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〈生政治〉の哲学 単行本 – 2010/3/1

4.6 5つ星のうち4.6 2個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ ミネルヴァ書房 (2010/3/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2010/3/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 359ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 462305702X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4623057023
  • カスタマーレビュー:
    4.6 5つ星のうち4.6 2個の評価

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金森 修
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上位レビュー、対象国: 日本

2011年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 本書は、<生政治/性権力>という概念について、フーコー、アレント、ネグリ、アガンベンらを取り上げ、その意味と射程について考察するものである。

 序章「<生政治>の方へ」では、本書の問題関心と構成について述べる。ここで生政治学は、<自然主義>と<反自然主義>とに分けられ、前者を<パラ・生政治学>として区別する。ここでの自然主義とは、歴史や文化など多様な発現形態の究極的な根拠は自然の論理に基づいているとして、自然科学的知識を思考の規範的準拠、様式と見なす思想を指す。一方、反自然主義とは、自然科学的知識を全否定するものではなく、ただ自然主義を否定する思想を指す。本書は、(反自然主義的)生政治学として、上述の4人に焦点を当てるという。

 第1章「<生政治>の浸潤」では、生政治学の源流としてフーコーとアレントと取り上げる。ここでフーコーの生政治学は、当初の<アルシ・生政治学>とそれを拡大解釈した<広義の生政治学>とに区別される。というのは、最晩年にフーコーの問題関心がシフトするに従い、生政治の定義が当初のものから拡大・拡散したからである。アレントに関しては、『人間の条件』における<労働の肥大>の議論を生政治学として読み替える。

 第2章「<生政治>の展開」では、フーコー以後の<ポスト・生政治学>として、ネグリとアガンベンを取り上げる。ここでネグリ的生権力は、<帝国>を支えるネガティヴなものとして、また、ネグリ的生政治は、<帝国>の内部で抵抗的主体を創造するポジティヴなもとして定義される。しかし、ネグリにとって思想の目的は、概念装置の錬磨や分析にあるのではなく、具体的な運動の展開のための道具とするアクティヴィズムにある。そのため、ネグリにとってマルクス主義が本質的条理であり、彼の生政治学は二次的なのものに過ぎないという。
 アガンベンに関しては、彼の思想を生政治学が本格的に展開された1990年以降と、それ以前の<プレ・生政治学>期とに区分する。そして、アガンベン的生政治学として、第1に、現代における<生命の政治化>の不可避性をゾーエーの現代的様態から照射しようとするそれ、第2に、支配が自明性を持たないが故の自由や偶然の介在する不安定性を前提とした上で、事象間の調和や調整に戦略的な技術を凝らす<統治の生政治学>の含意を明らかにしようとするそれ、という双極的な2つの定義がなされる。

 第3章「<生政治>の現在」では、これまでの議論を踏まえ、<現代の生政治学>の中心的課題として<生命の政治化>の様態とその意味について述べる。ここでは、規律権力/性権力という図式的な二分法を批判しつつ、<パラ・生政治学>を含んだより全体的な現代の生政治学が志向される。そしてその具体例として、臓器移植、死者のいない戦争、ES細胞などを取り上げ、反自然主義の<生政治の哲学>を主張する。

 以下、簡単に批評。
0) 全体として、反自然主義という観点から<生政治/性権力>概念の意味と射程を明らかにするという本書の目的は果たされており、議論も説得的である。特に、第3章で取りあげられている様々な<現代の生政治学>の具体例は、概略的にしか議論が展開されていないものの、非常に興味深く思えた。また、本書はフーコー、アレント、ネグリ、アガンベンらの分かりやすい解説としても読め、有益である。
1) 論述の様式について。序章でも触れられているが、「〜は詳述するにはあまりに有名なものだから(省略する)」といった記述が目立つ。それにもかかわらず、本書はそれぞれの思想家について十分丁寧な解説をしており、著者の既知のレベルがどこに設定されているのか不明である。また、著者自身の私的回想・感想が所々に記述されている。注では、これらの記述は著者の学術的判断に比較的無害であると主張している。しかし一般的に、作者の個人的経験・思想的傾向が、その著作を限界づけ、その構成要因となるのは避けられない。著者が学術的判断において道理的たろうとする姿勢は認めるが、「比較的無害」として個人的感想をさしはさむことは、読者に余計な誤解・不信感を生じさせるように思えた。(無論、著作において私的回想を差し挟んではいけないわけではない。本文と注という作品全体の論述様式を問題にしているだけである。)
2) <肉>という概念が何の説明もなく使用されている。<肉>はネグリも使用しているし、確かメルロ=ポンティも論じていたが、本書における<肉>は単なる身体の言い換えなのか、何かしらを含意しているのか不明である。
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