山鹿素行概論のような一冊.
主として伝記.
そして思想の梗概をざっと紹介.
この手の伝記では,対象となっている人物に心酔してしまっているかのような書き手も散見されるが,本書の著者はむしろ素行に対して批判的.
どうやら,素行が幕府に対して現状肯定的な面が気に入らない御様子.
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・自分の分を守り,自己の分に安んじて,分相応の生活を営むべきで,各人の生活をしてそれぞれ一定の標準を越えることを許さぬという分限思想を強調した素行(p.107,193-198)
・「分限思想は階級的秩序の固定した封建社会において,もっとも特徴的に表れるもので,この現状維持・現状肯定の保守思想は,やがて被支配階級にも浸透していくのである」(p.107)
・「この時代の大名が儒者を招聘して治国平天下の道を聞いたのは,儒書から得た知識を実際の政治的経綸として役立たせるよりも,むしろ儒教の教化政治主義の立場から,貴族的教養・趣味の対象として儒学を尊重し,古書・骨董を蒐集するような気持ちで有名な学者を招いたに過ぎず,従って儒者の主観的意図がいかに崇高であったにせよ,主君から見れば家臣の一人である儒者の教えに従おうが従うまいが勝手であり,現実の政治とは無関係に,聖人の道が空回りして説かれたに過ぎないのである」(p.174-175)
・素行は「出世欲に固まった大変な野心家であった」(p.180)
・「素行の士道論は,江戸という都会に住み,表面はともかく,内心ではソロバンをはじき損得を見て行動する浪人の,儒教倫理によって粉飾された主従の道を説いているのである」(p.198)
・「農村から離れ,消費者として都市に居住するようになった近世武士は,武の方面以外に新しい社会的任務を発見し,農工商を支配し指導すべき階級としての新たな規範を,即ち平和な社会に適応する武士道徳を創作しなければならなかった」(p.200)
・「一般的武士は,かかる道徳的責務を負っているとは考えなかったので,素行の士道論が忠実に守られるはずはなかった」(p.203-204)
・「武士の貧困化と農村の窮乏とに対する素行の観察は,あまりに皮相的であり,彼の説く民政・治教・治礼・国用も,現実の政治経済問題の具体的・根本的解決策としては役に立たぬものであって,中国や日本の書物の中から過去の事例を引き合いに出すだけで,現実の社会状態そのものを科学的に調査・分析しようとせぬ点においては,彼が『聖人の罪人』と罵った当時の朱子学者や陽明学者と殆ど選ぶところがなかった」(p.209-210)
…と,かように著者は素行その他の当時の儒者に対して手厳しい.
特に素行の士道論については,p.324-341にわたる長い批判を掲載.
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また,江戸時代の兵学について,著者は机上の学問化を指摘.
・軍法は単に戦争の技術学ではなく,士の職分を全うするの法であり,国家護持の作法,天下の大道であるとした北条氏長(p.70-72)
・兵法をして宇宙の哲理を究める学問にまで飛躍せしめた『士鑑用法』(p.71)
飛躍が過ぎるような気がするのだが.
・「平和な日常生活において,戦争を予想しつつ,観念的に論議・研究される兵学は,末梢的な戦争技術学に陥るか,あるいは広い意味の政治学へと発展して,封建領主のためには治政の方策を説き,一般武士のためには平和な社会に処する道を教える机の上の学問となって,実戦的意義を失った」
「後世の兵学で語られる戦争と,戦国の武将が実際に行った戦争とは,全く別物であった」(p.96-99)
まあ,そうなっても何ら不自然ではない話.
・「クラウゼヴィッツが『戦争論』において,
『戦争に必要な知識は甚だ単純であるが,然しその習得は必ずしも容易ではない』
『将帥たる者は博学な歴史家たるを要せず,また論客たることを要しない.
彼に必要なことは,国政の大体に親しみ,伝統的な諸方向・互いに交錯する諸々の利害関係・当面の諸問題・現在の諸人物を知り,之を正しく吟味するにある』
と述べている如く,名将たるの資格は傭兵の能力を有する事,戦争遂行に直接関係ある・少数の要綱に圧縮される・簡単な知識と技能を有すれば足る.
戦国の武将は,戦闘術を学問知識として書籍から学んだのではなく,能力として戦場における経験を通じて獲得していったのである」(p.97)
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ところで素行は神道も論じているのだが,当方が見るに,どうにもトンデモ臭.
・神道は中国の聖人が説いた治国平天下の道であって,儒教と同等であるとする素行(p.241)
・日本と中国とを人物・水土によって比較すると,日本が優れており,日本こそ万邦に冠絶する国であると結論する素行(p.241)
・朝鮮について「其の国亡ぶること二度,姓を易(か)ふること四度也.其の俗甚だ陋隘(ろうあい)にして尤も釈氏を信じ,王の子弟必ず僧となる.鬼神・巫史を信じて聖教をしらず」と評する素行(p.241)
・「四海広しといへども,本朝に比すべき水土あらず.大唐といへども,本朝のごとく全きことあらざる也」との信念を抱く素行(p.242)
その他諸々の「日本優秀」論(p.241-249)が,どうにも胡散臭すぎる.
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素行の尊皇論は,幕末のそれとは異なり,反幕府的なものでは全然なかった(p.252-255)という点にも注目;
・「当時一般に徳川幕府は朝廷の委任によって天下の政を行っていると考えられていたので,朝廷を尊崇することは,同時に朝廷の委任を受けて政治を行う幕府を尊崇することになるのであった」(p.252-253)
・「武統の根源を皇統に求め,武家政治を合理化するための尊王を説いているのであって,反幕府的,武家政治否認の傾向は全然ない」(p.253-254)
・「実学の立場から時務の論によって王政復古を無用と説き,武家政治を是認しているのであって,ここにおいてか彼が『中朝事実』において日本は中国より優れたりと言い,万世一系の皇統を讃えたのも,実は武家政治を合理化するためのものであったことは明らかであり,後世の尊王討幕論と同一視すべきではない」(p.254-255)
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さらに,本書では赤穂浪士と素行との関係について,特に1節設けている(p.268-278)が,著者によれば,両者に関係は皆無だという.
著者は当時の文書類を提示し,通説は殆ど全て作り話とし,
「要するに素行は,赤穂藩士に対して若干の感化は与えたであろうが,その感化を過大視して,復讐事件の原動力であるとする通説に反対したのである」(p.277)
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その他:
・「徂徠学については崇外卑屈の念甚だしく,名分に反するものとして,国体論者の陣営より攻撃されているが,
『徂徠に対する非難は,外国の優秀なる文化を尊崇して,これを学ばんとしたことを,直ちに以て自国の政治的尊厳を無視し,冒瀆するものと混同曲解したことに基くものが少なくない.
日本を東夷と称することは道の上の問題であって,仏教徒が自国を穢土と呼ぶのと大差なく,決して政治的な観点から云はれているのではない』」とする著者(p.80)
・「戦国の武士道とは,貝原益軒によれば,
『日本の武士道は儒者のごとく仁義忠信の道を用ふべからず.
偽りたばからざれば勝利は得難し』
『兵は詭道なり.
時の勢によりては,わが身方(みかた)に対してもいつはりの表裏を行い,人の功をうばひ,あるいは国を乱して逆にしてとるも,兵術においては害なし.
是,日本の武士道なり』
というべきものであって,従って『甲陽軍鑑』や『葉隠』において自覚された武士道と,素行の説く士道とは別物である」(p.150)
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参考書一覧(p.360-361)は,次の進むべき読書の大きな手掛かりに.
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概して素行がかなりアレなことがよく分かるので,一読されたし.
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山鹿素行 (人物叢書 新装版) 単行本 – 1987/3/1
堀 勇雄
(著)
- 本の長さ361ページ
- 言語日本語
- 出版社吉川弘文館
- 発売日1987/3/1
- ISBN-104642050736
- ISBN-13978-4642050739
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登録情報
- 出版社 : 吉川弘文館 (1987/3/1)
- 発売日 : 1987/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 361ページ
- ISBN-10 : 4642050736
- ISBN-13 : 978-4642050739
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