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不登校、選んだわけじゃないんだぜ! (よりみちパン!セ) 単行本 – 2005/1/20

3.7 5つ星のうち3.7 12個の評価

この商品には新版があります:

「不登校は病気じゃない、自分で選んだんだ。」そう言った瞬間にこぼれ落ちていく本当の気持ちと背負わされていく責任、見えなくなる現実。もと小学校不登校者である若き研究者と、もと明るい不登校エリートがリアルなことばをさぐる。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 理論社 (2005/1/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/1/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 192ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4652078072
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4652078075
  • カスタマーレビュー:
    3.7 5つ星のうち3.7 12個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2023年11月23日に日本でレビュー済み
そちらに詳しいレビュー書きたい。しかし、増補部分は特に不要です。長い不登校を経て東京大学へ行った著者と、東京シューレへ入ってた著者の文章が混在する形で続いて行きます。2005年出版、時代背景は不登校という選択を認めてほしい、定着してきた時期の当事者によるカウンターカルチャー風で、ふりがな付き、子供も対象としている。
2013年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
だれも選んで不登校じゃない。選んだっていう子も無理してる。学校の問題だと思う。
全国の不登校関係者、悩んでる人におすすめ。
2011年9月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小学校2年から卒業までほとんど学校に行かなかったにも関わらず、私立の中学受験で受かりやすいように内申書の欠席日数を一ヶ月3,4日に書き換えてもらったり、成績の評価水増ししてもらったっり、学校の応援に恵まれていた人です。
いいなと思うと同時に、不公平だと思いました。
ほとんどの不登校児はこんな配慮はしてもらえません。
同じ公立小学校でありながら、救われる子供と救われない子供がいるのは、発言力のある親の子供だけが救われる学校のシステムがあるのだと思います。
親が何もしてくれない家庭の子供は、彼女のようにはなれないと思います。
学校側が悪いわけでも、いじめで行かなくなったわけでもなく、どうして行かなくなったか本人にもよく分からないようなことが書かれています。
読んでいるほうも、結局筆者が何を言いたいのかよく分かりません。
20人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルに惹かれ読んでみました。
筆者は不登校経験者。
いまなお、もやもやした、すっきりとしない、
言葉にするけど、言葉にするとどうもおもいと違うような気がする・・・。

読んでいるわたしもすっきりしなかったですが、
筆者が今まで感じてきたことを丁寧に振り返って(時にはぶっきらぼうに)
綴っているところに共感をおぼえました。
実体の見えない社会(世間?)の目との闘いだな、という感想です。
(多かれ少なかれ、誰しも世間の目と闘っているのかもしれませんが・・・)
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年3月10日に日本でレビュー済み
どんな問題でも、当事者の言葉に耳を傾けることなしには本当の始まりはありません。これは、不登校の当事者であった二人から届けられたメッセージです。「学校に行かない子どもに、『どうして学校に行かないのか』と聞くのは『暴力』だ」。言われてみればその通りなのですが、気にもとめず口に出してしまいそう。それが「暴力」なのは、質問する側が「どうして学校に行ったのか?」と自らに問わないからです。
 貴戸さんは、子どもの頃、学校に行けなかったのではなく「行かない人生を選び取ったんだ」という物語を生きていた自分を振り返ります。そう思わないと自分の居場所がなかったからなのですが、一つのイメージに自ら合わせてしまうことへの違和感がありました。それでは何も進まない、見えてこない。つまり、「『個性豊かな不登校児』なんて、わかりやすいけどリアルじゃない」のです。これは当事者であったからこそ伝えられるメッセージ。
「子どもの側から見た不登校論が必要だ」。同感です。「子ども」ではなく「子どもの側」。貴戸さんも「子ども」に関しては、もはや当事者ではありません。そのことを自覚した上で、どんな言葉を見つけていくのか。次のメッセージが待たれます。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年10月13日に日本でレビュー済み
久しぶりに読んでいてムカつく本に出会った。著者は27歳。ケーオー大生からトーキョー大学の院生になったようだ。不登校体験について「理解はするな、ムカつくから。ありのままを認めろ」と言ってるだけ。論じている2人の中味は下らな過ぎる。お金持ちの子弟による小さい世界で小さい反抗、薄っぺらくて何も共感できない。まったくどうでもいい。勝手にしてくれ。ただ本は出すな!読まされた人間が被害者になる。この本を読んで、当の登校拒否児たちの中に救われる者がいるのか?、極めて疑問だ。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年5月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
に、第一章、二章は書かれていたので、何ともモヤモヤした気持ちになりつつも読んでいました。何にしても「あまえんな!」と言いたくなる内容です。
しかし、最後に向かうにつれて、問題は抽象化されていき、不登校以外にも当てはめられるような考えが出てきて、「最初は、わざと挑発的に書いてあったのでは」と感じました。
頭を冷やして読んでみると、結構楽しめるし、考えることもできる本なので私は好きです。

1章、2章の親をないがしろにしているシーンとかも我慢して(笑)、読んでみてください。
2009年8月31日に日本でレビュー済み
恵まれた人だな。

それがわたしの正直な感想だ。両親は不登校になった娘を受け入れる。とくに母親は、彼女のために再就職先をやめ、夜中に揺り起こされれば抱きしめて「あんたはいい子だ」とあやしてくれる。中学校に行く気になれば、少しでも有利になるよう学校に徹底的に交渉し、大学卒業後も安定した就職先をやめて大学院に進めば応援してくれる。学費を出し、養ってくれてもいる。

頭もいい。親の買ってきた算数のドリルをやっていただけで、中学に進んでも「満点」を取って体罰を与えた教師に見栄を切るだけの知性を備えている。AO入試で「あっさり」一流大学に入り、日本で一番難しいといわれている大学の大学院にもすんなり合格できる。学者だって、このご時世、なかなか身を立てるのは難しかろうが、「元・不登校児」という特殊性をもって、院生にしてすでに、数冊の本を出している。これからも、その立場を「売り」に、「専門」にしていくのだろう。

環境。生れながらの知能。それは、与えられたものだ。著者は、学校に行けるなら、そのほうが楽に決まっている、と言う。どんなにがんばっても、満点をとれない人も? 先生の暴力に対抗する武器を持たない子どもも?
しかも、彼女は、多くの元不登校児が直面するかもしれない、社会の冷たさとも、不利な立場にも、無縁だ。勉強さえできれば認められる社会は、そう、ない。大学院がどんなところかといえば「不登校児の生活だよ」と彼女自ら認めている。 

彼女は言う。わかったつもりになられると、腹が立つ、と。理解しないでほしい、一般化もしないでほしい、と。では、彼女はわかっているのか。彼女は何の「当事者」なのだろうか。不登校児の? 登校児の? 一人ひとりが特別、というのなら、そもそも、学問する意味もないだろうに。

そう、これは、学問ではないのだ。特別頭がよく、特別恵まれた子どもだった学者の卵が、特殊な経験を生かして、とっても恵まれた居場所から書いた、自叙伝。つぶやき。知的マスターベーション。

ふーん、とは思った。面白い人生だな、とも。なので、そこを評価して、★二つ。
40人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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