんなにたくさんあったのだ(213)
・見晴らしのいい場所から見える風景は、あらためて世界の広さを突きつけてくる。
その(~)で(~)が張れるのだろう。
山の山頂など自然界を見渡せる場所では、空間の広さだけでなく、
(~)の長さも同時に感じてしまう。どうしても、
それらが経てきた長い長いにも(~)思いをはせる。
日常に埋もれるわれわれの視界は、空間的に狭くなるだけでなく、
(~)的にも短くなっていく傾向がある。
自然界の眺めは、そんな見方も(~)してくれるようだ
・(~)の世界は、人間どころか生き物すらいないのに、成り立っている世界だ。
人間はそんな世界を知らないし、その世界も人間に知ってもらおうと思っていない。
地球の上はそんなところだらけだったはずだ。それを思い出すのは(~)(199)
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(無の能動性/諸惑星の諸動物であり、ただ単に自然にかえるだけの人間が忘れていること)
(無の能動性/距離をおいた諸視点_離れたところからの諸視点など)
・『完全自殺マニュアル』という本で言った、
「いざという時には死ぬことだってできるのだと思えば、楽に(~)していける」
それはあきらめの(~)を活かすひとつのやり方であり(~)の支えだった(~)
「(~)が一生をかけて得た一番大きなものは、この感覚なのかな」という気すらしている(180)
・「あきらめ」から別の旅に出る
・死を想うことは(~)のうえで欠かせない(~)
何もかも失ってしまう”死”すら、われわれにはどうすることもできない。
それならあきらめればならないことなど、他にいくらでもあるに違いない(180)
・生き物の”生”とは、問題を克服しようとあらがい、もがいている状態(~)
(~)を求めて、もがき続けるのだ。
それでも最後にやってくる死の時は、あきらめる瞬間だ。ここで提唱しているプロセスは、
我々生き物の生と死そのものにとてもよく似ている(180)
・死ぬ直前になってたいていの人は「あきらめて楽になる」
というこの高地を味わうのでは(~)(179)
・あきらめた状態にも捨てがたい(~)がある(~)
「もう失うものは何もない」最後の最後にそう見切った人は(~)だ。
うまくいかないことが無数に重なったあげくに達する、
「怖いものなんかもうない」という境地に(~)は賭けてきたとも言える(179)
・これ以上いくら(~)しても同じというところまで(~)になったらどうだろう?
もう(~)は(~)しなくてもいい。あとは(~)しても同じこと(~)
このとき人は突然、それまでの(~)から解き放たれる(~)
最後の最後に反転した先の、この(~)を(~)すること(176、177)
・「生きること」と言えば、明るい笑顔や笑い声が浮かんでくるこの(~)前提は、
自らの日々の暮らしを(~)に感じさせる
(気楽に過ごすには、まずこれらを一旦頭から消してみるのは(~))(191)
・「諸行無常=すべては移り変わる」(~)
生と死の両方のニュアンスが含まれている言葉だからこそ、
心地よい空しさを放っているのだろう(192)
・「いいかげん」「てきとう」でいい。
もう十分だと思っても「心配が足りない人のために」と言われれば、返す言葉もない。
誰かが「そんなに心配しなくていいよ」などと言ってくれる日は(~)
特に日本では、その傾向が(~)なのだろう(207)
(昔の歴史を辿れば近代は)様々な心配事への(~)が盛んになって、
どこかで行き過ぎの段階に入ったのだろう
(心配・不安をあおる文化/心配があふれる日本の(~))(207)
・(~)しても日本ではこのいいかげんな感覚を、
肯定的に育んでは来なかっただろうなと思わせる(~)
「すべてはなるようになる(~)先のことなどわからない」(~)
最後に気楽なものの少ない日本のことわざのなかから(~)
「明日は明日の風が吹く」(208、209)
・「怒り」に囚われたとき
1 何もせず一晩寝ると早々に決めてしまう
翌日には、まるで違う気分になっていることがわかるだろう。
我を忘れるほどの怒りはもうない(~)やりすごしてしまえば(~)(184)
2 怠惰な気持ちを思い出す(怒りも怠けよう)
面倒だからサボろう(~)ちょっとくらい気分を害しても、知ったことじゃない。
こんな態度を思い出せば、気持ちが(~)反転して、一晩やり過ごすのが楽に(~)
(あるいは距離をおく)
(距離をおけない場合は、下記のマイライフ・ゲシュタルトの祈りの詩を思い出す)(184)
3 「待つ」
一晩寝て、相手への行動を起こさないと決めてしまう(~)
明日の朝まで何もしないと割り切る(~)(182)
・(マイライフ/ビリージョエル)
あなたがなんと言おうと もう気にしない これは私の人生
あなたはあなたの人生を進めてくれ。私のことは放っておいて
・(~)他人に干渉されて困っているときには、たいてい受け身(~)になる。
けれでもこんなふうに視点を変えて、相手をしっかり見すえて(~)のも一つの手だ(204)
・(ゲシュタルトの祈り/F・パールズ)
私は私の人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
私がこの世界にいるのは、あなたの期待に応えるためではなく、
あなたがこの世界にいるのは、私の期待に応えるためではない。
あなたはあなた、私は私。
私たちがたまたま出会い、たがいを見つけるならそれは(~)こと。
そうでなくても、それはしかたのないこと(200)
・自分と他人を切り離す姿勢は一言で「個人(~)」と言える。
(「自分勝手ではない」)(202)
・合わせ鏡もSNSも、なかを覗くことをやめれば、その世界は消え失せて、
ようやく≪外の世界≫を思い出して我に返る(~)(198)
・「生きることは素晴らしい」から離れる(不自然な思想は苦しくなる)(191)
・我々は世界でも珍しい、
「死を見ず単に生きることを絶賛する文化に生きているのではないか」
という疑問がわいて(~)(194)
・未成年の自殺があると、命の大切さの教育が足りないせいにされた。
それがさらに命の教育を推し進めた。自殺の背後には、
何か具体的な原因があったはずなのに
(行き過ぎた集団思想/「疑いの余地のない」とされてしまうシステム)(194)
・「誰がどうした」の話は誰かを羨ましがったり、逆に見下したりする心理に(~)
つまりそこから劣等感や嫌悪感が(~)
(SNSができる前は「誰かどうした」はわからなかった)
(それでも特に困ることなく生きていた)(197)
・今の社会は基本的に週休二日(労働5日/休日2日)
(基本的に)人生のメインの部分は、休みではなく労働だ。それだけ見ても、
人生は素晴らしくないのでは(~)
(せめて苦楽半々くらいに言ったらどうだろう)(192)
・逃げない人が疲れ果てる(172)
我々は過度に、真面目さを植えつけられてしまっているのだろう。
(無意識に/学校訓練~学校入学式~卒業式~葬式まで/などの儀式で植え付けられている)(174)
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あとがき
・そしてこれはギリギリの線なのだが、やはりそれでも直接接する人には、
まあ優しくしておいたほうが(~)そんな柄でなくても。
自分にとっても(~)にとっても(~)(221頁)
・この本には「〇〇しなくていい」なんてことばかり書いているけれでも、
もちろんやりたい人はどんどんやればいいと(~)(220)
・やさしくない世界なんて、いくらでもあるのでわざわざ作っていてもしょうがない。
批判、悪意、からかい、対立、そんなものに満ちたところばかりで、
この世が(~)になったのだから、そう思って(~)だ。
そしてやさしい世界をあちこちでポツポツと(~)していく。
そうやってそのうち全体が(~)それにこしたことはない(221)
・「みんな同じ」なんて(~)。
どう思われるかばかり気にして生きなくていい。
人間は(~)。こんなことばかり書いているだけで(~)思いだった。
一度でもこれを本に書く機会に恵まれて(~)だ。
(~)の頃からずっと胸にあったこういう思いは、
(~)をやっている以上どうしても募ってしまう(~)なのだろう。
この本の主張は単にそういうことではないけれども、
こう書いた時の(~)とする気持ちは、持ち続けていたい(218)
その未開部族世界についての特徴を、その生活を通した諸視点から解説されている書となる。
それは、西欧世界においての蓄積といったものがない諸世界(狩り用の道具は例外)、
消費できないものは蓄積しない、あるいはできないといった諸世界であり、
唯一の人工的な交換に関しては、ある仲介人を通して、
ジャングルで手に入れたものを即自的に交換する、といったことで取り引きがなされている。
このような背景において、ピダハン族の諸世界とは、
神話的な象徴記号を蓄積するようなシステムをもたない、あるいは、
そのような記号を即自的に消尽しているようなシステムである、といったこと、
また、かれらにとって等価なものとは、おそらくジャングル自体なのだろう、
と本書から考察することができる。
参考図書
『言語・思考・現実 (講談社学術文庫)』『文化人類学と言語学』
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第1部 生活(ピダハンの世界を発見;アマゾン;伝道の代償 ほか)
第2部 言語(ピダハン語の音;ピダハンの単語;文法はどれだけ必要か ほか)
第3章 結び(伝道師を無神論に導く)
エピローグ 文化と言語を気遺う理由
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(あとがき)
(エピローグ 文化と言語を気遺う理由)
・ブラジル・アマゾンの少数民族ピダハンの人々が使用する言語。
現在およそ四五百人程度しか使用者がなく、消滅の危機にさらされている。
・わたしたちが日常これが趨勢であろうと考えているものが本当に数的にも優位であるのかどうかは、
実は定かではない
・本書に綴られているピダハンの人々の暮らしや世界観は、表層的に、
これこれのものがあるとかないとか、といったものさしだけで測れるとは到底思わない。たとえば、
ピダハンの人々が暗くなっても寝静まることなく、時には狩りや釣りにも行くとしたら、
人間には体内時計があって、朝太陽の光を浴びるとことでそれがリセットされる、
という話はいったいどういうことになるのだろう。
わたしたちが当たり前のこととして切り取っている世界は、
どのくらい普遍的に適用するものだろうか(389)
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(ピダハン Pirahǎ)
・ピダハン族はピダハン語を話す。彼らは他の言語を「"crooked head"」と呼んでいる
・植物や成分抽出の語彙が埋め込まれている(<クラーレ>を使用する際)
・動詞の活用が6万5千ほどある(数量詞はない)
・bǎaiso(全部)
・abagai(一部分)
・kagi(カギ/差異化された関係性/米と豆、婚姻その他の関係、狩人と猟犬、親子など)
・xahaihī(アハイギー/ピダハン一般(男女とも、年代別なく))
・baīxi(マイーイ/仲介者一般/一時的・恒常的)
・hoagi(ホアギー「来る」という動詞)
・抑揚記号(')=(アクセント)
・Tīi(排泄物/トイーイ)(最初のアイにアクセント)
・Tiī(わたし/ティイ)(二番目のアイにアクセント)
(_区別)
(ピダハン 「時間」といった概念)
・ジャングルあるいは生活圏での直接経験の原則(記号への置き換えはない/拒斥)
・昼夜の区別がない
・時間帯によって獲れる魚の種類が違うので、いつなんどきでも漁にでかけることがある
・またもし朝の三時に誰かが魚を獲ってきたら、それが食事時となる。
家族の全員が起きて、すぐさま魚を食べにかかるのだ(112)
・ピダハンたちが三日間の間ほとんど休みなしに、狩りにも漁にも行かず果実を拾いも行かず、
もちろん備蓄の食料もなく、ずっと踊り続けているのを見たことがある(110)
・日に一度か二度、あるいは一日中食事をしないなど平気の平左だ
・空腹なのに、狩りも漁もせず、鬼ごっこしたり、寝そべったておしゃべりして過ごしたり、
(ピダハン「持続・保存」といった概念)
・使い捨ての籠しか作らない
(狩りや漁をしたら、獲物はすぐに食べきってしまう/加工してとっておくことをしない)
・持っているものは交換していく
・何らかの理由で人目を避けたい場合は、ジャングルにまぎれるかカヌーで村を離れる
・雨や太陽を遮断して眠れる場所があればいい
(ピダハン「象徴・表象」といった概念)
・人の動きのほうに、ものを合わせようとする(漁、籠など)
・ピダハンの営みで最も儀式に近いのは踊りだろう。
楽器はなく、歌と手拍子、足拍子だけが伴奏となる(119)
・ピダハンが何か別の言語文化(諸共同体)を比べることに必要性を感じていないのは、
単純にピダハンがそのような日常生活であるから、といったこととなるのだろう。
(<意味づけ>をしない、あるいは対象化をしない、流動・変動し続けている世界・世界観)
・「スティーブはおれたちにイエスの話をした。だがおれたちはイエスはいらない」(365)
・「寝るなよ、ヘビがいるから」「ジャガーが、豚がいると思って食べにくる」
・「ありがとう」「ごめんなさい」に相当する言葉はない。
どちらかといえば「取引成立」といった、それは行為の形で示される。
・ピダハン、文化的に代々暗黙に伝わっている日常生活に対する知恵を、あえて口にだすまでもない
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(_著者の考察)
・ピダハンのところにもっていった神聖なメッセージが
世界のどこでも通じると決め込んでいたわたしの自信は、
じつは根拠などまったくなかったということだった(373)
・わたしたちは、自分たちの文化のタペストリーを織りなす、
さまざまな仮定の前提として、言語を使用している(343)
・自分がいる環境を度外視すて言語学に打ち込むことができると信じるとは、
結局のところ笑止千万だったのだ
わたしたちはアマゾンの只中にいたのだから(37)
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『鶴見済 人間関係を半分降りる ── 気楽なつながりの作り方』にも、
同様のことが記載されていたのでmemo。
以下のような諸事態を考察。
・自然などの「人の歴史の外にあるものとは」を考察する
・「一般的常識への同調圧力」と「それに対する疑問・距離反応」を考察する
世界を広く見渡せば全く異なるシステムで動く人がいることが現状である。
本書『人間関係を半分降りる』は、
「誕生の際に選ぶことのできなった一諸世界から半分降りる」
と言い換えることもできるのだろう。
『気楽なつながりの作り方』とは、
すでに出来合ってしまった国や共同体の規則・規定や距離的に近い親族などに対して、
本書に記載されている「一旦離れてみる・距離をおく」から、
「~をしなくてもよい」あるいは「個人の判断によって~してもよい」
といったことに置き換えていく、あるいは書き換えていくプロセスのようなものでもある。
(本来の「限定の不在」のゼロ地点に戻るようなプロセス)
(外-開き/サードプレイスなど)
以上は、規則や規定などができあがる長年のプロセスを遡行していく(辿っていく)ことでも、
その恣意性(歴史・時代が作り上げてきた諸記号システム)を確認・考察することができる。
——長年の諸システムができあがる経緯
諸民族共同体(日本、アメリカ、中国など)の国と呼ばれるものの中での諸規定・規則は、
集団思想(諸記号)の1つにすぎないものであり、
疑いの余地なく行われる行事(儀式)の中で、その集団的思想は培われていく。
(諸宗教の諸規則などで変動/ex学校・入学式~卒業式/介護/通夜・葬式~火葬・骨壺など)
(距離をおくことからの当初の不安・心配・嫌悪・断末魔/対立・否定など)
(歴史を辿れば≪そのようなもの≫は本来、恣意的な記号の1つにすぎない)——
≪それら≫は「しなければならない」ではなく本来は、
「しなくてもよい」あるいは「個人の判断によって~してもよい」「どちらでもよい」
といわれるような一個人の自己責任によるものである、と考察することができる。
(諸民族共同体の鏡の世界/鏡から自らに跳ね返ってくるもの)
(「しなくてもよい」に含意された「個人の判断によって~してもよい」「しなければならない」)
「なぜ諸民族共同体は集団思想の1つにすぎないものなのか」と問われれば、
これは別の共同体からの諸視点から考察することでも、
その仕組み(諸システム)を分解し言語化することができる。
以上は記号学、文化記号学、言語学の範疇のもので、
その共同体から、「一旦距離をおく」などをしたり、
過去またはスタート地点(原初)から恣意的に形づくられた諸集団の記号規則(諸同調)から、
距離をおきながら、現状の≪それ≫が出来上がった歴史・経緯を調べ、
(または別の国や共同体のシステムが出来上がる仕組みを調べたり)、
まとめたり(カテゴリー化など)し考察することで、
諸共同体の歴史と個人の歴史の解像度が鮮明になっていくのだろう、と考察することができる。
(言語化しながら諸記号学の歴史を考察することができる)
(「文化記号学としての言述-ディスクール的な連鎖」)
(規則として<言語の形態化・体系化/その使用>を用いる印欧語(SAE言語)や中国語的な世界観)
(「時制といった概念が存在しないホーピ語を用いる民族の世界観」の諸視点などから考察)
(言語化する前の個人の感覚「前-ランガージュ」)
以上のように考察することでも、
距離をおくことからの当初の「不安・心配・嫌悪・断末魔/対立・否定」などは、
本来なかったもの(無の能動性)であったり、あるいは滑稽な事態の総体として、
またそれと同時に一方で、一笑いや遊戯 jeuの歴史としての解像度が鮮明になり、
のちの人類も気づくことがあれば、
そのように「今までのことは滑稽な事態の総体だった」と気づいていくのだろう、
とも考察することができる。
参考図書
『言語・思考・現実 (講談社学術文庫/L・ベンジャミン・ウォーフ (著))』
『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』『性の進化論/クリストファー・ライアン』
『完全自殺マニュアル』『0円で生きる―小さくても豊かな経済の作り方』
『脱学校の社会 (現代社会科学叢書)』
『年収90万円で東京ハッピーライフ』『思い立ったら隠居 ――週休5日の快適生活』
『E.M.シオラン各書「絶望のきわみで」「時間への失墜」「実存の誘惑」「四つ裂きの刑」』
『遺言の書き方と相続・贈与 令和版』
『自分で書く「シンプル遺言」-簡単なのに、効力抜群!-(The New Fifti』
『おひとりさまの終活「死後事務委任」-これからの時代、「遺言書」「成年後見制度」と』
『ウィトゲンシュタイン全集9/全集8/全集7・4/全集1/全集3・2』
『ウィトゲンシュタインのウィーン』『マーラーと世紀末ウィーン (岩波現代文庫)』
『反哲学的断章 単行本 – 1995/8/15』『論理哲学論考 (岩波文庫)』
『不可能な交換』『ボードリヤールという生きかた NTT出版ライブラリーレゾナント010』
『パスワード 単行本 – 2003/3/15(ボードリヤール)』
『ソシュール小事典』『言葉とは何か (ちくま学芸文庫)』
『ソシュール 一般言語学講義: コンスタンタンのノート』
『世界の大思想 3-10 ベルグソン-時間と自由/創造的進化-』『物質と記憶』
『笑い(ベルクソン)』『意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)』
『内的体験 (平凡社ライブラリー)』『非‐知―閉じざる思考』
『呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)』『宗教の理論 (ちくま学芸文庫)』
『ラスコーの壁画 (ジョルジュ・バタイユ著作集)』『有罪者: 無神学大全 (河出文庫)』
『眼球譚 太陽肛門/供犠/松毬の眼』『ランスの大聖堂(ちくま学芸文庫)』『純然たる幸福』
『『死者』とその周辺 (Le livre de luciole)』『バタイユの著作集/15巻/14巻/12巻』
『バタイユの世界』『バタイユ―消尽 (現代思想の冒険者たち)』
『未知なるもの=他なるもの(湯浅 博雄)』『贈与の系譜学 (講談社選書メチエ)』
『生物から見た世界 (岩波文庫)』『不可能な交換』『誘惑の戦略 (叢書・ウニベルシタス)』
『ウィトゲンシュタイン全集8/全集9/全集1』
『パスワード 単行本 – 2003/3/15(ボードリヤール)』『ソシュール小事典』
『E.M.シオラン選集〈1〉崩壊概論 (1975年)』『絶望のきわみで 単行本 – 1991/5/1』
『笑い(ベルクソン)』『物質と記憶』
『意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)』
『反復(ペーター・ハントケ)』
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鶴見済 人間関係を半分降りる ── 気楽なつながりの作り方
目次
まえがき
第1章 友人から一歩離れる
第2章 家族を開く
第3章 恋人をゆるめる
第4章 こうすれば気楽になれる
あとがき
第1章 友人から一歩離れる
1
「人からどう思われるか」を基準に生きない
やさしい視線のなかに行こう
2
仲間はずしに従わない
仲間うちの力関係で動くことのむなしさ
3
友だちがいない時があってもいい
肯定されない関係ならなくていい
4
もうひとつ居場所を持つ
「不適応者の居場所」を作ってみた
5
嫌な相手とは「心の距離」を置けばいい
少しずつ疎遠になるのが一番
6
「みんなとちょっと違う人」でいい
「みんな同じ」にしようとする集団の力
7
攻撃してくる相手に近づかない
注意深く見わけて予防する
8
友人は大勢いなくていい
大勢がうらやましく思える不思議
9
どこにも通わなくても大丈夫
フリーランス三十年の経験から
10
オンラインに期待しすぎない
会うことで湧く親しみにはかなわない
11
ありのままでいられるグループを選ぶ
仮面をかぶって生きるつらさ
第2章 家族を開く
1
家族は寄りそわなくていい
距離が近いと「嫌い」が爆発する
2
子どもがいなくてもいい
「子どもこそ幸せ」という最大の圧力
3
家庭は開いたほうがいい
閉じた場所では加害が起きやすい
4
毒親もただの個人と思ってみる
客観的に見れば憎しみもやわらぐ
5
家族の素晴らしいイメージにだまされない
真に受けてもつらいだけ
6
家族は人間でなくてもいい
植物でもふわふわのクッションでも
7
血のつながりにとらわれない
他人の子とも親子になれる
8
サードプレイスに逃げていい
家庭や会社に心を占領させない
9
家族とは一生離れ離れでもいい
うまくいかない相手とは一緒にいない
第3章 恋人をゆるめる
1
そもそも恋愛をしなくていい
「恋愛は面倒」な人が増えている
2
セックスも無理にしなくていい
誰もが好きなものではなかった
3
けんかをしない相手を選ぶ
好意にも悪意にもお返しが来る
4
結婚はしすぎだった
身を固めなくてもいい時代
5
若くなくても恋愛していい
自分のために生きる人が増えてきた
6
一緒に住んでも近づきすぎない
相手を傷つけるのは近すぎる距離
7
別れてもいい
逃げられないから地獄が生まれる
8
一対一でなくてもいい
相手を独占しなくても恋愛はできる
9
相手はリアルでなくていい
空想を使えば恋愛は自由自在
第4章 こうすれば気楽になれる
1
「もうどうしようもない」とあきらめる
最後に見切った人の持つ強さ
2
怒りは一晩寝てやりすごす
時間がたてば理性が勝る
3
嫌な相手に意識を集中しない
悪いことは気になるもの
4
「生きることは素晴らしい」から離れる
不自然な思想は苦しくなる
5
「誰がどうした」ばかり考えすぎない
SNSでなくなる心の平穏
6
「あなたはあなた、私は私」と割りきる
個人主義のススメ
7
いいかげんになる
心配をあおる文化に乗せられない
8
広い世界、長い時間を意識する
遠くを見わたせる場所に行こう
9
くだらないと笑いとばす
緊張からの解放
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まえがき
・近すぎる距離を少し離して、さらに外に開く。
そうすれば(~)があったとしても、致命傷にはならない。少し考えれば(~)(5)
・もっといいかげんにやったほうが(~)もっとのん気にやること。
もっと気を散らすこと(~)第四章には(~)気楽になる方法をまとめた(~)
「そのうちなんとかなるだろう」(7)
・「流動的な開いたサードプレイス、沈黙の革命」の考察(6)
・家庭、会社、学校の≪外≫で(~)(サードプレイスの考察)(5)
・人間には(~)な面があるのだから、少し離れて(~)(4)
・人はこれはきつくて耐えられないと思ったら、いつまでも(~)していない。
とっととやめてしまう(6)
・奇妙な(~)のせいで、人と人とが安易に近すぎる距離で、
閉ざされて(~)するようなしくみができている
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第1章 友人から一歩離れる
(無の能動性/サードプレイスなど)
・ありのままの自分を受け容れてくれる(~)でなければ、
そこは(~)場所とは呼べない(71)
・「みんなとちょっと違う人」でいい(~)その立場が許されていない(~)なら、
こちらから願い下げでいい(47)
・まずは(~)のなかで「みんなと違っている人が許されているかどうか」を見ること(~)
みんなと意見が違う人、少ししか参加しない人も許されているかどうか。
そこがポイント(~)(47)
・みんなに合わせなくてもよい場所の考察
・ゆるい(~)場所の考察(35)
・とにかく、やさしい、ゆるい(~)に乗り換えること(~)
自分を殺さず(~)は、それだけで(~)している感覚が違う(24)
・毎日誰とも話さず過ごして、ようやくわかったことがある(~)。
その(~)はいらなかった(~)
(~)は断ち切ったほうが楽(31)
後々のことも含め、ここでの(~)の大転換は、
その年に起きたどんな(~)より(~)自分にとっては(~)だった(32)
・(~)にならなくていい(30)
・箱の中が疲れる人には、別のオプションも(~)(19)
・人の詰まった箱に通わなくてもいいオプションも有り(16)
・やさしい視線の中(場)にいこう(20)
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(無の能動性/距離をおいた諸視点_離れたところからの諸視点など)
・(~)から離れたいと思うなら(~)の頭に浮かばないように少しずつ離れていき、
気が付いたらすっかり疎遠になっているのが(~)これなら(~)は必要ない。
(~)とぶつかりたくないあなたにも、十分できること(~)
(~)とは「(~)の距離」を置く/少しずつ疎遠になる(40)
(思い浮かべる回数を減らしていく)(41)
・(~)の距離を置く技術は(~)
相手の発言を見えないようにする”ミュート”などは(~)の機能(43)
・各自が圧力をかけられることなく、自分で判断することを当たり前にしていくのが(~)(29)
・集団一般について見れば、集団とは大なり小なり「みんな同じ」を強いるところだ。
個人への縛りがきつい集団のなかで、みんな同じになる方向で解決しようとしても、
なかなか楽にはならない。そんな時は(~)から離れたほうが(~)(18)
・「そうそう、そういうこともあるよね」などと、弾んだ話し方をしたり、
こちらから(~)を広げたりしない。なるべく短めに(~)を切り上げる(42)
・距離を置くというささやかな(~)くらい、使っていけないはずはない(42)
・「どこにも通わなくても大丈夫」(という選択肢もあり)(60)
・オンライン、ネットでの(~)の限界(67)
・「人の詰まった箱」は人間には合わない
(諸システム内/教室、オフィス、箱の中の訓練など)(18)
・(~)を操作する村八分の歴史(諸システム)と村八分的な現状(諸システム)(~)
(平均的能力と同調圧力の考察)(27)
・視線が過密な学校の教室(その他の閉じた箱的な場所)の考察(22)
・(~)に振り回されている(~)
(諸システムに操作されている(~))(17)
・そもそも周囲を(~)するような人間の近くにいれば、
いつでも(~)されないように気を遣わなければならない。
それだけのリスクを負ってまで、近くにいる(~)があるのかどうかをよく考えること(~)
(コンクリートジャングル/誰もが危険だらけのジャングルをウロウロしているようなもの)(53)
・近づいてこられたら、すべてを濁してなんとかうやむやにするなど(52)
・(~)してくる相手に近づかない(49)
・諸集団の「同調圧力」の考察
・「みんなと同じ」にしようとする集団の(~)(44)
(疑いの余地が許されていないような閉じた世界)(46)
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第2章 家族を開く
(無の能動性/サードプレイスなど)
・「サードプレイスに逃げていい」(ラジオ、本、音楽、路上など)
いろいろな(~)を持つ世界に触れることによって、ホッとしたり、
個々の世界を広い視野から見て(~)したりできてこそ(~)
(~)しかない人にとって、かつての自分にとってのラジオのような、
もうひとつの(~)に触れる場所になってくれたら(118)
ラジオは居場所でも交流相手でもなかったが、
このもうひとつの世界の(~)が自分を(~)(116)
息が詰まりそうな(~)の外に出て、別の世界を(114)
・(~)とは一生離れ離れでもいい(119)
・「(~)だから」という思い込みを捨てて、実際にあった出来事に即して考えること(~)
頻繁に会うとかえって断絶しかねない(120)
・うまくいかなくて当たり前。そう思ってあらためて自分が育った(~)を眺めてみると、
少し気が楽になるのがわかる
(血縁から離れると気が楽になる)(113)
・育ててもらった恩は置いておいて、まずは対等な個人どうしと考えよう。
そして相手がひとりの個人として、自分にとって(~)な人だったかどうかをみてみれば (~)
「親は自身のために、この自分を育てた」
この考え方も、親への見方を是正する大きな(~)になった(~)
遠近感をとらえなおすことで、自分を楽にすることができる(98)
(~親もただの個人と思ってみる/家族を「姓+名+さん」でイメージしてみる)(94)
・(~)を持たないのは気楽でいいし、それではつまらないなら、
他の形で(~)をすることだってできる(79)
・「人はいいところだけ見せるもの」とやりすごす(77)
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(無の能動性/距離をおいた諸視点_離れたところからの諸視点など)
・世の中にある(~)についての常識(というもの)は、
多分(~)とうまくやっている人の目線でできているのだろう。いや、
(~)についての常識(というもの)のほとんどがそうだと言っても(~)。
うまくいく(~)であれば、それでいいのだから。長くいっしょにいるかどうかを決めるのは、
「それでうまくいったかどうか」だ。
(それは一旦離れてみないとわからないかもしれない)(122)
・人間に警戒心を持ってしまうのは、もともと人間が(~)なものだから(~)
(~に近づくのは必要最低限にしておけばいい)(105)
・人間は(~)な生き物(~)閉じた場所では(~)が起きやすい(90)
・無理に食卓を囲まない(家族はもともと近すぎる)(83)
・(~)とは、たまたま偶然に至近距離に居合わせた特殊な人たちでしかない(~)(81)
・距離が近いと(~)が爆発する(80)
・人間はいいところだけを見せて人によく思われようと、いつも考えている生き物(78)
・そもそも子供は江戸時代まで労働力と見なされていて、
今のように(~)を注ぐ対象とされていなかかった(~)(欧米も同様)(100)
・「親に育ててもらった恩」というのは、親にとって絶好の口実。
親というのは(~)ではとても有利になるポジション(~)
(親の~してあげた/子供の~してもらった/など)(97)
・(現状)市民権を得られていないものは、
必要以上に(~)と思わされている(~)(という疑問の余地を片隅においておく)(89)
・(~)は誰が見てもかわいいものだという奇妙な”常識”も、欠落感を刺激するもの(~)(86)
「周囲からの圧力によるところも大きいのかな」(という疑問の余地を片隅においておく)
(常識と呼ばれる恣意的な歴史の言語)(86)
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第3章 恋人をゆるめる
(無の能動性/距離をおいた諸視点_離れたところからの諸視点など)
・各々は別の世界を生きている(~)(153)
・「若い時代は二度と帰らないのだから」という言葉(~)
けれでも考えてみれば、すべての時代は二度と帰ってこない(~)
そんな言葉に何か(~)があるだろうか?
・自分のことを一番よく知っているのは自分(~)
生き方については、全員ぴったり合う大量生産の(~)なんてないのだ。
ひとりひとりが、自分用にあつられた(~)を(~)するしかない。
自分自身の体験から(~)(151)
・そもそも(~)をしなくていい(128)
・そもそも(~)をすれば(~)になれるなんて嘘だったのだから(127)
・そのコース全体には何やら儀式みたいな(~)があって
(儀式的流れからくる出来事/諸事態)(124)
・一対一でなくてもいい(162)
・何かに生涯を捧げなくていい(159)
・ストーンズの「満足できないぜ」という歌(147)
・自分がやりたいようにやっていれば、そうそう大きな(~)にはならない(~)
「全員こうするべきだ」とされていることにこそ、疑問の目を向けよう(132)
・一対一の原則が厳しい今の日本(164)
・そもそも逃げられないからこそ(~)になる(~)
何かあったらすぐ離れてしまえる環境で(~)なんてそう簡単に作れるものではない(160)
・人はくっついて(近すぎて)いれば(~)な面も大きなる
(あまりにも近づきすぎると(~))(161)
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第4章 こうすれば気楽になれる
(無の能動性/自然界の歴史_笑いなど)
・この章では気楽になれる方法を書いていく(175頁)
・笑いは精神の(~)これが自分の暗闇の中の指針になった(~)
絶望の底で笑いが出る(~)は他でも見かける(217)
(絶望の果てには笑いがある)
・日常はどちらかといえば緊張が(~)する(~)だ。
だからこそ息を抜くための笑いが、どこでも(~)になるのだろう(215)
・見渡すかぎりの墓石を眺めていると、
すでに終わってしまったたくさんの(~)について考えざるを(~)
数え切れないほどの(~)を経験した(~)が、こんなにたくさんあったのだ(213)
・見晴らしのいい場所から見える風景は、あらためて世界の広さを突きつけてくる。
その(~)で(~)が張れるのだろう。
山の山頂など自然界を見渡せる場所では、空間の広さだけでなく、
(~)の長さも同時に感じてしまう。どうしても、
それらが経てきた長い長いにも(~)思いをはせる。
日常に埋もれるわれわれの視界は、空間的に狭くなるだけでなく、
(~)的にも短くなっていく傾向がある。
自然界の眺めは、そんな見方も(~)してくれるようだ
・(~)の世界は、人間どころか生き物すらいないのに、成り立っている世界だ。
人間はそんな世界を知らないし、その世界も人間に知ってもらおうと思っていない。
地球の上はそんなところだらけだったはずだ。それを思い出すのは(~)(199)
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(無の能動性/諸惑星の諸動物であり、ただ単に自然にかえるだけの人間が忘れていること)
(無の能動性/距離をおいた諸視点_離れたところからの諸視点など)
・『完全自殺マニュアル』という本で言った、
「いざという時には死ぬことだってできるのだと思えば、楽に(~)していける」
それはあきらめの(~)を活かすひとつのやり方であり(~)の支えだった(~)
「(~)が一生をかけて得た一番大きなものは、この感覚なのかな」という気すらしている(180)
・「あきらめ」から別の旅に出る
・死を想うことは(~)のうえで欠かせない(~)
何もかも失ってしまう”死”すら、われわれにはどうすることもできない。
それならあきらめればならないことなど、他にいくらでもあるに違いない(180)
・生き物の”生”とは、問題を克服しようとあらがい、もがいている状態(~)
(~)を求めて、もがき続けるのだ。
それでも最後にやってくる死の時は、あきらめる瞬間だ。ここで提唱しているプロセスは、
我々生き物の生と死そのものにとてもよく似ている(180)
・死ぬ直前になってたいていの人は「あきらめて楽になる」
というこの高地を味わうのでは(~)(179)
・あきらめた状態にも捨てがたい(~)がある(~)
「もう失うものは何もない」最後の最後にそう見切った人は(~)だ。
うまくいかないことが無数に重なったあげくに達する、
「怖いものなんかもうない」という境地に(~)は賭けてきたとも言える(179)
・これ以上いくら(~)しても同じというところまで(~)になったらどうだろう?
もう(~)は(~)しなくてもいい。あとは(~)しても同じこと(~)
このとき人は突然、それまでの(~)から解き放たれる(~)
最後の最後に反転した先の、この(~)を(~)すること(176、177)
・「生きること」と言えば、明るい笑顔や笑い声が浮かんでくるこの(~)前提は、
自らの日々の暮らしを(~)に感じさせる
(気楽に過ごすには、まずこれらを一旦頭から消してみるのは(~))(191)
・「諸行無常=すべては移り変わる」(~)
生と死の両方のニュアンスが含まれている言葉だからこそ、
心地よい空しさを放っているのだろう(192)
・「いいかげん」「てきとう」でいい。
もう十分だと思っても「心配が足りない人のために」と言われれば、返す言葉もない。
誰かが「そんなに心配しなくていいよ」などと言ってくれる日は(~)
特に日本では、その傾向が(~)なのだろう(207)
(昔の歴史を辿れば近代は)様々な心配事への(~)が盛んになって、
どこかで行き過ぎの段階に入ったのだろう
(心配・不安をあおる文化/心配があふれる日本の(~))(207)
・(~)しても日本ではこのいいかげんな感覚を、
肯定的に育んでは来なかっただろうなと思わせる(~)
「すべてはなるようになる(~)先のことなどわからない」(~)
最後に気楽なものの少ない日本のことわざのなかから(~)
「明日は明日の風が吹く」(208、209)
・「怒り」に囚われたとき
1 何もせず一晩寝ると早々に決めてしまう
翌日には、まるで違う気分になっていることがわかるだろう。
我を忘れるほどの怒りはもうない(~)やりすごしてしまえば(~)(184)
2 怠惰な気持ちを思い出す(怒りも怠けよう)
面倒だからサボろう(~)ちょっとくらい気分を害しても、知ったことじゃない。
こんな態度を思い出せば、気持ちが(~)反転して、一晩やり過ごすのが楽に(~)
(あるいは距離をおく)
(距離をおけない場合は、下記のマイライフ・ゲシュタルトの祈りの詩を思い出す)(184)
3 「待つ」
一晩寝て、相手への行動を起こさないと決めてしまう(~)
明日の朝まで何もしないと割り切る(~)(182)
・(マイライフ/ビリージョエル)
あなたがなんと言おうと もう気にしない これは私の人生
あなたはあなたの人生を進めてくれ。私のことは放っておいて
・(~)他人に干渉されて困っているときには、たいてい受け身(~)になる。
けれでもこんなふうに視点を変えて、相手をしっかり見すえて(~)のも一つの手だ(204)
・(ゲシュタルトの祈り/F・パールズ)
私は私の人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
私がこの世界にいるのは、あなたの期待に応えるためではなく、
あなたがこの世界にいるのは、私の期待に応えるためではない。
あなたはあなた、私は私。
私たちがたまたま出会い、たがいを見つけるならそれは(~)こと。
そうでなくても、それはしかたのないこと(200)
・自分と他人を切り離す姿勢は一言で「個人(~)」と言える。
(「自分勝手ではない」)(202)
・合わせ鏡もSNSも、なかを覗くことをやめれば、その世界は消え失せて、
ようやく≪外の世界≫を思い出して我に返る(~)(198)
・「生きることは素晴らしい」から離れる(不自然な思想は苦しくなる)(191)
・我々は世界でも珍しい、
「死を見ず単に生きることを絶賛する文化に生きているのではないか」
という疑問がわいて(~)(194)
・未成年の自殺があると、命の大切さの教育が足りないせいにされた。
それがさらに命の教育を推し進めた。自殺の背後には、
何か具体的な原因があったはずなのに
(行き過ぎた集団思想/「疑いの余地のない」とされてしまうシステム)(194)
・「誰がどうした」の話は誰かを羨ましがったり、逆に見下したりする心理に(~)
つまりそこから劣等感や嫌悪感が(~)
(SNSができる前は「誰かどうした」はわからなかった)
(それでも特に困ることなく生きていた)(197)
・今の社会は基本的に週休二日(労働5日/休日2日)
(基本的に)人生のメインの部分は、休みではなく労働だ。それだけ見ても、
人生は素晴らしくないのでは(~)
(せめて苦楽半々くらいに言ったらどうだろう)(192)
・逃げない人が疲れ果てる(172)
我々は過度に、真面目さを植えつけられてしまっているのだろう。
(無意識に/学校訓練~学校入学式~卒業式~葬式まで/などの儀式で植え付けられている)(174)
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あとがき
・そしてこれはギリギリの線なのだが、やはりそれでも直接接する人には、
まあ優しくしておいたほうが(~)そんな柄でなくても。
自分にとっても(~)にとっても(~)(221頁)
・この本には「〇〇しなくていい」なんてことばかり書いているけれでも、
もちろんやりたい人はどんどんやればいいと(~)(220)
・やさしくない世界なんて、いくらでもあるのでわざわざ作っていてもしょうがない。
批判、悪意、からかい、対立、そんなものに満ちたところばかりで、
この世が(~)になったのだから、そう思って(~)だ。
そしてやさしい世界をあちこちでポツポツと(~)していく。
そうやってそのうち全体が(~)それにこしたことはない(221)
・「みんな同じ」なんて(~)。
どう思われるかばかり気にして生きなくていい。
人間は(~)。こんなことばかり書いているだけで(~)思いだった。
一度でもこれを本に書く機会に恵まれて(~)だ。
(~)の頃からずっと胸にあったこういう思いは、
(~)をやっている以上どうしても募ってしまう(~)なのだろう。
この本の主張は単にそういうことではないけれども、
こう書いた時の(~)とする気持ちは、持ち続けていたい(218)