東南アジア大陸部の五ヵ国と中国の四省を含む広大な丘陵地帯を「ゾミア」という。そこには、狩猟採集や焼畑農業を営み、文字を持たず独自の言語を話す少数民族が1億人ほども住んでいた。
現代的常識では、彼らは文明化から取り残されている原始の人々という感覚かもしれない。しかし、実際のところは、もともとは文明的に統制された平地に住んでいたが、国家による徴税、賦役、徴兵、奴隷狩りから逃れるためあえて国家権力の及ばない山地に逃れた人々だった。平地からのアクセスが難しい山中で分散して住むことで、国家が支配して得られるメリットよりも、支配に要するコストが上回り、結果として国による搾取を免れるというわけだ。
そのようなゾミア研究の大著となっている。読むのも大変だったけれど、違う角度から世界を見られるようになる良書だと思う。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
¥7,040¥7,040 税込
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
¥7,040¥7,040 税込
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
¥6,258¥6,258 税込
配送料 ¥520 6月3日-5日にお届け
発送元: こまいぬ堂「13時までの受注品は即日発送します」【同梱2点目から100円引き】 販売者: こまいぬ堂「13時までの受注品は即日発送します」【同梱2点目から100円引き】
¥6,258¥6,258 税込
配送料 ¥520 6月3日-5日にお届け
発送元: こまいぬ堂「13時までの受注品は即日発送します」【同梱2点目から100円引き】
販売者: こまいぬ堂「13時までの受注品は即日発送します」【同梱2点目から100円引き】
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ゾミア―― 脱国家の世界史 単行本 – 2013/10/4
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥7,040","priceAmount":7040.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"7,040","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"jOyp%2FXWEdBOviHSQ73Ntc6fUiJ49uJ8JF3TB5tb3Jk%2FZBhwMW3fXxxSWsdJjkmMGw%2B1gTZYg7WvbN2B3AEzk%2BdrrtGfbbTLW0J8EYrJsVsnb6un32wg%2Fphg%2BZB7sh%2Fapm67RkfucWPk%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥6,258","priceAmount":6258.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"6,258","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"jOyp%2FXWEdBOviHSQ73Ntc6fUiJ49uJ8JUMlKMP8TSAT7O4%2FWSKScJV3kfkL9Qjm%2F1Vy%2BApckCIxpYTAUx8J4IUhbXVpbkX9uNbVXG6O5tp%2BKHrQFMmURzsXFeB3xW48fCw4b2le3udT1s2mgUnUzEr8FaKR2HZTqmroM6isIYjkieWSAPWJJnw%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
アカ、カチン、フモン、ラフ……
様々な人々が独自の社会を築いた
インドシナ半島の奥地、ゾミア。
この深い山中の民族文化や生業は、
国家を回避するための戦略だった。
世界の自由民たちが息づく
グローバル・ヒストリー。
本書のテーマはシンプルかつ深遠だ。スコットは言う。「原始的」な民族は、
わざわざ、そのような生活習慣を選ぶことで、国家による束縛を逃れているの
だ、と。
彼らが、焼畑に根菜類を植え、文字を使わず口承で伝え、親族関係を自由自在
に変化させる文化を発達させてきたのは、権力からの自由と自治のための戦略
だった、というわけだ。
さらにスコットの眼差しは、全世界に広がる。アメリカ大陸の逃亡奴隷による
マルーン共同体、ヨーロッパのロマ、ロシアのコサック……彼らの社会の成り
立ちのなかにも、課税や奴隷化を逃れ、自由を希求する構えが読み込まれてい
く。
国家による管理の無力さを一貫して追及してきた政治学者・人類学者による、
壮大なスケールの〈もうひとつの国家論〉。
「ゾミアは、国民国家に完全に統合されていない人々がいまだ残存する、世界
で最も大きな地域である[…]険しい山地での拡散した暮らし、頻繁な移動、
民族的アイデンティティの柔軟さ、千年王国的預言者への傾倒、これらすべて
は、国家への編入を回避し、自分たちの社会の内部から国家が生まれてこない
ようにする機能を果たしてきた[…]国家形成から逃れた人々の歴史抜きに、
国家形成を理解することはできない」(本文より)
様々な人々が独自の社会を築いた
インドシナ半島の奥地、ゾミア。
この深い山中の民族文化や生業は、
国家を回避するための戦略だった。
世界の自由民たちが息づく
グローバル・ヒストリー。
本書のテーマはシンプルかつ深遠だ。スコットは言う。「原始的」な民族は、
わざわざ、そのような生活習慣を選ぶことで、国家による束縛を逃れているの
だ、と。
彼らが、焼畑に根菜類を植え、文字を使わず口承で伝え、親族関係を自由自在
に変化させる文化を発達させてきたのは、権力からの自由と自治のための戦略
だった、というわけだ。
さらにスコットの眼差しは、全世界に広がる。アメリカ大陸の逃亡奴隷による
マルーン共同体、ヨーロッパのロマ、ロシアのコサック……彼らの社会の成り
立ちのなかにも、課税や奴隷化を逃れ、自由を希求する構えが読み込まれてい
く。
国家による管理の無力さを一貫して追及してきた政治学者・人類学者による、
壮大なスケールの〈もうひとつの国家論〉。
「ゾミアは、国民国家に完全に統合されていない人々がいまだ残存する、世界
で最も大きな地域である[…]険しい山地での拡散した暮らし、頻繁な移動、
民族的アイデンティティの柔軟さ、千年王国的預言者への傾倒、これらすべて
は、国家への編入を回避し、自分たちの社会の内部から国家が生まれてこない
ようにする機能を果たしてきた[…]国家形成から逃れた人々の歴史抜きに、
国家形成を理解することはできない」(本文より)
- 本の長さ464ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2013/10/4
- 寸法16 x 3.5 x 21.5 cm
- ISBN-104622077833
- ISBN-13978-4622077831
よく一緒に購入されている商品
¥3,080¥3,080
最短で6月2日 日曜日のお届け予定です
残り15点(入荷予定あり)
¥4,180¥4,180
最短で6月2日 日曜日のお届け予定です
在庫あり。
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
■著者
ジェームズ・C・スコット(James C. Scott)
1936年生まれ。イェール大学政治学部・人類学部教授。全米芸術科学アカデ
ミーのフェローであり、自宅で農業・養蜂も営む。東南アジアをフィールドに、
地主や国家の権力に対する農民の日常的抵抗論を学問的に展開した。ウィリア
ムズ大学を卒業後、1967年にイエール大学より政治学の博士号を取得。ウィス
コンシン大学マディソン校政治学部助教授を経て、1976年より現職。2010年に
は、第21回福岡アジア文化賞を受賞。
■監訳者
佐藤仁(さとう・じん)
1968年生まれ。東京大学東洋文化研究所准教授。東京大学教養学部教養学科
(文化人類学)卒業。同大学院総合文化研究科博士課程(国際関係論)修了。
ハーヴァード大学ケネディ行政学大学院修士課程(公共政策学)修了。学術博
士。東南アジアを主たるフィールドに天然資源をめぐる政治過程を研究してい
る。2013年には、第28回大同生命地域研究奨励賞を受賞。
■訳者
池田一人(いけだ・かずと)大阪大学大学院言語文化研究科講師。
今村真央(いまむら・まさお)シンガポール国立大学地理学部。ハーヴァー
ド・イェンチン研究センターフェロー。
久保忠行(くぼ・ただゆき)日本学術振興会特別研究員(京都大学東南アジア
研究所)。
田崎郁子(たざき・いくこ)日本学術振興会特別研究員(京都大学大学院アジ
ア・アフリカ地域研究研究科)。
内藤大輔(ないとう・だいすけ)総合地球環境学研究所特任助教。
中井仙丈(なかい・せんじょう)チェンマイ大学人文学部講師。同大日本研究
センター副所長。
ジェームズ・C・スコット(James C. Scott)
1936年生まれ。イェール大学政治学部・人類学部教授。全米芸術科学アカデ
ミーのフェローであり、自宅で農業・養蜂も営む。東南アジアをフィールドに、
地主や国家の権力に対する農民の日常的抵抗論を学問的に展開した。ウィリア
ムズ大学を卒業後、1967年にイエール大学より政治学の博士号を取得。ウィス
コンシン大学マディソン校政治学部助教授を経て、1976年より現職。2010年に
は、第21回福岡アジア文化賞を受賞。
■監訳者
佐藤仁(さとう・じん)
1968年生まれ。東京大学東洋文化研究所准教授。東京大学教養学部教養学科
(文化人類学)卒業。同大学院総合文化研究科博士課程(国際関係論)修了。
ハーヴァード大学ケネディ行政学大学院修士課程(公共政策学)修了。学術博
士。東南アジアを主たるフィールドに天然資源をめぐる政治過程を研究してい
る。2013年には、第28回大同生命地域研究奨励賞を受賞。
■訳者
池田一人(いけだ・かずと)大阪大学大学院言語文化研究科講師。
今村真央(いまむら・まさお)シンガポール国立大学地理学部。ハーヴァー
ド・イェンチン研究センターフェロー。
久保忠行(くぼ・ただゆき)日本学術振興会特別研究員(京都大学東南アジア
研究所)。
田崎郁子(たざき・いくこ)日本学術振興会特別研究員(京都大学大学院アジ
ア・アフリカ地域研究研究科)。
内藤大輔(ないとう・だいすけ)総合地球環境学研究所特任助教。
中井仙丈(なかい・せんじょう)チェンマイ大学人文学部講師。同大日本研究
センター副所長。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2013/10/4)
- 発売日 : 2013/10/4
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 464ページ
- ISBN-10 : 4622077833
- ISBN-13 : 978-4622077831
- 寸法 : 16 x 3.5 x 21.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 124,303位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,732位世界史 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年12月31日に日本でレビュー済み
"ゾミア"とは東南アジア大陸部の五ヵ国と中国の四省を含む広大な丘陵地帯を指す新名称であり、その地には約一億の少数民族の人々が住み、言語的にも民族的にも目もくらむほど多様だとされる。
一般にこのような山地に住む人びとは、文明から取り残された後進的で原初的な存在として認識されがちである。しかし著者はこのような捉え方に真っ向から異を唱える。ゾミアに暮らす(または世界各地の)山地民たちの多くを、「何々以前」の状態としてではなく、むしろ「以後」としての彼らの生き方を提示する。
著者は、山地で生を営むことは、山地民たち自らによる選択であり、生業(狩猟採集・移動農法)、社会組織(首長の不在・頻繁な分裂と吸収)、イデオロギー(平等主義)、そして口承文化(文字の放棄)さえもがあるものから距離を置くために選ばれた戦略だとする。その対象とは「国家」である。古代国家が誕生して以降、一定数の人々は国家からの徴税や賦役をはじめとした統治を避けるために自ら山地へと生活の拠点を移し、山地の営みに適し、国家に絡めとられないための工夫を編み出した。かつ、彼らは自分たちの社会の内部から国家が生まれてこないための機能もつくりだしていた。
ゾミアにおいて見出されるのは、このような国家形成への反応として意図的に作り出された無国家空間であり、アナーキズム史観の提示でもある。つまり、狩猟採集から灌漑農業にいたるとする不可逆的な社会発展的文明史観の否定である。そのような見立て自体が、国家にとって都合の良い社会の在り方を前提に成り立っているということになる。私個人も、学校教育で焼畑のような移動農法は環境に悪影響を及ぼす農法として否定的に教えられていた記憶があり、実はそれが誤りであるという本書の指摘に驚かされるとともに、現実に国家からみた認識を疑いなく受け容れていることを示すわかりやすい一例だろう。
本書を通してとくに従来の認識を改めさせられるのは「民族」「部族」といった集団に対する定義の恣意性と曖昧さである。このような集団の定義はおおむね国家によって「野蛮人」の烙印を押された、国家に従わない人々に対して一方的に与えられる。実際の「民族」「部族」は離散集合も激しく外部の文化や人を積極的に吸収し複数の言語を扱うことなども珍しくないため、本来は厳密な定義をすること自体が困難だ知らされる。そして、そのような集団は生来的な性質や文化、言語といったものではなく、先にあるような人々の意志にもとづいた政治的な選択によって成立する。
ここで描かれる過去のゾミアにあるような山地民の生き方は、(多くの奴隷や戦争の捕虜によっても占められた)国家に暮らす人々と比べてはるかに魅力的に映る。その魅力を支える主な要素は、やはりその平等主義だろう。それは明確な階層社会と貧富差のある平地の水稲国家とは対照的である。同時に、本書が山地民と対比して描きだし、かつ山地民と切り離せない表裏の関係にある「国家」のありようを見るにつけ、全てが一致するわけではないにせよ現代の国家にもつながる国家の本質を理解するためのヒントが数多く示唆されているのではないかと思える。
著者が何度か繰り返すとおり、本書にあるようなゾミア・山地民の生き方は1950年以降の現代のについては当てはまらない。各種のテクノロジーの向上によって実質的な距離が極端に縮まった現代では、世界中のどこであっても国家の網の目を完全に逃れての営みは不可能に近い。また、かつては低地民より山地民のほうがむしろ健康的だったという事実についても、衛生や医療が進歩した現代社会では事情が異なるだろう。しかし、それほど遠くない時代まで、人間の多くが自らの意志で国家を回避して主体的に生き方を選ぶことが可能だったという事実からは、人とその社会にある潜在的な可能性の豊かさについて希望を教えられる。それはいまの社会以外の正解は存在しないという固定観念から解き放つものである。
本文約340ページ、上下二段組。実際に読んだ感覚としてはかなりのボリュームがあった(例えば上下巻ある『サピエンス全史』以上)。本書は価値の高い良書だが、同様のテーマでもう少しコンパクトな著書をお求めなら、古代メソポタミア社会を対象とした同著書による『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』もかなりお薦めです。
一般にこのような山地に住む人びとは、文明から取り残された後進的で原初的な存在として認識されがちである。しかし著者はこのような捉え方に真っ向から異を唱える。ゾミアに暮らす(または世界各地の)山地民たちの多くを、「何々以前」の状態としてではなく、むしろ「以後」としての彼らの生き方を提示する。
著者は、山地で生を営むことは、山地民たち自らによる選択であり、生業(狩猟採集・移動農法)、社会組織(首長の不在・頻繁な分裂と吸収)、イデオロギー(平等主義)、そして口承文化(文字の放棄)さえもがあるものから距離を置くために選ばれた戦略だとする。その対象とは「国家」である。古代国家が誕生して以降、一定数の人々は国家からの徴税や賦役をはじめとした統治を避けるために自ら山地へと生活の拠点を移し、山地の営みに適し、国家に絡めとられないための工夫を編み出した。かつ、彼らは自分たちの社会の内部から国家が生まれてこないための機能もつくりだしていた。
ゾミアにおいて見出されるのは、このような国家形成への反応として意図的に作り出された無国家空間であり、アナーキズム史観の提示でもある。つまり、狩猟採集から灌漑農業にいたるとする不可逆的な社会発展的文明史観の否定である。そのような見立て自体が、国家にとって都合の良い社会の在り方を前提に成り立っているということになる。私個人も、学校教育で焼畑のような移動農法は環境に悪影響を及ぼす農法として否定的に教えられていた記憶があり、実はそれが誤りであるという本書の指摘に驚かされるとともに、現実に国家からみた認識を疑いなく受け容れていることを示すわかりやすい一例だろう。
本書を通してとくに従来の認識を改めさせられるのは「民族」「部族」といった集団に対する定義の恣意性と曖昧さである。このような集団の定義はおおむね国家によって「野蛮人」の烙印を押された、国家に従わない人々に対して一方的に与えられる。実際の「民族」「部族」は離散集合も激しく外部の文化や人を積極的に吸収し複数の言語を扱うことなども珍しくないため、本来は厳密な定義をすること自体が困難だ知らされる。そして、そのような集団は生来的な性質や文化、言語といったものではなく、先にあるような人々の意志にもとづいた政治的な選択によって成立する。
ここで描かれる過去のゾミアにあるような山地民の生き方は、(多くの奴隷や戦争の捕虜によっても占められた)国家に暮らす人々と比べてはるかに魅力的に映る。その魅力を支える主な要素は、やはりその平等主義だろう。それは明確な階層社会と貧富差のある平地の水稲国家とは対照的である。同時に、本書が山地民と対比して描きだし、かつ山地民と切り離せない表裏の関係にある「国家」のありようを見るにつけ、全てが一致するわけではないにせよ現代の国家にもつながる国家の本質を理解するためのヒントが数多く示唆されているのではないかと思える。
著者が何度か繰り返すとおり、本書にあるようなゾミア・山地民の生き方は1950年以降の現代のについては当てはまらない。各種のテクノロジーの向上によって実質的な距離が極端に縮まった現代では、世界中のどこであっても国家の網の目を完全に逃れての営みは不可能に近い。また、かつては低地民より山地民のほうがむしろ健康的だったという事実についても、衛生や医療が進歩した現代社会では事情が異なるだろう。しかし、それほど遠くない時代まで、人間の多くが自らの意志で国家を回避して主体的に生き方を選ぶことが可能だったという事実からは、人とその社会にある潜在的な可能性の豊かさについて希望を教えられる。それはいまの社会以外の正解は存在しないという固定観念から解き放つものである。
本文約340ページ、上下二段組。実際に読んだ感覚としてはかなりのボリュームがあった(例えば上下巻ある『サピエンス全史』以上)。本書は価値の高い良書だが、同様のテーマでもう少しコンパクトな著書をお求めなら、古代メソポタミア社会を対象とした同著書による『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』もかなりお薦めです。
2013年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この世の中の事について、我々はいろいろな事を知るようになった。最近では、ビッグバン以前の宇宙の形状についても理論的には明らかになりそうである。または、深海の事、人の体のこと。ゲノムや幹細胞。しかし、我々が、実際暮らしているこの社会がどのように作られたのかは、自覚できていない。この本が語るように、もしこの社会が「国家」の論理により発展してきたものなら、我々はこの先どのように生きていけば良いのであろうか。人間の進化とは何だったのかという疑問が湧きだしてくる。副題に「脱国家の世界史」とあるように、デリダの「脱構築」系統の本の様だ。
ゾミアはベトナム中央高原からインドの北東部に至る地域です。面積およそ250万平方キロメートル、約1億の少数民族の人々が住んでいる。一番驚いたことは、彼等は文明から取り残された人々ではないと言うこと。それ以上に、文明から逃れようとしている人々なのだ。
文明とはなにか。初期国家の人々は、大半は自由民ではなかった。国家に拘束された人々だった。国家(支配者)は、その存続を維持する為に、人々を囲い込み、労働力と徴税を確保しなければならなかった。つまり、人を土地に縛り付けコントロールしやすいようにする。考えてみたら、牧場のようなものかもしれない。そして、その人々に国家や支配者の正統性を敬うように明確なイデオロギー、セオリーを与える。宗教もそのひとつだ。
そして、そのような束縛から逃れようとする人々がいる。労役と搾取から。「国家」から離れて、「国家」の勢力が及ばないところを移動し続ける。そして、そのようなコントロールが効かない人々を、国家は、「文明」と対比して「野蛮な未開人」と呼ぶのだ。
この「野蛮な未開人」は歴史の初期段階で留まっている人々ではない。『ゾミア』には、このように書かれている。「山岳部族は、人類史の初期段階の残存者で、それは、水田稲作農耕を発見し、文字を学び、文明の技巧を発展させ、仏教を取り入れる前の人々・・・と考えるのは間違いである。・・・定住型農耕と国家様式の発明に失敗した古代社会ではない。」つまり、今日狩猟採集民として暮らしている人々は、百年前も狩猟採集民族であったとは単純に考えられないということ。彼は農耕民であったが、「国家」の締め付けにより、辺鄙な土地に逃れた。
この逃亡は、何も古代だけのものではない。実際、第二次世界大戦前までは、頻繁に起っていたことである。植民地時代には、西欧の植民者からも逃亡しているのだ。彼等は、永住が必要な水田農耕を捨てた。ほかにもいろいろなものを捨てた。歴史、文字、アイデンティティをも。ここから、歴史とは何か。文字とは何か。アイデンティティとは何か、という疑問が湧きあがる。
第二次世界大戦以降、近代的国家の概念は世界を覆い尽くした。国と国の間には国境線が引かれ、もうあいまいな場所はほとんどない。もはや「文明」から逃れたい人々の行き場所はない。著者は、「だれが文明人でだれが未開人であるかを見分けるための座標軸は、国家によって収奪しやすい形態であるかどうである。」と述べている。
また、訳者の佐藤仁氏は、「あとがき」でこのように述べている。
「彼等を小さく、端へ追いやることに加担してきた私たち自身の歴史に向き合うのは、ちょっとした勇気がいる。山の民という鏡の中に、国家や資本主義に依存する私たちの本当の姿を覗き見る覚悟を持てるかどうかが、今、問われている。」
未だ社会は、私たちが望む到達点を迎えてはいないと思わざるを得ない。拙い文章なので、この本の意図が伝わっているかどうか。興味がある方は、是非『ゾミア』を読んでもらいたい。
少々、「お高い」が、その価値はありそうと思う。
ゾミアはベトナム中央高原からインドの北東部に至る地域です。面積およそ250万平方キロメートル、約1億の少数民族の人々が住んでいる。一番驚いたことは、彼等は文明から取り残された人々ではないと言うこと。それ以上に、文明から逃れようとしている人々なのだ。
文明とはなにか。初期国家の人々は、大半は自由民ではなかった。国家に拘束された人々だった。国家(支配者)は、その存続を維持する為に、人々を囲い込み、労働力と徴税を確保しなければならなかった。つまり、人を土地に縛り付けコントロールしやすいようにする。考えてみたら、牧場のようなものかもしれない。そして、その人々に国家や支配者の正統性を敬うように明確なイデオロギー、セオリーを与える。宗教もそのひとつだ。
そして、そのような束縛から逃れようとする人々がいる。労役と搾取から。「国家」から離れて、「国家」の勢力が及ばないところを移動し続ける。そして、そのようなコントロールが効かない人々を、国家は、「文明」と対比して「野蛮な未開人」と呼ぶのだ。
この「野蛮な未開人」は歴史の初期段階で留まっている人々ではない。『ゾミア』には、このように書かれている。「山岳部族は、人類史の初期段階の残存者で、それは、水田稲作農耕を発見し、文字を学び、文明の技巧を発展させ、仏教を取り入れる前の人々・・・と考えるのは間違いである。・・・定住型農耕と国家様式の発明に失敗した古代社会ではない。」つまり、今日狩猟採集民として暮らしている人々は、百年前も狩猟採集民族であったとは単純に考えられないということ。彼は農耕民であったが、「国家」の締め付けにより、辺鄙な土地に逃れた。
この逃亡は、何も古代だけのものではない。実際、第二次世界大戦前までは、頻繁に起っていたことである。植民地時代には、西欧の植民者からも逃亡しているのだ。彼等は、永住が必要な水田農耕を捨てた。ほかにもいろいろなものを捨てた。歴史、文字、アイデンティティをも。ここから、歴史とは何か。文字とは何か。アイデンティティとは何か、という疑問が湧きあがる。
第二次世界大戦以降、近代的国家の概念は世界を覆い尽くした。国と国の間には国境線が引かれ、もうあいまいな場所はほとんどない。もはや「文明」から逃れたい人々の行き場所はない。著者は、「だれが文明人でだれが未開人であるかを見分けるための座標軸は、国家によって収奪しやすい形態であるかどうである。」と述べている。
また、訳者の佐藤仁氏は、「あとがき」でこのように述べている。
「彼等を小さく、端へ追いやることに加担してきた私たち自身の歴史に向き合うのは、ちょっとした勇気がいる。山の民という鏡の中に、国家や資本主義に依存する私たちの本当の姿を覗き見る覚悟を持てるかどうかが、今、問われている。」
未だ社会は、私たちが望む到達点を迎えてはいないと思わざるを得ない。拙い文章なので、この本の意図が伝わっているかどうか。興味がある方は、是非『ゾミア』を読んでもらいたい。
少々、「お高い」が、その価値はありそうと思う。
2024年5月21日に日本でレビュー済み
1 山地、盆地、国家―ゾミア序論
2 国家空間―統治と収奪の領域
3 労働力と穀物の集積―農奴と潅漑稲作
4 文明とならず者
5 国家との距離をとる―山地に移り住む
6 国家をかわし、国家を阻む―逃避の文化と農業
6+1/2 国承、筆記、文書
7 民族創造―ラディカルな構築主義的見解
8 再生の預言者たち
9 結論
2 国家空間―統治と収奪の領域
3 労働力と穀物の集積―農奴と潅漑稲作
4 文明とならず者
5 国家との距離をとる―山地に移り住む
6 国家をかわし、国家を阻む―逃避の文化と農業
6+1/2 国承、筆記、文書
7 民族創造―ラディカルな構築主義的見解
8 再生の預言者たち
9 結論
2016年11月21日に日本でレビュー済み
国家という政治形態が世界の隅々まで行き渡る現在、国家の外部で生きることなどありえないと私たちは信じている。しかし人類史の大部分において、それは現実的な選択肢だった。本書は東南アジアを舞台に、興味深い事実を詳細に描く。
「ゾミア」とはベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマの5カ国と中国の4省を含む丘陵地帯を指す。ここには国民国家に統合されていない約一億の山地民が住む。彼らは税を払わず、相対的に自由で、国家をもたない人々である(p.19)。
山地民などの「野蛮人」は、原始からの生き残りだと一般に思われている。著者はそれに異を唱える。辺境民の生業、組織、文化は古代からの伝統や慣習ではなく、国家への編入や権力の集中を防ぐため、意図的に設計されたものだという(p.8)。
たとえば焼畑は水稲より古くて非効率というのは誤解にすぎない。焼畑民は鉄斧のおかげで開墾の労力が大幅に減ったし、ハーブや胡椒などの高級品を国際交易で売り、痩せた土地でも育つキャッサバなど新大陸産の作物も入手し栽培した(p.199)。
キャッサバなど根菜類・塊茎類の利点は軍隊や徴税人の収奪から安全なことだ。熟成した実は二年くらいまでならそのまま土の中に置いておけるから、略奪すべき穀物倉庫がなくて済む(p.198)。国家が管理しやすい定住民による稲作とは対照的だ。
「ゾミアが非国家圏であり続けるのもそう長くはないだろう」(p.ix)と著者はいう。しかし一方で、人類史上、国家は恒久不変のものではなく、形成と崩壊を反復してきたとも指摘する(p.7)。
納税や徴兵の負担が限界に達すると、人々は辺境や別の国家にすばやく逃げた。「民衆にとっては逃走という物理的行為こそが自由の源泉であり、逃避こそが国家権力に対する主要な抑制力であった」(p.33)
現代は国家の支配力が強まった半面、交通・通信手段が飛躍的に発展し、ある意味では国家から逃げるチャンスも広がっている。本書に示された「脱国家」の知恵があらためて注目される日は遠くないだろう。
「ゾミア」とはベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマの5カ国と中国の4省を含む丘陵地帯を指す。ここには国民国家に統合されていない約一億の山地民が住む。彼らは税を払わず、相対的に自由で、国家をもたない人々である(p.19)。
山地民などの「野蛮人」は、原始からの生き残りだと一般に思われている。著者はそれに異を唱える。辺境民の生業、組織、文化は古代からの伝統や慣習ではなく、国家への編入や権力の集中を防ぐため、意図的に設計されたものだという(p.8)。
たとえば焼畑は水稲より古くて非効率というのは誤解にすぎない。焼畑民は鉄斧のおかげで開墾の労力が大幅に減ったし、ハーブや胡椒などの高級品を国際交易で売り、痩せた土地でも育つキャッサバなど新大陸産の作物も入手し栽培した(p.199)。
キャッサバなど根菜類・塊茎類の利点は軍隊や徴税人の収奪から安全なことだ。熟成した実は二年くらいまでならそのまま土の中に置いておけるから、略奪すべき穀物倉庫がなくて済む(p.198)。国家が管理しやすい定住民による稲作とは対照的だ。
「ゾミアが非国家圏であり続けるのもそう長くはないだろう」(p.ix)と著者はいう。しかし一方で、人類史上、国家は恒久不変のものではなく、形成と崩壊を反復してきたとも指摘する(p.7)。
納税や徴兵の負担が限界に達すると、人々は辺境や別の国家にすばやく逃げた。「民衆にとっては逃走という物理的行為こそが自由の源泉であり、逃避こそが国家権力に対する主要な抑制力であった」(p.33)
現代は国家の支配力が強まった半面、交通・通信手段が飛躍的に発展し、ある意味では国家から逃げるチャンスも広がっている。本書に示された「脱国家」の知恵があらためて注目される日は遠くないだろう。