函館の開港前後の歴史を知る上で必読の書がタイミングよく上梓された。表紙には開港当時の函館の鳥瞰絵図を配している。
著者は北海道新聞記者伊藤一哉氏(現網走支局長)。氏がモスクワ特派員だった4年間に外交史料館などで発掘した未公開のゴシケビッチ(初代箱館領事)書簡などから得られた知見をまとめたものだ。
函館における外国の中でもロシアは特異なポジションを占める。ハリストス正教会、ロシア極東国際総合大学函館校、ロシア領事館など、現在も活動中の施設、さらにはロシア人墓地、旧領事館などの遺跡も多い。最近は極東大の中に日本で最初のロシアセンター(ロシア情報の発信)が開設された。旧領事館建物の修復・再利用の計画も進んでいる。
それにしても、なぜ幕末の開港条約の下で、他の4か国(米・英・蘭・仏)が横浜に領事館を設置するなかでロシアのみが箱館に領事館を設置したのか。それは私にとっても、長年の疑問であった。
1858年、開港を翌年に控えたこの年に、初代駐日領事、ゴシケビッチが函館に到着、ロシア領事館を開設してから1873年(明治5年) までの間、函館はロシアが領事館を置く唯一の都市であり続けた。当時の政治の中心であった江戸から遠く離れた箱館に領事館をおいたことで、ロシアは日本の政治上の大変革期に外交的圧力を加えることもなく終わった。ゴシケビッチの名前も幕末の外交史の中では影が薄い。
従来、この箱館のロシア領事館設置の理由として、ロシアの東洋艦隊の寄港地としての函館の地理的条件があげられてきた。しかし この本を読むと、もっと別の理由が浮かび上がってくる。この本の中に出てくる「函館は(江戸に近い横浜と違って)ロシアの宗教的・文化的優位性を発揮するには好適な場所である」という当時のロシア外務省筋での議論がそれだ。実際、ゴシケビッチは赴任にあたり、軍人のみならず、医者、神父ら多数のスタッフを帯同し、着任後も精力的に教会、学校、病院の建設を推進した。それらの努力の跡が今日の函館におけるロシアのプレゼンスには色濃く残されている。
モ スクワから3か月にもおよぶシベリア縦断、そしてウラジオストックからの船旅。そうした過酷な度の先にある僻遠の地での勤務の中で、「生真面目な 官僚」であったゴシケビッチが何を思い、どう行動したか、妻の病気への心配も含め、この書の随所に人間「ゴシケビッチ」の苦悩も伝わる。圧巻は、幕末最大の対外事件ともされる露艦による対馬占領(未遂)事件の際のゴシケビッチの活動。そして、妻を同伴しての外国人として初の陸路の東北縦断だろう。
21日の道新夕刊で、東大教授の保谷氏が、この書を「幕末史の研究者には待望の一書」と賛辞を書いている。決してお世辞ではないと思う。特に函館の開港当時を知る上での貴重な同時代の証言として。
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ロシア人の見た幕末日本 単行本 – 2009/3/1
伊藤 一哉
(著)
- 本の長さ278ページ
- 言語日本語
- 出版社吉川弘文館
- 発売日2009/3/1
- ISBN-104642080201
- ISBN-13978-4642080200
登録情報
- 出版社 : 吉川弘文館 (2009/3/1)
- 発売日 : 2009/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 278ページ
- ISBN-10 : 4642080201
- ISBN-13 : 978-4642080200
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,213,443位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2012年4月21日に日本でレビュー済み
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2010年10月15日に日本でレビュー済み
函館にいるロシア領事ゴシケーヴィチの報告書を中心に、
日本に対するロシアの外交の姿勢を見直すことを試みた本。
函館という土地柄、情報のリアルタイム性に乏しい分だけ緊迫感に欠け、
何よりロシア領事のモチベーションの低さが随所に垣間見られる。
なんとなくゴシケーヴィチの愚痴を延々と聞いている気もし、
極論をいえば、幕末とかそういう時代背景はあまり関係なかった。
資料を勘案した考察も少ないので、見直し作業は不発だったのではないか。
資料としての価値はともかく、本としての評価は低くせざるおえない。
日本に対するロシアの外交の姿勢を見直すことを試みた本。
函館という土地柄、情報のリアルタイム性に乏しい分だけ緊迫感に欠け、
何よりロシア領事のモチベーションの低さが随所に垣間見られる。
なんとなくゴシケーヴィチの愚痴を延々と聞いている気もし、
極論をいえば、幕末とかそういう時代背景はあまり関係なかった。
資料を勘案した考察も少ないので、見直し作業は不発だったのではないか。
資料としての価値はともかく、本としての評価は低くせざるおえない。
2010年8月4日に日本でレビュー済み
1854年、日米和親条約で下田、箱館が食糧、水、薪を与えるために開港された。その後1858に日米修好通商条約始め安政の五カ国条約が結ばれ通商が始まる。夜景の美しい箱館、幕末そこにはいくつか国から領事館が置かれた。米英仏などは江戸から遠くないところに総領事などを置いた上に、箱館に領事館を置いたが、ロシアは箱館にのみ領事館を置いた。19世紀のロシアでは国力にも差があったのだろう。
ロシア初代領事はゴシケーヴィッチ、白ロシア出身の外交官、ランクは6等文官(海軍少佐が8等、大尉が9等に相当)で1858.10から1865・2まで在箱。ロシアの外交は外務省と海軍の二元外交だった。外務省は友好的、海軍は強圧的姿勢をとった。また、領事館職員やロシア軍艦の乗組員が厄介事を引き起こしたり、領事館財政が苦しかったり、領事館付き海軍武官が領事の指示に従わなかったりで苦労した。箱館奉行との折衝などが大事な仕事。自己の業績報告を本国外務省報告に怠りなくやったのだが、ロシア領事は、英、仏の外交が日本に与える影響力の前で次第にかすみ、妻も箱館で亡くし、失意の中で帰国を申し出る。
それでも、この友好を旨としたロシア領事は、箱館に造船術、カメラ撮影、医療技術を残した。
函館には親近感があります。レトロな街で、造船、漁業の衰退、観光の駆け足化でちょっと寂しいのですが、北海道とはいっても気候は温帯に属し、雪もすくなく良い街です。合併以前の函館より随分広域化しましたが観光、農水産業以外にも産業を興し・誘致し活性化することを期待しています。松前も懐かしいですね。
ロシア初代領事はゴシケーヴィッチ、白ロシア出身の外交官、ランクは6等文官(海軍少佐が8等、大尉が9等に相当)で1858.10から1865・2まで在箱。ロシアの外交は外務省と海軍の二元外交だった。外務省は友好的、海軍は強圧的姿勢をとった。また、領事館職員やロシア軍艦の乗組員が厄介事を引き起こしたり、領事館財政が苦しかったり、領事館付き海軍武官が領事の指示に従わなかったりで苦労した。箱館奉行との折衝などが大事な仕事。自己の業績報告を本国外務省報告に怠りなくやったのだが、ロシア領事は、英、仏の外交が日本に与える影響力の前で次第にかすみ、妻も箱館で亡くし、失意の中で帰国を申し出る。
それでも、この友好を旨としたロシア領事は、箱館に造船術、カメラ撮影、医療技術を残した。
函館には親近感があります。レトロな街で、造船、漁業の衰退、観光の駆け足化でちょっと寂しいのですが、北海道とはいっても気候は温帯に属し、雪もすくなく良い街です。合併以前の函館より随分広域化しましたが観光、農水産業以外にも産業を興し・誘致し活性化することを期待しています。松前も懐かしいですね。