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アカデミック・キャピタリズムを超えて アメリカの大学と科学研究の現在 単行本 – 2010/6/24
上山 隆大
(著)
★第12回 読売・吉野作造賞 受賞★
遺伝子情報の特許による知識の独占、研究資金のパトロネッジ獲得競争など、史上かつてない波が大学や科学研究に押し寄せている。その先端に位置するアメリカの研究大学を中心に、「市場化するアカデミア」の問題点を考える。
知識は特定の主体に独占されることのない「公的」なものであったが、利益の源として評価されるにつれ、特許などによる「囲い込み」が起こるようになった。
また、科学を特定のエリート層による純粋な知的行為として「大学」という場に限定してきたヨーロッパと異なり、アメリカでは大学誕生当初から実践的な知を求める風潮が、市場化を進める基盤にあったことなどが、歴史をみるとよくわかる。
今後の大学、科学研究のありかたを考えるうえでも大きなヒントを与えてくれるだろう。
学問研究はしばしば政治権力や経済的利益の影響下にさらされる。金銭的、個人的事情が、研究結果を報告する際の専門的な判断を危うくする状況は意外に多く存在しているのだ。
上山氏の研究は、本来、公に開かれているべき科学研究の領域に、私的財産権が侵入してくる問題を取り上げ、米国の実情を丁寧に調べ、そこに観察される現象のいくつかを根本的な視点から問い直している。
先行著作の渉猟だけでなく、一次資料、米国の研究者へのインタビュー、ケーススタディーなど、その手法に実証研究の王道を行く確かさが感じられる。本書は、企業化する大学の科学研究の是非を考える際の重要な手がかりを与えよう。
(選考委員会座長:猪木武徳氏の選評から)
遺伝子情報の特許による知識の独占、研究資金のパトロネッジ獲得競争など、史上かつてない波が大学や科学研究に押し寄せている。その先端に位置するアメリカの研究大学を中心に、「市場化するアカデミア」の問題点を考える。
知識は特定の主体に独占されることのない「公的」なものであったが、利益の源として評価されるにつれ、特許などによる「囲い込み」が起こるようになった。
また、科学を特定のエリート層による純粋な知的行為として「大学」という場に限定してきたヨーロッパと異なり、アメリカでは大学誕生当初から実践的な知を求める風潮が、市場化を進める基盤にあったことなどが、歴史をみるとよくわかる。
今後の大学、科学研究のありかたを考えるうえでも大きなヒントを与えてくれるだろう。
学問研究はしばしば政治権力や経済的利益の影響下にさらされる。金銭的、個人的事情が、研究結果を報告する際の専門的な判断を危うくする状況は意外に多く存在しているのだ。
上山氏の研究は、本来、公に開かれているべき科学研究の領域に、私的財産権が侵入してくる問題を取り上げ、米国の実情を丁寧に調べ、そこに観察される現象のいくつかを根本的な視点から問い直している。
先行著作の渉猟だけでなく、一次資料、米国の研究者へのインタビュー、ケーススタディーなど、その手法に実証研究の王道を行く確かさが感じられる。本書は、企業化する大学の科学研究の是非を考える際の重要な手がかりを与えよう。
(選考委員会座長:猪木武徳氏の選評から)
- 本の長さ385ページ
- 言語日本語
- 出版社NTT出版
- 発売日2010/6/24
- ISBN-104757142463
- ISBN-13978-4757142466
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商品の説明
出版社からのコメント
第12回 読売・吉野作造賞 受賞
学問研究はしばしば政治権力や経済的利益の影響下にさらされる。金銭的、個人的事情が、研究結果を報告する際の専門的な判断を危うくする状況は意外に多く存在しているのだ。
上山氏の研究は、本来、公に開かれているべき科学研究の領域に、私的財産権が侵入してくる問題を取り上げ、米国の実情を丁寧に調べ、そこに観察される現象のいくつかを根本的な視点から問い直している。
先行著作の渉猟だけでなく、一次資料、米国の研究者へのインタビュー、ケーススタディーなど、その手法に実証研究の王道を行く確かさが感じられる。本書は、企業化する大学の科学研究の是非を考える際の重要な手がかりを与えよう。
(選考委員会座長:猪木武徳氏の選評から)
学問研究はしばしば政治権力や経済的利益の影響下にさらされる。金銭的、個人的事情が、研究結果を報告する際の専門的な判断を危うくする状況は意外に多く存在しているのだ。
上山氏の研究は、本来、公に開かれているべき科学研究の領域に、私的財産権が侵入してくる問題を取り上げ、米国の実情を丁寧に調べ、そこに観察される現象のいくつかを根本的な視点から問い直している。
先行著作の渉猟だけでなく、一次資料、米国の研究者へのインタビュー、ケーススタディーなど、その手法に実証研究の王道を行く確かさが感じられる。本書は、企業化する大学の科学研究の是非を考える際の重要な手がかりを与えよう。
(選考委員会座長:猪木武徳氏の選評から)
著者について
上山隆大(うえやま たかひろ)
1958年大阪生まれ。上智大学経済学部教授。大阪大学経済学研究科博士課程修了。スタンフォード大学歴史学部博士課程修了(Ph.D.)。
専門は医学史、経済史。主な著作、論文として、Health in the Marketplace:Professionalism, Electrical Devices and Medical Commodification in Victorian London(SPOSS, 2010).「 進化論の視点から:ハイエクとポッパー」『20世紀社会科学のパラダイム』(山之内靖他編『岩波講座 社会科学の方法』第2巻、岩波書店、1993年)所収。
1958年大阪生まれ。上智大学経済学部教授。大阪大学経済学研究科博士課程修了。スタンフォード大学歴史学部博士課程修了(Ph.D.)。
専門は医学史、経済史。主な著作、論文として、Health in the Marketplace:Professionalism, Electrical Devices and Medical Commodification in Victorian London(SPOSS, 2010).「 進化論の視点から:ハイエクとポッパー」『20世紀社会科学のパラダイム』(山之内靖他編『岩波講座 社会科学の方法』第2巻、岩波書店、1993年)所収。
登録情報
- 出版社 : NTT出版 (2010/6/24)
- 発売日 : 2010/6/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 385ページ
- ISBN-10 : 4757142463
- ISBN-13 : 978-4757142466
- Amazon 売れ筋ランキング: - 128,874位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 12,460位教育・学参・受験 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
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2021年5月30日に日本でレビュー済み
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とても参考になる、良い内容です。既に新品は流通在庫もなく、中古市場で入手するしかないです。イノベーション・エコ・システムとしての大学の役割を深く考えてみるのに良いのではないでしょうか。
2017年4月27日に日本でレビュー済み
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2010年に本著が出版されたときに購入しましたが、今、読みかえしても、アメリカの研究大学のダイナミズムやその背景等を理解するための良著であり、基本書であると思います。海外では、Derek Bok 教授のような大学の学長や役職経験者が高等教育や大学のあり方等を論じた著書が多くありますが、発刊当時、日本でもそのような著書がやっと刊行されたかと感慨深いものを感じたのを覚えています。また、著者である上山先生が、御自身のアメリカと日本の大学の双方での経験をもとに明解に記述されているため、アメリカの大学制度の基礎的な知識もよく理解できます。
2011年8月12日に日本でレビュー済み
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感動的な著作。2011年度の吉野作造賞を取るだけのことはある。この本の大部分はアメリカの大学が民間の寄付金や政府の補助金で成り立っていること、研究資金入手のために大学内の発見・発明を特許にしてしまう傾向が出てきたこと、などの傾向を具体的数字で語っている。いかにも「資本主義下のアカデミズムの姿」を描いているようなかんじだが、それだけでは普通の本で終わる。
この本はその先を行く。助成金やスポンサーシップの事実関係のあいだから垣間見ることができるのは、資本主義や金銭万能主義の底流に流れる本物の大学のあり方だ。それがアメリカには現存するという事実。その事実は圧倒的な意味合いを持つ。
たとえば著者は、基礎研究と応用研究を分けて論じるというやり方は「神話」であり、第二次世界大戦のころに発明された物の言い方だという視点を提示する。応用研究には資金がつくが、基礎研究はカネにならないという俗説が否定される。あるいはハイエクの理論を紹介し、「真実は世界のさまざまな構成要員の相互関係によって形成される」とする。ハイエクといえば市場経済の理論家と考えられがちだが、こういう深遠な考察をしていた。あるいは「市場」とはゼニの世界だけではなくて、不確定な要素を含む真理の世界を形成する機能をもっていたのだ。
アメリカの研究者や研究大学が、たんなるお金の亡者となって突っ走っているのではなしに、この本で示されたように、人間の知恵に関して謙虚でかつオープンな姿勢を貫いている限り、本物の実力を保ち続けるのであろう。日本の学問の世界では、権威や伝統、固定観念や人間のしがらみ、民衆(市場)蔑視が多いこととの好対照である。
コンピューター時代の最先端を行き、特許の取得数や助成金のずば抜けて多いカリフォルニア北部の名門大学スタンフォード大学で科学史で博士号と取った著者の言い分は、説得的であり衝撃的である。
この本はその先を行く。助成金やスポンサーシップの事実関係のあいだから垣間見ることができるのは、資本主義や金銭万能主義の底流に流れる本物の大学のあり方だ。それがアメリカには現存するという事実。その事実は圧倒的な意味合いを持つ。
たとえば著者は、基礎研究と応用研究を分けて論じるというやり方は「神話」であり、第二次世界大戦のころに発明された物の言い方だという視点を提示する。応用研究には資金がつくが、基礎研究はカネにならないという俗説が否定される。あるいはハイエクの理論を紹介し、「真実は世界のさまざまな構成要員の相互関係によって形成される」とする。ハイエクといえば市場経済の理論家と考えられがちだが、こういう深遠な考察をしていた。あるいは「市場」とはゼニの世界だけではなくて、不確定な要素を含む真理の世界を形成する機能をもっていたのだ。
アメリカの研究者や研究大学が、たんなるお金の亡者となって突っ走っているのではなしに、この本で示されたように、人間の知恵に関して謙虚でかつオープンな姿勢を貫いている限り、本物の実力を保ち続けるのであろう。日本の学問の世界では、権威や伝統、固定観念や人間のしがらみ、民衆(市場)蔑視が多いこととの好対照である。
コンピューター時代の最先端を行き、特許の取得数や助成金のずば抜けて多いカリフォルニア北部の名門大学スタンフォード大学で科学史で博士号と取った著者の言い分は、説得的であり衝撃的である。
2011年9月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良書です。日本の特に大学周辺の関係者には必読といってもよい。大学内部にいる方々にとっても参考になる方は少なくないでしょう。吉野作造賞受賞むべなるかな。ところで、この本をそのまま英訳した場合、米国でも高い評価になるのでしょうか?誰か教えてくれないかなぁ・・・。
2021年3月7日に日本でレビュー済み
本書では、アメリカの科学研究が市場メカニズムを受け入れてきた背景とその過程が、相当な厚みを以って描写されています。昨今話題になる日本の大学、研究環境等についての直接的な記述はほとんど無いものの、日本の科学技術政策を論じるうえで非常に示唆に富む書籍であると感じました。最大の理由は、本書特有の歴史的な叙述スタイルにあります。
日本の研究力低下を論じる一部のメディア等では、アメリカなどとの比較を通して、「産学連携」や「基礎研究の再重視」の必要性が説かれる傾向が強いと思います。その前提には、産学連携や基礎研究の再重視という「原因」が研究力という「結果」へ至る、という認識があると思われます。しかし、本書で指摘される通り、(ロールモデルとしての)アメリカにおける産学連携や基礎研究に対する姿勢は、各研究者や実業家、政治家等の思惑が絡み合うことで歴史的に成立してきた、一つの「結果」でもあります。アメリカのモダンな研究環境の背後に、アメリカ固有の歴史的事情が詰まっているという(ある意味当然の)ことを、この本は具体的に言語化しています。そしてそれは翻って、日本の歴史、事情に根差した科学技術政策、研究環境等を模索していくことの重要性も示唆しているように思われます。産学連携や基礎研究の重要性は否定できませんが、そうした環境の実現の途上で発生するステークホルダー間の駆け引きを眺める視点こそが、この本からの最大の学びだと感じました。
10年ほど前の本ですが、今日でも十分読むに値する本と言えるでしょう。特に、昨今のビッグデータの盛り上がりの文脈を踏まえると、より深い考察ができるかもしれません。本書では主にバイオテクノロジーとその商業化がケーススタディとして取り上げられていますが、近年のビッグデータ関連のテクノロジーも、その商業化や倫理的な問題が注目されている点で、共通点があるように思います。
日本の研究力低下を論じる一部のメディア等では、アメリカなどとの比較を通して、「産学連携」や「基礎研究の再重視」の必要性が説かれる傾向が強いと思います。その前提には、産学連携や基礎研究の再重視という「原因」が研究力という「結果」へ至る、という認識があると思われます。しかし、本書で指摘される通り、(ロールモデルとしての)アメリカにおける産学連携や基礎研究に対する姿勢は、各研究者や実業家、政治家等の思惑が絡み合うことで歴史的に成立してきた、一つの「結果」でもあります。アメリカのモダンな研究環境の背後に、アメリカ固有の歴史的事情が詰まっているという(ある意味当然の)ことを、この本は具体的に言語化しています。そしてそれは翻って、日本の歴史、事情に根差した科学技術政策、研究環境等を模索していくことの重要性も示唆しているように思われます。産学連携や基礎研究の重要性は否定できませんが、そうした環境の実現の途上で発生するステークホルダー間の駆け引きを眺める視点こそが、この本からの最大の学びだと感じました。
10年ほど前の本ですが、今日でも十分読むに値する本と言えるでしょう。特に、昨今のビッグデータの盛り上がりの文脈を踏まえると、より深い考察ができるかもしれません。本書では主にバイオテクノロジーとその商業化がケーススタディとして取り上げられていますが、近年のビッグデータ関連のテクノロジーも、その商業化や倫理的な問題が注目されている点で、共通点があるように思います。
2010年9月30日に日本でレビュー済み
実は経済学も歴史学も素人なのですが、「アメリカ」「大学」に興味があったので読みました。
分厚いし、タイトルの「アカデミック・キャピタリズム」から難しい経済の話・・・と、かまえましたが、とても読みやすく、語りに引き込まれ、読了。
実際にアメリカの大学での経験や、アメリカの学者へのインタビューなどの経験もふまえて書かれていて説得力があります。20世紀のアメリカの大学の変遷のワクワクするようなダイナミックな側面を初めて垣間見ることができました。
NHKが放映した「ハーバード白熱教室」への人気に少々辟易としていたので、この本はアメリカの大学という概念に新鮮な風を吹き込んでくれたような気がします。
どうも日本では、大学といえば「象牙の塔」、そしてアメリカの大学と言えば、東海岸、それも「ハーバード」というイメージが定着しています。サンデル教授の「白熱教室」は確かに刺激的でおもしろかったのですが、何かすっきりしないものを感じていました。
20世紀後半から21世紀、アメリカの大学は東海岸から西海岸へとその中心を移動・・・産学連携の基盤、バイオメディカルの発展、基礎科学(これは著者によるとアメリカで確立した概念。このあたりもおもしろい)。そしてシリコンバレーの台頭。
「アカデミック・キャピタリズムを越えて」では、うねるようにダイナミックに変化する活力のあるアメリカの大学像が語られています。大学とは可能性。社会をよくするひとつの重要機関。プラクティカルな思想の伝統があってこそのアメリカの大学の発展・・・等々。知識を貯蔵するのではなく、知識を生み出す実験場・・・
おもしろいエピソードのひとつは、スタンフォードが1950年代にサンフランシスコに病院をもっていて臨床中心だったところを、巨額の政府の資金を得て研究中心に方向転換、その際医学部のすべての教授を1度解雇するという大手術をしたこと。これはアメリカだからではなく、西海岸の大学だったから、そして新しい大学のモデルが生まれてきた時代であったから。
歴史とは事実の羅列ではなく、事実から読み取る物語、それも常に変化する可能性を秘めている物語・・・それを著者は教えてくれます。
「基礎研究も応用研究もなく、実学も虚学の違いも存在せず、それぞれの研究者が新しい知識の地平の開拓を目座して集まっている場所、それが大学であり、その内部での密接な相互関係とネットワークによって、どこかで生まれ出る新たな知識を拾い上げていく組織、それが現在の社会における大学に求められている姿ではないだろうか。そしてその周辺は広く大学の外へとひらかれていなければならない。」(「10章大学はどこへいくのか」より)
日本の大学人にも企業の方にも今必読の書だと思います。
頭がスッキリする本でした。
分厚いし、タイトルの「アカデミック・キャピタリズム」から難しい経済の話・・・と、かまえましたが、とても読みやすく、語りに引き込まれ、読了。
実際にアメリカの大学での経験や、アメリカの学者へのインタビューなどの経験もふまえて書かれていて説得力があります。20世紀のアメリカの大学の変遷のワクワクするようなダイナミックな側面を初めて垣間見ることができました。
NHKが放映した「ハーバード白熱教室」への人気に少々辟易としていたので、この本はアメリカの大学という概念に新鮮な風を吹き込んでくれたような気がします。
どうも日本では、大学といえば「象牙の塔」、そしてアメリカの大学と言えば、東海岸、それも「ハーバード」というイメージが定着しています。サンデル教授の「白熱教室」は確かに刺激的でおもしろかったのですが、何かすっきりしないものを感じていました。
20世紀後半から21世紀、アメリカの大学は東海岸から西海岸へとその中心を移動・・・産学連携の基盤、バイオメディカルの発展、基礎科学(これは著者によるとアメリカで確立した概念。このあたりもおもしろい)。そしてシリコンバレーの台頭。
「アカデミック・キャピタリズムを越えて」では、うねるようにダイナミックに変化する活力のあるアメリカの大学像が語られています。大学とは可能性。社会をよくするひとつの重要機関。プラクティカルな思想の伝統があってこそのアメリカの大学の発展・・・等々。知識を貯蔵するのではなく、知識を生み出す実験場・・・
おもしろいエピソードのひとつは、スタンフォードが1950年代にサンフランシスコに病院をもっていて臨床中心だったところを、巨額の政府の資金を得て研究中心に方向転換、その際医学部のすべての教授を1度解雇するという大手術をしたこと。これはアメリカだからではなく、西海岸の大学だったから、そして新しい大学のモデルが生まれてきた時代であったから。
歴史とは事実の羅列ではなく、事実から読み取る物語、それも常に変化する可能性を秘めている物語・・・それを著者は教えてくれます。
「基礎研究も応用研究もなく、実学も虚学の違いも存在せず、それぞれの研究者が新しい知識の地平の開拓を目座して集まっている場所、それが大学であり、その内部での密接な相互関係とネットワークによって、どこかで生まれ出る新たな知識を拾い上げていく組織、それが現在の社会における大学に求められている姿ではないだろうか。そしてその周辺は広く大学の外へとひらかれていなければならない。」(「10章大学はどこへいくのか」より)
日本の大学人にも企業の方にも今必読の書だと思います。
頭がスッキリする本でした。
2011年11月12日に日本でレビュー済み
アメリカの大学というと、競争的で資金獲得の激しいイメージはあるが「ではその先には?」というと漠然としていることが多い。
日本の大学も競争がだんだん進んできており、アメリカの状況をきちんと知ることは考える助けになるだろう。
本書では、資金獲得のために悩むことの是非などはもはや論じられない。
アメリカでは、資金獲得のために動くこと自体はもはや前提であり、どういうパトロネッジを組むかがもっぱらのイシューである。
アメリカの大学の歴史を追いながら、ヨーロッパとの対比などもしつつ、どのように研究が支えられてきたかが論じられている。
本書で予想よりもはるかに大きなウェイトを占めているのは、特許を巡る問題である。
研究成果・論文は速やかに発表・公開され、それは自由に誰もが使うことが出来る。対価としては名声が与えられる。
それに対し特許は独占的な使用権を与え、金銭的対価をもたらすものであり、従来の研究論文のあり方とは真っ向から対立する。
この問題を、特に生命倫理ともからめつつ、分析している内容が本書で予想よりはるかに多かった。
しかしそれはアメリカでは特許の問題が非常に重要であるとともに、日本でも今後そのような問題が起きるということが予想されると言えよう。
私自身は理論物理の人間なので、「直接的にすぐ役に立つわけではない研究」の扱いがとても軽い(生命科学のあり方を前提に立てられている議論のように感じる)のは気になったが、そこは仕方がないところでもあろう。
ありそうでなかった本であり、大学論を考える上では読んで損はない本である。
日本の大学も競争がだんだん進んできており、アメリカの状況をきちんと知ることは考える助けになるだろう。
本書では、資金獲得のために悩むことの是非などはもはや論じられない。
アメリカでは、資金獲得のために動くこと自体はもはや前提であり、どういうパトロネッジを組むかがもっぱらのイシューである。
アメリカの大学の歴史を追いながら、ヨーロッパとの対比などもしつつ、どのように研究が支えられてきたかが論じられている。
本書で予想よりもはるかに大きなウェイトを占めているのは、特許を巡る問題である。
研究成果・論文は速やかに発表・公開され、それは自由に誰もが使うことが出来る。対価としては名声が与えられる。
それに対し特許は独占的な使用権を与え、金銭的対価をもたらすものであり、従来の研究論文のあり方とは真っ向から対立する。
この問題を、特に生命倫理ともからめつつ、分析している内容が本書で予想よりはるかに多かった。
しかしそれはアメリカでは特許の問題が非常に重要であるとともに、日本でも今後そのような問題が起きるということが予想されると言えよう。
私自身は理論物理の人間なので、「直接的にすぐ役に立つわけではない研究」の扱いがとても軽い(生命科学のあり方を前提に立てられている議論のように感じる)のは気になったが、そこは仕方がないところでもあろう。
ありそうでなかった本であり、大学論を考える上では読んで損はない本である。