ユーゴスラビアという連合国家が、サッカーで強かったが、その後、個々の国に分裂していく際に、さまざまな戦争を伴った。サッカーとオシムの世代がうけた分裂に伴う影響を知ることができる。
日本が国際的な立場を立てるようにするには理解し、乗り越えていく多くのことのうちの一つを示しているように感じた。
具体的に何をすればいいのではなく、国際社会でどう考えればよいかが分かる材料がある。
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オシムからの旅 (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ 51) 単行本 – 2010/2/25
木村 元彦
(著)
大ベストセラー『オシムの言葉』の著者が、満を持してすべてのスポーツファンに贈ります! 2007年、脳梗塞により倒れるも、奇跡の復活を果たしたイビツァ・オシム。来るべき本年6月のワールド・カップでは、「スカパー!」のコメンテーターをつとめることも決定。全世界のサポーターやサッカー・ファンたちは、当たり前のように、自国のチームを、あるいはそれぞれのごひいきのチームを、選手を応援するでしょう。けれども、オシムや、かのストイコビッチの祖国、ユーゴスラビアでは、そんな当たり前の自由が奪われていたのです。サッカーを通して「民族融和」を痛切に願ったオシムとストイコビッチ。このふたりの軌跡と、彼らが翻弄された、複雑きわまりない「民族紛争」の歴史とその背景について、そして、遠いように思えるかの国の問題と私たちの足もとの問題とのつながりを、「よりみちパン!セ」ならではの、だれにでもわかりやすい構成でおおくりします。オシムとストイコビッチにもっとも近い日本人である書き手が、あらんかぎりの愛と情熱を込めて描く、すべてのスポーツファンに捧ぐ、決定版としての、衝撃の1冊! アンチ・スポーツファンにも、絶対におすすめです!
- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社理論社
- 発売日2010/2/25
- ISBN-104652078501
- ISBN-13978-4652078501
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登録情報
- 出版社 : 理論社 (2010/2/25)
- 発売日 : 2010/2/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 200ページ
- ISBN-10 : 4652078501
- ISBN-13 : 978-4652078501
- Amazon 売れ筋ランキング: - 861,378位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 125,875位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年4月14日に日本でレビュー済み
2014年1月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
子ども向けに編集された、オシムさんの本です。
なので、漢字に振り仮名がふってあるのが難点でした。
なので、漢字に振り仮名がふってあるのが難点でした。
2010年5月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サッカーとユーゴスラビア紛争から民族主義に否定的な姿勢を示しているのは良いのだが、最後の在日差別問題の章では逆に少数の被差別側だからと民族主義的な考えに理解を示しているのは矛盾しているのではないだろうか。
中学生向けらしく文字が大きい。内容もユーゴスラビア紛争、サッカー、在日差別とすべての話題が中途半端な印象だった。まあ、入門書かなという内容。読み応えはないです。
中学生向けらしく文字が大きい。内容もユーゴスラビア紛争、サッカー、在日差別とすべての話題が中途半端な印象だった。まあ、入門書かなという内容。読み応えはないです。
2010年3月21日に日本でレビュー済み
フクアリで警備員をしている。応援するチームはもちろん、ジェフ!
この本の著者、木村元彦さんには複雑な思いがある。オシムさんを俺たちから奪うのに一役買った人だからだ。
あの人を代表監督に選んだ協会の強引なやり方を批判したのは知っている。だけど、この人が書いた『オシムの言葉』が就任に大きく作用したのは間違いないのだから。
でも悔しいけれど、あの本には感動した。素晴らしかった。
オシムさんを必死に引き止めようとしたパルチザンのシュワーボコールの場面には心が震えた。
以来、愛読者になってしまった。
この本では『オシムの言葉』などではちょっとわかりづらかった民族問題をわかりやすく説明してくれるのでは、と期待した。
が、やっぱりややこしかった。だけどややこしいことを白か黒かとはっきりさせるのではなく複雑なものは複雑なままに受け止めるほうがいいのだと教えられた。
紛争激化の大きなきっかけとしてサッカーの試合でのサポーター同士の乱闘騒ぎがあったことが記されている。フクアリでは、この前のサガン鳥栖との試合で、ジェフサポはサガンのサポーターを拍手で迎えた。鹿島サポーターに飛び蹴りをされたと話す同僚はいるが、笑い話だ。 他人事。対岸の火事。遠いバルカン半島のできごと。俺はそう思った。
だけど木村さんは、オシムさんの悲劇から、自分も含めた日本民族が過去に行った他民族への悲劇へも目を向ける。 関東大震災の時の朝鮮人虐殺……。そしてそれを防ごうとした人たちのことも。
外国人参政権とか高校無償化政策の朝鮮高校の問題とかが、ここ最近、ニュースに取り上げられてきた。今また民族と民族との関係が問われているのかもしれない。
過ちを繰り返さないためにこの本をたくさんの人に読んでもらいたいと思った。
そしてオシムさんに日本に戻ってきてほしいと思った。
ウィ… ミス…オシム!
この本の著者、木村元彦さんには複雑な思いがある。オシムさんを俺たちから奪うのに一役買った人だからだ。
あの人を代表監督に選んだ協会の強引なやり方を批判したのは知っている。だけど、この人が書いた『オシムの言葉』が就任に大きく作用したのは間違いないのだから。
でも悔しいけれど、あの本には感動した。素晴らしかった。
オシムさんを必死に引き止めようとしたパルチザンのシュワーボコールの場面には心が震えた。
以来、愛読者になってしまった。
この本では『オシムの言葉』などではちょっとわかりづらかった民族問題をわかりやすく説明してくれるのでは、と期待した。
が、やっぱりややこしかった。だけどややこしいことを白か黒かとはっきりさせるのではなく複雑なものは複雑なままに受け止めるほうがいいのだと教えられた。
紛争激化の大きなきっかけとしてサッカーの試合でのサポーター同士の乱闘騒ぎがあったことが記されている。フクアリでは、この前のサガン鳥栖との試合で、ジェフサポはサガンのサポーターを拍手で迎えた。鹿島サポーターに飛び蹴りをされたと話す同僚はいるが、笑い話だ。 他人事。対岸の火事。遠いバルカン半島のできごと。俺はそう思った。
だけど木村さんは、オシムさんの悲劇から、自分も含めた日本民族が過去に行った他民族への悲劇へも目を向ける。 関東大震災の時の朝鮮人虐殺……。そしてそれを防ごうとした人たちのことも。
外国人参政権とか高校無償化政策の朝鮮高校の問題とかが、ここ最近、ニュースに取り上げられてきた。今また民族と民族との関係が問われているのかもしれない。
過ちを繰り返さないためにこの本をたくさんの人に読んでもらいたいと思った。
そしてオシムさんに日本に戻ってきてほしいと思った。
ウィ… ミス…オシム!
2010年9月13日に日本でレビュー済み
「よりみちパン!セ」シリーズの中でも、屈指の名著だと思う。多面的に物事を捉えることを邪魔していた障壁を、こんなに鮮やかに取り除いてくれる本はあまり見ない。その障壁は、わたしにとっては民族とサッカーだった。どうして民族が紛争の種になるのか、そして自分はどうしてサッカーが好きではなかったのか。その理由を推測するのに役立ったし、この2つに対して興味を持つきっかけになった。
異なる文化や歴史を持つ複数の民族が、同じ国の中で暮らすということは、それ自体何ら問題のあることではない。そりゃあ、生活の中で、多少のいざこざはあるかもしれない。でも、少し嫌な思いをするだけで、相手側の民族全体を個人的に嫌悪するには至らないと思う。なぜなら、向こうの民族の中には、嫌な奴だけが存在するわけではないから。好人物に出会うと、また印象も違ってくるだろう。多様な人物との出会いの積み重ねによって、世界中の人々は共存してきのだろうと思う。
では、民族の違いが些細ないざこざにとどまらず、悲劇にまで至ってしまうのはどんな場合なのだろう。たとえばユーゴ紛争のような、20万人もの死者を出す悲劇が。それは、為政者が民族の対立を利用しようとした時なのだそうだ。あるセルビア人は言う。「あの戦争は、異なる文化や文明が対立を起こしたのではない。むしろ対立を守るために、さまざまな違いが利用されたのだ。民族、宗教、文字、そしてサッカー」。
サッカー。森達也の言葉が、そのまま私のサッカー印象と重なっていたので、引用する。
“作家の森達也さんが、『オシムの言葉』を読んだうえで、こんなことを書評に書いてくれたことがある。森さんはそれまで、サッカーと民族主義の関係を見て、あまりサッカーが好きではなかった。ところが、「ぼくは考えをあらためなくてはいけない。サッカーとナショナリズム(民族主義)は本質的な親和性があるのではない、それを利用する輩がいるだけだ」と考えなおしたのだという。”
サッカー自体を忌避するのではなく、「それを利用する輩」を見抜き、懐疑の目を向ける必要があるのだ。私はそれを怠っていたのだな、と大いに反省した。本書はストイコビッチがどのように秀でた選手なのか、オシム監督がどれほど優れた采配をしたのかも併記してあるので、それを通してもサッカーに興味を持つことができる。
「サッカー」「民族問題」。この2つの単語にピンと来ない人にこそ読んでほしい本です。(by ちゅら@<おとなの社会科>)
異なる文化や歴史を持つ複数の民族が、同じ国の中で暮らすということは、それ自体何ら問題のあることではない。そりゃあ、生活の中で、多少のいざこざはあるかもしれない。でも、少し嫌な思いをするだけで、相手側の民族全体を個人的に嫌悪するには至らないと思う。なぜなら、向こうの民族の中には、嫌な奴だけが存在するわけではないから。好人物に出会うと、また印象も違ってくるだろう。多様な人物との出会いの積み重ねによって、世界中の人々は共存してきのだろうと思う。
では、民族の違いが些細ないざこざにとどまらず、悲劇にまで至ってしまうのはどんな場合なのだろう。たとえばユーゴ紛争のような、20万人もの死者を出す悲劇が。それは、為政者が民族の対立を利用しようとした時なのだそうだ。あるセルビア人は言う。「あの戦争は、異なる文化や文明が対立を起こしたのではない。むしろ対立を守るために、さまざまな違いが利用されたのだ。民族、宗教、文字、そしてサッカー」。
サッカー。森達也の言葉が、そのまま私のサッカー印象と重なっていたので、引用する。
“作家の森達也さんが、『オシムの言葉』を読んだうえで、こんなことを書評に書いてくれたことがある。森さんはそれまで、サッカーと民族主義の関係を見て、あまりサッカーが好きではなかった。ところが、「ぼくは考えをあらためなくてはいけない。サッカーとナショナリズム(民族主義)は本質的な親和性があるのではない、それを利用する輩がいるだけだ」と考えなおしたのだという。”
サッカー自体を忌避するのではなく、「それを利用する輩」を見抜き、懐疑の目を向ける必要があるのだ。私はそれを怠っていたのだな、と大いに反省した。本書はストイコビッチがどのように秀でた選手なのか、オシム監督がどれほど優れた采配をしたのかも併記してあるので、それを通してもサッカーに興味を持つことができる。
「サッカー」「民族問題」。この2つの単語にピンと来ない人にこそ読んでほしい本です。(by ちゅら@<おとなの社会科>)
2010年8月20日に日本でレビュー済み
子供でも読みやすいように行間も広くルビがふられている。ほとんどが旧ユーゴスラビアの情勢に関する内容で綴られている。あまりオシム、サッカーを期待して読むとがっかりするないようかもしれないが、歴史を読む本としてはいいかもしれない。
2010年6月26日に日本でレビュー済み
ストイコビッチやオシムなどのビッグネームが活躍した旧ユーゴサッカーを枕にしつつ、
中高生程度の読者を対象に民族問題の複雑さを語る、というのが本書の目的であるようだが、
フリガナがやたらと多くて読みにくい割には、いまどきの中高生が素直に理解できる内容とも思えず、
タイトルにも記したように、狙いどころがやや中途半端ではないかという読後感を持った。
内容のほうも、旧ユーゴサッカーや民族紛争について語った部分(第1・2章)は、
著者の旧著のダイジェストでしかなく、いささかの食い足りなさが残るし、
最後の第3章は、身近に存在するがゆえにかえって語りにくい在日などの問題について、
著者自身が相対的に無知でいたことへの自己批判も込めた、かなり啓蒙的なスタイルを取っているが、
ここでの「スポーツと政治の関係」の取り上げ方は妙に優等生的で、
朝日新聞の出来の悪い記事でも読んでいるような居心地の悪さを覚えた。
また、他のレビュアーも記しているように、「民族」がまずはフィクションであるとしながらも、
抑圧される側は自らの民族意識を高めるべきだ、とする一種のダブルスタンダードは、
割り切り方としてはやや単純過ぎるし、想定読者層に引き摺られた結果、
必要以上に紋切り型の結論に落ち着いてしまっているような印象を受けた。
中高生程度の読者を対象に民族問題の複雑さを語る、というのが本書の目的であるようだが、
フリガナがやたらと多くて読みにくい割には、いまどきの中高生が素直に理解できる内容とも思えず、
タイトルにも記したように、狙いどころがやや中途半端ではないかという読後感を持った。
内容のほうも、旧ユーゴサッカーや民族紛争について語った部分(第1・2章)は、
著者の旧著のダイジェストでしかなく、いささかの食い足りなさが残るし、
最後の第3章は、身近に存在するがゆえにかえって語りにくい在日などの問題について、
著者自身が相対的に無知でいたことへの自己批判も込めた、かなり啓蒙的なスタイルを取っているが、
ここでの「スポーツと政治の関係」の取り上げ方は妙に優等生的で、
朝日新聞の出来の悪い記事でも読んでいるような居心地の悪さを覚えた。
また、他のレビュアーも記しているように、「民族」がまずはフィクションであるとしながらも、
抑圧される側は自らの民族意識を高めるべきだ、とする一種のダブルスタンダードは、
割り切り方としてはやや単純過ぎるし、想定読者層に引き摺られた結果、
必要以上に紋切り型の結論に落ち着いてしまっているような印象を受けた。