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倫理としてのナショナリズム: グローバリズムの虚無を超えて 単行本 – 2005/1/1
佐伯 啓思
(著)
- 本の長さ285ページ
- 言語日本語
- 出版社エヌティティ出版
- 発売日2005/1/1
- ISBN-104757140916
- ISBN-13978-4757140912
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商品の説明
出版社からのコメント
リベラリズムとグローバリズムが進展した現代社会――
そこでは、中間層が解体し、「自由」や「平等」の根拠があやしくなった。
また、出生前診断にせよ、援交にせよ、全てが自由の名のもと、「個人の選択」に委 ねられるようになった。そのため、「倫理的な問いかけ」への関心が急速に高まって いるにもかかわらず、倫理的回答を出すことができないという事態に陥った。――
著者によれば、こうした事態が起こる背景には、制御なき「市場中心主義」と、それ に歯止めをかけるに無力な「現代的リベラリズム」という二つの進展が大きく関係し ている。
本書では、その関係性と構造を丹念かつ論理的に読みとき、現代において 「倫理」を問う語法を持つことがいかに重要かを論証する。そして、無視しえない現 代的価値として、著者独自のナショナリズム(倫理としてのナショナリズム)を提示 する。「市場・国家・自由・倫理」を統合的に論考した、グローバリズム批判の傑作!
そこでは、中間層が解体し、「自由」や「平等」の根拠があやしくなった。
また、出生前診断にせよ、援交にせよ、全てが自由の名のもと、「個人の選択」に委 ねられるようになった。そのため、「倫理的な問いかけ」への関心が急速に高まって いるにもかかわらず、倫理的回答を出すことができないという事態に陥った。――
著者によれば、こうした事態が起こる背景には、制御なき「市場中心主義」と、それ に歯止めをかけるに無力な「現代的リベラリズム」という二つの進展が大きく関係し ている。
本書では、その関係性と構造を丹念かつ論理的に読みとき、現代において 「倫理」を問う語法を持つことがいかに重要かを論証する。そして、無視しえない現 代的価値として、著者独自のナショナリズム(倫理としてのナショナリズム)を提示 する。「市場・国家・自由・倫理」を統合的に論考した、グローバリズム批判の傑作!
登録情報
- 出版社 : エヌティティ出版 (2005/1/1)
- 発売日 : 2005/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 285ページ
- ISBN-10 : 4757140916
- ISBN-13 : 978-4757140912
- Amazon 売れ筋ランキング: - 76,573位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 206位倫理学
- - 533位倫理学入門
- - 18,898位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1949(昭和24)年、奈良県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。東京大学経済学部卒。同大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞受賞。著作に『隠された思考』(サントリー学芸賞)、『現代日本のリベラリズム』(読売論壇賞)、『反・幸福論』等多数(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『日本の宿命 (ISBN-10: 4106105020)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年9月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
深い洞察、濃ゆい内容。これだけの内容を文庫本で読める幸せ。素人でも難解な本ではありません。
2007年7月9日に日本でレビュー済み
私の読書遍歴からみると、当書は『「アメリカニズム」の終焉』(増補版,TBSブリタニカ, 1993年)の系譜に繋がっていると思われる。すなわち、「グローバリズム」の批判と「日本型シヴィック・ナショナリズム」の提起である。紙幅の関係で雑駁な説明となるが、ここで佐伯氏の「国家なるもの」と「ナショナリズム」の問題に焦点を当ててみたい。
まず、「グローバリズム」に関し、佐伯氏は一貫して「国家」という“向かい矢”を放ってきている。こうした「グローバリズム批判」の座標軸として「国家」を据えているのは、たとえばピエール・ブルデュー(『市場独裁主義批判』,藤原書店, 2000年)なども同様である。ただ、陋見であるけれども、「グローバリズム」の対抗軸となる「国家なるもの」を極言すれば、ブルデューは統治機構=ステートとして機能論的(手段価値的)に捉えているのに対し、佐伯氏は歴史・伝統・文化等で表徴される共同体=ネーション(邦・くに)として形而上的に措定しているのが特徴であろうか。いずれにしても、この両者における「国家」観の乖離は、おそらく、日本とフランス、その「国民国家(ネーション・ステート)」としての成り立ちから生起したもの、としか言いようがないのであろう。
次に、ナショナリズムの基盤として佐伯氏は、倫理としての武士道などを提示する(『近代主義の堕落と「魂の復興」』参照)。しかし私は、戦後の日本はアメリカによる「設計された共同体(Designed Community)」(加藤哲郎氏)であり、その中で醸成されてきた戦後日本人の意識を「武士道精神」に転換することなど、もはや絶望的な所業だと感じている。むしろ私は、ユルゲン・ハーバーマスなどの提唱する、たとえば「憲法愛国主義(Verfassungspatriotismus)」をシヴィック・ナショナリズムの槓桿にすべきと考えている。
Amazonで購入
私の読書遍歴からみると、当書は『「アメリカニズム」の終焉』(増補版,TBSブリタニカ, 1993年)の系譜に繋がっていると思われる。すなわち、「グローバリズム」の批判と「日本型シヴィック・ナショナリズム」の提起である。紙幅の関係で雑駁な説明となるが、ここで佐伯氏の「国家なるもの」と「ナショナリズム」の問題に焦点を当ててみたい。
まず、「グローバリズム」に関し、佐伯氏は一貫して「国家」という“向かい矢”を放ってきている。こうした「グローバリズム批判」の座標軸として「国家」を据えているのは、たとえばピエール・ブルデュー(『市場独裁主義批判』,藤原書店, 2000年)なども同様である。ただ、陋見であるけれども、「グローバリズム」の対抗軸となる「国家なるもの」を極言すれば、ブルデューは統治機構=ステートとして機能論的(手段価値的)に捉えているのに対し、佐伯氏は歴史・伝統・文化等で表徴される共同体=ネーション(邦・くに)として形而上的に措定しているのが特徴であろうか。いずれにしても、この両者における「国家」観の乖離は、おそらく、日本とフランス、その「国民国家(ネーション・ステート)」としての成り立ちから生起したもの、としか言いようがないのであろう。
次に、ナショナリズムの基盤として佐伯氏は、倫理としての武士道などを提示する(『近代主義の堕落と「魂の復興」』参照)。しかし私は、戦後の日本はアメリカによる「設計された共同体(Designed Community)」(加藤哲郎氏)であり、その中で醸成されてきた戦後日本人の意識を「武士道精神」に転換することなど、もはや絶望的な所業だと感じている。むしろ私は、ユルゲン・ハーバーマスなどの提唱する、たとえば「憲法愛国主義(Verfassungspatriotismus)」をシヴィック・ナショナリズムの槓桿にすべきと考えている。
2019年10月31日に日本でレビュー済み
ハードカバー初版が2005年の著作ですが2020年も間近に控えた現時点でも内容は全く色褪せていません。それどころか、今こそ読まれなければならない本です。今年は愛知トリエンナーレの件で日本のネット界隈が揺れましたが、本書は[表現の自由]が必然的に、論理的逸脱や社会規範からの暴走を伴うに至る本質を突いています。
結びの部分で、ナショナリズムと言うとそれだけであらゆる批判を受けると何回も綴ってあります。2005年はまさに自由主義経済や個人主義の風が吹き荒れ、グローバリズムないしリベラリズムが社会的善として如何に大きな顔をしていたかを痛感します。今もあまり変わってないかもしれませんが、その頃と比べると随分ナショナリズムのタブー感は拭い去られていると感じ希望を持っています。世界的なナショナリズムに対しての間違った思い込みは根強く取り払っていかねばなりません。1990年代から論文で警鐘を鳴らしていた著者は日本にあって頼もしい存在だと思います。世界のモラルなきマネーゲームに違和感を感じる人々が増え、グローバリズムのあらゆる綻びが世界の至る場所で露呈する中、今こそ論理としてのナショナリズムが強く求められています。
結びの部分で、ナショナリズムと言うとそれだけであらゆる批判を受けると何回も綴ってあります。2005年はまさに自由主義経済や個人主義の風が吹き荒れ、グローバリズムないしリベラリズムが社会的善として如何に大きな顔をしていたかを痛感します。今もあまり変わってないかもしれませんが、その頃と比べると随分ナショナリズムのタブー感は拭い去られていると感じ希望を持っています。世界的なナショナリズムに対しての間違った思い込みは根強く取り払っていかねばなりません。1990年代から論文で警鐘を鳴らしていた著者は日本にあって頼もしい存在だと思います。世界のモラルなきマネーゲームに違和感を感じる人々が増え、グローバリズムのあらゆる綻びが世界の至る場所で露呈する中、今こそ論理としてのナショナリズムが強く求められています。
2010年1月11日に日本でレビュー済み
自由や平等、個人主義、市場主義といった「進歩的」リベラルが19世紀から実施した自由主義運動の反動としてマルクス・レーニン主義やナチズムが生まれたのが20世紀前半だった。20世紀後半はさらに自由主義が推し進められ、今や世界はグローバリズムの波に飲み込まれている。
自由・平等、個人主義を保証するのは実は国家や各種コミュニティだった。さらに、これらの共同体があってこそ、市場グローバル化が可能だった。国家の経済や資産の多様性を利用して、一瞬にして利益を稼ぐのがグローバリズムだ。このゲームの勝ち組は国家や地域といったコミュニティには何の関心もなく、ただ利用しているだけである。倫理も正義も無い。資産があっという間に国境を越えて移動する。
では負け組となった普通の従来型産業従事者や公務員はどうすれば良いのか。グローバリズムの勝ち組達は共同体を破壊してしまい、最終的には両者が寄って立つ自由・平等、個人主義を保証する国家までもマネーゲームにより存続を危うくしている。普通の人が自然な倫理観に則ったナショナリズムを発動して社会を守ることが重要なのではないか。著者はそう述べて穏健なナショナリズムの復権を望んでいる。
自由・平等、個人主義を保証するのは実は国家や各種コミュニティだった。さらに、これらの共同体があってこそ、市場グローバル化が可能だった。国家の経済や資産の多様性を利用して、一瞬にして利益を稼ぐのがグローバリズムだ。このゲームの勝ち組は国家や地域といったコミュニティには何の関心もなく、ただ利用しているだけである。倫理も正義も無い。資産があっという間に国境を越えて移動する。
では負け組となった普通の従来型産業従事者や公務員はどうすれば良いのか。グローバリズムの勝ち組達は共同体を破壊してしまい、最終的には両者が寄って立つ自由・平等、個人主義を保証する国家までもマネーゲームにより存続を危うくしている。普通の人が自然な倫理観に則ったナショナリズムを発動して社会を守ることが重要なのではないか。著者はそう述べて穏健なナショナリズムの復権を望んでいる。
2005年10月6日に日本でレビュー済み
坂本多加雄氏亡き後、良質の保守系知識人の代表となった佐伯啓思氏の近作。出版されて半年経過するのに誰も書評を書いていないのはどういうことなのだろうか。
佐伯氏の立場はほぼ一貫している。保守系でありながらアメリカが先導する新自由主義に基づくグローバリゼーションに対しては批判的な立場に立ち、倫理なきリバタリアリズム、経済至上主義を論断する。そして本書で提唱されているのはシビック・ナショナリズムという思想である。これはアメリカのコミュニタリアリズム(共同体主義)とも共通する考え方で、ナショナリズムを基礎とした地域共同体を守ってゆくことでグローバリゼーションによって破壊された道徳、倫理といった人間にとっての大切な価値を守ってゆこうという、保守のひとつの定番となった考え方である。
この過程でなされる「自由」という幅広い概念の分析は佐伯氏の別の著書でも展開されているが、「自由」を考える上で大変役に立つ。またグローバリゼーションはアメリカン・スタンダードに過ぎないという主張はリベラル系知識人とも共通するもので、これも特別な目新しさはない。「倫理」を核にした地域共同体によって倫理や道徳を守ってゆこう、という著者の主張には賛否両論があるだろう。わたくしはこの結論部分には賛成できないと思うものの、本書の議論全体からは得るものは思想の左右を問わず大きいと考える。力作である。
佐伯氏の立場はほぼ一貫している。保守系でありながらアメリカが先導する新自由主義に基づくグローバリゼーションに対しては批判的な立場に立ち、倫理なきリバタリアリズム、経済至上主義を論断する。そして本書で提唱されているのはシビック・ナショナリズムという思想である。これはアメリカのコミュニタリアリズム(共同体主義)とも共通する考え方で、ナショナリズムを基礎とした地域共同体を守ってゆくことでグローバリゼーションによって破壊された道徳、倫理といった人間にとっての大切な価値を守ってゆこうという、保守のひとつの定番となった考え方である。
この過程でなされる「自由」という幅広い概念の分析は佐伯氏の別の著書でも展開されているが、「自由」を考える上で大変役に立つ。またグローバリゼーションはアメリカン・スタンダードに過ぎないという主張はリベラル系知識人とも共通するもので、これも特別な目新しさはない。「倫理」を核にした地域共同体によって倫理や道徳を守ってゆこう、という著者の主張には賛否両論があるだろう。わたくしはこの結論部分には賛成できないと思うものの、本書の議論全体からは得るものは思想の左右を問わず大きいと考える。力作である。