さまざまな知識を実践の場に活用する知恵が教養だと思う。多様な学問分野が専門が細分化されている今日ほど、実は教養の力が必要なのではないか。
このような問題意識を持つ人にとって、道しるべとなる一冊だろう。
古来、文化や文明が発達した地域、時代には教養があった。たとえば、ギリシャ・ローマに淵源する欧州の知的伝統の根幹をなす自由文芸七科目(septem artes liberales)。つまり文法・修辞学・弁証法・算術・幾何・天文・音楽だ。あるいは、日本では、徳川幕藩体制が強固な時代くらいまでは四書五経など漢籍がおおむね、教養の役割を果たしてきたが、明治維新後の近代化は、伝統的漢籍に対する洋学的教養の比較優位ポジション獲得の過程でもあった。
サミュエル・スマイルズの『Self Help』を『西国立志篇』に訳した中村正直や『学問のすすめ』を書いた福沢諭吉は新しい洋学の教養をもたらしたが、その根っこは、じつのところ、功利主義(Utilitarianism)が息づいている。その後、大正教養主義や、旧制高校のデカンショ的教養主義など、いろいろあった。苅部直が『移りゆく教養』で指摘しているように、現下日本の大学で歴然と見られる教養の衰微は、これらの教養のトラディションさえも風化させつつある。
いったい現代という時代を生きてゆくには、私たちはどのような教養を、どのように身につけていったらよいのか。あくまでも自問自答となろうが、この本は、含蓄に富んだヒントを読者に語りかけている。
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移りゆく「教養」 (日本の〈現代〉 5) 単行本 – 2007/10/1
苅部 直
(著)
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- 本の長さ252ページ
- 言語日本語
- 出版社エヌティティ出版
- 発売日2007/10/1
- ISBN-104757140967
- ISBN-13978-4757140967
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登録情報
- 出版社 : エヌティティ出版 (2007/10/1)
- 発売日 : 2007/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 252ページ
- ISBN-10 : 4757140967
- ISBN-13 : 978-4757140967
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2018年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
教養の概念史としてとても良書であるが、やや退屈な点もある。
理由をあげてみると、著者自身の社会との向き合い方があまり書かれていないような気がした。そのため、全体的に衒学的な印象がしてしまう。先行の思想家、研究者やどこそこでの実践を述べても、結局、実践するのは自分である。
もう一点は、教養という言葉に理解を与えようとすると、ぼやけた言葉ゆえに話が多岐にわたる。知識というか教養を持っていても実践できなければ、宝の持ち腐れだろうから、本書の内容を読み手がどう受け取るか。
しかし、整理の手腕には学ぶところが多い。
理由をあげてみると、著者自身の社会との向き合い方があまり書かれていないような気がした。そのため、全体的に衒学的な印象がしてしまう。先行の思想家、研究者やどこそこでの実践を述べても、結局、実践するのは自分である。
もう一点は、教養という言葉に理解を与えようとすると、ぼやけた言葉ゆえに話が多岐にわたる。知識というか教養を持っていても実践できなければ、宝の持ち腐れだろうから、本書の内容を読み手がどう受け取るか。
しかし、整理の手腕には学ぶところが多い。
2009年2月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
苅部氏の文才には脱帽です。ほぼご同学と思われる竹内洋氏と双璧です。教育に携わりながら、教育や教養問題について疎い小生には大変参考になりました。アリストテレスのいわゆる「フロネシス」についても、知識を深めることができました。巻末の<資料>も、「なろほどねー」と感心することしきりです。
2023年3月20日に日本でレビュー済み
序章 なぜ教養を問題にするのか
第1章 教養の現況をめぐって
第2章 近代日本の教養
第3章 教養の内と外
第4章 政治的教養と日本の伝統
第5章 教養と教育、教養の教育
終章 教養のむこうがわ
第1章 教養の現況をめぐって
第2章 近代日本の教養
第3章 教養の内と外
第4章 政治的教養と日本の伝統
第5章 教養と教育、教養の教育
終章 教養のむこうがわ
2011年2月24日に日本でレビュー済み
教養論というと「教養崩壊」などの「近ごろの若い者は・・・」型の言説と、逆に「教養なんていらない。古い」型の言説の二通りが多い。
しかし本書は、そうした安易な立場をとるのではなく、「教養」の概念がどう変化してきて、それはどうあるべきかを考察している。
もともと、大学制度を作ったフンボルトの頃においては、「教養」は大学の目的であった。
そこでは、「教養」は人間性の開花と人格の道徳的陶冶を指し、実生活を離れた純粋学問によってこそ、それはなし得るとされていた(p78〜81)
この理念は、高い精神性を持った専門人の輩出を企図するものだが、しかしそれは「教養市民層/新興階層」といった差異構造も生み出し、また「古典を学んで現実で何の役に立つのか」という批判も当時から起きていた(p84〜87)
逆に言えば、そうした批判と戦いながら「教養」は生きてきたのである。
日本の1930年代の「教養」主義ブームでは、主にマルクス主義の立場から「教養をもってそれを社会で実践すべし」という、半ば革命主義的なテーマが唱えられていた(p46)。
こうした戦前の「教養」においては、日本的伝統(国家主義?)を重視する立場への反発からか、教養として挙げられるものがもっぱら西欧の哲学等の文献であった(p52〜54)
すなわち、「西欧/日本」という二項対立を用い、西欧賛美の訴えかけがそこには含まれているのである。
しかし、ヨーロッパの「教養」概念は、ギリシャ的伝統を引き継ぐというポジションが存在して、その価値は初めて成り立つ。
なので、ヨーロッパと異なる伝統を持つ日本では、そうした「教養」は支持できないものになってしまう。
教養に「日本的なるもの」を上手く位置づける試みはほとんど存在しない。(p96〜98)
四章以降では、フンボルト的理念からは少し離れ、「政治」と「教養」の関係を論ずる。
日本では政治に対する教育の自立が過度に強調されたため、「民主主義において市民が持つべき政治的教養」といった問題がほとんど議論されてこなかった(p106)
筆者は政治を、オークショット=クリックにおける「会話」、人と人とのつながりの中で秩序を運営する試みとして見る(p126〜128)。
そして政治のリテラシーの教育(p158〜159)、現代アメリカの大学の「民主主義社会の良き市民の創生」という理念に、「教養」の道を見出そうとする。(p174〜175)
オルテガは、教養の意味を「細分化・専門化された現代の世界を調和的に捉えるためのもの」としている。
そこでは、個別の知識というより、各学問の「理念」や「思考様式」を学ぶことが目的とされている。
大学では、この「教養」を専門科目・職業科目と並んでじっくり学ぶべきだと主張する(p178〜179)
筆者はこれに加え、社会的存在の多くは取り決め(擬制・フィクション)の次元で成立するものなので、そこでの語法や慣習、思考様式を学ぶ必要性を主張している(p180〜182)
特に現代は大量の情報が氾濫しているので、だからこそ、情報を自らの意味世界の中に位置づけ、それを変えていけるようにする必要があり、それの土台を「教養」はになうべきである(p198〜199)
本書では、教養を押し付けるようなことはあまり主張されていない。
ただ、私自身は「民主主義社会を生きる市民に必要な知見」という意味で、共同生活を営む市民に一定程度の教養は求めてもいいのではと思う。
そういう細かい見解の相違はあれ、「教養」を考える上で本書は外せない本であろう。
しかし本書は、そうした安易な立場をとるのではなく、「教養」の概念がどう変化してきて、それはどうあるべきかを考察している。
もともと、大学制度を作ったフンボルトの頃においては、「教養」は大学の目的であった。
そこでは、「教養」は人間性の開花と人格の道徳的陶冶を指し、実生活を離れた純粋学問によってこそ、それはなし得るとされていた(p78〜81)
この理念は、高い精神性を持った専門人の輩出を企図するものだが、しかしそれは「教養市民層/新興階層」といった差異構造も生み出し、また「古典を学んで現実で何の役に立つのか」という批判も当時から起きていた(p84〜87)
逆に言えば、そうした批判と戦いながら「教養」は生きてきたのである。
日本の1930年代の「教養」主義ブームでは、主にマルクス主義の立場から「教養をもってそれを社会で実践すべし」という、半ば革命主義的なテーマが唱えられていた(p46)。
こうした戦前の「教養」においては、日本的伝統(国家主義?)を重視する立場への反発からか、教養として挙げられるものがもっぱら西欧の哲学等の文献であった(p52〜54)
すなわち、「西欧/日本」という二項対立を用い、西欧賛美の訴えかけがそこには含まれているのである。
しかし、ヨーロッパの「教養」概念は、ギリシャ的伝統を引き継ぐというポジションが存在して、その価値は初めて成り立つ。
なので、ヨーロッパと異なる伝統を持つ日本では、そうした「教養」は支持できないものになってしまう。
教養に「日本的なるもの」を上手く位置づける試みはほとんど存在しない。(p96〜98)
四章以降では、フンボルト的理念からは少し離れ、「政治」と「教養」の関係を論ずる。
日本では政治に対する教育の自立が過度に強調されたため、「民主主義において市民が持つべき政治的教養」といった問題がほとんど議論されてこなかった(p106)
筆者は政治を、オークショット=クリックにおける「会話」、人と人とのつながりの中で秩序を運営する試みとして見る(p126〜128)。
そして政治のリテラシーの教育(p158〜159)、現代アメリカの大学の「民主主義社会の良き市民の創生」という理念に、「教養」の道を見出そうとする。(p174〜175)
オルテガは、教養の意味を「細分化・専門化された現代の世界を調和的に捉えるためのもの」としている。
そこでは、個別の知識というより、各学問の「理念」や「思考様式」を学ぶことが目的とされている。
大学では、この「教養」を専門科目・職業科目と並んでじっくり学ぶべきだと主張する(p178〜179)
筆者はこれに加え、社会的存在の多くは取り決め(擬制・フィクション)の次元で成立するものなので、そこでの語法や慣習、思考様式を学ぶ必要性を主張している(p180〜182)
特に現代は大量の情報が氾濫しているので、だからこそ、情報を自らの意味世界の中に位置づけ、それを変えていけるようにする必要があり、それの土台を「教養」はになうべきである(p198〜199)
本書では、教養を押し付けるようなことはあまり主張されていない。
ただ、私自身は「民主主義社会を生きる市民に必要な知見」という意味で、共同生活を営む市民に一定程度の教養は求めてもいいのではと思う。
そういう細かい見解の相違はあれ、「教養」を考える上で本書は外せない本であろう。
2010年8月2日に日本でレビュー済み
わかったようなわからんような。
「教養」の定義は曖昧で難しいものだという事はわかった。
「教養」の定義は曖昧で難しいものだという事はわかった。
2010年11月22日に日本でレビュー済み
「教養」というテーマを扱っていながら、苅部氏が比較的お若いのにびっくりしました。また、東大で教えていらっしゃるのに、権威をひけらかすことなく正論で勝負なさろうとしているところにも好感が持てました。氏が指摘している通り、教育というテーマは、聴衆が(ほぼ全員)学校教育というものを個人的に体験しているところから「自分も話せる」「自分の意見も(経験に裏打ちされているので)正当だ」と考えやすいけれど、実はもっと専門家の意見を重用してもいいのではないでしょうか。そして、これからは苅部氏の主張の範疇を越えますが、私個人は読後に専門家の方々ももっといい意味で自信を持った発言をして、どんどん学区、市、または県単位で新しいアイデアを実践していってもいいのではないか、と考えました。そして、苅部氏が文学、哲学、政治その他の方面から持ち込んでいる例の共通点は、想像力の育成の重要さかと思います。水たまりをよけた死刑囚やそれをあえて書き留める作家の姿、そしてそれらとそれについて読んでいる自分とをつなぐものの存在を感じることのできる想像力があれば現行のシステムの他のシステムを作ったり受け入れられるでしょう。
というわけで昨今の「教養本」のなかで一番のおすすめです。特に、身近な「思想表現」「市民活動」の一環である投票前、または学生の方はまとまった時間がある時の前(夏休み前など)に読むのがいいかと思います。
というわけで昨今の「教養本」のなかで一番のおすすめです。特に、身近な「思想表現」「市民活動」の一環である投票前、または学生の方はまとまった時間がある時の前(夏休み前など)に読むのがいいかと思います。
2008年3月21日に日本でレビュー済み
たしかに、著者が書くように、「いかなる「教養」を身につけるべきか、そのための教育制度はどういうものが望ましいのか」(p149)がなかなか出て来ない本だ。教養とは何かを考える上では、たしかに「まわり道」のように感じる。
しかし、「まわり道」は、それなりに成功していると思う。「教養」の歴史(概念は一定でない)
、現在の長野県飯田市の公民館の話(読書だけでなく、普段の生活や実践も教養の一端であることに気づかせてくれる。もちろん、読書が大事なのは言うまでもない)、メインテーマである「政治的教養」の話の詳しさなど、教養とは何かを考える上で有益な内容が多いように感じた。
ゆえに、「まわり道」を我慢して読む価値のある本だと思うので、星5つ。
しかし、「まわり道」は、それなりに成功していると思う。「教養」の歴史(概念は一定でない)
、現在の長野県飯田市の公民館の話(読書だけでなく、普段の生活や実践も教養の一端であることに気づかせてくれる。もちろん、読書が大事なのは言うまでもない)、メインテーマである「政治的教養」の話の詳しさなど、教養とは何かを考える上で有益な内容が多いように感じた。
ゆえに、「まわり道」を我慢して読む価値のある本だと思うので、星5つ。