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木橋 ハードカバー – 1984/7/1
永山 則夫
(著)
- 本の長さ275ページ
- 言語日本語
- 出版社立風書房
- 発売日1984/7/1
- ISBN-104651660304
- ISBN-13978-4651660301
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登録情報
- 出版社 : 立風書房 (1984/7/1)
- 発売日 : 1984/7/1
- 言語 : 日本語
- ハードカバー : 275ページ
- ISBN-10 : 4651660304
- ISBN-13 : 978-4651660301
- Amazon 売れ筋ランキング: - 573,838位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 13,238位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年1月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
時代背景が同世代なので懐かしい感じで読みました
著者が特殊な人ということを念頭に読んでみました。
幼い頃から抑圧され虐げられて育った様子が描かれていた。
でも、悪党ばかり育つわけではないでしょうし偉人と呼ばれる人は生まれるし、生まれ育った環境のせいばかりにはできない気はしました。
なかなか難しいでしょうけど。
著者が特殊な人ということを念頭に読んでみました。
幼い頃から抑圧され虐げられて育った様子が描かれていた。
でも、悪党ばかり育つわけではないでしょうし偉人と呼ばれる人は生まれるし、生まれ育った環境のせいばかりにはできない気はしました。
なかなか難しいでしょうけど。
2013年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
永山則夫を知る為にはどの著書を読んだら良いか,という問題で,とても全部は読めないなら
これが良いと思います。 誰にも愛されず,親や兄弟にも暴力を受け、罵られるだけ。
社会に出てもただの労働力としてしか見られない。
働いたぶんの給料さえ貰えないで泣き寝入りせざるを得ないこともある、
死ぬしか無いと思い詰め、ちょっと身体を休めようと浜で寝ていても襟首を掴まれ放り出される。
いったいこれでどんな人間になれるというのでしょうか。
やった事は悪い,それは当たり前です。だけど、では彼を悪人だと上から断罪する私たちが彼と同じ環境に
置かれたら,それでも聖人君子の一生を終える事が出来たのか?わたしたちは恵まれた環境のお陰で犯罪もやらずに
自分を善人だと信じて生きている,それは本当に、私たちの真実の姿なのでしょうか?
私の姉は,家は貧乏だったがそれでも親が無理をしてちょっと立派な中学・高校に行く事が出来ました。
姉が学校に行っている正にその時期に,永山則夫は浮浪者として、その立派な学校の近くを
ふらついていたのです。 姉は恵まれている事の後ろめたさを口にしていました。
それは、わたしも同じ事です。世の中を変えなかったら必ずまた永山則夫のような人は出てくるし犠牲者も出ます。
この本は,美味しい物を沢山食べてゲームに夢中になっている子供たちにも読ませたいと思います。
これが良いと思います。 誰にも愛されず,親や兄弟にも暴力を受け、罵られるだけ。
社会に出てもただの労働力としてしか見られない。
働いたぶんの給料さえ貰えないで泣き寝入りせざるを得ないこともある、
死ぬしか無いと思い詰め、ちょっと身体を休めようと浜で寝ていても襟首を掴まれ放り出される。
いったいこれでどんな人間になれるというのでしょうか。
やった事は悪い,それは当たり前です。だけど、では彼を悪人だと上から断罪する私たちが彼と同じ環境に
置かれたら,それでも聖人君子の一生を終える事が出来たのか?わたしたちは恵まれた環境のお陰で犯罪もやらずに
自分を善人だと信じて生きている,それは本当に、私たちの真実の姿なのでしょうか?
私の姉は,家は貧乏だったがそれでも親が無理をしてちょっと立派な中学・高校に行く事が出来ました。
姉が学校に行っている正にその時期に,永山則夫は浮浪者として、その立派な学校の近くを
ふらついていたのです。 姉は恵まれている事の後ろめたさを口にしていました。
それは、わたしも同じ事です。世の中を変えなかったら必ずまた永山則夫のような人は出てくるし犠牲者も出ます。
この本は,美味しい物を沢山食べてゲームに夢中になっている子供たちにも読ませたいと思います。
2016年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自身の記憶や体験を出版できるのは大概成功者と呼ばれる人たちであるが、殺人を犯し死刑を宣告された著者の声は、成功者のそれとは違った価値を持つものに感じられた。
現在の我が国の刑事司法に対する世論は処罰感情に傾くばかりで、罪を犯した者が何かを「表現」した瞬間、インターネット上で声高な非難の声が飛び交うが、真に国全体の犯罪率を下げ、すなわち犯罪被害者を一人でも減らすためには浅薄な糾弾の声よりも、犯罪者の「表現」に耳を傾けることも必要ではないだろうか。
なお決して読みやすくも、表現力豊かでもない文体であるためレビュー点数は抑え目とした。
現在の我が国の刑事司法に対する世論は処罰感情に傾くばかりで、罪を犯した者が何かを「表現」した瞬間、インターネット上で声高な非難の声が飛び交うが、真に国全体の犯罪率を下げ、すなわち犯罪被害者を一人でも減らすためには浅薄な糾弾の声よりも、犯罪者の「表現」に耳を傾けることも必要ではないだろうか。
なお決して読みやすくも、表現力豊かでもない文体であるためレビュー点数は抑え目とした。
2017年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
虚飾やレトリックを凝らした文学は腐るほどあるだろうね。永山氏による著作は、氏の背後から生まれる圧倒的な、それは土から染み出した原油のような、無垢な魂の、それも深く肉を抉り取られたような堪え難く永続する痛みを伴って、人間の剥き出しの精神とが絡み合いながら、揺らめく小さな灯火のように、読者の心の暗部を照らし出す。読後、私は今こうして生きていることを噛み締める。誰もが傷つき、また他者を傷付けて生きることは避けられない。これは人間の性と言えましょう。それ故に、読者は彼の一部と容易に重なり、と同時に今自分が生きて在ることに向き合わざるを得ない。そうして、今こうして眼前に広がる世界の様相と自我との関わりに見る歪みや不安な揺らめき、或いは拭い去ることのできない過去の過ちや他者への疑念と恐れ。忘れ得ない憎しみ、怒りといった負の経験を揺り動かされる時、永山と私とが何ら変わらない一人の人間であるという明確な共感を呼び覚ます。それは感動的な体験でさえある。人生とは平等ではない。様々な境遇の中で人は生まれ落ち、そして生きねばならないのだ。けれども社会がひとつ屋根の下にある家だとするなら、私たち兄弟家族は、過酷な境遇にある個人も含め、この家族一人一人(国民)をどうして守っていけるだろうか?ここに確固とした国民としての責任が問われていることは間違いない。私はマルクス主義という幻想を信じない。彼らは社会に責任を負うのではなく、社会に責任を追及するだけで、ただひたすら己の信仰するイデオロギーという魔物の為に、ロマンティシズム?の為に凡ゆる既成の解体を渇望する。
永山さんの存在そのものが社会への普遍的な問い掛けとなり、激しい論争を巻き起こした。氏を作家協会員として受諾するか否かの論争だ。そんなくだらない何とかの会などに入れる入れないは、インテリ達の御託宣に過ぎず、ガヤがどうまくしたてようと氏の作品は純粋に文学として存立しているのだから、今となればさしたる意味はないのだろう。それとも作家協会員でなければ彼の著作が文学として認められないとでもいうのだろうか?だが当初入会申入れをしたのは永山さんご本人であったのだが。その永山さんの真相は名誉というよりも、この社会の一員として自己を存在させたいという切実な願いであったのだろう。
こうした物議を巻き起こすほど、永山則夫氏その人は、文学者ばかりではない、社会の凡ゆる階層の価値観に向かって巨きな問いを投げかける結果となった。無垢で純粋な人間の魂を裁くことは誰にも出来ない。ただ法と暴力だけが、その肉体を葬り去ることが出来るのだろう。
読み継がれて欲しい。そして、読み継がれていくだろう。「テストで一番の子供がビリの子を助ける塾」のような、かつて永山則夫さんが夢みたような社会を実現する為に。私も一教師として努力していきたい。
永山さんの存在そのものが社会への普遍的な問い掛けとなり、激しい論争を巻き起こした。氏を作家協会員として受諾するか否かの論争だ。そんなくだらない何とかの会などに入れる入れないは、インテリ達の御託宣に過ぎず、ガヤがどうまくしたてようと氏の作品は純粋に文学として存立しているのだから、今となればさしたる意味はないのだろう。それとも作家協会員でなければ彼の著作が文学として認められないとでもいうのだろうか?だが当初入会申入れをしたのは永山さんご本人であったのだが。その永山さんの真相は名誉というよりも、この社会の一員として自己を存在させたいという切実な願いであったのだろう。
こうした物議を巻き起こすほど、永山則夫氏その人は、文学者ばかりではない、社会の凡ゆる階層の価値観に向かって巨きな問いを投げかける結果となった。無垢で純粋な人間の魂を裁くことは誰にも出来ない。ただ法と暴力だけが、その肉体を葬り去ることが出来るのだろう。
読み継がれて欲しい。そして、読み継がれていくだろう。「テストで一番の子供がビリの子を助ける塾」のような、かつて永山則夫さんが夢みたような社会を実現する為に。私も一教師として努力していきたい。
2016年7月31日に日本でレビュー済み
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古い本とは思えない、良い状態で届きました。注文から2日後にはとうちゃくし、欲しがっていた母が凄く喜びました。ありがとうございました
2020年10月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
客観と主観の間で揺れ動きつつ冷静な少年の目から見た、社会・外界が迫ってくるようでした。
説得力にただただ、圧倒されました。
説得力にただただ、圧倒されました。
2015年6月23日に日本でレビュー済み
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私が大学を卒業し、就職が決まった会社の合宿を控えた1969年3月、久しぶりに歌舞伎町のジャズ喫茶に入り、学生時代が終わっていく感慨にふけっていたとき、私にコーヒーを運んできた新顔のボーイが彼でした。痩せてはいるが、白いシャツ越しにも山岳部員のように屈強な背中が窺われました。雰囲気は、当時私がよく観に行っていた劇団天井桟敷の主宰者と少し似ていると思いました(殺人者なんかと並べて申し訳ないのですが)。翌月、明治通りで4連続銃殺魔が捕まりました。未成年ですから顔写真は発表されなかったのですが、なんとなく、あのボーイを連想していました。彼には1997年に死刑が執行されました。その後も少年による殺人事件のたびに彼の名前を聞くことがあり、そのたびにあのボーイを思い出すのでした。数年前でしょうか、ネットのブログに彼の顔が出ていました。驚きはありませんでした。
この小説は、番外地に生まれ育った悲惨な生活に、人間が生きる最低限の条件というものが透けて見える感じがします。そこに普遍性が感じられるため、生きてきた環境にほとんど共通点がない私にも、「自分も彼のようになったかもしれない」と錯覚させるものがあります。しかし今は3歳下の彼を、同時代を生きた隣人として、懐かしく思い出すのみです。
この小説は、番外地に生まれ育った悲惨な生活に、人間が生きる最低限の条件というものが透けて見える感じがします。そこに普遍性が感じられるため、生きてきた環境にほとんど共通点がない私にも、「自分も彼のようになったかもしれない」と錯覚させるものがあります。しかし今は3歳下の彼を、同時代を生きた隣人として、懐かしく思い出すのみです。