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人間の条件 そんなものない (よりみちパン!セ) 単行本 – 2010/8/18
- 本の長さ394ページ
- 言語日本語
- 出版社理論社
- 発売日2010/8/18
- ISBN-104652078552
- ISBN-13978-4652078556
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 理論社; 四六判版 (2010/8/18)
- 発売日 : 2010/8/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 394ページ
- ISBN-10 : 4652078552
- ISBN-13 : 978-4652078556
- Amazon 売れ筋ランキング: - 900,173位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 133,219位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
たていわ・しんや 専攻:社会学 1960年佐渡島生、新潟県立両津高校卒、東京大学文学部社会学科卒、同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。この辺り、河合塾で働く。1990年~日本学術振興会特別研究員も。1993年~千葉大学部文学部、1995年~信州大学医療技術短期大学部を経て、2002年~立命館大学。現在同大学大学院先端総合学術研究科教授。同大学生存学研究センター、その雑誌『生存学』(生活書院刊)、『Ars Vivendi Journal』(オンラインジャーナル)、ウェブサイト『arsvi.com』(→「生存学」で検索)に関わる。最初の共著書が『生の技法』(1990、藤原書店)→2012:第3版を文庫版で生活書院より。最初の単著が『私的所有論』(1997、勁草書房)→2013:第2版を文庫版で生活書院より。電子書籍の自販も試行中→http://www.arsvi.com/ts/sale.htm
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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本の状態も良く、ありがとうございました。
生まれてきたからには、よく生きねばー
大体、みんなそう思うだろう。学校でだって、そうやって教えているし。
ただ、よく生きるって、なんなのさ。
「仕事ができる!素晴らしい能力を持っている!よい人間だ!」
我々は、極々当たり前にそう思っている。しかしよく考えてみれば、仕事ができること、能力を有していることが即ちよい人間である結び付きなど、本当はないのだ。仕事の価値、能力の有無=人間の価値ではない。
しかし現実社会ではそうなってしまっている。それだから、人々の内で常にやりきれなさが渦巻いてしまう。
承認欲求だって、そういうこと。世間に、周囲に認められなければ、なんだか生きていて不全な感じがする。だからSNSなんかで躍起となったりする者もでてきたりするのだけど、そもそも、認めてもらえなければ「人間」として不全な感じがしてしまうって、それこそ不全じゃないか?
人間であるためにはこうあらなくてはいけないとか、人間足るもの~とか、そんな条件なんてないのだ。
生まれてきたからには、ただただ、普通に生きていける社会でなければならないのに。
本人自ら「回りくどい」と言っているあたり、持って回った表現が続きます。
難解で読みこなせないというより、付き合いきれないという感じです。
できること(何かしらの能力)が人の存在価値を決めるのはおかしいっていう議論はよく聞くけど、生産したもの(労働の成果)を本人が受け取ることへの疑問は初めて見ました。
モノが余って働く必要がある人が減るから失業が起こる。消費を刺激して需要を増やすのがセオリーだが、そもそも労働需要がないってことは悪いことなのか。稼ぎがないってことが問題なのであって、労働の必要がなくなるっていうことは自体は良いことなのではないか。というようなことも言っていますが、ホントその通りだと思います。
できない・作れない人達の側に立ったただの理想論とも受け取れますが、この著者は目立つために極論を言っているのではなく、本当に実現を願っているという気持ちが伝わってきました。
こういう姿勢、かっこいいなぁって思います。
本書は「よりみちパン!セ」シリーズの一冊である.そのせいかどうかはわからないが,著者による主張の明快さ・適切さ・一貫性はそのままだが,だいぶ〈わかりやすい〉文章となっている.文体はこれまでの著者の書きものとほとんど変わらない「まわりくどい」「ぐねぐねした」ままにもかかわらず,だ.ならば,著者の主張を〈わかりにくい〉ものにしてきたのは,けっして著者の文章・文体ではない,ということになる.
本書を一読すれば,著者の主張をわかりにくいものとしてきたのは,われわれにとって相対化できない,しかし実際のところ複数あるうちの一つでしかない〈世界のあたりまえの姿〉なのだということがわかる.そして,そんなものを信じる必要もなければ,別様の世の中のあり方を,構想し作りあげることが可能であることも,わかる.
その意味で本書は,すぐれて「社会学的啓蒙」の書だといえる(著者や,著者のファンがどのように考えているのかは,わからないが).
そもそも、労働力が「余らされている」ということは、「足りている」証拠であり、したがって「余らされている」当人たちが責められる筋合いはないし、その人たちの価値が低いということにはならない、というのはまさにもっともです。
そうすると、問題はそこから先。余らされている人たち(この人たちが「労働者」とみなされていないことはこの場合、損失でも利点でもある、やっかいな問題なのですが)が、どうするかということ。「働きたくないから働いていない」人はその中でそう多くはないでしょう。本当は働いているつもりなのに、そうカウントしてもらえない。好きな仕事を少しずつしていきたいけど、そんな働き方は世間では通用しない。だからしょうがなくその「余らされた」立場にい続けてしまう。そうすると、「余っている労働力」の本来できる/やりたがっている/実はしている「労働」の価値をどう捉えていくのかということになります。家事労働に値段をつけるのが正解なのか? 「非営利」であるべきなのか?、それとも「起業」して稼ぐほうがいいのか? 稼げなかったら誰に保障してもらうのか?――いろいろ問題が出てきます。それを、政策的な視点だけでなく、当事者による「働きの価値づくり」の志向も視野に入れながら、考えていけたらいいな、と(この本を読んで、私個人的に)思いました。
PS. 私は先日、とあるシンポジウムで、「ろくすっぽ働けていない者たちの労働運動」のおもしろさについて話したのですが、国の「福祉的」政策や企業の「良心的配慮」なんかを期待するより先に、どんなかたちであれ働いている人たちが、勝手に集まって勝手に価値を作っていく、必要ならその価値の保障を求めて声を上げる、といったことをやっていくことのほうが先にあるべきで、あるはずだと思い、期待を寄せています。
著者は、自分の書いていることは障害者運動を含む運動のなかで言われてきたことでもあり、自分は「後衛」としてそれを一つ一つ考えているに過ぎないと述べているけれども、たぶんそれだけではない。原理だけでは世界や社会は作られていないから、具体化するためにさまざまなことを付け加えて考えなければいけないからだ。
能力主義へのオルタナティブとして著者が考えている方向性は、とりわけ障碍をめぐって端的に現れてくる、できるとかできないとかいう個々人の能力のちがいが、その人の境遇を決定的に規定してしまわない社会である。そして著者は、原理だけではなく手段(分配する対象や税の取り方など)についても、一歩一歩具体的にしていきつつある。でも、まだその世界は姿を完全に現してはいないように思われる。
著者の言っていることにわかりにくさがあるとすれば、それが我々も著者もまだ暮らしたことのない新たな世界(というか、近代社会のオルタナティブということであれば、それは「世界」ではなく、やはり「社会」ということになるのでは)について、あまり知られていない書き方で書いてあるからであるように思える。本書は、その姿がはっきり現れてくるまでの見取り図としても使うことができるだろう。