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官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 単行本 – 2017/12/11
デヴィッド・グレーバー
(著),
酒井 隆史
(翻訳)
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本書の分析対象は、「規制緩和」と総称される現代社会そのものである。翻訳のうえで「ルール」を官僚制としたのは、全く同じことは私企業ではマネージメントといわれており、その性格はかつての官僚制と全く同じことを意味しているためである。
官僚制についての短いサーヴェイに続いて、政府による経済介入の縮小政策は、むしろより多くの規制、官僚、警察官を生みだすという「リベラリズムの鉄則」が描かれる。そして自由な市場経済を維持するためには、ルイ14世風の絶対主義の数千倍のお役所仕事が必要になるという逆説が指摘される。
この逆説のために〈自由〉や〈合理〉という基本的観念が揺らぎ、コラボだのグループワークだの自己点検、自己評価、創発性といった「クリエイティヴ」な売りに自ら演ずることを強要される。日常における自らの立ち位置が不明瞭となり、自己責任ばかりが強調される雰囲気が醸し出される。
本書は社会制度から自由などの基本的概念、日常の感情世界にいたるまで、不定期労働者が創生される土壌を人類学する基本図書である。
官僚制についての短いサーヴェイに続いて、政府による経済介入の縮小政策は、むしろより多くの規制、官僚、警察官を生みだすという「リベラリズムの鉄則」が描かれる。そして自由な市場経済を維持するためには、ルイ14世風の絶対主義の数千倍のお役所仕事が必要になるという逆説が指摘される。
この逆説のために〈自由〉や〈合理〉という基本的観念が揺らぎ、コラボだのグループワークだの自己点検、自己評価、創発性といった「クリエイティヴ」な売りに自ら演ずることを強要される。日常における自らの立ち位置が不明瞭となり、自己責任ばかりが強調される雰囲気が醸し出される。
本書は社会制度から自由などの基本的概念、日常の感情世界にいたるまで、不定期労働者が創生される土壌を人類学する基本図書である。
- 本の長さ380ページ
- 言語日本語
- 出版社以文社
- 発売日2017/12/11
- ISBN-104753103439
- ISBN-13978-4753103430
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商品の説明
著者について
1961年、ニューヨーク生まれ。文化人類学者・アクティヴィスト。ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス人類学教授。
著書:『アナーキスト人類学のための断章』(以文社,2006年)
『資本主義後の世界のために』(以文社,2009年)
『負債論』(以文社,2016年)
他:Lost Peaple:Magic and the Legasy of Slavery in Madagascar,Indiana University Press.Toward on Anthoropological Theory of Value:The False Coin of Our Own Dreams(Palgrave,2001). Direct Action:An Ethnography(AK Press,2007),On Kings (HAU,近刊)など多数。
著書:『アナーキスト人類学のための断章』(以文社,2006年)
『資本主義後の世界のために』(以文社,2009年)
『負債論』(以文社,2016年)
他:Lost Peaple:Magic and the Legasy of Slavery in Madagascar,Indiana University Press.Toward on Anthoropological Theory of Value:The False Coin of Our Own Dreams(Palgrave,2001). Direct Action:An Ethnography(AK Press,2007),On Kings (HAU,近刊)など多数。
登録情報
- 出版社 : 以文社 (2017/12/11)
- 発売日 : 2017/12/11
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 380ページ
- ISBN-10 : 4753103439
- ISBN-13 : 978-4753103430
- Amazon 売れ筋ランキング: - 134,946位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2019年1月20日に日本でレビュー済み
筆者によれば官僚制とはプレイに対する恐怖なのだという。同時に官僚制はルールに基づいたゲームの魅力でもある。新自由主義という企業官僚制を批判するならば別のルールに基づいたもう一つのゲームを提示するしかない。それは新自由主義以前の官僚制とは別の物で良いだろう。
2022年1月4日に日本でレビュー済み
原題は『規則のユートピア』、2015年の著作。本文は約320ページ。
まず、序文にて現代のグローバル化社会の本質を以下のように説明する。
「グローバリゼーションとは、新テクノロジーによって拓かれた平和的貿易という自然のプロセスではない。「自由貿易」とか「自由市場」といった用語でもって語られてきたものの内実は、地球規模の行政官僚システムの世界初の実質的な完成であり、それも自覚的にもくろまれたくわだてであった」。
新自由主義が目指すところは官僚制と相反するどころか、「政府による経済への介入の縮減を意図する政策が、実際には、より多くの規制、官僚、警察官を生みだす」ような結果を招く。新自由主義は官僚制と矛盾するようにみえながら、むしろ官僚制を徹底的に強化する。自由な競争によって成立するはずの資本主義の特性から一見して不自然にみえるものだが、なぜこのような結果に至るかというと、著者はそもそも「市場競争は、実は、資本主義の特性にとって本質的なものではなかった」からだとする。
本書はこのような認識を前提として、三章にわたって官僚制にまつわる三つの論点を提示する。
「1.暴力」
著者自身が母親の保険申請のためにたらい回しにされた出来事を例に、官僚制の堂々巡りの空虚さを挙げたうえで、官僚制の背後に潜む暴力について言及する。第一章では、「官僚制的手続きは例外なく、構造的暴力に基礎づけられている」とし、究極的には物理的危害の脅威に依拠している事実を指摘する。著者はそのような暴力の効能を「コミュニカティヴであることなしに社会的諸効果をもたらす」点に見いだす。
このような普段意識することのない暴力に気づかされた契機のひとつとして、フェミニストによる文献が挙げられている。「男性は女性を理解できない」というジョークが、立場的に有利に立つ側だからこそ口にすることのできるジョークだという例は非常にわかりやすい。これは女性が常に想像力による解釈労働を期待されている状況と一体だ。そして、こうした不平等な構造は男女間だけではなく人種間、「雇用者・被雇用者」「富者・貧民」といった関係でも同様だとわかる。
「2.テクノロジー」
「なぜ空飛ぶ自動車は生まれないのか?」という素朴な問いが、第二章の論点を巧みに表現している。この問いへの回答は序文においてすでに示されている。つまり、「テクノロジーの変動は単純に独立変数であるのではない」ためである。「航空便の速度は2003年のコンコルドの放棄以来、実際には減少をつづけている」ことなどを例にあげながら、著者はこの半世紀ほどの科学の進歩を芳しくないものとしている。テクノロジーが自然に進歩していくのであれば、そのような事態は起こりえないはずだが、先のようにテクノロジーは単独で変動する存在ではなく、社会の要請あってのものだというのがポイントだ。
そして、発明と真のイノベーションを阻んでいるのが現代の企業資本主義だという点に結びつく。宇宙開発競争を例に、旧ソ連がむしろ平和目的の「詩的テクノロジー」を実現することに積極的だったのに対し、アメリカがそれに対抗するために成しえた偉業が月面着陸だったこと、そしてソ連の消滅がむしろアメリカによる「官僚的テクノロジー」を促進したという。おそらく一般的な見立てとは逆の米ソに対する認識が面白い。
「3.合理性」
第三章は主に「合理性」をめぐる論考になっている。官僚制においては合理性はそれ自体が目的とされ、その非人格的性質の核となる。「官僚制とは、ことをなす手段を、それがなんのためになされたのかということから完全に切り離されたものとして扱う、最初のそしてただひとつの社会的制度だからである」。
本章でとりわけ興味深かったのは「プレイ」と「ゲーム」の定義である。純粋に即興的なものでありゲームや規則を生成することもできる「プレイ」と異なり、「ゲーム」とは純粋に規則(ルール)に支配された行為だとされる(デジタルゲームについても言及している)。そして、官僚制はまさに「ゲーム」的であり、「官僚制の魅力の背後にひそむものは、究極的には、プレイへの恐怖である」と指摘する。そして人々が官僚制に魅力を感じるのは、官僚制が非人格的だからこそであり、ここで原題の「規則のユートピア」に結びつく。
「補論」
映画『ダークナイト・ライジング』をはじめとするスーパーヒーローものへの分析で、本書のボーナストラック的な要素になっている。スーパーヒーローとヴィランを対比して、ヴィランのほうが常に創造的で楽しげであり、一方でスーパーヒーローはヴィランに寄生するだけの存在だと指摘する。スーパーヒーローによって反復されるドラマが導く教訓が、「想像力と反抗」の規制という考察にも頷かされる。映画『ダークナイト・ライジング』については酷評といっていい。また、本書で何度か現れる「左翼」「右翼」の本質についての論考も読みごたえがある。とくに本章では以下のように端的に表現されている。
「根本的には、左翼と右翼の完成のあいだの分岐は、想像力にどういう態度をとるかにかかっている。左翼にとって、想像力、創造性、その延長で、生産、あたらしいものごとや社会的ありようを設立する力能は、つねに称賛されるべきものである。それはこの世界におけるあらゆる真の価値の源泉なのである。右翼にとって、それは危険なものであり、究極的には悪である。創造への衝動はまた、破壊への衝動である」
著書全体のバランスとしては微妙なところも感じるが、現代の資本主義における官僚制への論考として、新鮮な指摘・考察が数多くあって面白く読むことができた。個人的には原題より邦題のほうが全体の雰囲気にマッチしていると感じる(誤字が多いのは少し残念なところ)。部分的には同著者によるのちの『ブルシット・ジョブ』につながる草稿としての側面も内包していると思えた。
まず、序文にて現代のグローバル化社会の本質を以下のように説明する。
「グローバリゼーションとは、新テクノロジーによって拓かれた平和的貿易という自然のプロセスではない。「自由貿易」とか「自由市場」といった用語でもって語られてきたものの内実は、地球規模の行政官僚システムの世界初の実質的な完成であり、それも自覚的にもくろまれたくわだてであった」。
新自由主義が目指すところは官僚制と相反するどころか、「政府による経済への介入の縮減を意図する政策が、実際には、より多くの規制、官僚、警察官を生みだす」ような結果を招く。新自由主義は官僚制と矛盾するようにみえながら、むしろ官僚制を徹底的に強化する。自由な競争によって成立するはずの資本主義の特性から一見して不自然にみえるものだが、なぜこのような結果に至るかというと、著者はそもそも「市場競争は、実は、資本主義の特性にとって本質的なものではなかった」からだとする。
本書はこのような認識を前提として、三章にわたって官僚制にまつわる三つの論点を提示する。
「1.暴力」
著者自身が母親の保険申請のためにたらい回しにされた出来事を例に、官僚制の堂々巡りの空虚さを挙げたうえで、官僚制の背後に潜む暴力について言及する。第一章では、「官僚制的手続きは例外なく、構造的暴力に基礎づけられている」とし、究極的には物理的危害の脅威に依拠している事実を指摘する。著者はそのような暴力の効能を「コミュニカティヴであることなしに社会的諸効果をもたらす」点に見いだす。
このような普段意識することのない暴力に気づかされた契機のひとつとして、フェミニストによる文献が挙げられている。「男性は女性を理解できない」というジョークが、立場的に有利に立つ側だからこそ口にすることのできるジョークだという例は非常にわかりやすい。これは女性が常に想像力による解釈労働を期待されている状況と一体だ。そして、こうした不平等な構造は男女間だけではなく人種間、「雇用者・被雇用者」「富者・貧民」といった関係でも同様だとわかる。
「2.テクノロジー」
「なぜ空飛ぶ自動車は生まれないのか?」という素朴な問いが、第二章の論点を巧みに表現している。この問いへの回答は序文においてすでに示されている。つまり、「テクノロジーの変動は単純に独立変数であるのではない」ためである。「航空便の速度は2003年のコンコルドの放棄以来、実際には減少をつづけている」ことなどを例にあげながら、著者はこの半世紀ほどの科学の進歩を芳しくないものとしている。テクノロジーが自然に進歩していくのであれば、そのような事態は起こりえないはずだが、先のようにテクノロジーは単独で変動する存在ではなく、社会の要請あってのものだというのがポイントだ。
そして、発明と真のイノベーションを阻んでいるのが現代の企業資本主義だという点に結びつく。宇宙開発競争を例に、旧ソ連がむしろ平和目的の「詩的テクノロジー」を実現することに積極的だったのに対し、アメリカがそれに対抗するために成しえた偉業が月面着陸だったこと、そしてソ連の消滅がむしろアメリカによる「官僚的テクノロジー」を促進したという。おそらく一般的な見立てとは逆の米ソに対する認識が面白い。
「3.合理性」
第三章は主に「合理性」をめぐる論考になっている。官僚制においては合理性はそれ自体が目的とされ、その非人格的性質の核となる。「官僚制とは、ことをなす手段を、それがなんのためになされたのかということから完全に切り離されたものとして扱う、最初のそしてただひとつの社会的制度だからである」。
本章でとりわけ興味深かったのは「プレイ」と「ゲーム」の定義である。純粋に即興的なものでありゲームや規則を生成することもできる「プレイ」と異なり、「ゲーム」とは純粋に規則(ルール)に支配された行為だとされる(デジタルゲームについても言及している)。そして、官僚制はまさに「ゲーム」的であり、「官僚制の魅力の背後にひそむものは、究極的には、プレイへの恐怖である」と指摘する。そして人々が官僚制に魅力を感じるのは、官僚制が非人格的だからこそであり、ここで原題の「規則のユートピア」に結びつく。
「補論」
映画『ダークナイト・ライジング』をはじめとするスーパーヒーローものへの分析で、本書のボーナストラック的な要素になっている。スーパーヒーローとヴィランを対比して、ヴィランのほうが常に創造的で楽しげであり、一方でスーパーヒーローはヴィランに寄生するだけの存在だと指摘する。スーパーヒーローによって反復されるドラマが導く教訓が、「想像力と反抗」の規制という考察にも頷かされる。映画『ダークナイト・ライジング』については酷評といっていい。また、本書で何度か現れる「左翼」「右翼」の本質についての論考も読みごたえがある。とくに本章では以下のように端的に表現されている。
「根本的には、左翼と右翼の完成のあいだの分岐は、想像力にどういう態度をとるかにかかっている。左翼にとって、想像力、創造性、その延長で、生産、あたらしいものごとや社会的ありようを設立する力能は、つねに称賛されるべきものである。それはこの世界におけるあらゆる真の価値の源泉なのである。右翼にとって、それは危険なものであり、究極的には悪である。創造への衝動はまた、破壊への衝動である」
著書全体のバランスとしては微妙なところも感じるが、現代の資本主義における官僚制への論考として、新鮮な指摘・考察が数多くあって面白く読むことができた。個人的には原題より邦題のほうが全体の雰囲気にマッチしていると感じる(誤字が多いのは少し残念なところ)。部分的には同著者によるのちの『ブルシット・ジョブ』につながる草稿としての側面も内包していると思えた。
2019年3月13日に日本でレビュー済み
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2章の終わりまで読んだ上での感想。この前の作品「負債論」の出来が素晴らしかっただけに、かなり残念な本。まず、一章、ここでは3っつのそれ自体、論考に値する直感が話の流れのままに次から次へと出てきて、論文として焦点を結んでいない。1、新自由主義は自らの官僚批判とは逆に返って官僚制を増大させている。(リベラルの逆説)2、被克服者は克服者の顔色を窺い、克服者の行動原理・感情の動きについて膨大な分析をしている。逆に克服者は被克服者がどういう人々なのか無知なまま。3、官僚制では個々の官使がいかに善意だろうが手段の肥大化と目的までの迂遠を増大させる。(構造的愚かさ)これらはそれ自体で論文を一つ書けるテーマだが、その結論を精緻化させるための分析がなされているように見えない。そして、無意識なのかアメリカ人的なユートピアという言葉に対する偏見(言われなき攻撃)が随所にさし挟まって気になって仕方がない。
2章、自分ならこれこそユートピアそのものと呼ぶ70年代までのSFの未来ビジョンが何も実現していないことをテーマとする。結論は概ね同意できる。就職して毎日無味乾燥な仕事に忙殺されるようになったら考える、社会人なら誰もが思う、もし人が真に自由を獲得してれば社会はもっと進化しているはずという直感が追及されている。
現代社会は自由競争、一般社会人は個々の合理的な自由選択によって今の立場を選んだというお題目に拘わらず、実際には貸借関係の連鎖に基づく遠大なピラミッドに組み込まれ意味のないくだらない仕事をさせられているだけにすぎないという直感これが追及されている。だが、結論の同意とは別個に未来ビジョンが”何も”実現してないという話には首をかしげざる得ない。現に音声認識デバイスが存在し、実力で勝敗が決するあらゆるボードゲームで勝利したAIが絵を描き音楽を紡ぎ、小説を書く時代、脳波で遠隔操作が可能になり、欧米で代替エネルギーの使用率が増大して太陽光パネルが量産効果で価格が下がり、自動運転車で勝利する者が自動車業界を制すると言われている時代、代替肉が作られ家畜がクローン化し、デザインベイビーが富裕層に現れる時代、小型通信装置を誰もが持ち、誰もがグーグルマップで自分の地球上における位置を把握できる時代、どこが科学技術の進歩が押しとどめられているというんだろう。量子力学や相対性理論なみの進化がない?超弦理論では満足いかないとでもいうのか。
それと細かい話になるけど「スタートレック」に民主性がないというのは納得いかない。「スタートレック」ほど西洋の理性の勝利を謳い、民族の多様性に配慮し、多文化主義へ気を使いまくった作品はないのに。
2章、自分ならこれこそユートピアそのものと呼ぶ70年代までのSFの未来ビジョンが何も実現していないことをテーマとする。結論は概ね同意できる。就職して毎日無味乾燥な仕事に忙殺されるようになったら考える、社会人なら誰もが思う、もし人が真に自由を獲得してれば社会はもっと進化しているはずという直感が追及されている。
現代社会は自由競争、一般社会人は個々の合理的な自由選択によって今の立場を選んだというお題目に拘わらず、実際には貸借関係の連鎖に基づく遠大なピラミッドに組み込まれ意味のないくだらない仕事をさせられているだけにすぎないという直感これが追及されている。だが、結論の同意とは別個に未来ビジョンが”何も”実現してないという話には首をかしげざる得ない。現に音声認識デバイスが存在し、実力で勝敗が決するあらゆるボードゲームで勝利したAIが絵を描き音楽を紡ぎ、小説を書く時代、脳波で遠隔操作が可能になり、欧米で代替エネルギーの使用率が増大して太陽光パネルが量産効果で価格が下がり、自動運転車で勝利する者が自動車業界を制すると言われている時代、代替肉が作られ家畜がクローン化し、デザインベイビーが富裕層に現れる時代、小型通信装置を誰もが持ち、誰もがグーグルマップで自分の地球上における位置を把握できる時代、どこが科学技術の進歩が押しとどめられているというんだろう。量子力学や相対性理論なみの進化がない?超弦理論では満足いかないとでもいうのか。
それと細かい話になるけど「スタートレック」に民主性がないというのは納得いかない。「スタートレック」ほど西洋の理性の勝利を謳い、民族の多様性に配慮し、多文化主義へ気を使いまくった作品はないのに。