読みながら、簡易な節回しとは裏腹の難解なその内容は、どこかでこんな感覚があったよなと考えていたら、あの唯脳論、養老孟司先生を思い出しました。
どちらも一回読んだだけでは、なかなかストンと落ちない。何回読んでも落ちない場合も多かったですが。
お二人とも相当知能が高い天才だなと思います。
(中井先生88歳没、養老先生、2023年12月現在86歳)
何がすごいのかといろいと考えると、分析力ではないだろうか。
ある事情の因果関係を分析して、他の同様な因果関係へ、跳ぶという事だろうか。
因果関係を人の心に求めると、宗教となり、人体に求めると医学になり、数に求めると数学になり、人間に求めると歴史学になる、最近、そう思うこと多いです。
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「昭和」を送る 単行本 – 2013/5/23
中井 久夫
(著)
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『みすず』連載の「臨床再訪」から「病棟深夜の長い叫び――ジル症候群」「在宅緩和ケアに関与する」など4篇を筆頭に、
逝去直後にひととしての昭和天皇を描いた長文の表題作、ユニークな論考「笑いの生物学を試みる」、
その他、いじめについて、3・11後と震災について、臨床引退後の日々についてなど多様な文章39篇。
『日時計の影』以来久々におくる、精神科医の第8エッセイ集。
逝去直後にひととしての昭和天皇を描いた長文の表題作、ユニークな論考「笑いの生物学を試みる」、
その他、いじめについて、3・11後と震災について、臨床引退後の日々についてなど多様な文章39篇。
『日時計の影』以来久々におくる、精神科医の第8エッセイ集。
- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2013/5/23
- 寸法13.5 x 2.5 x 19.5 cm
- ISBN-104622077698
- ISBN-13978-4622077695
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商品の説明
著者について
中井久夫
なかい・ひさお
1934年奈良県生まれ。京都大学医学部卒業。神戸大学名誉教授。精神科医。
著書『中井久夫著作集――精神医学の経験』全6巻別巻2(岩崎学術出版社、1984-91)『分裂病と人類』(東京大学出版会、1982)『精神科治療の覚書』(日本評論社、1982)『治療文化論』(岩波書店、1990)『記憶の肖像』(1992)『家族の深淵』(1995)『アリアドネからの糸』(1997)『最終講義――分裂病私見』(1998)『西欧精神医学背景史』(1999)『清陰星雨』(2002)『徴候・記憶・外傷』(2004)『時のしずく』(2005)『関与と観察』(2005)『樹をみつめて』(2006)『日時計の影』(2008)『臨床瑣談』(2008)『臨床瑣談・続』(2009)『災害がほんとうに襲った時』(2011)『復興の道なかばで』(2011)『サリヴァン、アメリカの精神科医』(2012、以上みすず書房)『私の日本語雑記』(岩波書店、2010)『日本の医者』(日本評論社、2010)ほか。共編著『1995年1月・神戸』(1995)『昨日のごとく』(1996、共にみすず書房)。
訳書としてみすず書房からは、サリヴァン『現代精神医学の概念』『精神医学の臨床研究』『精神医学的面接』『精神医学は対人関係論である』『分裂病は人間的過程である』『サリヴァンの精神科セミナー』、ハーマン『心的外傷と回復』、バリント『一次愛と精神分析技法』(共訳)、ヤング『PTSDの医療人類学』(共訳)、『エランベルジェ著作集』(全3巻)、パトナム『解離』、カーディナー『戦争ストレスと神経症』(共訳)、クッファー他編『DSM-V研究行動計画』(共訳)、
さらに『現代ギリシャ詩選』『カヴァフィス全詩集』『リッツォス詩集 括弧』、リデル『カヴァフィス 詩と生涯』(共訳)、ヴァレリー『若きパルク/魅惑』『コロナ/コロニラ』(共訳)などが刊行されている。
なかい・ひさお
1934年奈良県生まれ。京都大学医学部卒業。神戸大学名誉教授。精神科医。
著書『中井久夫著作集――精神医学の経験』全6巻別巻2(岩崎学術出版社、1984-91)『分裂病と人類』(東京大学出版会、1982)『精神科治療の覚書』(日本評論社、1982)『治療文化論』(岩波書店、1990)『記憶の肖像』(1992)『家族の深淵』(1995)『アリアドネからの糸』(1997)『最終講義――分裂病私見』(1998)『西欧精神医学背景史』(1999)『清陰星雨』(2002)『徴候・記憶・外傷』(2004)『時のしずく』(2005)『関与と観察』(2005)『樹をみつめて』(2006)『日時計の影』(2008)『臨床瑣談』(2008)『臨床瑣談・続』(2009)『災害がほんとうに襲った時』(2011)『復興の道なかばで』(2011)『サリヴァン、アメリカの精神科医』(2012、以上みすず書房)『私の日本語雑記』(岩波書店、2010)『日本の医者』(日本評論社、2010)ほか。共編著『1995年1月・神戸』(1995)『昨日のごとく』(1996、共にみすず書房)。
訳書としてみすず書房からは、サリヴァン『現代精神医学の概念』『精神医学の臨床研究』『精神医学的面接』『精神医学は対人関係論である』『分裂病は人間的過程である』『サリヴァンの精神科セミナー』、ハーマン『心的外傷と回復』、バリント『一次愛と精神分析技法』(共訳)、ヤング『PTSDの医療人類学』(共訳)、『エランベルジェ著作集』(全3巻)、パトナム『解離』、カーディナー『戦争ストレスと神経症』(共訳)、クッファー他編『DSM-V研究行動計画』(共訳)、
さらに『現代ギリシャ詩選』『カヴァフィス全詩集』『リッツォス詩集 括弧』、リデル『カヴァフィス 詩と生涯』(共訳)、ヴァレリー『若きパルク/魅惑』『コロナ/コロニラ』(共訳)などが刊行されている。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2013/5/23)
- 発売日 : 2013/5/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 336ページ
- ISBN-10 : 4622077698
- ISBN-13 : 978-4622077695
- 寸法 : 13.5 x 2.5 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 334,573位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 58,046位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1934年生まれ。1959年、京都大学医学部卒業。はじめウイルス研究者。東大分院において精神科医となる。神戸大学名誉教授。1985年、芸術療法学会賞、1989年、読売文学賞(翻訳研究賞)、1991年、ギリシャ国文学翻訳賞、1996年、毎日出版文化賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 ヴァレリー詩集 コロナ/コロニラ (ISBN-13: 978-4622075455 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年11月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中井久夫氏のエッセイはいつも柔らかい内に凛とした内容をひめているとおもいます。今回の昭和を送るもそんな思いでよみました。
2023年7月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は『神戸新聞』、『みすず』などに掲載された随筆をまとめたものだ。標題作が読んで見たくて購入した。私は1962年生まれなので戦争の経験は無いのだが、徹底的に敗戦した国土の復興、経済成長、成熟、衰退という自分が生きてきた社会環境の変化と、自分の生理的な成長、成熟、老化という変化がシンクロしているように感じられて、何となく、収まりが良い人生だった。その自分を形成した昭和という時代に強い関心があり、それがさらに強くなる一方であるということは、自分が老化の先に向かって心の総まとめに向かっているということなのかもしれない。
本書に収載されている短篇の方の『「昭和」を送る』には「ひととしての昭和天皇」という副題が付いている。本篇はその昭和天皇の御製で始まる。
「昭和天皇の最後の二つの和歌には、世を去る心の準備の成熟があると私は思う。
昭和六十三年の「道灌堀 七月」
夏たけて堀のはちすの花みつつほとけのをしへおもふ朝かな
および
「那須の秋の庭 九月」
あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ
である。昭和天皇は最後の夏に「ほとけのをしへ」に心ひかれていたことがわかる。ちょっと「ほう」と思う。また絶筆となった後の歌には、かねてこころを寄せ、こころの寄りどころとしていた重要な対象から心理的に撤収してゆく「死の受容」があると私は思う。鳥が飛び去ったあとの寂しい空白である。意識を失われる直前の作である。」(本書84-85頁)
市井の人ならば、「世を去る心の準備の成熟」で済むことなのだが、御製となるとそうはいかない。少し前までは現人神として信仰の対象でもあった人だ。ひとり去られてしまうと途方にくれる人が大勢取り残されてしまう。戦後43年を経てもなお、自己の拠り所の一つに天皇を据えている人は少なくなかっただろう。
中井はここで二つの臨床事例を挙げている。一つは、天皇の病状悪化と同時期に十二指腸潰瘍を発症し、崩御の後に寛解した男性だ。この人は発症当時43歳で、敗戦当時は満一歳に満たなかった。発症は仕事で渡米する直前でもあり、そのストレスの可能性も当然にある。しかし、中井は引き揚げ体験と崩御前後の十二指腸潰瘍との関連を示唆している。
満州からの引き揚げについては、森繁久彌の自伝でしか体験記を読んだことがないのだが、よほど強烈な体験だったようで、森繁はあちこちに繰り返し書いている。亡くなった後に『森繁久彌コレクション』として著作を集めた全集が出たが、「自伝」だけで一巻を構成し、その主要な部分の一つが引き揚げの話だ。私はそれを読んだ。過酷という言葉で片付けることができないほど過酷なものだったらしい。
もう一つの事例は崩御時に三十歳代後半だった男性だ。この人の父親は海軍の軍人で、戦後も天皇崇拝者であり続けた。そして、天皇崇拝を幼い彼に説き続け、彼もまた天皇崇拝者となり、高校卒業後に自衛隊に入隊した。しかし、少年の頃から「殺さねばお前を殺す」という天皇の声の幻聴に苛まれていた。意識の上では天皇崇拝なのに、幻聴は自分に敵対するかのような天皇の声が聞こえるというのである。
この人は、崩御をきっかけに、幻聴の声の内容が「和解しよう」「仲直りしよう」「もういいではないか」に変わり、目立って幻聴の症状が改善したという。
おそらく、意識するとしないとに関わらず、人は国家という社会集団に対し家族という身近な社会集団の相似形を重ねているのではないだろうか。さすがに天皇を国父と認識する人は今では少ないとは思うが、例えば野球のWBCとかサッカーやラグビーのワールドカップとかオリンピックのような場面で「日本」あるいは「日本人」として一体であるかのような幻想に浸る感覚があるとすれば、国とか国家という社会集団に対して自己同一性を感じているということになる。ネットでよく見かける「日本人すげ〜」的な物言いの背後にもそうした意識が働いているはずだ。その類の自己同一性の対象に皇室がある人は案外少なくないのかもしれない。二番目の症例の人のように、それが顕著な場合、自己の根幹のそのまた中心に近いところに自分の庇護者としての父=天皇の存在があったということだろう。
自分=日本=天皇という自己認識があればこそ、日本が文字通りの焦土と化すまで「一億玉砕」を標語にして死に物狂いで戦ったのであり、それは自己や国に重ねる対象が異なるとはいえ欧米の人々も同じようなことがあったはずだ。戦争に敗北したからといって、容易に自己の中身を変えることができるはずもなく、その「敗北を抱きしめて」戦後を生きた人が多かったのだろうし、また、そうしないことにはどうしようもなかっただろう。
確かに、敗戦後に掌を返すように敵将だったマッカーサー元帥を奉る向きもあった。「拝啓 マッカーサー元帥様」という手紙が記録に残っているだけで41万通超もあるそうだ。マッカーサーが天皇に取って代わることを見込んでという打算的なところもあったかもしれないが、素朴に心の拠り所を求めていたというだけのことかもしれない。人は社会的な動物なので立場や状況で態度を豹変させることに何の抵抗もないという場合もある。
落語に登場する長屋には当然のように仏壇がある。商売や家内工業を営む家には神棚がある。日本の船には操舵室に神棚を祀ってあるものが今でもあるだろう。少なくとも横浜に係留されている氷川丸にはある。飲食店には入口に盛り塩を置いているところが少なくない。今は仏壇のある家は減っているだろうが、古い家には仏壇や神棚があるのが当たり前というところがある。2019年の夏に気仙沼に遊びに行った折に、たまたま拝見する機会を得た津波跡に再建された商店の住居の方にも立派な仏壇と神棚があった。
人は現実の表層がどうあれ、心的世界の方にはそれ相応の座標軸や構造を持っていて、意識するとしないとにかかわらず、そうした構造や秩序の象徴のようなものを具現化することで安心するというところがあるのだと思う。いわゆる「宗教」という形をとるか否かは別にして、日本人の心的世界には何らかの形で神仏や天皇が核として存在している。そこに実体は必要ないのである。何かがあると思うことができるだけで十分な核があるということだ。その核を持つことができないと、「自分」とか「自意識」が形成できない、ということではないか。
しかし、神並みに扱われる方にしたら、これは大変なことだろう。天皇も人間である。社会での役割が異なるとはいっても、市井の人々と同じ生理精神を備えている。それが自分にはどうすることもできないところで神のように崇められ、また、神のようであることを期待されるのである。人が人を人として扱わないことの不条理がそういうところにもある気がする。権力の側の人間はただその権力に胡座をかいていれば事足りると思うのは権力から遠いところにある者の無思慮でしかない。人はそれぞれの立場に応じてそれぞれの自己の構築や設定に苦慮するのが当たり前だと思う。苦慮がないとすれば、そもそも「慮」がないということだ。それはともかく、その不条理を我々はどのようにして克服してきたのであろうか。それもまた私にとっては謎である。現に天皇制は大和朝廷以来ずっと続いて今日に至っているのである。
キリスト教やイスラム教では神は唯一絶対神だ。仏教は釈迦という実在したことになっている人の教えであって、そこは「神」のある宗教とは信仰の体裁が異なる。しかし、実在したとしてもうんと昔の人なので、どのようにも奉ることができる。つまり、神や仏を人とは別物とすることで信仰は飛躍が可能になる。人種や文化を超えて拡がる普遍性を持つことができる。しかし、その分怪しいところも濃厚になる。
神は信仰があってこそ意味を持つ。奉る側と奉られる側との協働による共同幻想を作り上げなければならない。奉られる側が生身の人間であれば、その精神上の負担は並大抵ではないだろう。よくも今まで続いているものだとただただ感心する。
終戦に際してGHQが天皇制に手をつけなかったのは、おそらく、それを廃した場合の影響が予測不可能だったからだろう。つまり、それくらい真剣に敵を研究していたということでもある。そういうところも含めて、学問や科学技術、もっと言えば人間の叡智というのは大きなものだと思う。勝ち負けということで言えば、やはり、叡智に優れた側に当然に軍配が上がるのであって、運不運が先にあるのではない。
仮に世論調査のようなことをすれば、今の時代に天皇を身近に感じて暮らしている人というのは少ないかもしれない。信仰について同じような調査をすれば「特定の信仰はない」との答えが一番多いだろう。だからこそ、相対に信者が少ない新興宗教が社会の中で無視できない程度の影響を持つことができるのである。尤も、世は「グローバル化」とやらで、人は共同体への依存を弱め、個としての在り方をより強く感じるようになっているらしい。磐石の支持基盤を維持してきた公明党ですら、選挙で票を落とす時代になった。世は「グローバル化」とやらで、一緒に暮らす相手よりもどこの誰だかわからないネット上のつながりの方により強い親近感を抱く人が増えているかもしれない。つまり、個人が従来の共同体を離れ断片化しているのかもしれない。しかし、それでもまだ国家として機能できているのは、何かしら求心力のある権威が存在しているからであろう。
権威というと個別具体的なものであるかのような語感を覚えるかもしれないが、共有する文化とか習慣のような漠然としたものだ。単なる習慣が権威と化しているところもあるだろう。むしろ、漠然としていた方が求心力が強く長く働く。そう思って世間を眺めると、近頃流行の闇バイトも金銭教の神がなせる技なのだろう。金銭は観念だ。それ自体は単なる数字に過ぎない。その数字のためにいとも簡単に人生を棒に振るのは、「一億玉砕」の共同幻想と通底するものがあるのかもしれない。
文化庁が毎年『宗教年鑑』を発行している。1949年から毎年「宗教統計調査」というものが実施されており、暦年末時点での宗教団体数、宗教法人数、教師数及び信者数が翌年12月に公表される。現在公表されている最新の統計は2022年12月9日に公表された2021年12月31日時点の数値だ。それによると2021年末時点で宗教法人の数は179,952であり、信者数の総計は179,560,113人だ。総務省統計局の統計によると同年10月1日時点の推計人口は125,502,290人。人口の方は生まれたばかりの人から死ぬ寸前の人までの数だが、信者はその宗教を信じるとの意思表示をした人の数だ。宗教団体によって「信者」の定義が異なるので、数字の中身は人口ほどはっきりはしていない。それにしても、額面だけで宗教の信者の数が人口の約5割増しというのは、ちょっと笑ってしまう。日本国憲法では信教の自由が保障されている。心の拠り所はたくさんあった方が安心かもしれない。また、心の拠り所が宗教でなければならない理由もない。
本書に収載されている短篇の方の『「昭和」を送る』には「ひととしての昭和天皇」という副題が付いている。本篇はその昭和天皇の御製で始まる。
「昭和天皇の最後の二つの和歌には、世を去る心の準備の成熟があると私は思う。
昭和六十三年の「道灌堀 七月」
夏たけて堀のはちすの花みつつほとけのをしへおもふ朝かな
および
「那須の秋の庭 九月」
あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ
である。昭和天皇は最後の夏に「ほとけのをしへ」に心ひかれていたことがわかる。ちょっと「ほう」と思う。また絶筆となった後の歌には、かねてこころを寄せ、こころの寄りどころとしていた重要な対象から心理的に撤収してゆく「死の受容」があると私は思う。鳥が飛び去ったあとの寂しい空白である。意識を失われる直前の作である。」(本書84-85頁)
市井の人ならば、「世を去る心の準備の成熟」で済むことなのだが、御製となるとそうはいかない。少し前までは現人神として信仰の対象でもあった人だ。ひとり去られてしまうと途方にくれる人が大勢取り残されてしまう。戦後43年を経てもなお、自己の拠り所の一つに天皇を据えている人は少なくなかっただろう。
中井はここで二つの臨床事例を挙げている。一つは、天皇の病状悪化と同時期に十二指腸潰瘍を発症し、崩御の後に寛解した男性だ。この人は発症当時43歳で、敗戦当時は満一歳に満たなかった。発症は仕事で渡米する直前でもあり、そのストレスの可能性も当然にある。しかし、中井は引き揚げ体験と崩御前後の十二指腸潰瘍との関連を示唆している。
満州からの引き揚げについては、森繁久彌の自伝でしか体験記を読んだことがないのだが、よほど強烈な体験だったようで、森繁はあちこちに繰り返し書いている。亡くなった後に『森繁久彌コレクション』として著作を集めた全集が出たが、「自伝」だけで一巻を構成し、その主要な部分の一つが引き揚げの話だ。私はそれを読んだ。過酷という言葉で片付けることができないほど過酷なものだったらしい。
もう一つの事例は崩御時に三十歳代後半だった男性だ。この人の父親は海軍の軍人で、戦後も天皇崇拝者であり続けた。そして、天皇崇拝を幼い彼に説き続け、彼もまた天皇崇拝者となり、高校卒業後に自衛隊に入隊した。しかし、少年の頃から「殺さねばお前を殺す」という天皇の声の幻聴に苛まれていた。意識の上では天皇崇拝なのに、幻聴は自分に敵対するかのような天皇の声が聞こえるというのである。
この人は、崩御をきっかけに、幻聴の声の内容が「和解しよう」「仲直りしよう」「もういいではないか」に変わり、目立って幻聴の症状が改善したという。
おそらく、意識するとしないとに関わらず、人は国家という社会集団に対し家族という身近な社会集団の相似形を重ねているのではないだろうか。さすがに天皇を国父と認識する人は今では少ないとは思うが、例えば野球のWBCとかサッカーやラグビーのワールドカップとかオリンピックのような場面で「日本」あるいは「日本人」として一体であるかのような幻想に浸る感覚があるとすれば、国とか国家という社会集団に対して自己同一性を感じているということになる。ネットでよく見かける「日本人すげ〜」的な物言いの背後にもそうした意識が働いているはずだ。その類の自己同一性の対象に皇室がある人は案外少なくないのかもしれない。二番目の症例の人のように、それが顕著な場合、自己の根幹のそのまた中心に近いところに自分の庇護者としての父=天皇の存在があったということだろう。
自分=日本=天皇という自己認識があればこそ、日本が文字通りの焦土と化すまで「一億玉砕」を標語にして死に物狂いで戦ったのであり、それは自己や国に重ねる対象が異なるとはいえ欧米の人々も同じようなことがあったはずだ。戦争に敗北したからといって、容易に自己の中身を変えることができるはずもなく、その「敗北を抱きしめて」戦後を生きた人が多かったのだろうし、また、そうしないことにはどうしようもなかっただろう。
確かに、敗戦後に掌を返すように敵将だったマッカーサー元帥を奉る向きもあった。「拝啓 マッカーサー元帥様」という手紙が記録に残っているだけで41万通超もあるそうだ。マッカーサーが天皇に取って代わることを見込んでという打算的なところもあったかもしれないが、素朴に心の拠り所を求めていたというだけのことかもしれない。人は社会的な動物なので立場や状況で態度を豹変させることに何の抵抗もないという場合もある。
落語に登場する長屋には当然のように仏壇がある。商売や家内工業を営む家には神棚がある。日本の船には操舵室に神棚を祀ってあるものが今でもあるだろう。少なくとも横浜に係留されている氷川丸にはある。飲食店には入口に盛り塩を置いているところが少なくない。今は仏壇のある家は減っているだろうが、古い家には仏壇や神棚があるのが当たり前というところがある。2019年の夏に気仙沼に遊びに行った折に、たまたま拝見する機会を得た津波跡に再建された商店の住居の方にも立派な仏壇と神棚があった。
人は現実の表層がどうあれ、心的世界の方にはそれ相応の座標軸や構造を持っていて、意識するとしないとにかかわらず、そうした構造や秩序の象徴のようなものを具現化することで安心するというところがあるのだと思う。いわゆる「宗教」という形をとるか否かは別にして、日本人の心的世界には何らかの形で神仏や天皇が核として存在している。そこに実体は必要ないのである。何かがあると思うことができるだけで十分な核があるということだ。その核を持つことができないと、「自分」とか「自意識」が形成できない、ということではないか。
しかし、神並みに扱われる方にしたら、これは大変なことだろう。天皇も人間である。社会での役割が異なるとはいっても、市井の人々と同じ生理精神を備えている。それが自分にはどうすることもできないところで神のように崇められ、また、神のようであることを期待されるのである。人が人を人として扱わないことの不条理がそういうところにもある気がする。権力の側の人間はただその権力に胡座をかいていれば事足りると思うのは権力から遠いところにある者の無思慮でしかない。人はそれぞれの立場に応じてそれぞれの自己の構築や設定に苦慮するのが当たり前だと思う。苦慮がないとすれば、そもそも「慮」がないということだ。それはともかく、その不条理を我々はどのようにして克服してきたのであろうか。それもまた私にとっては謎である。現に天皇制は大和朝廷以来ずっと続いて今日に至っているのである。
キリスト教やイスラム教では神は唯一絶対神だ。仏教は釈迦という実在したことになっている人の教えであって、そこは「神」のある宗教とは信仰の体裁が異なる。しかし、実在したとしてもうんと昔の人なので、どのようにも奉ることができる。つまり、神や仏を人とは別物とすることで信仰は飛躍が可能になる。人種や文化を超えて拡がる普遍性を持つことができる。しかし、その分怪しいところも濃厚になる。
神は信仰があってこそ意味を持つ。奉る側と奉られる側との協働による共同幻想を作り上げなければならない。奉られる側が生身の人間であれば、その精神上の負担は並大抵ではないだろう。よくも今まで続いているものだとただただ感心する。
終戦に際してGHQが天皇制に手をつけなかったのは、おそらく、それを廃した場合の影響が予測不可能だったからだろう。つまり、それくらい真剣に敵を研究していたということでもある。そういうところも含めて、学問や科学技術、もっと言えば人間の叡智というのは大きなものだと思う。勝ち負けということで言えば、やはり、叡智に優れた側に当然に軍配が上がるのであって、運不運が先にあるのではない。
仮に世論調査のようなことをすれば、今の時代に天皇を身近に感じて暮らしている人というのは少ないかもしれない。信仰について同じような調査をすれば「特定の信仰はない」との答えが一番多いだろう。だからこそ、相対に信者が少ない新興宗教が社会の中で無視できない程度の影響を持つことができるのである。尤も、世は「グローバル化」とやらで、人は共同体への依存を弱め、個としての在り方をより強く感じるようになっているらしい。磐石の支持基盤を維持してきた公明党ですら、選挙で票を落とす時代になった。世は「グローバル化」とやらで、一緒に暮らす相手よりもどこの誰だかわからないネット上のつながりの方により強い親近感を抱く人が増えているかもしれない。つまり、個人が従来の共同体を離れ断片化しているのかもしれない。しかし、それでもまだ国家として機能できているのは、何かしら求心力のある権威が存在しているからであろう。
権威というと個別具体的なものであるかのような語感を覚えるかもしれないが、共有する文化とか習慣のような漠然としたものだ。単なる習慣が権威と化しているところもあるだろう。むしろ、漠然としていた方が求心力が強く長く働く。そう思って世間を眺めると、近頃流行の闇バイトも金銭教の神がなせる技なのだろう。金銭は観念だ。それ自体は単なる数字に過ぎない。その数字のためにいとも簡単に人生を棒に振るのは、「一億玉砕」の共同幻想と通底するものがあるのかもしれない。
文化庁が毎年『宗教年鑑』を発行している。1949年から毎年「宗教統計調査」というものが実施されており、暦年末時点での宗教団体数、宗教法人数、教師数及び信者数が翌年12月に公表される。現在公表されている最新の統計は2022年12月9日に公表された2021年12月31日時点の数値だ。それによると2021年末時点で宗教法人の数は179,952であり、信者数の総計は179,560,113人だ。総務省統計局の統計によると同年10月1日時点の推計人口は125,502,290人。人口の方は生まれたばかりの人から死ぬ寸前の人までの数だが、信者はその宗教を信じるとの意思表示をした人の数だ。宗教団体によって「信者」の定義が異なるので、数字の中身は人口ほどはっきりはしていない。それにしても、額面だけで宗教の信者の数が人口の約5割増しというのは、ちょっと笑ってしまう。日本国憲法では信教の自由が保障されている。心の拠り所はたくさんあった方が安心かもしれない。また、心の拠り所が宗教でなければならない理由もない。
2018年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中井久夫「昭和を送る」を読みました。
阪神大震災発生時の皇后陛下の言動が書かれています。
初めて知るエピソードです。
心が震えました。
中井先生が神戸大学医学部の精神科主任教授だった1995年1月17日に阪神淡路大地震が起きました。
その夜、皇后陛下は精神医学の泰斗である土居健郎先生を呼ばれ、被災者、とりわけ精神疾患の患者たちの心のケアについて、お訊ねになりました。
皇后陛下は、日本赤十字の名誉総裁であり、精神科医の神谷美恵子さんを「魂の友」として敬愛しており精神疾患について深い理解がおありでした。
同夜、皇后陛下は厚生省の係官を呼ばれ「心のケアはどうなっていますか」とご質問されました。
なにも打つ手を考えてなかった厚生省は、返答ができず、ただ驚き、うろたえ、慌てます。
皇族の政治活動は禁止されていますが、質問は出来ますし、被災地訪問など、態度を示すことは出来ます。
推測ですが、土居先生は、中井先生の名を皇后陛下に伝え、皇后陛下は厚生省の係官に中井先生の名を伝えた、と思います。
翌日、厚生省の係官が神戸の中井先生を訪ね、精神疾患の患者の対応について、どうすべきかを聞きにきました。
中井先生は、非常時に精神障害者に対する治療、対策は平時と違い緊急性を要するので、例えば抗精神薬の郵送を禁じる法の定めは、届くまでに時間が掛かり過ぎて薬を待つ患者は断薬状態になり病状を悪化させるので例外措置を講じるべきであるなど、さまざまな具体的な対策・方法を提言しました。
驚いたことに厚生省は、すべてそれを受け入れました。
厚生省がこんなに物分りがいいのは初めてだと中井先生が驚きます。
皇后陛下の「ご質問」がなければ、公務員がこんな対応をしないでしょう。
その夜、NTTから恩師の土居健郎先生とのホットラインを確保したと連絡が入りました。これも「ご質問」の影響でしょう。
この回線を使って中井先生は、土居先生と緊密な連絡が取れ迅速な対応ができました。
中井先生は日本の各大学から学閥・派閥をこえて医師・看護師・心理士・精神保健福祉士などを集め、組織化し被災地で精神障害者のケアに奔走しました。
ここで鍛えられた若手たちが、後に、3.11東北大震災で活躍したことでしょう。
阪神大地震で、後に一般化し定着したのがPTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉です。
中井先生が、大きなショックの後に現れる病状として様々な機会に発表した結果です。
この本では、表題の「昭和を送る」で明治以降の天皇家・皇室について書かれています。
日本文化、歴史についても味わい深いエッセイが多く盛られています。
中井先生が引退されてからのご様子はどうなのか気になっていましたが、この本で最近のご様子が分かります。
阪神大震災での活動が影響したのか、何度も脳梗塞に襲われ、前立腺ガンも患われています。
神戸の介護付き老人ホームでお暮らしです。
神戸新聞に、コラムを書いたり、執筆・翻訳などで過ごされている様子です。
この本は、専門の精神医学治療をはじめ、歴史、文化、詩、語学など多方面に渡ってのエッセイが収められています。
現役から解放されたせいでしょう。かみしもを解いたようなリラックスが、文章から感じられます。
それにしてもなんと幅広く深い知識をお持ちかとタジタジになります。
表題の「昭和を送る」エッセイは、昭和天皇が亡くなった年の5月に書かれました。
田中美知太郎先生の「文化会議」という雑誌に発表されましたが、中井先生の意向で他の本への掲載を禁じていました。
今回、18年ぶりに初めてこの本に掲載されました。
亡くなる前年に、昭和天皇は、次の歌を残しています。
夏たけて 堀のはちすの 花みつつ ほとけのをしへ おもう朝かな
この頃から、死を受容していたのでは、と感じられます。
昭和天皇が、「ほとけ」に触れられたと知って驚きました。
死生観では、仏教の教えが近しかったんでしょうか。
昭和天皇は、数万の歌を残しましたが、公表されたのは一部のみです。
自由裁量性が全く無いのに責任だけを負わされる立場の心情を託された歌も数多いと考えます。
いつか全てが公表されることがあるのでしょうか。
歴史の激動の時代に一生を送られました。
日中戦争、大東亜戦争、太平洋戦争、敗戦、アメリカによる占領時代、自由主義陣営での復興、高度成長期など、あわただしい時代でした。
大東亜戦争について中井先生は、軍部の「君側の奸」妄想の暴走、軍人による大東亜戦争主導との見方をしてないようです。
加藤陽子先生の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」を紹介しています。
この本は、読みましたが、左右の政治的プロパガンダ史観に偏しない歴史家の大東亜戦争の見方です。
今上天皇は、朝食前に8つの新聞に目を通します。
言葉・概念の意味は、3種類の百科事典を調べて、すべて一致するものだけを使うということです。
81歳のご高齢者として、いやはや、大変な、ご日常です。
阪神大震災発生時の皇后陛下の言動が書かれています。
初めて知るエピソードです。
心が震えました。
中井先生が神戸大学医学部の精神科主任教授だった1995年1月17日に阪神淡路大地震が起きました。
その夜、皇后陛下は精神医学の泰斗である土居健郎先生を呼ばれ、被災者、とりわけ精神疾患の患者たちの心のケアについて、お訊ねになりました。
皇后陛下は、日本赤十字の名誉総裁であり、精神科医の神谷美恵子さんを「魂の友」として敬愛しており精神疾患について深い理解がおありでした。
同夜、皇后陛下は厚生省の係官を呼ばれ「心のケアはどうなっていますか」とご質問されました。
なにも打つ手を考えてなかった厚生省は、返答ができず、ただ驚き、うろたえ、慌てます。
皇族の政治活動は禁止されていますが、質問は出来ますし、被災地訪問など、態度を示すことは出来ます。
推測ですが、土居先生は、中井先生の名を皇后陛下に伝え、皇后陛下は厚生省の係官に中井先生の名を伝えた、と思います。
翌日、厚生省の係官が神戸の中井先生を訪ね、精神疾患の患者の対応について、どうすべきかを聞きにきました。
中井先生は、非常時に精神障害者に対する治療、対策は平時と違い緊急性を要するので、例えば抗精神薬の郵送を禁じる法の定めは、届くまでに時間が掛かり過ぎて薬を待つ患者は断薬状態になり病状を悪化させるので例外措置を講じるべきであるなど、さまざまな具体的な対策・方法を提言しました。
驚いたことに厚生省は、すべてそれを受け入れました。
厚生省がこんなに物分りがいいのは初めてだと中井先生が驚きます。
皇后陛下の「ご質問」がなければ、公務員がこんな対応をしないでしょう。
その夜、NTTから恩師の土居健郎先生とのホットラインを確保したと連絡が入りました。これも「ご質問」の影響でしょう。
この回線を使って中井先生は、土居先生と緊密な連絡が取れ迅速な対応ができました。
中井先生は日本の各大学から学閥・派閥をこえて医師・看護師・心理士・精神保健福祉士などを集め、組織化し被災地で精神障害者のケアに奔走しました。
ここで鍛えられた若手たちが、後に、3.11東北大震災で活躍したことでしょう。
阪神大地震で、後に一般化し定着したのがPTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉です。
中井先生が、大きなショックの後に現れる病状として様々な機会に発表した結果です。
この本では、表題の「昭和を送る」で明治以降の天皇家・皇室について書かれています。
日本文化、歴史についても味わい深いエッセイが多く盛られています。
中井先生が引退されてからのご様子はどうなのか気になっていましたが、この本で最近のご様子が分かります。
阪神大震災での活動が影響したのか、何度も脳梗塞に襲われ、前立腺ガンも患われています。
神戸の介護付き老人ホームでお暮らしです。
神戸新聞に、コラムを書いたり、執筆・翻訳などで過ごされている様子です。
この本は、専門の精神医学治療をはじめ、歴史、文化、詩、語学など多方面に渡ってのエッセイが収められています。
現役から解放されたせいでしょう。かみしもを解いたようなリラックスが、文章から感じられます。
それにしてもなんと幅広く深い知識をお持ちかとタジタジになります。
表題の「昭和を送る」エッセイは、昭和天皇が亡くなった年の5月に書かれました。
田中美知太郎先生の「文化会議」という雑誌に発表されましたが、中井先生の意向で他の本への掲載を禁じていました。
今回、18年ぶりに初めてこの本に掲載されました。
亡くなる前年に、昭和天皇は、次の歌を残しています。
夏たけて 堀のはちすの 花みつつ ほとけのをしへ おもう朝かな
この頃から、死を受容していたのでは、と感じられます。
昭和天皇が、「ほとけ」に触れられたと知って驚きました。
死生観では、仏教の教えが近しかったんでしょうか。
昭和天皇は、数万の歌を残しましたが、公表されたのは一部のみです。
自由裁量性が全く無いのに責任だけを負わされる立場の心情を託された歌も数多いと考えます。
いつか全てが公表されることがあるのでしょうか。
歴史の激動の時代に一生を送られました。
日中戦争、大東亜戦争、太平洋戦争、敗戦、アメリカによる占領時代、自由主義陣営での復興、高度成長期など、あわただしい時代でした。
大東亜戦争について中井先生は、軍部の「君側の奸」妄想の暴走、軍人による大東亜戦争主導との見方をしてないようです。
加藤陽子先生の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」を紹介しています。
この本は、読みましたが、左右の政治的プロパガンダ史観に偏しない歴史家の大東亜戦争の見方です。
今上天皇は、朝食前に8つの新聞に目を通します。
言葉・概念の意味は、3種類の百科事典を調べて、すべて一致するものだけを使うということです。
81歳のご高齢者として、いやはや、大変な、ご日常です。
2014年6月7日に日本でレビュー済み
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中井久夫さんの本を読む。それは、たとえば、緑道の散歩のようだ。
都会の日常を離れ、森のさほど奥まらない道を歩く。全体は見通せない。けれども、高い木々、光を漏らす枝、根本の小さな花、蝶、風のありかを知らせる葉、これらの静謐、深み、知性につかのま遊ぶことは許される。
中井さんは精神科医。文筆家。昭和、平成の日本語知性そのもの。穏やかだ。
患者さんには深刻な顔で「宣告」するよりも、しずかに「明日にでも、いい薬が出てくるかもしれません」「不治とは考えないで下さい・・・奇跡的治癒というのもあって・・・」と「希望を処方する」(p.57)。
いじめの被害生徒は、「学校って警察もないよね、裁判所もないよね、親に訴えても無駄さよね。つらいね」という中井さんの「柔らかく包むような音調」(p.267)に、はらはらと涙を流す。
精神科医はナンバー・ツーだと言う。ナンバー・ワンは患者本人だと。
本書に並ぶ阪神淡路大震災、東日本大震災、原発、精神医学など、どのエッセイにも、このまなざしが通じている。
天皇や天皇家の人に対しても、だ。中井さんは、いじめに政治的力学を、政治にいじめを見るように、けっして、権力志向でも、権力に迎合する人でもないと思う。天皇制という制度や昭和天皇の戦争責任についてどう考えているのか。ぼくにはわからない。
しかし、それはさておき、中井さんが天皇家の一個人に向けるまなざしは、患者や被害生徒に向けるそれと、どこか似ていると思った。
昭和天皇が沖縄戦敗北後から戦争終了の準備し始めたことに、天皇制維持だけでない心情を汲んでいる。神谷美恵子さんの読者である現皇后が1995年1月の大震災直後に厚生省係官を呼んで「こころのケア」について強く訊いたことがひとつのきっかけで、土居健郎さんと中井さんのあいだにホットラインが確保され、中井さんらを陣頭指揮者とする精神科医チームの救援活動におおいに役立ったと言う。
天皇家崇拝者とも、はんたいに、天皇家の全人格否定者とも一線を画す、昭和天皇個人、あるいは、現皇后個人の一側面への、中井さんのまなざしだ。
都会の日常を離れ、森のさほど奥まらない道を歩く。全体は見通せない。けれども、高い木々、光を漏らす枝、根本の小さな花、蝶、風のありかを知らせる葉、これらの静謐、深み、知性につかのま遊ぶことは許される。
中井さんは精神科医。文筆家。昭和、平成の日本語知性そのもの。穏やかだ。
患者さんには深刻な顔で「宣告」するよりも、しずかに「明日にでも、いい薬が出てくるかもしれません」「不治とは考えないで下さい・・・奇跡的治癒というのもあって・・・」と「希望を処方する」(p.57)。
いじめの被害生徒は、「学校って警察もないよね、裁判所もないよね、親に訴えても無駄さよね。つらいね」という中井さんの「柔らかく包むような音調」(p.267)に、はらはらと涙を流す。
精神科医はナンバー・ツーだと言う。ナンバー・ワンは患者本人だと。
本書に並ぶ阪神淡路大震災、東日本大震災、原発、精神医学など、どのエッセイにも、このまなざしが通じている。
天皇や天皇家の人に対しても、だ。中井さんは、いじめに政治的力学を、政治にいじめを見るように、けっして、権力志向でも、権力に迎合する人でもないと思う。天皇制という制度や昭和天皇の戦争責任についてどう考えているのか。ぼくにはわからない。
しかし、それはさておき、中井さんが天皇家の一個人に向けるまなざしは、患者や被害生徒に向けるそれと、どこか似ていると思った。
昭和天皇が沖縄戦敗北後から戦争終了の準備し始めたことに、天皇制維持だけでない心情を汲んでいる。神谷美恵子さんの読者である現皇后が1995年1月の大震災直後に厚生省係官を呼んで「こころのケア」について強く訊いたことがひとつのきっかけで、土居健郎さんと中井さんのあいだにホットラインが確保され、中井さんらを陣頭指揮者とする精神科医チームの救援活動におおいに役立ったと言う。
天皇家崇拝者とも、はんたいに、天皇家の全人格否定者とも一線を画す、昭和天皇個人、あるいは、現皇后個人の一側面への、中井さんのまなざしだ。
2013年9月19日に日本でレビュー済み
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母校の精神科の教授であられた中井先生の深い洞察に感嘆しました。