メディア論と言うよりもそれを日々利用するわたしたちの
意識についての開眼の手助けになる本だ。
社会や世界への参加姿勢からネットにおける人間関係まで
示唆に富み明快である。
なぜ匿名でのネットいじめなどの酷さ加減が増幅しているのか、
なぜ匿名で批判する姿勢が卑怯なことなのか、
説得力があり、確信のもてる回答を得た。
社会問題・政治問題の根底にある
現代人の意識と社会参加姿勢の変遷を解きあかし、
今後のあり方も僅かに示している。
所々哲学的な引用などが難しいが、
(映画の役割についてなど)
そこを読み流しても面白く、いっきには読めないが
しばらく手放せない良書である。
題名と値段と内容のとっつきにくさが
普及を妨げていそうで少々悔しい。
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メディアと倫理 画面は慈悲なき世界を救済できるか 叢書コムニス01 単行本 – 2006/1/23
和田 伸一郎
(著)
人はなぜかくも卑劣になれるのか。
苦しむ他者の映像をテレビで観るとき、人はなぜその出来事に無関心であることができるのだろう。実際に、遠く離れた国で起こっている戦争の映像を観て「それは自分とは無関係なことだ」、「関心を持ちようがない」と果たして誰が断言できるだろうか。逆に「関係がある」、「関心を持つべきだ」と誰が断言できるだろうか。このどちらにも確信を持って同意できないところに倫理的ジレンマが生まれるのであり、本書ではこれを問題にする。
ここでの「無関心」とは、単に関心がないということではなく、関心を自ら断ち切るところに生じるものである。向き合うのが苦痛であるがゆえに。ではその苦痛とは何か。この苦痛が何であるかを考えるために2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロの映像を観たときのテレビ視聴者たちの経験を例に挙げて説明する。
苦しむ他者の映像をテレビで観るとき、人はなぜその出来事に無関心であることができるのだろう。実際に、遠く離れた国で起こっている戦争の映像を観て「それは自分とは無関係なことだ」、「関心を持ちようがない」と果たして誰が断言できるだろうか。逆に「関係がある」、「関心を持つべきだ」と誰が断言できるだろうか。このどちらにも確信を持って同意できないところに倫理的ジレンマが生まれるのであり、本書ではこれを問題にする。
ここでの「無関心」とは、単に関心がないということではなく、関心を自ら断ち切るところに生じるものである。向き合うのが苦痛であるがゆえに。ではその苦痛とは何か。この苦痛が何であるかを考えるために2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロの映像を観たときのテレビ視聴者たちの経験を例に挙げて説明する。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社NTT出版
- 発売日2006/1/23
- ISBN-104757101759
- ISBN-13978-4757101753
商品の説明
著者について
和田 伸一郎
1969年、兵庫県神戸市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。京都大学博士(人間・環境学)。専攻はメディア論、哲学。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1969年、兵庫県神戸市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。京都大学博士(人間・環境学)。専攻はメディア論、哲学。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : NTT出版 (2006/1/23)
- 発売日 : 2006/1/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 224ページ
- ISBN-10 : 4757101759
- ISBN-13 : 978-4757101753
- Amazon 売れ筋ランキング: - 613,149位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 323位メディアと社会
- - 664位ジャーナリズム (本)
- - 11,292位社会学概論
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年3月1日に日本でレビュー済み
なんだか時代の針が何十年か戻ったような印象を受けた。
どうも著者の論点がマッチポンプ、つまり、テレビやネットの「悪い」部分を勝手に作り上げて、それを批判しているようにしか見えない。「置き去り」がキーワードのようだが、そんな観念的な概念を勝手に作り上げられてそれを批判されても……というのがテレビっ子でありかつネットユーザーとしての感想。
仮に著者の仮定が正しいものだとしても、そうなると、これは著者が書中で何度も否定しているような、「テレビやネットは存在論的に、倫理的悪である」という結論しか導き出さないのではないか。そして処方箋は、「テレビやネットは見るな」という(実現不可能な)もの以外にはありえまい。そしてそこから、いまだに一部でいわれる「ネットは人間関係を希薄にする」的なお題目までは、あと一歩である。
そもそもテレビやネットに関する問題とは、「倫理」なるものを完全に無効化してしまう、というところにある。それに「倫理」でもって対抗したところで、「ヤンキーやコギャルにお説教する」程度の効果も得られないのではないだろうか。
どうも著者の論点がマッチポンプ、つまり、テレビやネットの「悪い」部分を勝手に作り上げて、それを批判しているようにしか見えない。「置き去り」がキーワードのようだが、そんな観念的な概念を勝手に作り上げられてそれを批判されても……というのがテレビっ子でありかつネットユーザーとしての感想。
仮に著者の仮定が正しいものだとしても、そうなると、これは著者が書中で何度も否定しているような、「テレビやネットは存在論的に、倫理的悪である」という結論しか導き出さないのではないか。そして処方箋は、「テレビやネットは見るな」という(実現不可能な)もの以外にはありえまい。そしてそこから、いまだに一部でいわれる「ネットは人間関係を希薄にする」的なお題目までは、あと一歩である。
そもそもテレビやネットに関する問題とは、「倫理」なるものを完全に無効化してしまう、というところにある。それに「倫理」でもって対抗したところで、「ヤンキーやコギャルにお説教する」程度の効果も得られないのではないだろうか。
2006年12月18日に日本でレビュー済み
1 申し訳ないが、私はハイデガーは一冊も読んでいないし、第2章で言及された映画を一本も見ていない。これから読む人は最低でもハイデガーを読み、第2章はゆっくり(映画を見ながら、といっても、容易ではないかもしれないが)読むことを勧めたい。また、以下の記述は何もわかっていない私の感想だと思って読んでいただきたい。
2 1に書いたとおりの現状なので、とにかく難しい本だった。強引に一言にまとめると、映画しかなかったときは映画によって≪存在≫が与えられることがあったが、テレビが普及してからは、人は退きこもって、画像を見ても行動を起こすことがなくなり、≪存在≫が与えられることもなくなった。さらにインターネットの普及でその傾向が強まり、現実と闘っている者より現実から逃避している者がえらいかのような倒錯した世の中になった。今求められるのは、古代ギリシアのように世界に≪存在する≫ことによって責任を果たすのを是とした社会状況である。
3 著者の議論の展開には共感できるところもあるが(星4つ)、比較が恣意的だったり(一部の映画(ハリウッドではない)とテレビのニュース(テレビドラマではない)とインターネット匿名掲示板(ブログではない)を比較)、テレビとインターネットを殊更ネガティブにとらえているところがウケ狙いのようにも思えたりしてイマイチなので星1つ減らして、星3つ。
2 1に書いたとおりの現状なので、とにかく難しい本だった。強引に一言にまとめると、映画しかなかったときは映画によって≪存在≫が与えられることがあったが、テレビが普及してからは、人は退きこもって、画像を見ても行動を起こすことがなくなり、≪存在≫が与えられることもなくなった。さらにインターネットの普及でその傾向が強まり、現実と闘っている者より現実から逃避している者がえらいかのような倒錯した世の中になった。今求められるのは、古代ギリシアのように世界に≪存在する≫ことによって責任を果たすのを是とした社会状況である。
3 著者の議論の展開には共感できるところもあるが(星4つ)、比較が恣意的だったり(一部の映画(ハリウッドではない)とテレビのニュース(テレビドラマではない)とインターネット匿名掲示板(ブログではない)を比較)、テレビとインターネットを殊更ネガティブにとらえているところがウケ狙いのようにも思えたりしてイマイチなので星1つ減らして、星3つ。
2006年3月11日に日本でレビュー済み
戦場、被災地などを、テレビ画面で見ている自分。「お茶の間」で気楽に見ていても、誰にも責められない。姿勢を正して真剣に見ても、誰かが救われるわけでもない、という現実に対する無力感。
そんな倫理的ジレンマを出発点としたメディア論で、単純で安直なメディア批判じゃない。メディアの特性と表現(もしくは表現の受け取り方)を考察している一冊。
“見る者は画面を見る空間に退きこもっても、世界に<繋がっている>状態に在ることができる”(P47)ことへの恐れと、そうした流れに抗う映画の動きを『誰も知らない』『エレファント』『ヴァンダの部屋』を具体例に語る。
ネットに関しては、もっと先があるような気がするので、読んだ後、あれこれ考えています。刺激を受けた。
そんな倫理的ジレンマを出発点としたメディア論で、単純で安直なメディア批判じゃない。メディアの特性と表現(もしくは表現の受け取り方)を考察している一冊。
“見る者は画面を見る空間に退きこもっても、世界に<繋がっている>状態に在ることができる”(P47)ことへの恐れと、そうした流れに抗う映画の動きを『誰も知らない』『エレファント』『ヴァンダの部屋』を具体例に語る。
ネットに関しては、もっと先があるような気がするので、読んだ後、あれこれ考えています。刺激を受けた。