「ハイパー・メリトクラシー」
現代の日本では、それが学校生活や、就職活動などで強く求められるようになっている。
その進行と恐怖を、社会学者の本田由紀さんはこの本ではっきりと示していると言える。
なお、著者の本田さんは、テストの点数や、学歴などの客観的な数値で表すことが可能な能力をメリトクラシーと、コミュニケーション能力や、人間力(と言うよりも、周りの人に気に入られる能力の方が当たっている)などの客観的な数値で表すことがほとんど不可能な能力をハイパー・メリトクラシーと定義しているが、確かに本田さんの指摘するように、現代の日本では「偏差値上位大学で成績優秀なら上場企業に就職」などといった図式が完全に崩壊してしまっている。
かと言って、勉強をしっかりやらないと、上場企業に入社する際に必要な、偏差値上位大学卒業というパスポートを得ることもできない。
つまり、現代の日本を生き抜くためには、メリトクラシーと、ハイパー・メリトクラシーの両方を兼ね備えていなければならないのである。
そのことが、子供や、若者たちにどのような(悪)影響を与えているのかを、著者の本田さんは豊富な資料を用いながら、見事に説いていると言える。
なお、この本が出たのは2005年のことであったが、この本で書かれている内容は、どれも現代の日本で起きていることを予言していたかのようなものばかりである(実際に、2000年代の半ば以降の日本では、コミュニケーション能力の低い人が、就職活動の際に「(管理職としての)能力のない人=発達障害者(アスペルガー症候群の患者)」と見なされて、挙句の果てには賃金の安い障害者枠に押し込まれてしまう事態が発生しているほどである)。
そのことを考えながらこの本を読むと、著者の本田さんの凄さがはっきりと分かるのではないだろうか。
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多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで 日本の〈現代〉13 単行本 – 2005/11/1
本田 由紀
(著)
- ISBN-104757141041
- ISBN-13978-4757141049
- 出版社エヌティティ出版
- 発売日2005/11/1
- 言語日本語
- 本の長さ286ページ
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登録情報
- 出版社 : エヌティティ出版 (2005/11/1)
- 発売日 : 2005/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 286ページ
- ISBN-10 : 4757141041
- ISBN-13 : 978-4757141049
- Amazon 売れ筋ランキング: - 196,168位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2016年7月7日に日本でレビュー済み
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2014年5月27日に日本でレビュー済み
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うーん、筆者の主張は纏めたら、半分以下になる
んじゃないだろうか?
これでお金を取ろうというのだからすごい。
本書は内容が不足している。
んじゃないだろうか?
これでお金を取ろうというのだからすごい。
本書は内容が不足している。
2009年8月9日に日本でレビュー済み
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なぜこんなにも現在コミュニケーション能力だの、人間力だのというのかについての分析はとても分かりやすいです。
しかしながら、筆者の提言は私にはいまいち。
だって、このうねりのまっただなかにいる人間にとっては、人間力を向上させるしかないのだから。
次の2点の方針をさぐるべき。
●人間力の測定を、学力と同じようにいかに公平にするか
●万人向けの人間力の向上のカリキュラムはどのようなものか
筆者の提言が実現されても、人間力による人物の評価はなくならない。
だって、採用選考でなくとも、みな「なんとなく○○さんがいい」や「△△さんはちょっと」というように、人間を機能主義的な見方で判断しているから。
また、そもそも人間力とは「魅力」のようなポジティブな意味だと思う。
皆が学力と同じように、向上させられる世の中は良い世の中ではないだろうか。
しかしながら、筆者の提言は私にはいまいち。
だって、このうねりのまっただなかにいる人間にとっては、人間力を向上させるしかないのだから。
次の2点の方針をさぐるべき。
●人間力の測定を、学力と同じようにいかに公平にするか
●万人向けの人間力の向上のカリキュラムはどのようなものか
筆者の提言が実現されても、人間力による人物の評価はなくならない。
だって、採用選考でなくとも、みな「なんとなく○○さんがいい」や「△△さんはちょっと」というように、人間を機能主義的な見方で判断しているから。
また、そもそも人間力とは「魅力」のようなポジティブな意味だと思う。
皆が学力と同じように、向上させられる世の中は良い世の中ではないだろうか。
2018年9月9日に日本でレビュー済み
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今となってはもはやだれもが気付いていることだが多くのワーカーに求められるのは実際的な実務能力ではなく感情労働に他ならない。今更感があるが復習として読んでおいてもよいかもしれない
2005年12月2日に日本でレビュー済み
文科省が唱えるところの「人間力」に代表されるハイパーメリトクラシー(著者造語)の蔓延という問題意識は、それほど的を外していないと思う。しかし、ハイパーメリトクラシーの蔓延を実証する部分のレベルは満足な出来ではない。アンケート項目は、あまり適切とは思えないし、そもそも、主観を問うものが多く、データをどこまで信じてよいのか不明だ。主観の異時点間の比較は慎重であるべきだと思うがかなり無頓着にみえる。また、主観をアンケートした結果は、「被験者がそう思っている」ということしか分からないはずであるが、「被験者がそう思っている」ということと「被験者が実際にそういう状態である」ということの区別をちゃんとしていないので、その分析内容は、ほとんど空疎だ。分析結果があまりに不出来なので、データだけ興味ある方には、その原典を参照すべきであろう。少子化とハイパーメリトクラシーの関係はもっとも混乱している。ただ、主張としては独自性もあり、この本でもっとも読む価値があるところはこの章である。ただし、ハイパーメリトクラシーによる少子化がどれほどの規模の社会問題なのかは、よく分からなかった。かつての「受験地獄」批判のように、そういう事態もある程度はあろう、全体的には数は多くないと感じる問題である。この手の本では、分析はおもしろいが、提言はイマイチということが多い。たいていの問題はすぐ解決できないのであたりまえといえばあたりまえだが。この本もそうであり、かつ、分析部分のレベルより低く、ほとんど批評にあたりしない。
著者あとがきにも、著者自身がこの本での分析が不十分と認識していると書いているが、それなら本として出さないでといいたい。どうしても一般のひとに公表したいというのであれば、せめて雑誌(論座や中央公論など)あるいはもっと安い新書にしてほしい。
著者あとがきにも、著者自身がこの本での分析が不十分と認識していると書いているが、それなら本として出さないでといいたい。どうしても一般のひとに公表したいというのであれば、せめて雑誌(論座や中央公論など)あるいはもっと安い新書にしてほしい。
2013年6月22日に日本でレビュー済み
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正直、私の頭では十分に理解できませんでした。
筆者の知的レベルが非常に高いことはわかりました。
筆者の知的レベルが非常に高いことはわかりました。
2005年12月20日に日本でレビュー済み
門外漢にとっては非常に興味深い分析だったが、結論というか提言がショボい。「専門性を身につける」ということだが、それだと今現在の学校教育で、少なくとも理念上では実践されていることと、ほとんど違いはない。どんな学生も、それなりには「専門性」を身につけるべく、学校に行っているのである。それにもかかわらず、つまり、工業高校や各種専門学校に行っても就職がないところに現代社会の問題があるのであって、著者の提言はほとんどなんの解決にもならないように思える。
また、著者は最初企業側の論理(「人間力」に代表される)を否定・批判しておきながら、最終的な結論では「いかに企業の気に入るような人材に自分を育て上げるか」に堕してしまっており、羊頭狗肉も感もある。とはいえ、著者の意気込み・頑張りは「買い」だと思う。
また、著者は最初企業側の論理(「人間力」に代表される)を否定・批判しておきながら、最終的な結論では「いかに企業の気に入るような人材に自分を育て上げるか」に堕してしまっており、羊頭狗肉も感もある。とはいえ、著者の意気込み・頑張りは「買い」だと思う。
2007年9月7日に日本でレビュー済み
本書の分析は確かに甘い。因果関係と相関関係をはき違えては勿論ないが、しかしそれでは、統計データと仮説命題とのリンクが牽強付会を逃れ得ない。ただし、一種の研究エリアを構築したという観点からは、ネーミングについては今一歩だとは思うが、「ハイパーメリトクラシー」という課題設定は優れていると思う。本書は、処方箋を期待するより、問題をあぶり出した警句の書と考えるべき。人間は準拠枠を作らなければ分析枠を作れないので、肯定批判を含め「ハイパーメリトクラシー」という準拠枠を踏まえた今後の研究の深堀を期待する。要すれば、「ニート」とか、最近だと「ネットカフェ難民」という概念の「発見」が政策論議に結びついたように、この「ハイパーメリトクラシー」という概念が、どのような政策論議を誘発するか、あるいは著者が誘発させるかが見物ということ。