「この本は全てを高山に捧げた青春の書でもある。」
圧巻である表紙の写真に続き、この書き出しから始まる本書は、まさに、青春が誇り、友愛、憧れ、情熱、覚悟から裏打ちされるものだと教えてくれる書だ。
私はサミュエル・ウルマンの『青春』という詩から、節目節目で青春について考えることがあるのだが、本書から、憧れは可能性を思考すること、そして憧れがある限り青春は続くということを教えてもらえる。登山に対する憧れを文学的に表現する才能がある著者が羨ましい。そういった才能はどこから来るのだろうか。
P.60引用
「このように、あこがれから人生の大きな喜びは生まれる。けれどもあこがれは、いつでも抱いていなければならない。私は思い出よりあこがれが好きだ。」
ここは、国際理解教育に熱中し、いったんじっくり考えるために離れている今の自分の現状には大切な一節だ。
また、次の引用も私の教員という仕事にとても親和性の高い一節だ。
P.14引用
「ガイドは自分のために登るのではない。〜略〜仕事を行うに当たって、高山は素晴らしい舞台であり、登ることは、彼にあくことのない喜びを与えるが、なによりも、自分が導いている相手の幸せによって報いられているのだ。どこが実に面白いとか、どこの曲がり角で眺めが急に素晴らしくなるとか、どこの氷の山稜はまるでレース飾りのようだといったことを知っているが、口には出さない。彼の報いは、相手がどれを発見したときの笑顔の中にあるのだから。」
ここの一節は本当にガイドや教育の本質だ。教育やガイドの喜びの根源は、“共有”から生まれ、そして自分ではなく相手の中にある。このメンタリティが、同じ山の同じガイドの繰り返しでも、うんざりする仕事の繰り返しになるどころか、本書のような詩的な表現さえ生み出してしまう。
P.196引用
「この風、寒気、雪は敵ではなく、障害であることを人間は発見する。この力のおかげで、彼は最も大胆なことも、慎重に成し遂げるのだ。」
この一節も好きだ。“敵ではなく障害と考えるから成し遂げられる”、よく覚えておきたい。
レビュファは、頂上を登った偉業や危険を回避したスリルではなく、プロセスの共有から生まれるガイドする喜びを語っている。このように、世界的な山に登った偉業を示すための執筆ではなく、憧れを追求するための執筆は、私の人生に必要なことだと背中を押してもらえた。
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星と嵐 (yama‐kei classics) (yama-kei classics) 単行本 – 2000/4/1
ガストン レビュファ
(著)
ヨーロッパ・アルプスを舞台に、その山岳美とザイル仲間との友情、登攀の喜びを謳いあげた名著。アイガー、グランドジョラス、マッターホルンをはじめとするアルプスの代表的な6つの北壁の登攀を、登山ガイドであり詩人でのあるレビュファならではの筆で綴った登攀行。
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社山と溪谷社
- 発売日2000/4/1
- ISBN-104635047075
- ISBN-13978-4635047074
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登録情報
- 出版社 : 山と溪谷社 (2000/4/1)
- 発売日 : 2000/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 237ページ
- ISBN-10 : 4635047075
- ISBN-13 : 978-4635047074
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,262,015位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,246位登山・ハイキング (本)
- - 7,372位紀行文・旅行記
- - 86,110位歴史・地理 (本)
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2022年5月23日に日本でレビュー済み
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2010年11月26日に日本でレビュー済み
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内容自体は今読むとそれほど大したものではないと思う。
しかし、この表現力は素晴らしい。
星野道夫さんの本を思い出しました。
どんな分野であれ、物事を表現する力というのは必要だ。
もっと言えば、表現力に優れた者はどの分野に進んでも成功するのではないか。
そんなことを考えてしまう本です。
しかし、この表現力は素晴らしい。
星野道夫さんの本を思い出しました。
どんな分野であれ、物事を表現する力というのは必要だ。
もっと言えば、表現力に優れた者はどの分野に進んでも成功するのではないか。
そんなことを考えてしまう本です。
2018年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヨーロッパアルプスの山岳ガイド、ガストン・レビュファの寄稿文です。
登ったことのないアルプスを想像しながら、読ませてもらいました。
実際の現場を歩いた方でないと表現できないような所もあり、山好きには、楽しい本です。
登ったことのないアルプスを想像しながら、読ませてもらいました。
実際の現場を歩いた方でないと表現できないような所もあり、山好きには、楽しい本です。
2017年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いましも一人の男がすっくと立ち上がる。
やや右傾しながら突き立つ鋭い針峰の頂点。
男自身が針峰そのもののようだ。
山岳ドキュメンタリー映画『天と地の間に』
劈頭の一場面である。
二〇〇〇年夏、わたしはスイスへ旅をした。
チューリッヒから南下して、
グリムゼル峠、
フルカ峠、
聖ゴットハルト峠を経由したのち、
エンガディン地方まで足をのばした。
連なるアルプスの高峰を眼前にして、
脳裡にガストン・レビュファの映画がよみがえった。
『天と地の間に』である。
その著書『星と嵐』を持参したことも連想を容易にした。
スイスに向かう長い空の旅のつれづれに、
この小さな本がまたとない伴侶となった。
レビュファは卓越した登山家だったが、
文筆家としても傑出していた。
一行一行の美しさが、
高い尾根を行く登山家の優雅な足取りそのもののようだ。
ある個所は山野草の趣を持った文体とでも言おうか。
山を愛した人の、山から学んだ英知は、
平明闊達な言葉を用いても、ぞんぶんに語り得る。
レビュファはこんなふうに書く人だ。
いまの世の中には、もうわずかのものしか存続していない。
夜はもう存在しない。
寒さも、風も、星も。
すべてが打ち壊されてしまった。
生命のリズムはどこにあるのか?
すべてのものは、あまりにも早く過ぎ去り、騒々しい。
いそいでいる人は路傍の草を知らない。
その色も、香りも、風が愛撫する時の輝きも知らない。
そのとおりだ。毎日毎日、
なんとわれわれはいそいでいることだろう。
なんと急いていることだろう。
山に登るとは、いそぐこと、急くことの反対を意味する。
映画にこういうくだりが描かれる。
古くからの友人にたのまれ、案内役を引き受ける。
うちの甘ったれ坊主に一つおしえてやってくれまいか。
山の素晴らしさを。
若者は内気な性格であまり口をひらかない。
標高と難度が増すにつれ、案内者は見抜く。
若者は芯の強いところがある。
打てば響くような敏活さを秘めている。
夕日に輝く壮麗な岩壁を眺め、
山小屋に泊まる。
翌日、
かれらの行く手に現われるのは、
前日とは打って変わった荒涼たる風景だ。
厳しい面持ちをした巨大な氷河。
まっしろい雪原。
そのあいだに隠れた深いクレバス。
頭上には、吸い込まれそうな蒼穹。
静寂が二人を押し包む。
鋭く尖った稜線を黙々と登ってゆく。
天と地のあいだに二つの点が懸かる。
画面の外からレビュファの言葉が聞こえる。
頂上に立つ若者の気持はどのようであろうか。
ガイドの胸のうちには不安と期待が高まる。
しかし、本人に任せるしかない。
今は沈黙を守ることだ。
彼を導いてやるだけでいいのだ。
私と彼の父親とが歩いた道に。
あとは本人に任せる。
案内を仕事とする者の、これが心がまえである。
『星と嵐』ではこう語られる。
どこの曲がり角で眺めが急に素晴らしくなるか。
どこの氷の山稜がまるでレース飾りのように美しいか。
案内者はそれをおしえたくてうずうずする。
だがあえて沈黙を守る。なぜか。
たんなる気まぐれだろうか。
素晴らしさは案内者だけの特権だろうか。
若者にはもったいなさすぎるのか。
報酬に不満があるのか。
すべてちがう。
案内者は知っているのだ。
彼の報いは、
相手がそれを発見したときの笑顔の中にある。
そうなのだ。案内者のよろこびは、
まざまざと見ることにある。
若者が自ら発見し、
発見の感動がその表情に浮かぶ瞬間を。
天と地を案内する者は知っている。
はやる心を抑えるすべを。
けっして急いてはならないことを。
いそがずに待つすべを。
やや右傾しながら突き立つ鋭い針峰の頂点。
男自身が針峰そのもののようだ。
山岳ドキュメンタリー映画『天と地の間に』
劈頭の一場面である。
二〇〇〇年夏、わたしはスイスへ旅をした。
チューリッヒから南下して、
グリムゼル峠、
フルカ峠、
聖ゴットハルト峠を経由したのち、
エンガディン地方まで足をのばした。
連なるアルプスの高峰を眼前にして、
脳裡にガストン・レビュファの映画がよみがえった。
『天と地の間に』である。
その著書『星と嵐』を持参したことも連想を容易にした。
スイスに向かう長い空の旅のつれづれに、
この小さな本がまたとない伴侶となった。
レビュファは卓越した登山家だったが、
文筆家としても傑出していた。
一行一行の美しさが、
高い尾根を行く登山家の優雅な足取りそのもののようだ。
ある個所は山野草の趣を持った文体とでも言おうか。
山を愛した人の、山から学んだ英知は、
平明闊達な言葉を用いても、ぞんぶんに語り得る。
レビュファはこんなふうに書く人だ。
いまの世の中には、もうわずかのものしか存続していない。
夜はもう存在しない。
寒さも、風も、星も。
すべてが打ち壊されてしまった。
生命のリズムはどこにあるのか?
すべてのものは、あまりにも早く過ぎ去り、騒々しい。
いそいでいる人は路傍の草を知らない。
その色も、香りも、風が愛撫する時の輝きも知らない。
そのとおりだ。毎日毎日、
なんとわれわれはいそいでいることだろう。
なんと急いていることだろう。
山に登るとは、いそぐこと、急くことの反対を意味する。
映画にこういうくだりが描かれる。
古くからの友人にたのまれ、案内役を引き受ける。
うちの甘ったれ坊主に一つおしえてやってくれまいか。
山の素晴らしさを。
若者は内気な性格であまり口をひらかない。
標高と難度が増すにつれ、案内者は見抜く。
若者は芯の強いところがある。
打てば響くような敏活さを秘めている。
夕日に輝く壮麗な岩壁を眺め、
山小屋に泊まる。
翌日、
かれらの行く手に現われるのは、
前日とは打って変わった荒涼たる風景だ。
厳しい面持ちをした巨大な氷河。
まっしろい雪原。
そのあいだに隠れた深いクレバス。
頭上には、吸い込まれそうな蒼穹。
静寂が二人を押し包む。
鋭く尖った稜線を黙々と登ってゆく。
天と地のあいだに二つの点が懸かる。
画面の外からレビュファの言葉が聞こえる。
頂上に立つ若者の気持はどのようであろうか。
ガイドの胸のうちには不安と期待が高まる。
しかし、本人に任せるしかない。
今は沈黙を守ることだ。
彼を導いてやるだけでいいのだ。
私と彼の父親とが歩いた道に。
あとは本人に任せる。
案内を仕事とする者の、これが心がまえである。
『星と嵐』ではこう語られる。
どこの曲がり角で眺めが急に素晴らしくなるか。
どこの氷の山稜がまるでレース飾りのように美しいか。
案内者はそれをおしえたくてうずうずする。
だがあえて沈黙を守る。なぜか。
たんなる気まぐれだろうか。
素晴らしさは案内者だけの特権だろうか。
若者にはもったいなさすぎるのか。
報酬に不満があるのか。
すべてちがう。
案内者は知っているのだ。
彼の報いは、
相手がそれを発見したときの笑顔の中にある。
そうなのだ。案内者のよろこびは、
まざまざと見ることにある。
若者が自ら発見し、
発見の感動がその表情に浮かぶ瞬間を。
天と地を案内する者は知っている。
はやる心を抑えるすべを。
けっして急いてはならないことを。
いそがずに待つすべを。
2019年3月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ここまでのクライミングに到達する人はひと握りの人達であるし、そのためこの本にある感覚を共感できる人も同様であると思う。
それでも一端の登山者として、この作者の言葉と、文章から想起される景色にはどうしようもない焦燥にも近い "あこがれ" を与えてもらいました。
それでも一端の登山者として、この作者の言葉と、文章から想起される景色にはどうしようもない焦燥にも近い "あこがれ" を与えてもらいました。
2011年9月15日に日本でレビュー済み
何と言うことは無く、手に取ったガストン・レビュファ(Gaston Rebuffer)と言う著名なアルピニストの登攀記を読んでいますが、到底及ぶべくも無い別世界が繰り広げられていました。
もしも私達が登るのを止められて、「何故山へ行くのか?」と言う避けられない質問をされたなら、今日の私達は直ぐにこう答えただろう。「僕たちは山に登る為に出来ているんだ」。
本能、岩への愛、テクニック・・私達は何故登るのかと言った疑問には、付き纏われないで登って、全てが幸いしている。
森林限界を越えた岩壁でビバークすること等は、あまりに難行で、想像出来ずにいる程です。
それですので、登攀記と言うより紀行文と読み進めますが、マッターホルン北壁行はその描写力に読み応えがあります。
マッターホルンはその母岩から外皮を脱ぎ去った山、その構造と飛躍ぶりには幾何学的な厳しさがある。他のどこの山より、マッターホルンは理想的な峰で、一度も山を見たことは無い子供達が思い描く山だ。
この山は孤立した峰だけに、その美しさは格別で、周囲には崩れた岩屑の荒れ地、低く身を屈した寝ぼけた様な峰々があるに過ぎない。
北壁? 何と不愉快な登攀、それでいて豪奢な登山であることか!
天に向かってそそり立つピラミッドの頂上で、か弱い人間の私達は、地球が眠りにつく場面に立会い、地球と共に夜に身を委ねる。
28年前に、ゴルナーグラート駅からリッフェル湖駅迄、山下りを1駅間だけ家族4人でしたことを思い出しました。
もしも私達が登るのを止められて、「何故山へ行くのか?」と言う避けられない質問をされたなら、今日の私達は直ぐにこう答えただろう。「僕たちは山に登る為に出来ているんだ」。
本能、岩への愛、テクニック・・私達は何故登るのかと言った疑問には、付き纏われないで登って、全てが幸いしている。
森林限界を越えた岩壁でビバークすること等は、あまりに難行で、想像出来ずにいる程です。
それですので、登攀記と言うより紀行文と読み進めますが、マッターホルン北壁行はその描写力に読み応えがあります。
マッターホルンはその母岩から外皮を脱ぎ去った山、その構造と飛躍ぶりには幾何学的な厳しさがある。他のどこの山より、マッターホルンは理想的な峰で、一度も山を見たことは無い子供達が思い描く山だ。
この山は孤立した峰だけに、その美しさは格別で、周囲には崩れた岩屑の荒れ地、低く身を屈した寝ぼけた様な峰々があるに過ぎない。
北壁? 何と不愉快な登攀、それでいて豪奢な登山であることか!
天に向かってそそり立つピラミッドの頂上で、か弱い人間の私達は、地球が眠りにつく場面に立会い、地球と共に夜に身を委ねる。
28年前に、ゴルナーグラート駅からリッフェル湖駅迄、山下りを1駅間だけ家族4人でしたことを思い出しました。
2019年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
翻訳がスマホのアプリのような直訳で面白みに欠ける。
2019年9月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
思い出より、あこがれが大事。次の夢につながるから。
なんて清々しい!
なんて清々しい!