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「邪馬台国」はなかった:解読された倭人伝の謎 (古田武彦・古代史コレクション 1) 単行本 – 2010/1/30
古田武彦
(著)
「卑弥呼」はどこにいたのか。徹底した史料批判を展開した本書なしに歴史は語れない。書き下ろし「日本の生きた歴史」を加え、待望の復刊。
「魏志倭人伝」に「邪馬台国」という国名は存在しない−−。あまりにも明白なこの事実がいかにながらく無視されてきたか。これで日本の歴史学ははたして成り立つのだろうか。
原文の徹底した史料批判から、女王国が全貌を現わし、旧い日本の歴史像を一変する。長文の書き下ろし「日本の生きた歴史」を新たに加えて、待望の復刊。
[主な目次]
はしがき−−復刊にあたって
“邪馬一国(やまいちこく)"のすすめ
はじめに
序 章 わたしの方法
第1章 それは「邪馬台国」ではなかった
第2章 いわゆる「共同改定」批判
第3章 身勝手な「各個改定」への反論
第4章 邪馬壹国(やまいちこく)の探究
第5章 「邪馬壹国」の意味するもの
第6章 新しい課題
あとがき
補 章 二十余年の応答−−朝日文庫版あとがきに代えて
日本の生きた歴史(一)
人名・事項・地名索引
「魏志倭人伝」に「邪馬台国」という国名は存在しない−−。あまりにも明白なこの事実がいかにながらく無視されてきたか。これで日本の歴史学ははたして成り立つのだろうか。
原文の徹底した史料批判から、女王国が全貌を現わし、旧い日本の歴史像を一変する。長文の書き下ろし「日本の生きた歴史」を新たに加えて、待望の復刊。
[主な目次]
はしがき−−復刊にあたって
“邪馬一国(やまいちこく)"のすすめ
はじめに
序 章 わたしの方法
第1章 それは「邪馬台国」ではなかった
第2章 いわゆる「共同改定」批判
第3章 身勝手な「各個改定」への反論
第4章 邪馬壹国(やまいちこく)の探究
第5章 「邪馬壹国」の意味するもの
第6章 新しい課題
あとがき
補 章 二十余年の応答−−朝日文庫版あとがきに代えて
日本の生きた歴史(一)
人名・事項・地名索引
- 本の長さ411ページ
- 言語日本語
- 出版社ミネルヴァ書房
- 発売日2010/1/30
- 寸法13.7 x 2.8 x 19.5 cm
- ISBN-104623051781
- ISBN-13978-4623051786
新品まとめ買い 古田武彦・古代史コレクション
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商品の説明
著者について
《著者紹介》*本情報は2016年1月時点のものです
古田武彦(ふるた・たけひこ)
1926年 福島県生まれ。
旧制広島高校を経て、東北大学法文学部日本思想史科において村岡典嗣に学ぶ。
長野県松本深志高校教諭、神戸森高校講師、神戸市立湊川高校、京都市立洛陽高校教諭を経て、
1980年 龍谷大学講師。
1984〜96年 昭和薬科大学教授。
2015年 歿。
古田武彦(ふるた・たけひこ)
1926年 福島県生まれ。
旧制広島高校を経て、東北大学法文学部日本思想史科において村岡典嗣に学ぶ。
長野県松本深志高校教諭、神戸森高校講師、神戸市立湊川高校、京都市立洛陽高校教諭を経て、
1980年 龍谷大学講師。
1984〜96年 昭和薬科大学教授。
2015年 歿。
登録情報
- 出版社 : ミネルヴァ書房 (2010/1/30)
- 発売日 : 2010/1/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 411ページ
- ISBN-10 : 4623051781
- ISBN-13 : 978-4623051786
- 寸法 : 13.7 x 2.8 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 267,396位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 7,197位日本史 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
邪馬台国研究では、安本美典、古田武彦、孫栄健の著書に納得感が強い。もちろん三者で相違は大きいが、福岡県説では一致。その中の一冊であり、邪馬台国(邪馬一国)に興味を持つ人には必読と考える。特に三国志紹き本を徹底的に解析したのは見事。
2020年10月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
素晴らしい本です。丁寧な調査、深い検討の結果が素人でもよく解かります。
現代中国語を少しかじった素人の私でも古代の文献の文字の読み替えは大変まずいと思います。
中国では「音」が重要で、一は「YI「」でとても臺(TAI)とは間違えません。
国史を編纂する漢字の大家が書き間違えるとは考えない方が妥当。文献の字や数値はまずもって、そのまま受け止めてとことん尊重されるべきです。 中国の学者にも意見を聞いてその時代を示す一次資料を中心に考えることが必須だと思います。
現代中国語を少しかじった素人の私でも古代の文献の文字の読み替えは大変まずいと思います。
中国では「音」が重要で、一は「YI「」でとても臺(TAI)とは間違えません。
国史を編纂する漢字の大家が書き間違えるとは考えない方が妥当。文献の字や数値はまずもって、そのまま受け止めてとことん尊重されるべきです。 中国の学者にも意見を聞いてその時代を示す一次資料を中心に考えることが必須だと思います。
2022年1月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近の邪馬台国研究は考古学研究者が全面に出てくる場合が多い。
筆者の文献資料を丹念に読み解いていく手法は今にして再検されるべきだ。
筆者の文献資料を丹念に読み解いていく手法は今にして再検されるべきだ。
2020年6月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古代史に興味を持ち、また少しでも疑問を持つ方には必読の書です。古田武彦先生の主張をそのまま信じろ、という事を言うつもりは全くないが、この論文的な、それでいてグイグイ引き込んでいく新鮮な見方は、大変素晴らしい。後年、怪しい論に引っかかって晩節を汚した感があるが、だからといって全ての業績が否定されるものでは無いはずだ。今一度、古代の素晴らしき祖国の成り立ちに思いをはせてみるのも面白い。
2019年7月28日に日本でレビュー済み
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わかりやすい文章。
新たな発見をしたような驚きに、一気に読んでしまった
新たな発見をしたような驚きに、一気に読んでしまった
2014年1月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人は誰でも、初めての分野に取り組んだとき、素朴な疑問を抱くものである。
筆者は、「魏志倭人傳」の邪馬壹国が邪馬台国と読み替えられている点に素朴な疑問を抱き、その疑問を愚直に、徹底的に追求して、本書の考察に至っている。
筆者が、本書の考察で辿った道程、本書以降に考察した延々たる道程に関して、毀誉褒貶、論評は多々あるとしても、今日に至るも、関係諸賢において、先に挙げた素朴な疑問を、挙って論理的に究明する動きがないと、素人目にも感じ取れるのは、率直なところ、関係諸賢の努力不足ではないかと思うのである。せめて、疑問を未解決の課題と認知し、広く衆知を募ることは出来ないものなのか。
人は、素朴な疑問を愚直に追求する初心を忘れてはならないと感じる次第である。
本書の見解が公開されて以来幾千秋、筆者含め、多くの権威者が、古希を過ぎ、傘寿、米寿、どころか、白寿に至ろうとする今日、初心の価値は、いや増して昂いように思われる。
どうか、諸賢の評価が定まる以前に、こぞって再考いただきたいと、僭越にも具申する。
誠惶誠恐頓首頓首死罪死罪。
筆者は、「魏志倭人傳」の邪馬壹国が邪馬台国と読み替えられている点に素朴な疑問を抱き、その疑問を愚直に、徹底的に追求して、本書の考察に至っている。
筆者が、本書の考察で辿った道程、本書以降に考察した延々たる道程に関して、毀誉褒貶、論評は多々あるとしても、今日に至るも、関係諸賢において、先に挙げた素朴な疑問を、挙って論理的に究明する動きがないと、素人目にも感じ取れるのは、率直なところ、関係諸賢の努力不足ではないかと思うのである。せめて、疑問を未解決の課題と認知し、広く衆知を募ることは出来ないものなのか。
人は、素朴な疑問を愚直に追求する初心を忘れてはならないと感じる次第である。
本書の見解が公開されて以来幾千秋、筆者含め、多くの権威者が、古希を過ぎ、傘寿、米寿、どころか、白寿に至ろうとする今日、初心の価値は、いや増して昂いように思われる。
どうか、諸賢の評価が定まる以前に、こぞって再考いただきたいと、僭越にも具申する。
誠惶誠恐頓首頓首死罪死罪。
2023年3月18日に日本でレビュー済み
本書の初版は1971年。古田氏主要作の第一弾。発刊以来今日まで、古田説には賛否両論あるが、明快に論断する点が一部の賛同者に強く受けている。まず、12世紀末の版本(紹熙本)にある邪馬壹国の「壹」は、統計的検証の結果として「臺」の誤字ではなく、邪馬壹国のままでよいとする。また、「臺」は至高の文字だから東夷の国名に使用されるはずがない、と断ずる。だが、12世紀という後世の版本内の検証で誤字疑念がないとしても、三国志完成から12世紀までの間に書写誤記が無かったという証明にはならない。また、「臺」は普通に上空に高い建築物を表す字だから、「至高使用」に限定はされない。たとえば銅雀臺がそれだ。邪馬臺の臺は、単に「ヤマト」を音写表記した当て字の一部だから、倭国側が国書に「邪馬臺」と書いて提出すれば、そのまま魏側が採録する可能性は十分ある。更に、隋書が「邪靡堆に都す。魏志のいわゆる邪馬臺なるものなり」と証言している他、歴代中国史書を見ても邪馬壹国は一切引用もなく出現もしない。やはり、邪馬壹国は邪馬臺国の誤記であろう。古田氏の示す行程論では、どこにも記載が無い韓国内陸行を想定する。魏志倭人伝では帯方郡から狗邪韓国までは水行記載のみだ。対馬・壱岐における島内陸行も書かれていない。古田氏は末盧から伊都への行程は、詭弁を弄する。東南陸行五百里というのは、始発方向が東南で、あとは道なりに進行すれば伊都国にたどり着くという意味だと説明し、末盧に比定した唐津市を起点とすると、伊都国に比定した糸島半島の前原が東北方向に当たっていることを無視する。500里もあれば、一本道とは限らない。不彌国から南の邪馬臺国までが、距離ゼロという説明も奇妙だ。不彌国国府と邪馬臺国国府との距離はゼロではあるまい。ゼロであれば、両国府が隣接していることになるから、不彌国国府を独立させる意味がない。「水行十日、陸行一月」が帯方郡~邪馬臺国間の総所要日数という理解は無理だ。その他、異論は多数あるが、いずれにしても邪馬臺国福岡説は成立困難であろう。ただし、改めて各種の考察を喚起した功績は大きく、その意味では☆☆☆☆は妥当である。
2010年6月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「邪馬台国」というと、「卑弥呼」。その国は、どこにあったのかが注目されて、長い論争が続いています。近畿説と九州説に大きく二分されている中、「「邪馬台国」はなかった」という書籍名に驚かされました。
というのも、「邪馬台国」は「邪馬壹国」であり、その場所を中国史書のままに解明しようとのこと。これは、素直な理です。「邪馬台国」の呼称は、時の歴史家が都合に合わせて書き換え、近畿天皇家に結び付けようとしたもの。「邪馬台(ヤマト)」と「大和」・・。確かに後世の歴史家は、天皇家を中心とした歴史観を作り上げてきました。だから、すべての歴史は近畿圏に集中しているような感じがしました。
しかし、この書を読むと、歴史の科学性を感じます。「邪馬壹国」は、魏志倭人伝を客観的に読み説いていけば、場所が特定される・・?倭国時代の政権は、大和政権とは全く別種。これには、興味がそそられます。
というのも、「邪馬台国」は「邪馬壹国」であり、その場所を中国史書のままに解明しようとのこと。これは、素直な理です。「邪馬台国」の呼称は、時の歴史家が都合に合わせて書き換え、近畿天皇家に結び付けようとしたもの。「邪馬台(ヤマト)」と「大和」・・。確かに後世の歴史家は、天皇家を中心とした歴史観を作り上げてきました。だから、すべての歴史は近畿圏に集中しているような感じがしました。
しかし、この書を読むと、歴史の科学性を感じます。「邪馬壹国」は、魏志倭人伝を客観的に読み説いていけば、場所が特定される・・?倭国時代の政権は、大和政権とは全く別種。これには、興味がそそられます。