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街場のアメリカ論 NTT出版ライブラリーレゾナント017 単行本(ソフトカバー) – 2005/10/13
現代日本はどうして「こんな国」になったのか? ――という問いをたどると、一貫 して「対米関係」を基軸に推移してきたことに思い至る。そこで仏文学者である著者 は、アメリカ問題の専門外という立場をフルに生かして、専門家では絶対にわかなら ない日米関係の本質をつぎつぎに指摘していく。
「日本人はアメリカ人に対して決して倫理的になれない」「アメリカの統治システム は上が変でも大丈夫!」といった、目から鱗の話を展開。170年前のアレクシス・トク ヴィルが墓場から甦って読んでも「わかる」(ように書かれた)、異色のアメリカ論。
- 本の長さ267ページ
- 言語日本語
- 出版社NTT出版
- 発売日2005/10/13
- ISBN-10475714119X
- ISBN-13978-4757141193
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商品の説明
著者について
一九五〇年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程 (仏文専攻)中退。現在、神戸女学院大学文学部教授。専門は、フランス現代思想、 映画論、武道論。著書に『「おじさん」的思考』『期間限定の思想』(以上、晶文 社)、『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『寝ながら学べる構造主義』(文春新 書)、『街場の現代思想』(NTT出版)などがある。
登録情報
- 出版社 : NTT出版 (2005/10/13)
- 発売日 : 2005/10/13
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 267ページ
- ISBN-10 : 475714119X
- ISBN-13 : 978-4757141193
- Amazon 売れ筋ランキング: - 920,669位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 287位アメリカ・中南米の地理・地域研究
- - 6,642位外交・国際関係 (本)
- - 17,449位社会学概論
- カスタマーレビュー:
著者について
1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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ただし、「どんな偉い人が言ったことでもそれは『真実』ではありません。(中略)この本の中で私が『その原因は……』と言い出したら(何度でもやりますよ)、すぐに眉につばをつけてくださいね」(p35)と自分で書くのは、p166から触れられているダブル・バインド的コミュニケーションの一種でズルイと思う。あるいは、「さあ皆さん、タネも仕掛けもありますよ。見抜けますか?」みたいな、奇術を観る楽しみにも似てる。口上自体、読者を判断停止に追い込むフェイントの可能性もある。
『中国論』もそうだったけど、やはり精神分析的な手法で国家や社会を扱うってのは、かなり危うい感じがする。見やすいところで言えば、「アメリカ人の肥満」を論じた件り。ウチダ先生はこれを「わかりやすい記号表現」を用いた低所得層の「階級的怒りの表明」だと言うんだけど(p201)、う〜ん。「階級」なんて用語を持ち出すわりにはエンターテインメントとして消費するしかないような議論で、『 デブの帝国 』とか『 ルポ 貧困大国アメリカ 』とかの分析の方にやっぱり軍配を上げたい。
それから最近『 橋本治と内田樹 』という対談本が出てて(ただし未読)、確かに内田の論の振り回し方って時にすご〜くハシモト的。たとえばp115辺りの文章の展開って、ハシモトっぽくありません?
あと、p61で「プリゴジーヌの『バタフライ効果』」について薀蓄垂れてますが、「バタフライ効果」ってローレンツでしょ? ま、混同する気持ちは分かるけど。
事実誤認が散見されました。そこは残念だったけれど、名文家
の著者のこと、そんなのはご愛嬌のレベルかもしれません。
でも、ひとつ不可解だったのは、かのトクヴィルを猛烈に意識
して本書を著しているのに、言及されるトクヴィルの著作は、
中央公論社(世界の名著)の抄訳版(講談社学術文庫に3巻の
全訳版あり)。アレレっと思いました。
もちろんフランス思想がご専門の著者のこと、ひょっとしたら原文
にあたっておられるのかもしれません!
中味は、相変わらず該博な知識をもとに、アメリカ政治から社会・
文化まで縦横に論じています。政治のところは、ちょっぴり物足り
なかったけど、アメコミや日本のコミックをからめて日米の政治
関係を論じるところなんかは、個人的に「ウチダここにありっ!」
と思いました。
そして、評者からして一番面白かったのは、アメリカにおける子供
観をフェミニズムと絡めて「批判的に」(!)論じながら、アメリカ
に典型の「連続殺人者」の考察を深めるところ。たぶん、ここまで
一般読者に理解できるようなかたちで、思考のヒダを広げながら
考える人、なかなかいないですよね…。ちょっと唸りました。
議論の敷衍のしかた、そしてその議論の面白さからして、最初に挙げた
ような瑣末な事実誤認なんてちっぽけに思えます。むしろ筆のすべり
具合がスパイスだとさえ思えちゃうかもしれません。
これは、買いですね。
この本は、アメリカ研究の第一人者からは出てこないようなアメリカ論を繰り出そうという試みの本である。
著者によると、アメリカ研究者は、アメリカ文化圏そのものの価値基準を身にまとって地位を確立しており
価値基準を汚すような言説は生まれてこないとしている。つまり、アメリカ研究者は「アメリカに欲望」しており、アメリカにある意味で盲目的であるといえる。
こうした著者の問題意識とは裏腹に書かれている内容は軽めで、読んでいて面白い。「街場のアメリカ論」というよりも「酒場のアメリカ論」としたほうがお洒落かもと思うほどである。他のレビューにもあるようにそれほどレトリックが軽妙で面白い。
この本では、アメリカの動きが諸外国にどう影響を与えてきたかが軽妙に書かれていて面白い。
アメコミの著作権は執筆者ではなく、会社法人が所有している、というのを初めて知った。
この本の著者も述べている通り、この本は1800年代中頃にアレクシス・ド・トクヴィルというフランス人が示したアメリカ論をかいつまんで紹介している。本書の論調を一段深く理解するには、トクヴィルの著書にまでさかのぼっておいたほうが良いかもしれない。
だから、日本人が辛辣なアメリカ批判をしたとしても、それは「弱者ゆえの気楽さ」ゆえに成立するもので、子どもが「うちの親がほんとバカでさあ」と言ってるようなもの。
たしかに本書を読むと「なんだかアメリカ人てのも気の毒だなあ」と思う。
でもやっぱり、「よし、じゃあオレがアメリカをなんとかしてやろう!」とは思わないし、「アメリカってのもたいへんなんだなあ」くらいの気楽な気持ちで読んでしまったが、それでよかったのかしらん?
政治、戦争、宗教はもちろん、ジャンクフード、アメコミ、ウーマンリブからシリアルキラーまで11の話題が盛りだくさん。誰が読んでも「だいたいわかる」こと請け合い。
思ってもみない視点からの「アメリカ」論考は、非常に刺激的かつわかりやすい。
理念先行で建国されたアメリカとか
身近な映画をひもときながら語られるアメリカ文化とか
「ほー」的な寸評を、会話のスパイスに加えたい人にオススメの書籍でございます。
第1章「歴史学と系譜学----日米関係の話」は大変興味深く読みました。
「歴史に『もしも』はない」と巷間言われる言葉にたいして著者は「世界は今あるようになるべきだったのである」と言うのと変わらないと批判します。歴史に学ぶということが、いま自らが住まうこの街や国に対して積極的にコミットすることにつながると考える著者の理念には感銘を受けました。未来についての想像力として過去に対する想像力を働かせる、そのためにも歴史を学ぶことの重要性を思います。
しかし本書を先へ読み進めるほど、著者の記す事柄に違和感を覚えることが多くなりました。
第2章「ジャンクで何か問題でも?」では、ハンバーガーなどのファストフードに対抗するスローフード運動に著者は疑問符をつけます。スローフード運動の発祥地がイタリアのピエモンテであり、そこが裕福な北部イタリアが貧しい南部イタリアとの分離独立を主張する地域であるという事実をとって、自分とは異質な文化を抱えることを嫌がる地域主義の匂いを著者はかぎ取るのです。
これは見方としては面白いですし、そうなのかなと思わせる部分もないわけではありませんが、ファストフード擁護論としてスローフード運動を批判する手法としては必ずしも多くの賛同を得られるとは思えません。
第3章「哀しみのスーパースター」では日本のロボットマンガの中に戦後民主主義が「子どもの無垢」を理想化して「子どもの判断」の確かさに過剰な期待を寄せている様を読み解こうとしています。
この論もまるで荒唐無稽とまではいいませんが、少々大仰ではないでしょうか。日本のロボット物がアメリカと異なる形で発展したのは、キリスト教の影響の少ないこの国では人間型(=神の似姿)の機械を人間が製造するということに抵抗が少なかったこと、また子どもが主人公になってロボットを動かすという物語は読者対象である子どもの共感を得やすいというビジネス上の利点の一つであるという見方も同時に必要だと思います。本書はその点については触れていません。
第7章「コピーキャッツ」では映画『ホーム・アローン』で息子を家に置き忘れた母親のことを「『息子を捨てたい』という抑圧された欲望の表現以外の何ものでもありません」と断定しています。こうした「精神分析」には私以外にも疑問を抱く読者は少なくないでしょう。
この著者の以前の書『 映画の構造分析 』(晶文社)でも私は「牽強付会」という言葉を使いましたが、この『街場のアメリカ論』にも同じ言葉を感じないではいられませんでした。
『ナショナル・アイデンティティ』そのものを、アメリカを真似る、あるいは相対化して見る、ということで築いてきた、ということを様々な側面からアプローチしたもの。
そしてその『アメリカ』風の価値観ないしは歴史観のあれれ?な部分をトクヴィルの著書を多々借用しながら解説していく。
ただそれにしても(面白く)気になったのは、現在のパックス・アメリカーナを崩すものが反ユダヤ主義ではないか、という議論。
それから今や同盟的友好国となったかつてのカタキであるロシアとアメリカとのおそろしいまでの歴史的共通点(そこにもユダヤ人がからむ)。
確かにアメリカ=外国という錯覚のもとに暮らしているのは事実であり、しらずとその価値観に染まってはいるのだろうけれど、それがまあここまで歪み切ったものだとは知らなんだ…。
面白がりながら反省できる本でありまする。