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生のものと火を通したもの (神話論理 1) 単行本 – 2006/4/15
クロード・レヴィ=ストロース
(著),
早水 洋太郎
(翻訳)
構造人類学の探究の頂点に位置し、20世紀思想の金字塔と讃えられる
レヴィ=ストロースの主著『神話論理』(全5巻・原著は全4巻)を、ここに刊行する。
10年以上の年月とほぼ2000ページを費やして成ったこの大著は、
南北アメリカ大陸先住民の813の神話を扱いながら、
自然から文化への移行を読む驚くべき想像力、
南アメリカのボロロから北アメリカまでの範囲を広げた地理的運動のダイナミズム、
神話の論理に見られる二項対立の思考への構造分析の緻密さによって、まさに比類がない。
神話的思考の普遍性を示した、圧巻の文明批判の書である。
『生のものと火を通したもの』『蜜から灰へ』『食卓作法の起源』『裸の人1・2』の5巻は、
それぞれが独立しながら相互に関係し、
さらに『神話論理』全体が『今日のトーテミスム』『野生の思考』から『やきもち焼きの土器つくり』まで、
著者のほぼ全著作と照応している。
他巻同様、音楽的構成のきわだつ、
神話論理I『生のものと火を通したもの』は、
「序曲」に続いて、全体の基準神話となるボロロの「鳥の巣あさりの神話」が論じられる。
レヴィ=ストロースの主著『神話論理』(全5巻・原著は全4巻)を、ここに刊行する。
10年以上の年月とほぼ2000ページを費やして成ったこの大著は、
南北アメリカ大陸先住民の813の神話を扱いながら、
自然から文化への移行を読む驚くべき想像力、
南アメリカのボロロから北アメリカまでの範囲を広げた地理的運動のダイナミズム、
神話の論理に見られる二項対立の思考への構造分析の緻密さによって、まさに比類がない。
神話的思考の普遍性を示した、圧巻の文明批判の書である。
『生のものと火を通したもの』『蜜から灰へ』『食卓作法の起源』『裸の人1・2』の5巻は、
それぞれが独立しながら相互に関係し、
さらに『神話論理』全体が『今日のトーテミスム』『野生の思考』から『やきもち焼きの土器つくり』まで、
著者のほぼ全著作と照応している。
他巻同様、音楽的構成のきわだつ、
神話論理I『生のものと火を通したもの』は、
「序曲」に続いて、全体の基準神話となるボロロの「鳥の巣あさりの神話」が論じられる。
- ISBN-104622081512
- ISBN-13978-4622081517
- 出版社みすず書房
- 発売日2006/4/15
- 言語日本語
- 本の長さ538ページ
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登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2006/4/15)
- 発売日 : 2006/4/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 538ページ
- ISBN-10 : 4622081512
- ISBN-13 : 978-4622081517
- Amazon 売れ筋ランキング: - 478,767位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 330位神話 (本)
- - 1,064位文化人類学一般関連書籍
- - 15,860位哲学・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
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2024年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
苦行の様な遠回しの言葉の羅列をなんとか耐えて2周してみたものの、だから何?に行き着く。南米神話の資料としては価値があるんだろうけど、そこ止まり。
2012年5月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書を読んでぼくは、スティーヴン・ホーキングが語った小噺をおもいだします。
ある科学者が天文学について講演を行った、
科学者は語った、地球が太陽のまわりをどのように公転しているか、
太陽が銀河の中心をどのように公転しているか。
さて、講演の終わり近く、後ろの席の老婦人が立ち上がって言った、
「そんなお話でたらめですよ、
この世は、大きな大きな亀の背中に乗った、平らな一枚の板なんですよ。」
科学者は苦笑しながら訊ねた、「マダム、その亀は、どこにいるのですか?」
婦人は答えた、「あーら、あなた、とってもお利巧ちゃんなのね、
教えてあげるわ、ずっと下まで亀がえんえん続いているのよ。」
これはなかなかハイブロウな冗談で、
なぜって、神話論の立場に立って言えば、
ホーキングの相対性理論と量子力学を結びつけた量子重力論であれ、
おばあさんの重なる亀の背に乗る一枚の板理論であれ、
人が宇宙について感じる謎に答えたものという意味で変わりはありません、
いずれも立派に役割を果たしています。
そこで、人の想像力がどんなふうに働き、
どんな宇宙を描いているか、ここがなんとも興味深いところです。
著者がこう述べる意味がよくわかります、
「神話的思考は、すでにのりこえられた知的活動であるどころか、
精神が"意味とはなにか"を問うときにはつねに、
そしていまも働き続けているのではないか」
(『やきもち焼きの土器づくり』みすず書店刊)
レヴィ・ストロースは、翻訳全5巻の神話論理において、
南北アメリカ大陸に膨大にある神話を探査し、比較・検証し、
音楽に喩えるならば主題と変奏群を洗い出し、
さらには、神話の普遍理論を打ちたてんとする、
なんとも壮大な試みをおこなってゆきます。
かれは、まず最初に、
ブラジルの「未開」民族ボロロ族の神話を、
レファレンスとしてとりあげます。
いやぁ、これがまたすごいんですよ、こんな話です。
むかしむかし女たちがバ(成人の記念に与える、装飾入りのペニスサック)を作る椰子を取るために、
森へ行きました、そのときある青年が後をつけてゆき、母親を姦した。
父親は妻のベルトについた男のつける羽飾りを怪しみ、
犯人をつきとめた、あろうことか自分の息子だった。
父親はひそかに怒り、息子に命じた、
霊たちの棲む巣へ、バポ(ダンスに用いる音の出るもの)を取りにゆくように。
青年は、祖母に相談しました、
祖母はかれの命の危険があることをさとし、
ハミングバードに助けてもらいなさい、と言いました。
青年は、霊たちの棲む水の国へ行き、岸辺で待った。
ハミングバードが飛んできて、バポが吊るされている細い紐を、切った。
バポは、水に落ちて、ジョーッと大きな音がした。
警報のようなその音で、霊たちは目を覚まし、ハミングバードに矢を射った。
しかしハミングバードは無事、バポを携え、岸辺へ戻ってきました。
(ハミングバードってちっちゃな鳥で、カラフルで、
嘴がひゅって突き出したように長く、
羽をばたつかせてホバリングする様子がかわいらしい。)
同様のエピソードが繰り返されます。
そこで父親は、ふたりでコンゴウインコを捕りにに行こうと言った。
(コンゴウインコはオウムくらいの大きさ、
オウムは飛べないけれど、コンゴウインコは飛べます。
コンゴウインコもまた配色がカラフル、黄色、空色、
模様が入っていたり綺麗ですね、
ボロロたちはお洒落でインコが大好き、虹の配色なんて言い、
かれらはコンゴウインコを捕って、羽を集めて、大事に保存し、アクセサリーに使います。
ただし、コンゴウインコは断崖絶壁の中腹に巣を作っていますから、
捕るのは命がけです。)
青年は祖母に相談しました、祖母はかれに魔法の杖を渡しました。
さて、父親は、青年にコンゴウインコを捕らせようと、
まず長い長い棒を断崖絶壁にかけ、青年に登らせておいて、
その後、父親は長い長い棒をはずし、青年を断崖絶壁に置き去りにしました。
青年は絶体絶命!?? しかし青年は岩の割れ目に、魔法の杖をつきさし、
そして蔓につかまって、命からがら崖をよじのぼりました。
青年は、トカゲを食べて空腹をしのぎました。
(トカゲってヤモリとかイグアナの親戚ですからね、
しかも熱帯のトカゲはデカくて、なかには人間よりデカいトカゲもいます、
変な模様とか入っていて、超不気味、ほとんど怪獣ですね。
青年も食べるものがないから、仕方なく食べるわけです。)
青年は食べ残したトカゲを、ベルトや足首に巻いた紐に吊るしました。
やがてトカゲは腐り、あまりのくさい臭いに、青年は気を失いました。
コンドルは腐肉が大好き、くさい臭いを嗅ぎつけ、青年の尻を食べました。
青年は尻がなくなってしまって、なにを食べても消化できなくなりました。
しかしその後コンドルは親切にも、
青年のベルトをくちばしでくわえ、岩山のふもとまで下ろしてくれました。
(コンドルは大きな大きな鳥、人間くらいかんたんに運べるでしょう。)
そして青年は、じゃがいものようなものをつぶして練って人工肛門をこしらえて、
自分の尻につけました。
かれは村へ戻った、祖母が迎えてくれました。
ところがその晩、暴風雨、
村中の火が消えました、
そんななか祖母の家の火だけが無事で、
祖母は村中の人たちに火を分け与えました。
青年は父親に復讐するつもりです。
青年は鹿に変身し、父親に突進、父親を川へ突き落とした。
父親は、魚の霊たちの餌になった。
青年は、村へ戻ると、父親の妻たちに復讐した、
そのなかには自分の母も含まれていました。
青年はうんざりしていました、自分をひどいめに会わせた連中とはもう一緒に住みたくない、
そしてかれらに復讐するために青年は、風と寒さと雨をもたらすことを宣言します。
青年はまず祖母を遠くにあるすばらしい国へつれてゆき、
その後、村へ戻り、宣言どおり風と寒さと雨で村人たちを罰しました。
レファレンス神話は、これでおいしまい。
いやぁ、なんてむちゃくちゃな話なんでしょう、
ここにいったいどんな文化コードが潜んでいるのでしょう?
世界中の民族に普遍的に存在するといわれている近親相姦のタブーへの、
神話上の無頓着を、どう考えたらいいでしょう?
レヴィ・ストロースは、
ボロロ族の村、円形にデザインされた住居システムを示し、
東西南北に象徴的意味が付与されていることを紹介します。
かれらの家の並び方には、ふたつの血縁集団の住み分けがあり、
かつまた男たちの家は中心に、女たちの家は周縁に位置しています。
しかもかれらの家の並び方には、
かれらの社会の秩序、作る物品の異なり、特権、タブーなど、
さまざまなコードが反映されています。
次に、バ(椰子素材の装飾つきのペニスサック)を作るのが、
女の協力とともにあること。バが青年が成人した(イニシエーションの)象徴であり、
バをつけてはじめて結婚する権利が得られることを指摘し、
そこからひじょうに興味深い解釈を引き出してゆきます。
次に、この神話の結末が、風や雨の起源神話になっていることも指摘します。
なるほど、起源を語ることは神話の使命のひとつ。
たとえば火について、
ある神話は答えます。
もともと火はジャガーが持っていた。
ジャガーは肉を炙って食べていた。
人間は火をジャガーから奪った。
火を奪われたジャガーは、いまでは肉を生で食べる。
別の神話は答えます。
もともと火はコンドルが持っていた。
コンドルは肉を炙って食べていた。
人間は火をコンドルから奪った。
火を奪われたコンドルは、いまでは腐った肉を食べる。
そのほか神話は水、言語、病いなどの起源を語ります。
と同時に、神話はその部族の社会秩序を語り、秩序を乱す者を戒める。
著者は、無数の神話群のなかに、
主題と変奏群のような関係を見出してゆきます。
たとえば、冒頭で紹介した神話と、ジャガーから火を奪った神話が、
水の起源に対する火の起源の神話として対称性をそなえている、
そんな目の覚めるような指摘がなされます。
この第一巻だけでも、183もの神話が収録されていて、
全巻合わせてば800以上、数え方によってはその倍も収録されています。
どの神話も荒唐無稽、次から次へととんでもない話が紹介されます、
しかもその解釈がまた冴えていて、最高の文芸批評に通じる魅力に満ちています。
(いいえ、実は話は逆で、
レヴィ・ストロースこそが文芸批評に大きな影響を与えました)。
なお、このシリーズは、
苦労して全ぺージ読み尽くせば最後にご褒美として結論たるグランドセオリーが与えられる、
という書き方で書かれてはいなくて、
むしろ章ごとにそれなりに完結していて、
したがって、読者は任意に、ある章を気ままに読むだけで無類におもしろく、
それでいて、いつもこのシリーズを手放さずにいると、
いつのまにか全巻読んじゃっている、そんなふしぎな魅力を備えています。
このシリーズは全五巻、各巻500ページ、全巻揃えると4万円以上ですが、
しかしアーティストや、想像性を愛する読者にとっては、
想像力の宝庫たる神話百科として、一生愉しめるでしょう。
ある科学者が天文学について講演を行った、
科学者は語った、地球が太陽のまわりをどのように公転しているか、
太陽が銀河の中心をどのように公転しているか。
さて、講演の終わり近く、後ろの席の老婦人が立ち上がって言った、
「そんなお話でたらめですよ、
この世は、大きな大きな亀の背中に乗った、平らな一枚の板なんですよ。」
科学者は苦笑しながら訊ねた、「マダム、その亀は、どこにいるのですか?」
婦人は答えた、「あーら、あなた、とってもお利巧ちゃんなのね、
教えてあげるわ、ずっと下まで亀がえんえん続いているのよ。」
これはなかなかハイブロウな冗談で、
なぜって、神話論の立場に立って言えば、
ホーキングの相対性理論と量子力学を結びつけた量子重力論であれ、
おばあさんの重なる亀の背に乗る一枚の板理論であれ、
人が宇宙について感じる謎に答えたものという意味で変わりはありません、
いずれも立派に役割を果たしています。
そこで、人の想像力がどんなふうに働き、
どんな宇宙を描いているか、ここがなんとも興味深いところです。
著者がこう述べる意味がよくわかります、
「神話的思考は、すでにのりこえられた知的活動であるどころか、
精神が"意味とはなにか"を問うときにはつねに、
そしていまも働き続けているのではないか」
(『やきもち焼きの土器づくり』みすず書店刊)
レヴィ・ストロースは、翻訳全5巻の神話論理において、
南北アメリカ大陸に膨大にある神話を探査し、比較・検証し、
音楽に喩えるならば主題と変奏群を洗い出し、
さらには、神話の普遍理論を打ちたてんとする、
なんとも壮大な試みをおこなってゆきます。
かれは、まず最初に、
ブラジルの「未開」民族ボロロ族の神話を、
レファレンスとしてとりあげます。
いやぁ、これがまたすごいんですよ、こんな話です。
むかしむかし女たちがバ(成人の記念に与える、装飾入りのペニスサック)を作る椰子を取るために、
森へ行きました、そのときある青年が後をつけてゆき、母親を姦した。
父親は妻のベルトについた男のつける羽飾りを怪しみ、
犯人をつきとめた、あろうことか自分の息子だった。
父親はひそかに怒り、息子に命じた、
霊たちの棲む巣へ、バポ(ダンスに用いる音の出るもの)を取りにゆくように。
青年は、祖母に相談しました、
祖母はかれの命の危険があることをさとし、
ハミングバードに助けてもらいなさい、と言いました。
青年は、霊たちの棲む水の国へ行き、岸辺で待った。
ハミングバードが飛んできて、バポが吊るされている細い紐を、切った。
バポは、水に落ちて、ジョーッと大きな音がした。
警報のようなその音で、霊たちは目を覚まし、ハミングバードに矢を射った。
しかしハミングバードは無事、バポを携え、岸辺へ戻ってきました。
(ハミングバードってちっちゃな鳥で、カラフルで、
嘴がひゅって突き出したように長く、
羽をばたつかせてホバリングする様子がかわいらしい。)
同様のエピソードが繰り返されます。
そこで父親は、ふたりでコンゴウインコを捕りにに行こうと言った。
(コンゴウインコはオウムくらいの大きさ、
オウムは飛べないけれど、コンゴウインコは飛べます。
コンゴウインコもまた配色がカラフル、黄色、空色、
模様が入っていたり綺麗ですね、
ボロロたちはお洒落でインコが大好き、虹の配色なんて言い、
かれらはコンゴウインコを捕って、羽を集めて、大事に保存し、アクセサリーに使います。
ただし、コンゴウインコは断崖絶壁の中腹に巣を作っていますから、
捕るのは命がけです。)
青年は祖母に相談しました、祖母はかれに魔法の杖を渡しました。
さて、父親は、青年にコンゴウインコを捕らせようと、
まず長い長い棒を断崖絶壁にかけ、青年に登らせておいて、
その後、父親は長い長い棒をはずし、青年を断崖絶壁に置き去りにしました。
青年は絶体絶命!?? しかし青年は岩の割れ目に、魔法の杖をつきさし、
そして蔓につかまって、命からがら崖をよじのぼりました。
青年は、トカゲを食べて空腹をしのぎました。
(トカゲってヤモリとかイグアナの親戚ですからね、
しかも熱帯のトカゲはデカくて、なかには人間よりデカいトカゲもいます、
変な模様とか入っていて、超不気味、ほとんど怪獣ですね。
青年も食べるものがないから、仕方なく食べるわけです。)
青年は食べ残したトカゲを、ベルトや足首に巻いた紐に吊るしました。
やがてトカゲは腐り、あまりのくさい臭いに、青年は気を失いました。
コンドルは腐肉が大好き、くさい臭いを嗅ぎつけ、青年の尻を食べました。
青年は尻がなくなってしまって、なにを食べても消化できなくなりました。
しかしその後コンドルは親切にも、
青年のベルトをくちばしでくわえ、岩山のふもとまで下ろしてくれました。
(コンドルは大きな大きな鳥、人間くらいかんたんに運べるでしょう。)
そして青年は、じゃがいものようなものをつぶして練って人工肛門をこしらえて、
自分の尻につけました。
かれは村へ戻った、祖母が迎えてくれました。
ところがその晩、暴風雨、
村中の火が消えました、
そんななか祖母の家の火だけが無事で、
祖母は村中の人たちに火を分け与えました。
青年は父親に復讐するつもりです。
青年は鹿に変身し、父親に突進、父親を川へ突き落とした。
父親は、魚の霊たちの餌になった。
青年は、村へ戻ると、父親の妻たちに復讐した、
そのなかには自分の母も含まれていました。
青年はうんざりしていました、自分をひどいめに会わせた連中とはもう一緒に住みたくない、
そしてかれらに復讐するために青年は、風と寒さと雨をもたらすことを宣言します。
青年はまず祖母を遠くにあるすばらしい国へつれてゆき、
その後、村へ戻り、宣言どおり風と寒さと雨で村人たちを罰しました。
レファレンス神話は、これでおいしまい。
いやぁ、なんてむちゃくちゃな話なんでしょう、
ここにいったいどんな文化コードが潜んでいるのでしょう?
世界中の民族に普遍的に存在するといわれている近親相姦のタブーへの、
神話上の無頓着を、どう考えたらいいでしょう?
レヴィ・ストロースは、
ボロロ族の村、円形にデザインされた住居システムを示し、
東西南北に象徴的意味が付与されていることを紹介します。
かれらの家の並び方には、ふたつの血縁集団の住み分けがあり、
かつまた男たちの家は中心に、女たちの家は周縁に位置しています。
しかもかれらの家の並び方には、
かれらの社会の秩序、作る物品の異なり、特権、タブーなど、
さまざまなコードが反映されています。
次に、バ(椰子素材の装飾つきのペニスサック)を作るのが、
女の協力とともにあること。バが青年が成人した(イニシエーションの)象徴であり、
バをつけてはじめて結婚する権利が得られることを指摘し、
そこからひじょうに興味深い解釈を引き出してゆきます。
次に、この神話の結末が、風や雨の起源神話になっていることも指摘します。
なるほど、起源を語ることは神話の使命のひとつ。
たとえば火について、
ある神話は答えます。
もともと火はジャガーが持っていた。
ジャガーは肉を炙って食べていた。
人間は火をジャガーから奪った。
火を奪われたジャガーは、いまでは肉を生で食べる。
別の神話は答えます。
もともと火はコンドルが持っていた。
コンドルは肉を炙って食べていた。
人間は火をコンドルから奪った。
火を奪われたコンドルは、いまでは腐った肉を食べる。
そのほか神話は水、言語、病いなどの起源を語ります。
と同時に、神話はその部族の社会秩序を語り、秩序を乱す者を戒める。
著者は、無数の神話群のなかに、
主題と変奏群のような関係を見出してゆきます。
たとえば、冒頭で紹介した神話と、ジャガーから火を奪った神話が、
水の起源に対する火の起源の神話として対称性をそなえている、
そんな目の覚めるような指摘がなされます。
この第一巻だけでも、183もの神話が収録されていて、
全巻合わせてば800以上、数え方によってはその倍も収録されています。
どの神話も荒唐無稽、次から次へととんでもない話が紹介されます、
しかもその解釈がまた冴えていて、最高の文芸批評に通じる魅力に満ちています。
(いいえ、実は話は逆で、
レヴィ・ストロースこそが文芸批評に大きな影響を与えました)。
なお、このシリーズは、
苦労して全ぺージ読み尽くせば最後にご褒美として結論たるグランドセオリーが与えられる、
という書き方で書かれてはいなくて、
むしろ章ごとにそれなりに完結していて、
したがって、読者は任意に、ある章を気ままに読むだけで無類におもしろく、
それでいて、いつもこのシリーズを手放さずにいると、
いつのまにか全巻読んじゃっている、そんなふしぎな魅力を備えています。
このシリーズは全五巻、各巻500ページ、全巻揃えると4万円以上ですが、
しかしアーティストや、想像性を愛する読者にとっては、
想像力の宝庫たる神話百科として、一生愉しめるでしょう。
2014年1月6日に日本でレビュー済み
あなたが読もうか読むまいか迷っているのなら、
次の点を知っておくといいと思う。
それは、この研究が学問と芸術の境界でただよう「なにか」を追い詰めようとしている、ということ。
レヴィ=ストロースの神話研究は難解で、本職の人類学者でも読解に苦しむ。
(というか、普通に研究をしている分には神話研究は役に立たない)
構造主義のフォロワーを自認する者たちにおいてでもその事実に変わりはない。
(たとえばE・リーチの聖書の構造分析と比べると、レヴィ=ストロースの神話研究がいかに「変」であるかが明快になる)
(E・リーチは「きれいな」構造主義の手法でもって聖書を分析している。一方のレヴィ=ストロースの分析は「きれい」でない)
レヴィ=ストロースの神話研究は学説史の文脈から見ると異端児であり、彼の研究の前にはその前身となるべき先輩がいなく、
また、彼の後にもフォロワーとなるべき後続がいない。
天才の仕事が往々にしてそうであるように、この仕事も、まさに空前絶後のイレギュラーとして、
人類学の成果の海洋の中でひとり孤立している。
これには理由がある。
レヴィ=ストロースの神話研究は、普通のアカデミックな研究と比べると、その「文法」が違いすぎるからだ。
行動原理や求めるものが、根本から違う。
イスラム教徒ばかりの社会の中に、ひとり、シベリアのシャーマンが現れてしまったような、そんなイメージでもいい。
このシャーマンの行動原理は周りの人間には理解できない。
そんな風にレヴィ=ストロースの神話研究は周りの誰にも理解されない。
もしくは、みながポーカーのゲームをやっているのに、その中に一人、ブラックジャックのゲームをしている奴が混ざっている、
というイメージでもいい。
たしかにトランプを使ってはいるが、しかし彼のやっているゲームは周りの人々と絶望的に異質だ。
ひとりだけプレイしているゲームの文法が違う。
それがこの研究のキモだと思う。
学術書には学術書の「文法」がある。
小説には小説の「文法」がある。
ではレヴィ=ストロースはなにをしているのか?
彼は忘却された神話の「文法」を再構成し、この世界に再び具現化しようとしている。
つまり彼はこの世界でたったひとり、「神話をプレイしている」おっさんなのだ、と思う。
学問でも、小説でも、音楽でもなくて、「神話」というジャンル。
話は変わるが、もうひとつ芸術との類推をあげる。
映画屋は映画で思考している。
これはキューブリックの「2001年宇宙の旅」などを例にとるとわかりやすい。
映画屋が思考する単位とは、「映像」や「演出」といった映画を構成する要素だ。
映画の背後に「本当の意味」だとか「伝えるべきメッセージ」などはない。
小説屋は小説で思考している。
小説が思考する単位とは、「キャラ」や「プロット」といった小説を構成する要素だ。これらが文体の妙をうむ。
小説の背後に「本当の意味」などない。
カフカの「城」は「本当は何を表しているのか」、うん、「近代の不安を表しているのだ」
などという問答は端的にナンセンスだ。
音楽屋は音楽で思考している。
音楽の背後に「本当の意味」などない。
反戦だとか、失恋だとか、僕はここにいるよだとか、そういったものは音楽とは直接には関係ない。
音楽はメッセージを伝えるための容器ではなく、音楽は音楽で自足していて、音楽は音楽で思考している。
全く同様に、神話は神話で思考している。
では神話で思考するとはどういうことか。
さらに神話で思考する際の単位とはなにか。
レヴィ=ストロースは、そもそも、かつて誰も問うたことのなかった問を、ひとりで構築して、
ひとりで分析手法を立ち上げ、そしてひとりで「こたえ」を追い詰めた。
これだけで掛け値なしに偉大な仕事だと思う。
神話で思考する、つまり「神話をプレイする」とはどういうことか、それがこの研究に具現化されている。
音楽を理解するには聴くしかないように、レヴィの神話研究を知りたければ、彼の「プレイ」を直接に見るよりほかにない。
しかしこの試みが成功しているのか失敗しているのかは、実は、まだ誰も知らない。
だれか教えてください。
次の点を知っておくといいと思う。
それは、この研究が学問と芸術の境界でただよう「なにか」を追い詰めようとしている、ということ。
レヴィ=ストロースの神話研究は難解で、本職の人類学者でも読解に苦しむ。
(というか、普通に研究をしている分には神話研究は役に立たない)
構造主義のフォロワーを自認する者たちにおいてでもその事実に変わりはない。
(たとえばE・リーチの聖書の構造分析と比べると、レヴィ=ストロースの神話研究がいかに「変」であるかが明快になる)
(E・リーチは「きれいな」構造主義の手法でもって聖書を分析している。一方のレヴィ=ストロースの分析は「きれい」でない)
レヴィ=ストロースの神話研究は学説史の文脈から見ると異端児であり、彼の研究の前にはその前身となるべき先輩がいなく、
また、彼の後にもフォロワーとなるべき後続がいない。
天才の仕事が往々にしてそうであるように、この仕事も、まさに空前絶後のイレギュラーとして、
人類学の成果の海洋の中でひとり孤立している。
これには理由がある。
レヴィ=ストロースの神話研究は、普通のアカデミックな研究と比べると、その「文法」が違いすぎるからだ。
行動原理や求めるものが、根本から違う。
イスラム教徒ばかりの社会の中に、ひとり、シベリアのシャーマンが現れてしまったような、そんなイメージでもいい。
このシャーマンの行動原理は周りの人間には理解できない。
そんな風にレヴィ=ストロースの神話研究は周りの誰にも理解されない。
もしくは、みながポーカーのゲームをやっているのに、その中に一人、ブラックジャックのゲームをしている奴が混ざっている、
というイメージでもいい。
たしかにトランプを使ってはいるが、しかし彼のやっているゲームは周りの人々と絶望的に異質だ。
ひとりだけプレイしているゲームの文法が違う。
それがこの研究のキモだと思う。
学術書には学術書の「文法」がある。
小説には小説の「文法」がある。
ではレヴィ=ストロースはなにをしているのか?
彼は忘却された神話の「文法」を再構成し、この世界に再び具現化しようとしている。
つまり彼はこの世界でたったひとり、「神話をプレイしている」おっさんなのだ、と思う。
学問でも、小説でも、音楽でもなくて、「神話」というジャンル。
話は変わるが、もうひとつ芸術との類推をあげる。
映画屋は映画で思考している。
これはキューブリックの「2001年宇宙の旅」などを例にとるとわかりやすい。
映画屋が思考する単位とは、「映像」や「演出」といった映画を構成する要素だ。
映画の背後に「本当の意味」だとか「伝えるべきメッセージ」などはない。
小説屋は小説で思考している。
小説が思考する単位とは、「キャラ」や「プロット」といった小説を構成する要素だ。これらが文体の妙をうむ。
小説の背後に「本当の意味」などない。
カフカの「城」は「本当は何を表しているのか」、うん、「近代の不安を表しているのだ」
などという問答は端的にナンセンスだ。
音楽屋は音楽で思考している。
音楽の背後に「本当の意味」などない。
反戦だとか、失恋だとか、僕はここにいるよだとか、そういったものは音楽とは直接には関係ない。
音楽はメッセージを伝えるための容器ではなく、音楽は音楽で自足していて、音楽は音楽で思考している。
全く同様に、神話は神話で思考している。
では神話で思考するとはどういうことか。
さらに神話で思考する際の単位とはなにか。
レヴィ=ストロースは、そもそも、かつて誰も問うたことのなかった問を、ひとりで構築して、
ひとりで分析手法を立ち上げ、そしてひとりで「こたえ」を追い詰めた。
これだけで掛け値なしに偉大な仕事だと思う。
神話で思考する、つまり「神話をプレイする」とはどういうことか、それがこの研究に具現化されている。
音楽を理解するには聴くしかないように、レヴィの神話研究を知りたければ、彼の「プレイ」を直接に見るよりほかにない。
しかしこの試みが成功しているのか失敗しているのかは、実は、まだ誰も知らない。
だれか教えてください。
2022年9月28日に日本でレビュー済み
500ページもある大著です。シリーズ全体では2000ページ以上あるようです。記述自体は平易なので読めましたが、神話の分析についてはよく分かりませんでした。橋爪大三郎氏が書いていて、正確な文言は忘れましたが、この神話分析はレヴィ=ストロースの名人芸であって他人が真似するのは難しいと意見のに賛成です。
2016年9月25日に日本でレビュー済み
「親族の基本構造」 と この 「神話論理」 を 二つの山の頂として
その間の谷間に 「野生の思考」 が 中休み として あった。
その一休みで 眼前にひろがるパノラマを見渡すことができた(p。17)と書かれている。
これで 主要な著書群 前期、中期、後期 3つ の相互関係が 感得され 今後の読み方の指針をえた。
音楽的な章立て、序曲から レビストロースの世界に引き込まれる。
フランス的知的で繊細な精神が行間から語りかける。
その繊細さは 野生の人への 深い共感・愛情につながる。
音楽や絵画への関心と理解が深いことがうかがわれる文章多数あり。
大量の神話から どうやって 構造を見つけ出すか の方法が語られる。
最近の人工知能3.0が、 ビッグデータから 人工知能がみずから特徴量をみつけだす(教師なし学習)ことで
人工知能の認識・問題解決能力が急増したといわれるが、
それと 類似して 大量の神話から 特徴量を どう見出していくか、が語られている。
構造をどうみつけていくか、の核心的 言明あり。
また みつけた 結果が どのような性格のものか (最終的なものではありえない) も 語られている。
総じて レビストロースの 学問研究の秘密が 語られている、と感じた。
その間の谷間に 「野生の思考」 が 中休み として あった。
その一休みで 眼前にひろがるパノラマを見渡すことができた(p。17)と書かれている。
これで 主要な著書群 前期、中期、後期 3つ の相互関係が 感得され 今後の読み方の指針をえた。
音楽的な章立て、序曲から レビストロースの世界に引き込まれる。
フランス的知的で繊細な精神が行間から語りかける。
その繊細さは 野生の人への 深い共感・愛情につながる。
音楽や絵画への関心と理解が深いことがうかがわれる文章多数あり。
大量の神話から どうやって 構造を見つけ出すか の方法が語られる。
最近の人工知能3.0が、 ビッグデータから 人工知能がみずから特徴量をみつけだす(教師なし学習)ことで
人工知能の認識・問題解決能力が急増したといわれるが、
それと 類似して 大量の神話から 特徴量を どう見出していくか、が語られている。
構造をどうみつけていくか、の核心的 言明あり。
また みつけた 結果が どのような性格のものか (最終的なものではありえない) も 語られている。
総じて レビストロースの 学問研究の秘密が 語られている、と感じた。
2006年4月18日に日本でレビュー済み
ついに、幻の翻訳が、出ました。1980年ごろ、この本を読みたいがためにフランス語を学び始めた私としては、感無量です。「序曲」に始まり、「平均律天文学」へ、南米インディアンの神話が、交響曲のように様々な和音を奏でながら展開していく内容は、日本語で読み直してもまた面白いものがありました。訳文はこなれていて、読みやすい。ただ、惜しむらくは、レヴィ=ストロースお得意の数式表記がたくさん出てくるので、横組みでの出版が良かったと思います。星5つ!