著者は、18世紀の伊藤仁斎の思想の中に可能性としてあった生き生き
とした日本語が、荻生徂徠、本居宣長らによって音声中心主義的なものに
貶められ、「他者」と出会わないような日本語にされてしまった
(=死産された)ことを嘆く。
日本においてどのように音声中心主義が根付いたのか、よくわかった。
丸山真男の荻生徂徠理解とまた違った理解で、面白かった。
ところで、著者の論理から行くと、ありとあらゆる言語が「死産」
されているのではないか。死産されない言語をどう回復し、それを実践
するのか、それが問題にされるべきだと思う。
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過去の声―一八世紀日本の言説における言語の地位 単行本 – 2002/6/17
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購入オプションとあわせ買い
国際的総合雑誌等の代表編者として、既に多くの読者をもつ行動する思想家ですが、本書はそれらの活動の基盤になる主著の翻訳です。一八世紀(徳川期)の日本の思想界では、中国思想(朱子学)への批判が始まり、漢意(からごころ)と和魂(やまとごころ)の対立に至る言語をめぐる爆発的な論争が起こります。この論争の過程を明晰に紹介することによって、今日においても哲学上の根本問題である「シュタイ」(主観・主体・主語・主題)の諸相を明かし、アイデンティティに関わるラジカルな問いを提出します。本書の刊行目的は、丸山真男氏の大著『日本政治思想史研究』を凄ぐ現代の展望を提起すること、国際化によって改めて関心を高めている「日本研究」が文化の閉域に陥らないこと、そして社会の面一化がもたらす言葉の不自由を解放することです。
- 本の長さ570ページ
- 言語日本語
- 出版社以文社
- 発売日2002/6/17
- ISBN-104753102211
- ISBN-13978-4753102211
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
18世紀日本(徳川期)の言説空間(漢学・国学・文学・歌論・歌学)における言語をめぐる熾烈な議論が、その果てになぜ「日本語・日本人」という起源への欲望を生み出したかを解き明かす。シカゴ大学認定の学位論文を邦訳。
登録情報
- 出版社 : 以文社 (2002/6/17)
- 発売日 : 2002/6/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 570ページ
- ISBN-10 : 4753102211
- ISBN-13 : 978-4753102211
- Amazon 売れ筋ランキング: - 681,865位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年10月6日に日本でレビュー済み
日本思想史の代表的研究者として知られる酒井直樹氏の、シカゴ大学へ提出した学位論文の翻訳である。学位論文であるため、論述のスタイルはきわめて厳密で、概念の定義づけからきちんと記述してあるため、繰り返しが多い印象を受ける反面、曖昧さはほとんど感じられない。ただ、原文が英語で書かれているためか、日本語の翻訳で読むと使われている言葉が難解に感ずる。原文ではふつうの英語なのかもしれないが。
「シュタイ」という翻訳可能性に乏しいことばがキー概念として使われている。しかし、正直なところ、この概念が本書中でどのような位置を占めるのか、わたくしにはよく理解できなかった。十八世紀日本の言説についての考察、となっているが、実際には近代日本語の成立に纏る言説の変遷と言えるだろう。著者は十八世紀に日本語という概念は成立したと論じているが、閉じられた「日本」という国家が成立し、「ひとつの」「正しい」日本語というものの存在が求められたとき、それは失われた過去としてしか存在しない「純粋日本語」というものの回帰、というかたちで欲望された。遠い昔に、某マンガのように「オマエはもう死んでいる」と定義されたもの、それが日本語であるから、著者は「死産」と名付けたのである。
ただ、草莽堂氏の書かれている通り、それはありとあらゆる言語に当てはまるだろう。ただ、その「回復」までは著者の構想には最初から入っていなかったと思われるので、評価は落とす必要はないと思う。
「シュタイ」という翻訳可能性に乏しいことばがキー概念として使われている。しかし、正直なところ、この概念が本書中でどのような位置を占めるのか、わたくしにはよく理解できなかった。十八世紀日本の言説についての考察、となっているが、実際には近代日本語の成立に纏る言説の変遷と言えるだろう。著者は十八世紀に日本語という概念は成立したと論じているが、閉じられた「日本」という国家が成立し、「ひとつの」「正しい」日本語というものの存在が求められたとき、それは失われた過去としてしか存在しない「純粋日本語」というものの回帰、というかたちで欲望された。遠い昔に、某マンガのように「オマエはもう死んでいる」と定義されたもの、それが日本語であるから、著者は「死産」と名付けたのである。
ただ、草莽堂氏の書かれている通り、それはありとあらゆる言語に当てはまるだろう。ただ、その「回復」までは著者の構想には最初から入っていなかったと思われるので、評価は落とす必要はないと思う。